ムネオ日記
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2004年9月30日(木)

鈴 木 宗 男

 台風二十一号は死者十三人、不明十一人の大きな被害を残す。今年は台風のあたり年だった。自然のはかり知れないエネルギーの前に、人間がいかに小さなものか。自然への敬愛、自然の摂理、自然との共生、しっかり考えていかなければならない。

 メジャーリーグヤンキースの松井選手は三十本塁打、百七打点、打率二割九分九厘、是非とも三割打って、30・100・3割を実現して欲しいものだ。マリナーズのイチロー選手はシーズン最多安打迄あと二本、全米が沸いているとのニュースにあらためてイチロー選手の凄さが伝わってくる。新記録達成を祈るのみ。

 新幹線開通四十年、昭和三十九年十月一日のスタートから四十一億人運んだという。列車事故ゼロ継続もたいしたことだ。高度成長のけん引を果たしたことは間違いない。東京オリンピック開会式の九日前だったが当時高校二年生、今も鮮明に覚えている出来事である。
 東京オリンピックの成功で世界の先進国と認知され、更に六年後の大阪万国博覧会で名実ともに世界の中の日本となった。歴史の重みをあらためて感じるものである。先人、先輩の努力に我が親に感謝するものである。
 副大臣、大臣政務官、党役員、国会の委員長等、それぞれの人事が終わった。党三役、閣僚以外、サプライズはなし。副大臣は認証官になっているのにもう少し実務に長けた、キャリアのある人がついた方が、大臣も仕事がしやすいだろうし、大臣経験者を副大臣に持ってくる位の判断があって初めて改革の実行の実があがるのではないだろうか。パフォーマンス、サプライズより、政治は結果責任であり、現実を直視して欲しいものである。
 先日も書いたが、鳴り物入りでつかわれた外務大臣も行革大臣も、何をしてくれたのかきちんと検証して正しい評価をすべきと思うが。この考えは私一人だろうか。
 九月も終わり、今年も後三ヶ月。月日の流れの速さに驚くだけである。

2004年9月29日(水)

鈴 木 宗 男

 苫小牧市で「 にっ たん (日高・胆振地区)鈴木宗男後援会事務所」開きを行う。国道三十六号線に面した、駐車場スペースも十分で立派な事務所に感激。看板も大きく鈴木宗男事務所と、わかりやすい。心ある関係者にただただ感謝。私は人間関係を大事にして生きてきたが、政治家は人間関係が基本だとつくづく思う。その為には本人が努力する以外のなにものでもない。選挙後全道各地を回りながら、様々な巡り合わせ、出会い、ご縁によって五十万票近い得票をわずか一ヶ月足らずの間でいただいたと感謝しながら、今日の日胆事務所開きに改めて素晴らしい多くの人との出会いに、手を合わせるものである。
 午後からは日高管内門別町を回り、札幌に戻り市内回り、事務所で仕事をする。夜の便で上京。何人かの代議士から電話が入り、副大臣、党のポストについての報告がある。報告してくれた何人もの代議士は言葉を合わせた様に、「今回の人事はどうなっているのでしょうか」という話。聞くと、本当に党や国の為に汗をかいて真剣に取り組んでいる人に対する評価があるのだろうかという疑問である。人の登用というのは難しいものだ。しかし、「あの人ならば」と、納得行く人事が自民党のやり方であったが、小泉さんになってからサプライズ人事になり、世間はそれなりの期待感があったと思うが、鳴り物入りで就任した外務大臣にしろ、行革担当大臣にしろ、何の仕事と実績を残したであろうか。国益を損ねたり、北海道の高速道路は車より熊の渡る数が多いとか差別的発言があっても、あの人はこういうことをしたという、我々はもとより国民の記憶に残る事があったか、お互い検証してみたいものである。
 三人よれば派閥が出来ると言われるが、選挙という手続きに沿って出てきた政治家は仲間内で「この人は出来る」「この人にはこういう能力がある」「この人にはこんな力がある」とか、よくわかっているのである。人をまとめていくには、それなりの人望というのがあったが、今はマスコミが勝手に判断したり評価したり、それを鵜呑みにしてしまう傾向があることを心配するものである。小選挙区制になってから政治家と選挙民との接触が少なくなり、いきおいマスコミの影響力が大きくなったと思うが、「努力したものが、頑張ったものが報われる」公平な社会になって欲しいと願うものである。

2004年9月28日(火)

鈴 木 宗 男

 羽田から札幌へ向かう。札幌市内で仕事。
 テレビ、新聞は人事一色。日経、読売、朝日の政治欄で、幹事長決定までの流れが細かく書かれていたが、なるほどと思う。人事はめぐり合わせが一番で、三年半前の小泉総理誕生がサプライズだったので、サプライズのサプライズでやっていくのがセールスポイントと割り切れば、納得できるのではないか。とにかく国益に向かって邁進して欲しいものだ。
 郵政民営化の為のシフトとよく言われているが、それだけのことで起用したり、人選したのなら、なんとも小さな話になってしまう。21世紀日本のあるべき姿を国民に説いて欲しいものである。日本人の心を失った今の日本に、政治家としての堂々たるビジョン、生き方をうったえて欲しいものである。国民もそれを望んでいる事だろう。
 ニューヨーク市場で原油急騰、初の50ドル台、年初から50%上昇と夕刊は各紙一面トップで扱っているが、エネルギー資源なき日本にとって、心配でならない。日航、全日空は一月から欧州線5%値上げへと発表されている。生活に大きな影響を与えることなので、先々をよく見越して関係者は対応してもらいたい。

2004年9月27日(月)

