ムネオ日記
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2004年8月31日(火)

鈴 木 宗 男

 朝、朝食会をすませ千歳から東京に向かう。台風16号が来ており風が強く、朝から欠航だったが、幸い10時半発から飛ぶことになりラッキー。離陸の時は相当揺れたが、水平飛行に入ると揺れもなく羽田に到着。東京は30度の暑さ、北海道とは10度も違うので日本も広いものだとつくづく感じる。
 8月も終わり、日のたつのは早いものだ。1日1日を大事にしていこう。

2004年8月30日(月)

鈴 木 宗 男

 終日札幌市内廻りと、事務所で仕事。夜は松山千春さんと会食。久しぶりにゆっくり話をする。次の選挙の事、戦略、戦術、アイデア、知恵を頂く。あらためて千春は大した男だと感心する。千春の心に報いる為にも、私自身気合を入れて頑張っていこう。
 アテネオリンピックも無事終わり、数々のドラマがあり、感動を受けた。平和の祭典の重み、有難さを今一度考えなくてはいけない。こうしてペンをとっている今も、世界のどこかでテロや紛争が起きている事は不幸なことだ。
 平成研究会の瀧川さんが逮捕されたが、政治とお金の問題で社会を騒がすことは政治不信につながり、私の事を想い起こし、改めて申し訳なく思う。同時に、国民の目線にそって党の経理はどうなっていたのか、本当に迂回献金はなかったのか、事実関係をはっきりさせる事が求められているのではないか。トカゲのしっぽきりと言われない、また思われない為にも、今回の問題に正面から向き合い、真実解明していく事が、国民も納得する道だと考えるものだ。

2004年8月29日(日)

鈴 木 宗 男

 小平町の産業祭に出席。天気も良く、約3千人近い人が地元近隣から来ていた。
 新名後援会長はじめ沢山の後援会関係者が出迎えてくれる。小平町は私の得票が一番だった所で参加者との握手、写真攻めにあう。  皆さんとっても好意的で有難かった。地元の特産物を使ってのイベントで、特に小平牛肉の美味しさにはびっくりした。ホタテ等の水産物が有名だが、小平牛をもっともっとピーアールしたらと思う。3時間位、産業祭におり、それから増毛町に向かい本間前町長の奥さんの弔問をさせて戴く。女性リーダーとしてとっても存在感のある人で年齢的にもまだこれからという時、惜しい人を失ったものである。

 29日、北海道新聞の社説に首相の北方領土視察について触れているが、正確でないのが気になった。同時にこの記者のレベルを疑う。勉強不足もはなはだしいと断ぜざるを得ない。

 「外務省や一部の政治家から歯舞諸島、色丹島の2島の先行返還をまず進めるべきという段階的解決論が浮上した。 これが原則論を取るか柔軟論に転換するかの争いに発展し外務省、政界を大混乱させた」、

そして最後のくだりでは

「何をか言わんやである。一部政治家の過剰介入を許し、領土外交の混乱を招いた責任を反省するのが先だ」

と書かれており、一部政治家というのは私の事を指していると思うが、外交は政府の専管事項、総理の判断決断が一番であり、私は時の総理が決めた事をサポート協力してきたのである。平成3年10月、海部内閣時の中山太郎外相がモスクワでどういう声明しているのか、この社説を書いた人は知っているのだろうか。この時から日本政府は『四島一括返還』という表現を使っていないのである。国会答弁等をよく精査してみるがいい。
 橋本・小渕・森政権は段階的解決論に立って日露関係の信頼・前進を図ってきたのである。
 橋本首相の川奈提案も森首相のイルクーツク会談も段階的解決を提起したものだった。この段階的解決論の中でも四島の帰属の問題を解決して平和条約の締結という考えは変わっていなかったのである。
 『四島一括返還』と半世紀にわたり原理原則を唱えてきたが領土問題は一歩も前進しない。
 ソ連が崩壊しロシアになり自由と民主・市場経済・G8の一員となり日本と同じ価値観を共有することとなり日本も柔軟に対応していった経過をしっかり勉強してほしいものである。
 「何をか言わんやである」というその言葉をそっくり熨斗(のし)をつけてお返ししたい。少なくとも私は領土返還運動をしてきたのではない、領土問題解決の為の外交をやってきたのである。この記者の目線からすると外交を知らず返還運動レベルの書き方である。正確に過去の歴史をふまえて、声明・条約宣言・首脳会談で発せられた中身をよく精査して、国民に正しい認識を与えてほしいと願うものである。反論があるならどうぞ示してほしい、心から期待しております。