鈴 木 宗 男

 党役員人事、内閣改造、関係者にとって忙しい一日だったことだろう。武部幹事長という人事は、マスコミはサプライズ人事というが、総理にとっては当たり前の人事と考えるのではないか。御本人が驚天動地と会見で言ったが、正直な想いだろう。想えば昭和四十六年四月、武部さんが北海道議会議員に立候補したのが二十九歳。無所属であったため中川一郎先生が応援にいけず、中川一郎先生の後援会にお願いして、当時二十三歳の私が代理で応援演説に参ったものだった。三十三年前のことである。
 北海道から初の三役誕生であり、元気の出る北海道に持っていくため力を注いで欲しい。町村外務大臣も実力派大臣として北方領土、沖縄問題等に汗を流してほしい。中川大臣の留任もWTO等、北海道にとってありがたい布陣だ。町村さんも中川さんも昭和五十八年初当選の同期なので、いずれ日本を担って欲しいと期待するものである。
 北村直人さんは今回も入閣できなかったが、本人はもとより後援会の皆さんも残念がっている事だろう。北村さんも昭和六十一年初当選から十八年三ヶ月、武部さんとの同期という点からも大臣を経験してもよい年数だが、同情に値する。めぐり合わせ、時の流れ、いかんともしがたいものだ。
 政治家はやはりセールスポイントがないと、存在感が見えてこない。町村さんは橋本内閣で私と同時に文部大臣で入閣したが、一貫して文部行政に関心を持って取り組んできたし、中川さんも農政中心に活動して農水大臣になった。私の場合は、「沖縄問題と六つの構造改革は橋本内閣の最重要課題」と言うことで、防衛政務次官や外務政務次官の経験が評価され、特に沖縄問題が注目を浴びており、起用されたわけだが。三十五歳で代議士、十三年九ヶ月、四十九歳で大臣。考えてみれば恵まれていたものだとつくづく感謝するものである。ねたみ、ひがみ、やっかみの権力の世界は、まさに一寸先は闇であり、いろんなことがあるものだ。生かされていることに感謝して、自分なりの人生を全うしたいものと今日の人事に当たりつくづく感じるものである。
 夜、同期の仲間の先生方と会食。気を遣ってくれる「心」に感謝。役につかなかった今回のメンバーだが、何よりもハートがあることに感謝。まだまだ私には仲間がいる事に自信を持ちながら、次のステージに向けて頑張っていこう。
 夜、五十八年当選の心やすい仲間との定期的な会食。それぞれ各グループのリーダー的役割を果たしているが、皆、異口同音に「今回の人事では驚きが先」と口をそろえて話す。現役の、しかも各派の幹部の言葉であり、これからの政治動向をしっかり見つめていく事にしよう。それぞれがライバルと思えるキャリアであるが、少しでも私に気を遣ってくれる同志に、ただただ感謝の気持ちで一杯だった。

2004年9月26日(日)

鈴 木 宗 男

 羅臼から釧路へ入り、仲間の市議のフィールドパーティー、市内病院への見舞い等で過ごす。随分と亡くなった人がいることに驚く。今日の釧路は夏を思わせる素晴らしい天気。自然の恵みに感謝した一日でもあった。朝は羅臼から標津から国後島が見え、釧路に入ると阿寒の山々が目に入ってくる。自然の摂理を大事にしていかなくてはならないとつくづく思う。
 新聞に村岡元長官在宅起訴へと見出し付きで出ていたが、昨日も触れたが一億円貰った人の責任はどうなるのだろうか。七月に貰った小切手は、年が明けて届出の直前にどうするこうするという話でないのは政界の常識ではないか。政治資金は一月から十二月までの届出であり、事務局は翌年の三月までに書類提出をしなくてはいけないが、年内に必要なものを用意し、提出に向けての準備をしているのが一つの流れと思うのだが。検察側は実態を知らないで、頭作りをしているのではないだろうか。現実はどうなっているのか、もっと調べてほしい。誰に責任があるのか、党からきているお金は領収書を切っているのかどうか、派閥で配っている夏、冬の手当ては、きちんと領収書を貰って処理しているのかどうか。
 国民政治協会に入っても、ひも付き献金は相手先から誰々にいくらと党の経理局に指示している訳だから、当然今回の場合でも、職務権限を持っていたものが日歯から党経由で献金を受けているのに、何のお咎めがないのもおかしなことだ。捜査は公平にかつ現実態に沿ってやって欲しいものである。それが国民も望んでいるものと思う。
 今日様々な会合でも多くの人から「鈴木さん、一億円貰って『記憶にない』『思い出せない』ですむのならいいですね」「一億円というお金はとてつもなく大きく、我々一般のものには想像もつかないお金です。鈴木さんはわずかのお金で捕まり、不公平ですね」と言われたが、私のホームページにアクセスしてくれる人はどうお考えだろうか。特にマスコミの人の考えを聞きたいものである。

2004年9月25日(土)

鈴 木 宗 男

 羽田から釧路へ。市内挨拶廻り、その後 羅臼後援会は数多い後援会の中でも、結束力、仲間意識、何よりも選挙での活動は特筆すべき後援会。今年は3月27日新春交礼会、7月8日選挙遊説、9月25日と3回目だが今日も大勢の人が集まって、次の戦いに向けて更なる頑張りを誓い合ってくれる。羅臼町は参議院選挙ではなんと、60.55%の得票率、6回の衆議院選挙でも足寄町につづいての高得票率である。昔は地の果てと呼ばれた羅臼だが、漁業でその名を全国にしらしめ、元気があったが、今、漁価安など厳しい状況にある。
 水産の振興はもとより、知床の世界遺産登録に向け、観光にももっともっと力を注いでいく必要があるだろう。その時には、道路整備等、アクセスの受け皿作りも急務である。羅臼には政治が待っていることを実感する。
 国後島が目の前に見え、改めて領土問題の解決が頭をよぎる。平成10年安全操業がスタートしたが、この協定は私の後援会が提起し、外務省を動かして提起できた歴史の1ページをかざる出来事だったが、私も政治家としてそれなりの寄与が出来た事を嬉しく思う。
 日露関係の前進を羅臼の地で心から願うものである。
 村岡先生が在宅捜査されたと報道があったが、1億円受け取った人がなにもなくて、周りの人に責任が及んでいくとはなんとも不思議な構図だ。迂回献金にしろ、1億円にしろ、正直で正確な説明責任を当事者に果してほしいものである。マスコミも、検察のリークによる報道ではなく、足を使った、生の真実の報道をしてもらいたい。一方的な情報による報道で、一番迷惑するのは国民であるということを、お互い肝に銘じていきたいものである。

2004年9月24日(金)

鈴 木 宗 男

 元民主党の古賀潤一郎衆議院議員が学歴詐称問題で辞職願、今頃こんな判断をするとは、通常国会での国会質疑、本人の弁明はなんだったのか。民主党も私の時は、事実でない事もでも疑惑、疑惑と批判してきたが、今回の古賀氏についてはなんと言うのか。注意深く見守ろう。それにしても本人の人間性の問題だろうか。何で学歴にこだわったのか不思議でならない。
 小泉首相と安部幹事長が会談し、安部幹事長の辞任が決まった。サプライズ人事であったが、組織をしっかりと掌握できるキャリアがないと、顔の見えない政治になってしまう。二十七日に党人事と内閣改造を行うそうだが、これからの三日間、よく寝付けない人達がいることだろう。政治家はポスト・肩書きより、いかに自分のポリシーを訴え、残していくかが大切だと、私は考え、生きてきたものだが。
 平成九年九月十一日、橋本改造内閣で私は初入閣を果たしたが、あの時、大臣は次と考えていたので、呼び出しの電話を受けたときはびっくりしたものだった。三十代で衆議院議員になり、四十代で大臣になれたのだから、順調な政治家としての歩みだったが、順調さゆえにねらわれた点もあったと思う。反省すべきは反省し、信念を持って生きていこう。

2004年9月23日(木)

鈴 木 宗 男

 東京事務所で仕事。
 夕方埼玉に行き、中川一郎先生の時からの同僚である山田昭一さんのお参り。私より二十歳も年上だったが、私と二人でよくやってくれた。中川一郎先生死後、山田さんが議員会館にいた秘書を集めて、「我々の仕えた中川一郎先生は世襲反対だった。『俺の後は鈴木』と常々言っていた。その言葉を我々で守ろう」と号令をかけ、秘書仲間が本当に良くやってくれた。
 宮野、多田、喜多、蝦名…。昭和五十八年一月十六日、京王プラザホテルに集まった仲間を想い出す時、涙を禁じえない。あらためて山田さんの男気と人間味に感謝しながら、お参りさせていただいた。
 今週末のプロ野球ストが回避されて良かった。多くのファンが喜んでいる事だろう。
 秋分の日、彼岸中日、足寄にお参りできない事を申し訳なく思う。先祖、とりわけ両親に感謝したい。

 一億円も貰って会計責任者だけ起訴、一億円受け取った人が、「記憶にない」「思い出せない」で、何のお咎めもない。どうなっているのかとおたずねしたい。 党から派閥にも、何億というお金がそれぞれの派閥に応じて渡されているのに、届出は出ていない。迂回献金しかりである。間違いなくヒモ付き献金があるにも関わらず、それが究明できないとは、何の為の検挙か。 その事を批判しないマスコミ、メディアも不思議に思う。真実をもっと明らかにするのがそれぞれの役目と考えるのだが。

 死体遺棄事件とか、何か世の中がおかしい。どうしてこんな凶悪事件が起きるのか、政治が責任をもってしっかり考えて欲しいものだ。 地方を回り、僻地を訪ねて思うのは、地方で家の鍵をかけないのは、隣近所が依頼、連帯、共存をしっかり考えているからだろう。
 人間として忘れてはいけないもの、人として失ってはいけないものを、地方の人はわかっている。 その地方を切り捨て、都会を優先する政治は、バランスを欠いていると考えるのは、私一人だろうか。お互いよく検証して欲しいものだ。

2004年9月22日(水)

鈴 木 宗 男

 静内町、三石町、浦河町、様似町、えりも町を廻る。日高の厳しい自然や、立ち遅れた環境を目の当たりにしながら、あらためて政治の価値を感じる。「早く道路、漁港の整備、軽種馬の振興を」の声を強く聞かされる。それぞれの悩める声に耳を傾け、少しでも政治があったという証を見せたい。どの町でも、「ここまで、こんなところまで良く来てくれた」と、みんな感激してくれる。このことを聞いただけでも、来た甲斐があったと思う。今日で日高管内を回り終える事が出来た。

 小泉総理が国連総会で、常任理事国入りへの熱意を表明されたが、この前にも触れたが、敵国条項の削除をまずは実現させなくてはならない。ドイツの国民も、そう考えてるはずだ。

 長野の殺人事件で、犯人扱いされた娘さんの話が出ていたが、捜査には慎重にも慎重を期するべきだ。思い違いや安易な判断で、大事な人権、プライバシーを傷つけるのはやめてもらいたい。オウム事件でも、最初に犯人扱いされた河野さんの例もある。捜査に携わる人、マスコミの人は、よくよく注意してやってもらいたい。

2004年9月21日(火)

鈴 木 宗 男

 朝から胆振管内、鵡川町、穂別町、日高管内、日高町、平取町、門別町、新冠町を廻る。選挙後、家内が一回りしてくれたが、私は初めてなのでどこでも温かく、好意的に迎えてくれる。まちがいなくステップバイステップで、次のステージでの道を感じる。関係者に心から感謝。
 プロ野球が再開され、やっぱり国民的スポーツと感じたのは、一人私だけではないと思う。是非とも労使しっかり協調のもとで、実りある議論をしてほしいと願うものである。
 パラリンピックのニュースを見ていると、もうすこし時間を多くとってやった方がと思う。ハンディを負いながら、必死で頑張る姿は感動ものだ。健常者の頑張りもすばらしいが、障害者のオリンピックは、きらりと光る、心に迫るものがある。テレビ、新聞で、さらに大きく取り上げて、勇気や元気、そしてなによりも心のあり様を伝えてほしいものである。

2004年9月20日(月)

鈴 木 宗 男

 焼尻島から羽幌へ。船はかなりローリングしたが、北方四島へ行った時の事を思えば、軽いもので気にならなかった。羽幌では後援会との昼食会は7月27日以来だが、選挙後2回目にもなり、皆さん喜んでくれる。天売、焼尻の状況、台風被害等説明する。次期選挙に向けての私の基本的考え方を説明し理解を頂く。
 小平町で街頭演説をし、深川駅から札幌へ、事務所に入りお客さん、陳情処理、天気に恵まれよい仕事ができたこの3連休だった。

 中国では江沢民から胡錦濤主席へ、軍事委主席を移譲、胡主席3権を掌握と出ていたが、世代交代、やはり権力の座につくと、強いものだ。権力闘争のはげしい中国でスムーズに権限が移ることは予想されたとはいえ胡主席の基盤が強化されてきた一つの証と思う。世代交代こそが未来志向による両国関係の前進につながると考える。

 今月末の内閣改造、党役員人事にむけサプライズ人事の目玉はだれそれなどと、書かれているが任命者が判断することをマスコミが勝手に人事予想すること自体、不謹慎と考える。人事は尊い神聖なものであり、そっとしておく事がマスコミの勤めではないかと思うが、いががでしょうか。新聞に名前が出て迷惑したり、がっかりしたりするのは名前が挙がった本人であり、後援者なので考えてやった方がいい。

2004年9月19日(日)