2004年8月28日(土)

鈴 木 宗 男

 シンクロナイズドスイミング日本チーム2大会連続の銀メダル。3大会連続のメダルもたいしたものだ。10年近く世界のトップクラスにいることの大変さは選手の努力、コーチ、サポートしてくれる人、家族、さまざまな協力あってのものだが、なんといっても大事なのは選手のやる気以外の何ものでもない。本当にご苦労さんと敬意を表するものだ。
 プロ野球の選手でのぞんだ野球を応援しながら日本は銅メダルだったが、体を張ってベストをつくしてどうしても勝つんだという気迫が感じられなかった様に思うのは、私1人だろうか。甲子園の駒大苫小牧球児の様に「北海道をなめんなよ」という裂ぱくの気迫があればオーストラリアに2回も負けることはなかったと思うのだが。
 札幌市内廻り札幌事務所で1日過ごす。
 札幌も日に日に秋の気配、お盆過ぎると北海道の夏は終わり一気に季節が動いていく。政界はこの秋どう動いていくのだろうか。アンテナはしっかりはっていこう。

2004年8月27日(金)

鈴 木 宗 男

 午前中、厚真町・早来町・追分町を廻り午後札幌市内廻り。どこでも次に向けて頑張ろうと言ってくれる。夜も激励会が続く有難い、この流れを大事にしていこう。
 9月2日、小泉首相が根室から北方領土を視察する日程が正式に発表になったが、7月根室の子供達が官邸を訪ねた際「ぜひ根室に来て下さい。」と言われ、その言葉を重く受け止めての今日の訪問となったそうだが、子供達は大変喜んでいることだろう。
 平成13年3月イルクーツクでの首脳会談直後に森総理は根室に来て会談結果を報告されたが今回は先々の展望をもっての事か、戦術、戦略をもっての根室行きか今後に注目していきたい。領土問題の解決は日露両国のテーブルにのっている話であり、ロシアの最近流されているシグナルをしっかりふまえて最善、最良の首脳外交を期待するものである。
 沖縄の米軍ヘリ墜落事故の対応の悪さ、遅さが批判されているがこれも政治の責任である。
 沖縄の痛みをよく理解していないトゥーリトル・トゥーレイトになってしまう。沖縄問題も戦後の日本の大きな悩めるすぐれて政治の価値が問われることと考えるのだが、他人事と思わないで沖縄のおかげで日本の安定、平和がある事を多くの人と一緒に考えていきたいものだ。

2004年8月26日(木)

鈴 木 宗 男

 昨日の公判の最終弁論の記事が各紙に載っていたが、比較すると面白いことに気がつく。読売新聞と朝日新聞は、全くのベタ記事。他の新聞は、それなりに公判内容も伝えている。読売と朝日は、どこに気兼ねしてこういう扱いなのか。検察の論告求刑のときは大々的に報じながら、最終弁論は検察の論告求刑記事の百分の一、二百分の一という扱いが、ゆがんだ報道をしているのではないか。これで世論が作られると考えると、背筋が寒くなる。これで、公正公平な報道があると言えるのだろうか。
 午後から北海道に入り、白老、登別を挨拶回り。ここでも温かいおもてなしをしていただき、感激する。夜は白老泊り。

2004年8月25日(水)

鈴 木 宗 男

 第35回公判最終弁論。
 弁護士弁論約4時間強、私の意見陳述約10分それぞれしっかり弁論させて戴く。
 11月5日判決が出ることになる。裁判を受けながら改めて、一昨年6月19日現職の国会議員が逮捕という事態になり国民の皆さんに政治不信をまねいたということを深く反省、お詫びするものである。同時にやましい事、いわれなき話にはしっかりと事実関係を申し上げ、私の認識を正直に言わせて戴いた。これからも反省すべきは反省し、自分の念をもって与えられた環境で精一杯生きて参りたい。