鈴 木 宗 男

 朝天売を出て焼尻島へ。雨が降っており、風もあり、波が三メートル、フェリーが来るか心配したが、定刻に到着。同時に雨もあがり陽が差してくる。自然の変化に驚きながらも感謝。
 焼尻も天売と同じく一軒一軒挨拶回り。「島まで良く来てくれたね」「こんなところまできて」と、多くの人が喜んでくれる。台風十八号で屋根が飛ばされ、補修作業に追われる人が多く、旭川から応援に来ている知り合いの人もいた。漁家被害は焼尻では少なかったが、建物、住宅が大きな影響を受けている。かなりの数の空き家があり、どんな思いで故郷を離れたかと考えると、なんともいえない気分になる。
 焼尻から天売島がすぐそばに見え、利尻富士がきれいに見える。島の活性化のためにも、留萌や羽幌から焼尻―天売―利尻―礼文―稚内のフェリー航路を観光シーズンの時だけでも運行したら、「最北の島巡り」として受けるのではないかと思いついたが、エージェントにぜひ企画してもらいたいものだ。
 天売、焼尻を終え、十月四日には奥尻島の日程も決まった。先週利尻、礼文を回り、これで離島挨拶回りはすべて終了する事になる。
 プロ野球がストに突入し、やっぱり何か淋しい気がする。今回の件がプロ野球、ひいては、野球全体にどんな結果をもたらすのか等々、検証していきたい。

 内閣府の調査で、「『治安悪くなった』86%」と報じられているが、世界一安全な日本といわれ、またその事を誇りにしていた時代が懐かしい。よき文化、伝統であった日本人の互譲の精神や、困った時はお互い様という「心」が失われてしまったことについて、一人一人が考えなくてはならない。特に政治家の身勝手、自己保身、また法律を審議する際、役人の言いなりで進めてきた事を反省しなくてはならないと思う。
 凶悪犯罪で犯人が捕まらない、外国人が関与しているという声が良く聞かされる。日本人に厳しい法律を作り、外国人に対して抜け道がある様では治安が悪くなって当たり前だ。足元をしっかり見つめて、対処する事が大事だと思う。

2004年9月18日(土)

鈴 木 宗 男

 プロ野球スト決行。七十年の歴史の中で初と、各紙とも一面トップ。選手会側、球団側双方にとっても、ファンあっての経営であり、ファンあってこそプレーヤーたりえると考えるが、双方とも自分側だけの主張・議論になっていると思うのは、私一人だけだろうか。
 読売の社説に「ファン裏切る億万長者のスト」とあったが、これこそ身勝手な、一方にだけ軸足を置いた書き方で、見事なまでに公平さを欠いていると指摘したい。勝手な、自分本位の社説に驚くものである。
 自民党の党改革検証委員会で、「政治資金透明化に力点」とあったが、この委員会のメンバーの中で、正直に政治資金の届出をしている人が何人いるだろうか。党から貰った盆、暮れの手当て、派閥から貰った手当て、収支報告に載せていますか?派閥のパーティー、正確に届け出していますか?正直に届出すると金額が大きくなり、何か不正をしているのではとマスコミは書く。集めたお金が少ない人が清潔な政治家の様に受け止められるウソ、ごまかしをしている人がきれいな政治家と受けとめられている現状が、逆に不透明を作ってきたと言いたい。正直者が馬鹿を見る事だけは避けて欲しいものだ。
 朝札幌を出て、列車で旭川へ。車で留萌郡羽幌町に向かい、フェリーで天売島へ。五十六年振りの訪問。という事は、生まれて初めてという事。台風18号の被害現場を見て、天売島を個別に回り、災害の状況を聞き取らせてもらう。多くの方から、「頑張って!」「次は必ず当選するから」と激励を受け、感激。どの方からも、「天売島に足を運んでくれ、被害状況を視察してくれたのは鈴木さん、あなただけだ」との声を聞き、政治の重み、価値をあらためて考えさせられる。

2004年9月17日(金)

鈴 木 宗 男

 16日夜中に阿寒に入る。同級生の親御さんがなくなったので、足寄に入り弔問に行く。四月に母をなくした私は、小さい時からよく知っている方なので、神妙に手を合わせる。
 女満別空港から丘珠空港に入り、札幌事務所で陳情処理等の仕事をする。夜は足寄高校札幌支部の同窓会。松山千春君と一緒に招かれ、懐かしい恩師、同級生と久しぶりに顔を合わし、高校時代の話に花を咲かせる。よき先生、よき友に巡り会えて、つくづくありがたいと感謝の気持ちでいっぱいだ。足寄に生まれ育ち、足寄高校で学べてよかったと思う。
 千春君も同じ価値観で話をしていた。特に千春君は、「必ずムネオさんの胸にバッヂを付けさせます。私も一生懸命応援しますので、足寄高校同窓生の皆さんも宜しくお願いします」と頭を下げてくれる。皆神妙にうなずき、拍手を送ってくれた。改めて同郷、同窓のよしみに感謝するものである。
 札幌に泊まり、明日は留萌管内に入る。明日は天売島、明後日は焼尻島を廻る。台風の災害もあると聞いているので、現場視察もしながら、現場の声をよく聞いてきたい。

2004年9月16日(木)

鈴 木 宗 男

 根室に行き記者懇談会。9月2日、小泉総理の根室訪問、船上からの北方領土視察について、私に関して正確でない記事、話が出ているので事実を説明。しっかりした認識と勉強をしてもらわないと国益を損ねてしまう。以下、私は文章を持って記者の皆さんに説明させていただく。以下のとおりである。


 平成16年9月6日(月)釧路新聞に、北村直人衆議院議員が、「鈴木宗男前衆議院議員が首相の“柔軟対応”発言を『私(鈴木氏)と同じ段階的解決論だ』と述べていることに『こじつけも甚だしい』と反論した」という記事が出ています。この記事が北村さんの発言を正しく伝えているとするならば、北村さんは北方領土問題の基本についてご存じないか、あるいは思い違いをしておられるとしか思えないので、一言述べておきます。
 北方四島の一括返還とは、四島に対する主権が確認され、四島が実際に日本に戻ってくることを指しています。勿論私もそれが実現すれば一番良いことだと思います。しかし、外交には相手があります。日本側がいくら良い案だと思っても、ロシアが土俵にのってこなければ、実際に北方領土が日本に近づいてくることにはなりません。冷戦時代、ソ連が北方領土問題の存在自体を認めないというかたくなな態度をとっている時期には、四島一括返還を直ちに行えという意味で、四島即時一括返還の立場を高く掲げていました。
 しかし、ソ連崩壊の過程で、新生ロシアは、北方領土問題についても、問題の存在を認め、きちんと交渉する姿勢を示しました。そこで日本側も1991年秋以降、四島一括返還を言わなくなっています。北方領土問題を段階的に解決するとのアプローチに、日本政府は転換しましたし、私もその中で政府の政策を実現すべく、努力してきました。段階的解決論には、二つの考え方があります。

第一案:まず、北方四島に対する日本の潜在主権を確認するが、実際に四島が戻ってくることは後になる。択捉島とウルップ島の間に国境を確定するが、返還を直ちに求めないという考え方もこれと同じなので、「潜在主権方式」と呼んでよいと思います。この方式では、平和条約ができても、北方四島ではロシアの条約が適用され、ロシアの人達が管理をすることになります。

第二案:まず、歯舞群島と色丹島を日本に返還してもらいます。そして、国後島、択捉島の日本への帰属を確認して、最終的に平和条約を結ぼうという考えです。歯舞群島・色丹島と国後島・択捉島を分けて考えるので、「2+2方式」と呼んでよいと思います。

 私は二島返還だけで平和条約を結ぼうとか、二島先行返還で、国後島、択捉島の日本への帰属が確認されずに平和条約を締結することなど、一度も言ったことはありませんし、そのようなシナリオを支持したこともありません。
 私は第一案の「潜在主権方式」であれ、第二案の「2+2方式」であれ、段階的解決論だけが現実的に北方領土問題を解決する道と思っています。
 北村さんが「首相は『四島の一括帰属が決まらなければ、平和条約は結ばない』と島民らの前で明言している」ことを鈴木宗男に対する反証としてあげていますが、私の記憶が正しいならば、小泉総理は「四島の一括帰属が決まらないならば、平和条約は結ばない」とはいっていません。小泉さんは「四島一括では話が先に進まない」、「四島一括、同時でなくてはならないことには、私は柔軟に対処したい」と明言しています。
 小泉総理の考えが、段階的解決論であることは間違いありません。小泉さんは、その第一案、つまり「潜在主権方式」を採用しているのだと思います。
 私としては、プーチン大統領が2000年9月の訪日で、「川奈提案」を正式に拒否した後は、第一案で行くよりも、第二案の「2+2方式」で交渉を進めたほうが、北方領土が日本に近づくと思いますし、現に、2001年3月にイルクーツクで森前総理がこのような考え方をプーチン大統領に対して提起したことを、森前総理ご自身がテレビ、新聞で述べています。
 政治家の北方領土問題に対する発言は、日本国内のみならず、外国に対しても責任を伴います。釧路新聞に掲載された北村直人さんの発言が事実とするならば、不勉強もはなはだしく、日露平和条約交渉にマイナスになるものと言わざるをえません。


 今日の新聞によると、日歯ヤミ献金事件終結へと出ていたが、一億円という大きなお金が動いて、監督責任はなかったのか。迂回献金の事実があったにもかかわらず、しかも職務権限、政策決定に影響力を持っていた人が明らかなのに、何の咎めもないとは釈然としない。
 「世論に押されてやったが、世論に出たので何も事件にすることはできなかった」と、私の場合取調官から言われたが、今回の、「終結」の二文字で国民は納得するのだろうか。これからの動きに注目したい。

2004年9月15日(水)

鈴 木 宗 男

 東京事務所で仕事。夜は『反乱』を出版してくれたぶんか社の代表、役員と会食。 その後松山千春さんと会合。東京で千春との会合は久しぶりだったので、選挙の話やここ2、3年の世の移ろいや人生について語る。千春はいつもぶれない。 軸足がしっかりしている。人の道を教えてくれる凄い男だといつも感心し、感謝しているが、今夜も改めて千春の大きさに感激。良き友、良き仲間に手を合わせる。

 小泉総理が国連総会で日本の常任理事国入りに向けての演説をすると報道されているが、常任理事国入り表明前に、敵国条項の削除をしてほしいと考える。 国連憲章第107条は、1995年国連総会で削除を求める決議が圧倒的多数で採択されており、現状において死文化条項といわれているが、国連憲章に残っていること事態が、時勢に合わない。 戦後の日本、ドイツが国連の中で果してきた実績を見ただけでも、敵国条項は即刻、削除してほしいと心から願うものである。

2004年9月14日(火)

鈴 木 宗 男

 十全事務所で陳情処理、お客さんとの対応で一日送る。
 栃木県小山市の二児不明は最悪の事態となる。容疑者は二人殺害と自供、4歳と3歳の幼い命をなにゆえに奪ったのか。又、殺された子供の父親はどんな関係で容疑者の所に居たのか。大人の身勝手さで、罪もない子供が犠牲になるとはなんともいえない思いだ。
 「物豊かにして心貧しい」人が増えたとよく言われるが、ここ数十年あまりにもかつて想像もつかない、思いもよらない事件が連続して起きてきた、この社会状況を、もっともっと政治家が受け止めて考えていかなくてはならないと思うものである。
 大阪府池田小学校で、八人を殺し十五人に重軽傷を負わせた宅間死刑囚の刑執行というニュースも大きく扱われているが、本人は控訴を取り下げ刑が確定し、刑執行となったものだが、マスコミは異例の早さとか、何故一年で刑執行かという論調だが、人の命をしかも将来ある子供達八人も殺したことは、言葉にあらわせないくらいの、悲惨な想い出したくない事件だった。これも大人の身勝手さが、尊い子供の命八人を奪った。
 廃墟と化した日本が、戦争後その中でアメリカ、ヨーロッパに追いつけ追いこせのもとに努力し、世界に冠たる日本にはなったが、親子関係、家族の絆、物を大事にしない、粗末に扱うなど、高度成長以後「心」を失ってしまった。「日本人の心」を無くした人達が多くなったのではないか。子供にどれだけの時間をとってきただろうか。自分自身を振り返りながら、大人の身勝手さがどれほど世の中に悪影響を与えてきたか、じっくりと国家百年の大計を考えてお互い生きていきたいものだ。私自身、子供に対し何をしてきたかと自問自答する時、恥ずかしい限りだが、子供三人素直に育ってくれたことは、家内のお蔭と感謝するものである。

2004年9月13日(月)