2004年8月24日(火)

鈴 木 宗 男

 アテネオリンピックでの日本の快進撃は続く。女子レスリングでの4選手ともメダル。柔道での活躍といい女子を見習えといいたい。特に格闘技での勝利は特別なものと考える。
 沖縄普天間における米軍ヘリ事故で日米地位協定の壁で、現場検証も出来ない事態に外務省、政府が動かないのはどうした事か。先の大戦における沖縄の痛み、歴史の重みを考えるともっと沖縄の人の気持ちを大事にしなくてはと考えるのだが、心の血の通った政治がないことがはっきりする。マスコミもおとなしすぎるのではないか、一歩間違えれば大惨事につながる事故をしっかりと報道してほしいものだ。又、沖縄を心配する政治家がいなくなったことも淋しい事だ。
 22日、対馬丸開館式典に招待された者として沖縄の心を知る1人として、私はこれからも沖縄を応援して行きたい。

2004年8月23日(月)

鈴 木 宗 男

 駒大苫小牧が母校に凱旋、本当に深紅の大優勝旗が津軽海峡を渡ったのだ。北海道の悲願が達成でき本当に良かった。嬉しいビッグニュースだ。
 朝からTVも新聞も野口一色、女子マラソンの2大会連続金メダルも大変な快挙だ。走り終えて使ったシューズに口づけしている姿が印象的だった。陸上・ハンマー投げの室伏選手も銀メダル、親子の夢がかなったメダル。これまた感動のドラマだ。後半戦に入ったアテネオリンピックに更に注目して行こう。

 日本経済新聞に『小泉外交「次はロシア」』と大きな見出しの記事があったが、日朝正常化が行き詰まり成果を見込める外交分野は当面ロシアしかないとの見方だが、日露関係の発展は積み重ねられた過去の約束を着実に進めて行くという基本が大事だ。
 外交は相手があるのだからロシア側のシグナルをしっかり掴んで間違いのない対応をしていくことが必要である。思いつきやパフォーマンスで発言・行動しても相手の理解を得ないことには進むものではない。この点、正しい情報を取ってしっかりした日露外交を展開してほしいものだ。
 また、マスコミ・政治家も過去の経緯、特にソ連が崩壊しロシアになり自由と民主・市場経済・G8の一員として日本と同じ価値観を有する国になってきたことをお互い勉強していくべきである。
 歴史的経緯を知らずして外交が動くものではないことを頭に入れておきたいものだ。

2004年8月22日(日)

鈴 木 宗 男

 対馬丸記念館開館式の為、沖縄へ行く。
 立派な平和のメッセージを語りつがれる施設が出来てよかった。ふりかえれば平成9年9月23日当時下地代議士と対馬丸遺族会 喜屋武盛栄会長が沈設地点の調査要請を受けたのがスタートだった。当時の厚生省は船を探すのは反対で小泉純一郎大臣だった。
 私は、厚生省抜きで科学技術庁にお願いし深海調査船をかり、防衛庁海上幕僚部から米国側へ資料要求等して沈没地点を特定し、同年12月3、4日そして、12月11、12日カメラ調査で確認したものであり、20年の私の国会議員生活で閣僚と闘ってなしえた大きな仕事だった。沖縄の人はこの事をよく判ってくれ本部の招待で出席となったものだが、あの時、役人の言いなりになっていたら本事業につながらなかったものと思う。今日の式典に厚生労働省の審議官が出席し挨拶していたが、6年前の厚生省の姿勢をなんと考えるのだろうか。60年前の今日、被害にあい亡くなられた人のご冥福を心からお祈りするものである。