鈴 木 宗 男

 1日、事務所で仕事。役所の人、お客さんの対応をする。
 事務所の中が整理され、使い勝手がよくなっている。事務所の人達もそれなりに、臨機応変にやってくれ助かる。
 夕刊を見ると、読売・日経・毎日・東京が一面トップで北朝鮮で大規模爆発の記事。
 朝日は米ヘリ墜落3万人抗議、沖縄・宜野湾市民大会の記事、紙面を比較しただけでもなるほどと思う。
 北朝鮮の爆発も詳しいニュースが入ってこない。この事だけでも不思議なことだ。
 沖縄ヘリ事故で、日米地位協定改定など六項目、決議されているが特に、地位協定の見直しは、平成13年7月におきた米軍兵暴行事件で、私は外務委員長代理として沖縄を訪問し、地位協定見直しを強調し、同年7月10日の外務委員会で日米地位協定見直しに関する決議をした経過もあるので、政府はアメリカとしっかり話を進めるべきだ。
 沖縄の痛みを少しでも分かち合う意味において、小泉首相は、首脳会談で是非とも強く訴えてほしいと期待するものである。

2004年9月12日(日)

鈴 木 宗 男

 朝、6時に札幌駅着、8時30分の丘珠空港発で中標津空港へ。
 車で根室に向かい、11時からの枳穀家の告別式に参列、行年97歳、大きな足跡を残された枳穀忠雄翁の地域発展に酪農振興に尽力された偉大さをしみじみ感じる。地方の歴史の中にきらりと光る大人物が居ることを、もっともっと評価されても良いと思う。  根室すずらん学園 学園祭に顔を出し、釧路事務所によって、依頼された色紙書き、日程打ち合わせをし阿寒町で弔問、浦幌町厚内で災害現場を視察し、帯広に行き最終便で上京、今日も一日、北から東へと良い仕事ができた。

 同時多発テロから3年、テロに対する国際協調、協力、特に情報面における連携はどうだろうか。のどもと過ぎれば熱さ忘れるのではなく、普段からの備えを1人1人考えていかなくてはならない。
 平成11年、チェチェン問題をロシアの国内問題として整理していた橋本・小渕内閣で、急にG8の外相会議でロシアを人権問題で叩くという話になり、私は断固反対し、アメリカ、イギリスに組みさせなかったのだが、あの時からチェチェンでテロリストが訓練されている、チェチェンから武装勢力がアフガンはじめ世界に散らばっていくと言っていた。
 私の見方は間違っていたのか、是非とも検証してほしいものだ。本当の国益とは何か、考えてほしいと思う。

2004年9月11日(土)

鈴 木 宗 男

 朝フェリーで利尻を出て、礼文島へ。好天に恵まれ、利尻富士がひときわ雄々しく見える。フェリーに乗船する際、礼文に行く野球チームの子供たちが、「ムネオさんだ」と言って、握手や写真撮影を希望される。本州から来た國學院大學の学生さん、大阪、奈良、岡山の観光客からも写真の要求がある。
 礼文に入り、役場、漁組を訪問し、台風の被害状況を聞く。昆布の養殖施設が流されたり、斜路が痛んだりの被害が大きいと聞かされる。災害復旧に少しでも協力して行かなくてはならない。
 夕方まで礼文島をくまなく回り、稚内へ戻る。稚内で後援会青年部の組織を立ち上げる。心ある、やる気のある人が集まってくれ、有難い。
 22時発の夜行にのり、札幌へ。明日は根室で、お世話になった人の告別式に出席する。日本の最北端から最東端へと忙しい。車、フェリーを使い、列車を乗り継ぎ、飛行機を使っての移動。やっぱり北海道は広い。
 プロ野球のストが回避されよかった。夢と希望を与えるプロ野球はいつまでもファン本意であって欲しい。
 郵政民営化が閣議決定されたが、議院内閣制においては、政府と与党は一体であり、その中で政策決定は進められるもの。与党の意見がまとまらないまま、行政の方だけ先走りするやり方は、面白いというか政治がないというか、おかしな姿だ。国民の利益に立った方向でまとめて欲しい。特に地方に十分配慮し、地方でも僻地に最大の重きを置いた結論を出して欲しいと切に願う。

2004年9月10日(金)

鈴 木 宗 男

 政治資金の発表があり、私の事に触れている新聞が何紙かあったが、政治資金は個人献金に移行させようというのが、十年前の政治改革の一つの大きな目玉であった。
 私は今、個人献金しか頂けない立場であり、公明正大な姿・形で、心のこもった浄財を頂いており、マスコミに多いとか減ったとかとやかく言われる筋合いではない。
 迂回献金とおぼしき資金、またそう受け止められる資金の解明をしっかりやってほしいものだ。国民もそのことを期待していると思うのだが…。
 正直者が馬鹿を見る世の中にしてはならないと私は強く考えるものである。興味本意の記事より、正確に真実を報道してほしいと心から願うものである。

2004年9月9日(木)

鈴 木 宗 男

 9月9日稚内管内を廻り、台風18号の爪跡を見ながら改めて自然の力の大きさを思い知る。今日は猿払村からスタートし、稚内からフェリーで利尻島に向かう。
 今年2回目の利尻島訪問である。利尻島での台風被害現場を何箇所か見て廻る。
 鬼脇漁港では野宮組合長、種谷専務さんが陣頭指揮を取り港内清掃にあたっていた。仙法志漁港では行方不明者の捜索に多くの人が参加し、懸命の努力をしている姿を目にする。一刻も早い発見を願うものである。
 三盃良勝専務より防災道路の実現、フェリー運賃の軽減等、陳情を受ける。同じ事を田島利尻町長、富樫助役からも聞かされる。離島に対する政策的配慮の必要性を強く感じながら、すこしでも希望にそえるべく、努力を決意する。自然の驚異、すさまじさをまざまざと目にしながら、人間の非力さを痛感する利尻島視察である。
 島の皆さんに「今年になって2回も来てくれて、鈴木さんが身近になった」と喜んでもらえたのが何よりの救いである。フェイストゥーフェイス、ハートトゥーハート、鈴木の政治家としてのスタンスを理解してもれえれば有難い。

2004年9月8日(水)