 駒大苫小牧ついに深紅の大優勝旗、津軽海峡を渡る駒大苫小牧の頑張りに拍手、歴史的な快挙、本道にとって悲願達成、本当に凄いことだ。駒大苫小牧の選手が「北海道をなめんなよ」と思い闘ったと書かれていたが、多くの道産子球児の思いを代弁してくれた言葉である。私も足寄高校時代、野球をやっていたものとして駒大苫小牧の勝利は他人事でない感激だ。本当によくやってくれた。これで北海道がすこしでも元気になる起爆剤になってくれればと思う。
 昨日は札幌日帰り、今日は沖縄日帰りハードスケジュールだが、さまざまな行事、心に残る出来事に疲れも吹き飛ぶ。

 夜中スタートした女子マラソン野口みずき選手金メダル、26キロ地点からスパート、見事な走りだった。シドニーオリンピック高橋尚子選手に続く日本2回連続金メダル、これまた凄い事だ。眠気もさめてしまう結果、アテネオリンピックの勢いが日本の地力へとつながってほしいものだ。

2004年8月21日(土)

鈴 木 宗 男

 アテネでの日本選手の活躍も凄いが、甲子園での駒大苫小牧高校が本道初めての決勝進出。ここまできたら是非とも深紅の大優勝旗を北海道にもってきてほしいものだ。道産子の悲願を達成してほしいと心から願う。
 朝一便で千歳に飛び、小樽ドリームビーチでの水着コンテストの審査員として出席、水着姿の参加者からもお客さんからも声がかかり、写真攻めに会いまだ選挙の余韻が残っている。中には参加者がステージから「私はムネオさんに入れましたから」という発言もあり、嬉しかった。約50万票の人の支援は重く尊いものだと、水着コンテストの審査をしながらつくづく感じる。

 オリンピックも後半戦、陸上競技が始まったが、日の丸が揚がるのを期待する。それにしても意外な人が金メダルを取り、本命を言われた人が負けてしまう。五輪の舞台、勝利の女神は色々な判定をするものだ。オリンピックに限らず、人生においても同じことが当てはまるものだ。女子水泳自由形800m金メダルの柴田選手の通う鹿屋体育大学の田中孝夫教授がレース前に、「あわてず あせらず あきらめず」と伝えたと報じられていたが、含蓄のある言葉だ。素晴らしい師弟関係に感激。

 今日の北海道新聞に、ロシュコフ駐日ロシア大使が「領土段階的解決」とインタビューで述べていたが、これは日ロ間で合意してきた話で、17日の神崎公明党代表との会談、共同通信とのインタビューを考えても、ロシアがシグナルを送っていることを外務省は読み取らなくてはならない。先日も書いたが、外交は積み重ねであり、過去の経緯に基づいて信頼関係を深めて行くことがまさに外交の基本である。多くの人の努力、積み重ねがあって今日に至っていることを考え、交渉を進めて行くことが大事である。

2004年8月20日(金)

鈴 木 宗 男

 オリンピックの柔道最終日、男女 最重量級そろって金メダル、鈴木桂治、塚田真希 両選手の試合は手に汗にぎる見応えのあるものだった。
 前日、金メダル確実といわれた井上康生選手がよもやの敗戦で心配していたが、見事な柔道日本のしめくくりであった。「努力したものが報われる」「頑張ったものが栄光の座につく」しみじみ感じる。オリンピックにおける勝者の姿に感動。
 18日の産経新聞の2面に、公明党の神崎代表がロシュコフ駐日ロシア大使と会談をしたもようが書かれているが、改めて外交というのは過去の約束、積み重ね、信頼関係が必要だと言うことが伝わってくる。その事を踏まえて政府や外務省は日露関係の発展に努めてほしい。

2004年8月19日(木)

鈴 木 宗 男

 午前中、ドック検査を終える。最終的な結果は時間がかかるが、所見では変わったことなしで一安心。胃ガンの術後の経過も問題なしで、病院にいると健康の有難さその重さが身にしみる。丈夫な体を作ってくれた親に感謝するのみだ。
 オリンピック、日本選手の活躍には感激のしっぱなし、とくに北島選手の2冠はすごいことだ。4年に一度の平和の祭典で結果を出せるということは大変なめぐり合わせだ。絶対的、安定感を誇った柔道の井上康生選手が負けるとは、だれが想像したか。オリンピックには魔物がいると言われるが、表彰台に上がった人達はその魔物をはねつけての偉業であることに敬意を表するのみだ。
 オリンピックのため、甲子園の高校野球がかすんでいるが、駒大苫小牧が優勝候補の横浜を破り北海道76年ぶりの準決勝進出これもすごいものだ。ここまできたら頂点を目指してほしいものだ。

2004年8月18日(水)

鈴 木 宗 男

 オリンピックの活躍が報じられ嬉しい限りだ。日の丸や君が代がなんと美しく心にしみるものと感じるのは多くの人、いや、オリンピック期間中、日本人の価値感であろう。真の愛国心が育ってくれればと願うものだ。
 今日の日本経済新聞スポーツ欄に渡辺恒雄氏のコメントが興味深い、「一部週刊誌に自宅などが撮影されたことを挙げて(基本的人権を無視する)報道をするやつらとは対等に話す必要はない。(そういう記者とは)野球の話はしない」という記事だったが、それならば読売の記者の人達は基本的人権をふまえて報道していたかと検証してもらいたいものだ。
 一昨年の私の報道だけでもチェックしてみてはいかがだろうか。是非ともお願いしたいものだ。
 今日から一泊二日の人間ドック、しっかり検査してもらう。去年のドックで胃ガンが判った経緯もあるので。

2004年8月17日(火)

鈴 木 宗 男

 一日、お盆明けでお客さん、電話の数も少なく、事務所整理に精をだす。20年間たまっていた書類などを整理する。
 沖縄でおきた米軍ヘリの墜落事故で、日米地域協定の壁に阻まれて県警の現場検証すらできない事態は、沖縄県民の感情を逆なでしている。特に、この問題に対し政府の説明やコメントが一切ないのは沖縄県民に対し不誠実だと思う。
 普天間飛行場の周辺には、たくさんの学校がありその危険性から名護市への基地移設を決めたのであり、移設が進んでいない状況も問題だ。
 私は、沖縄県民の痛みを軽減させようとH8年12月に米海兵隊の受入れを決めたものだが、もっと多くの人が沖縄の悩みを考えてほしいと考える。
 沖縄の駐留米軍の極東の平和と安全に果している役割は高く評価するものだが、その陰で苦痛や危険で悩んでいる沖縄の人の事をもっと考えるべきだ。
 政府や外務省の琴線にふれる対応をもとめるものだ。こうした政府や外務省の対応に比べるとオリンピックで頑張っている選手の姿が神々しく見えるのは私だけでないと思う。

2004年8月16日(月)

鈴 木 宗 男

 お盆明けでまだ街の様子は静かだ。
 オリンピック中心のニュースだが、甲子園の高校野球も熱戦が続いている。南北海道代表の駒大苫小牧が日大三高を破ってのベスト8、北海道にとっては画期的な勝利である。PLをくだし、優勝候補の日大三高を破ったところに価値がある。
 北島康介選手の金メダル、水泳ニッポンを世界にアピールした男の凄さを感じる。プレッシャーをものともせず期待に応えるその力に感服。「チョー気持ちいい」この一言にさまざまな思いがこめられていると思う。
 今日、我家も家族勢ぞろい。3年ぶりに5人そろっての夕食、有難い限りだ。2年拘置所で夏を過ごし、今年のお盆はなんともいえぬ思いだ。そして子供全員そろってのひと時は、なにものにもまさる満足感と幸福で感謝の気持ちで一杯な一日だった。

2004年8月15日(日)

鈴 木 宗 男

 午後から事務所で仕事。さすがにお盆は電話もほとんどなく書類整理が進む。
 アテネオリンピック3日目、柔道の内柴選手の金メダル、女子の横沢選手の銀メダルに感激。特に横沢選手の準決勝、世界チャンピオンのサボン戦で残り一秒で一本勝ちした大逆転劇は目に焼きつくものだ。最後まであきらめない、最後まで全力を尽くす。生きるうえでのひとつの指針を教えられた思いだ。
 夜中には北島選手の金メダル獲得もあり、日本選手の活躍に心から拍手。

2004年8月14日(土)