鈴 木 宗 男

 「橋本元首相を聴取」と各紙一面トップで扱っている。国民が知りたいのは、聴取よりも事実関係ではないだろうか。その点、マスコミの手腕・力量を発揮してほしいものだ。
 郵政の民営化諮問会議で、四分社化が基本方針と出ていたが、国民のため、国民の利益に向けての改革を期待するものである。
 台風18号が日本海側を通過し、北海道に上陸しているが、その中羽田から千歳経由で稚内へ向かう。稚内へ行くのは選挙が終わってから二回目だ。明日は宗谷管内を回り、明後日は利尻、その次の日は礼文島を挨拶回りする予定。離島に足を運ぶのは今年になって二回目だ。しっかり地方の声を聞いてこよう。
 離島といえば、今月18、19日は留萌管内天売、焼尻を訪ねる予定。10月初旬には奥尻島にいく予定。波が荒くならないうちに、離島の挨拶回りをすませておく。島の皆さんと会えるのを楽しみにしている。鈴木宗男の生き様・スタイルをしっかり守って、地方の声を少しでも吸収して、政治に活かして行きたい。

2004年9月7日(火)

鈴 木 宗 男

 朝、ロシア大使館に北オセチア事件の弔問記帳に一番で行く。ガルージン公使がおり、昨日に続いてお話することが出来てよかった。
 それにしてもなんという悲しい出来事か。犠牲者の多くが子供達であることに、一層の怒りと悲しみを覚える。 テロには屈しない、テロに断固立ち向かう姿を、国際協調の中で明確にすべきである。
 今、チェチェンの事が取りざたされているが、五年前、日本の対応認識はどうであったか調べてみたらおもしろい。 G8外相会議で、ロシアを叩こうとしたのは誰だったのか。 あの時、間違った判断をしたならば、日露関係の、世界の安定はあったのか。 その延長線上に平成13年9月11日のテロがあったことを、冷静にしっかりと分析する必要があるのではないか。
 「プロ野球、初のストへ」が各紙の一面トップを飾っているが、球団経営者も選手会も、「ファンあってのプロ野球」という共通の価値観の中で、 お互いの立場を超えて話し合って欲しいものだ。プロ野球を愛し、益々盛んになる事を希望する者として、ここは、大所高所の対応を切に希望するものである。

2004年9月6日(月)

鈴 木 宗 男

 北オセチアの犠牲者は500人とも伝えられる。マスコミは死者の数とか無数の血痕、漂う死臭とか報道をするが、何故、テロは許さない、こういう惨事をひきおこしたテロリストは許さないと大合唱しないのか。その姿勢を示すことによって少しでも国際世論の喚起につながり、テロ集団、テロリストへの圧力となるのではないか。不思議な表現をしないでテロはいけないという断固たる報道を望むものである。
 小泉純一郎首相の北方領土視察について、ロシア側から、第二弾三弾の論評があるだろうと先日記したが、五日のイズヘスチャ紙は、ゴローブニン・タス通信東京支局長の執筆記事として、来年初めに予定されている、プーチン大統領の訪日を危うくする可能性があると指摘していることが分かったと各紙に載っていた。懸念されたことが出てきたが、一つのシグナルとして受け止めなくてはならない。外交は相手のあることである。よく考えた戦略、戦術を描いてほしいものである。
 近畿地方で震度5弱、二回の地震があり、被害者の皆さんに心からお見舞い申し上げたい。
 自然の力、自然の計り知れないエネルギーを我々は考えなくてはならない。前にも言ったが、災害は忘れた頃にやってくるという、阪神淡路の教訓が生かされているのか検証しなくてはならない。災害が起きてから、政府は何をやっているのか、政治がないというマスコミの声があるが、普段から心構えは勿論、防災に対する認識、体制を訴えることがもっと大事でないのかと考えるものだが。

2004年9月5日(日)

鈴 木 宗 男

 東京事務所で書類整理などをする。日曜日でも結構電話等があり忙しい。メールに対しての返事もさせて戴く。メールに反応あることは有難い。

 北オセチア事件で小泉首相は犠牲者に哀悼の意を表したが、私が9月2日ホームページに示した様に根室でテロと闘うプーチン大統領を断固支持すると世界の中でいの一番に発表したならば、クレムリンの小泉首相に対する評価は随分と違っていたことだろう。又、総理に適格なアドバイス、意見具申できない役人、政治家を淋しく思うものである。
 北オセチアの犠牲者は323人、その半数が子供という。テロリストに対して、強い憤りとなんともいえない怒りがこみ上げてくる。日本も、テロに対する認識、甘さを反省し、対策を考えなくてはいけない。普段からの心構え、まさに備えあれば憂いなしなのだから。日本でも、テロはいつあってもおかしくないのだから。

 日歯の献金問題が連日取り上げられているが『本当に迂回献金はなかったのか、党、国民政治協会を通して指定寄付、献金があったのではないか。どうして事実関係を事務局の責任者は言わないのか。よく税制調査会でそれぞれの議員が発言しているではないか。そしてパーティー券なり、政治資金をもらっている。鈴木さんを、斡旋収賄・受託収賄で事件にしたが、もっとひどい現実があるのではないか』と何人もの人から私のところに問いかけがある。是非とも捜査している人もよくこうした声をしっかりふまえてやってほしい。
 同時にマスコミも自分の足、目、耳で調べて正しい報道をしてもらいたい。リークにのって、一方的な記事が一人歩きしてしまう。 私の時も、疑惑、また新しい疑惑、これで捕まる、これで捕まるんだと書かれたもので、事件になっているものは一つもない。 間違った報道をされて、さらに鈴木は悪いやつだと環境をつくられ、鈴木を捕まえないとだめだと言う空気になり、世論に押されて逮捕へ至る。 果たしてこれが公正公平なやり方だろうかと、しみじみ感じるものである。
 国策捜査とは怖いものだと多くの人に知ってほしい。 もし、自分がそういう立場になったらと、一人一人が考える必要があるのではないか。

2004年9月4日(土)

鈴 木 宗 男

 北オセチア共和国の学校占拠事件は、死者250人とも300人ともいわれる悲惨な結末となった。テロと断固、毅然と対決する場合、リスクが伴うことを改めて考えさせられる。
 犠牲者は子供たちが圧倒的に多く、映像から映し出される一コマ一コマに手を合わせるのみ。プーチン大統領が疲れた表情で記者会見にでていたが、テロとの闘いに屈しない強い意思表示が何よりの救いである。
 二日、小泉総理は根室から北方領土を視察した。そのとき既に学校占拠事件がおきていたので、総理秘書官にぶらさがりの時、「テロと闘うプーチン大統領を日本は強く支持する」と話をした方が、プーチン大統領、クレムリンに伝わりますよとアドバイスしたが生かされなかったのは残念だ。タイミング、時期を逸していいことを言っても活きない。残念なことである。
 北オセチアの事件で、ロシアからの総理の北方視察に対する論評が少なく、この点助かったと言えよう。それでもロシア国防省中央機関紙「赤星」の九月三日には、「好ましくないピーアール」というウラジーミル・クザリ外報部長の署名記事で、「九月二日、アメリカの戦艦「ミズーリ」で日本は無条件降伏文書に署名した。その日に小泉純一郎同国首相は大規模なピーアール活動を行った。この活動は遺憾ながら反ロシア的性格を帯びている。同日、朝、東京近郊の入間航空基地から日本自衛隊のジェット機で北の島北海道に向かった。そこで日本海上保安庁の巡視船「えりも」に乗り換え、南クリル方面に進路をとった。
 ロシアの諸島ハボマイに近づき、小泉は、船上から日本の領海にとどまりつつも双眼鏡を用いて我々の領土を長時間観察していた。」と載っていたと関係者からしらされた。ロシアの不快感を示す、第二段、第三段が出てくるだろう。
 午前中、足寄の斉藤会長の奥さんの四十九日納骨にお参りし、帯広事務所で一仕事をして午後上京。
 東京は雨、帯広は真夏日。細長い日本は天気も違う、価値観、悩みも違うことを自然が教えてくれる。これに政治が対応しなくて何のための政治かとつくづく考える。

2004年9月3日(金)

鈴 木 宗 男

 小泉首相の根室視察を各メディアが取り扱っているが、この視察が将来に活かされるよう、関係者は最善の努力をしてほしい。小泉首相の元島民への発言が、正確に報道されていないように思える。説明者が内閣府の人だったそうだが、領土問題は外務省担当者がより正確に対応すべきだったと思う。誤解が誤解をうまないためにも。
 昨日の小泉総理の発言を聞いていると、総理は「川奈提案」(1998年4月)型の段階的解決論を考えておられるようだ。しかし「川奈提案」に関しては、2000年9月の日露首脳会談でプーチン大統領が「勇気ある熟慮ある提案だが、ロシア側の考えには一致しない」と拒否した経緯がある。首脳会談でプーチン大統領が拒否した提案を再度持ち出すことで、北方領土問題の突破口が果たして拓かれるであろうか?私には一抹の不安が残る。  段階的解決論には、もう一つのアプローチがある。それは、2001年3月、イルクーツクで森喜朗前総理がプーチン大統領に提案した「車の両輪」方式である。つまり、1956年日ソ共同宣言と1993年東京宣言を基礎にして、歯舞諸島・色丹島の返還と、国後島・択捉島の帰属の問題を「車の両輪」のように、同時に並行して協議していくという方式である。本年8月21日の北海道新聞インタビューで、ロシュコフ駐日大使も「2+2」方式ならば、ロシアも交渉を進めることができると述べているのは、クレムリンの明確なシグナルだと思う。プーチン大統領と、北方領土問題について突破口を拓くことを真剣に考えるならば、森前総理が公式に提案した「車の両輪」方式を、きちんと継承することが重要だと、私は思う。
 日本テレビ、フジテレビの朝の番組で、元島民との対話集会に、私が呼ばれていないのに勝手に押しかけたという表現がコメンテーターからなされたそうだが、作り話はしないでほしい。「バカも休み休み言ってほしい」と、事実を知る関係者は私に言ってきた。事実関係は、総理の視察日程が正式に固まった8月26日16時半頃、内閣府渡辺審議官から細かいスケジュールの話があり、私のほうから「出席してもかまわないのか?」と聞くと、「どうぞ」ということであった。渡辺審議官からの電話がある前に、総理秘書官からも、「総理が根室視察します。都合よければ出席してください。日程は内閣府で仕切っていますので、そちらから連絡が入ります。」との電話があった。私が呼ばれていないのに押しかけたという日本テレビ、フジテレビのいい加減で無責任な報道に、あいた口がふさがらない。

2004年9月2日(木)

鈴 木 宗 男

 羽田から中標津空港に向かい根室での小泉首相と元島民との集会に出席。小泉首相の視察日程が決まった際、内閣府より案内があり、日程調整しての参加。
 元島民からは、早期に四島一括返還して平和条約の締結をと、何回も耳にしているお話が続いた。小泉首相は、四島の帰属を解決して平和条約の締結という政府の基本的考えは変わっていない。四島の帰属を認めてもらい同時ではなくても柔軟に考えていく。
 四島一括でなくても、返還時期がちがってもいい、柔軟に対応して同時期にこだわらないと、挨拶された。四島一括返還というと、領土問題が動かないとも話された。ロシアにも世論があるし、さまざまな分野で交流を進め信頼関係を醸成していくことが大事だと冒頭にもいわれた。
 今回の視察が活きるかどうかは、今後の外交交渉にかかってくる。外務省や内閣府の、今回視察に関わった人が、戦略・戦術をしっかり描いての、先を読んでの動きであることを、心から期待するものである。
 今ロシアでは、テロが続発している。この時に、テロは許さない、テロには屈しない、テロとはロシアとしっかり協調して闘っていくという、メッセージ・シグナルをだすことが、プーチン大統領の琴線に触れるのではないか。チェチェンのテロリスト又、その関係者がサハリン、四島で経済活動をしているという情報もある。チェチェンでのプーチン大統領の対応は、まさに世界の安全平和に向けての判断であり、日本ではテロに対する認識が甘く低いのではないか。お互いこの問題について、しっかり考えていきたいものだ。
 小泉首相から一言、テロと闘っているプーチン大統領に激励のコメントが今日、根室で発せられたなら、必ずモスクワに届き、未来志向の新たな動きもでてくると思うのだが…。
 ロシア北オセチアでテロリストにより学校が占拠され、一日半が過ぎたが、いまだ解決に至っていない。一刻も早く人質となった方々を無事解放してほしいものだ。

2004年9月1日(水)

鈴 木 宗 男

 雑誌インタビュー、来客との応対を事務所でこなす。
 今日は防災の日だが、何もない平時のときこそしっかりした心構えが必要と思う。災害は忘れた頃にやってくるというが、普段から防災のための体制整備を考えなくてはいけない。
 郵政民営化をめぐり、各紙取り上げているが、政府が強調する「民営化が国民の大きな利益をもたらす」という説明に、具体像が見えてこない。この点をしっかりと示してほしいものだ。「民営化ありき」で、肝心の議論が忘れられては困る。
 明日は小泉首相が根室に行き、洋上から北方領土を視察する。先日、内閣府審議官から総理日程の連絡があり、「出席していただいてかまいません」とのこと。明日は私も、元島民との対話集会に出席する予定でいる。


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