鈴 木 宗 男

 事務所で仕事。
アテネオリンピック開幕、平和の祭典は美しいものだ。日本選手団の堂々たる入場行進、さわやかな笑顔が印象的だった。
 二日目に入って、柔道の谷選手の四大会連続メダル獲得、二連覇、野村選手の三連覇は凄いことだ。前人未到という言葉はこの二人にぴったりだ。「努力に勝る天才なし」とよく言われるが、この二人の努力を、私も百分の一、千分の一、万分の一でも実践していこうと思う。久しぶりに胸おどる感激のシーンを見ることができ幸せだった。
 夜、八角親方(第六十三代横綱 北勝海)、西部ライオンズの三井浩二投手と食事。八角親方とは新弟子になった十五歳のときからの付き合い。三井投手は、足寄高校野球部の後輩。それぞれ叩き上げ人生で、このメンバーに松山千春さんが入ると揃い踏みの仲間だ。よき友人、仲間がいることに感謝。

2004年8月13日(金)

鈴 木 宗 男

 事務所でお客さんの応対、書類整理。今日からお盆なので、さすがに車も少なく静かな東京。事務所の仕事もはかどる。
 巨人の渡辺オーナー辞任が各社一面で扱われており、スカウトの不祥事が直接の原因となっているが、今あったことなのか、以前から悪き慣例慣行はなかったのか、潔く辞めたのなら、しっかりと過去の出来事、事実関係を明らかにしてほしいものだ。渡辺オーナーの裂帛れっぱくの一声を期待しているのは、私だけではないと思うがいかがでしょうか。

2004年8月12日(木)

鈴 木 宗 男

 事務所でお客さんの応対。マスコミの人、役所の人、久しぶりにお会いできる人に感激。人間関係は有難いものだ。
 甲子園で、南北海道代表の駒大苫小牧が初戦突破。堂々たる試合ぶりに、これからのゲームが楽しみだ。勇気をもらった思い。

2004年8月11日(水)

鈴 木 宗 男

 事務所で書類整理をする。三ヶ月、北海道中心だったので、なにかと書類がたまっている。一つ一つ目を通して処理をする。
 六・三制、教育制度の見直しが大きく報じられているが、学校本来のあるべき姿、先生と生徒の関係、家庭教育等、制度改革以前の問題として解決する必要があるのではないかと思う。  「物」優先のツケが「心」を失うという大人の責任を考えながら教育改革を進めてほしいものだ。

2004年8月10日(火)

鈴 木 宗 男

 朝8時30分より、FMラジオノスタルジアにて対談40分間。北海道内の景気問題、失業率、行政のあり方、政治の価値・重み、自衛隊のイラク派遣等、幅広く話をする。2回目だったが、なんとなく落ち着く場所である。
 事務所で書類整理をして昼から市内挨拶廻り、夜の会合一つこなして上京。
 美浜原発3号機の蒸気噴出で犠牲になった方のご冥福をいのるとともに、入院治療されている方々のご回復を心から念じてやまないものである。
 同出力機の「減肉」が原因の一つとされているが再び事故のおきない様、しっかりチェックしてほしいものである。
 放射能もれが通常における原発事故だったが、蒸気の熱で惨事がおきるとはだれが想像したのだろうか。よく昔から災害は忘れた時にやってくるといわれるが、本当に注意しなくてはならないとつくづく思う。重ねてご冥福とお見舞いを申し上げるものである。

2004年8月9日(月)

鈴 木 宗 男

 午前中、帯広の自宅で亡き母の初盆法要をすませる。
 早いもので四ヶ月たち、改めて母の想いにふける。十分な親孝行できなかったことを申し訳なく思う。
 午後の列車で札幌に向かい選挙関係の会合を二ヶ所こなす。有難い事に次のステージに向かって話が盛り上がる。
 長崎原爆の日、犠牲になった人、今、尚 病に苦しんでいる人に心からご冥福とお見舞いを申し上げるものである。平和の尊さを強く考える日でもある。家内の父が被爆体験者であり、よく言っていた話を想い出す。「宗男君、戦地で亡くなった人も、空襲で亡くなった人も、戦災で亡くなった人も、シベリア抑留で亡くなった人も、原爆で亡くなった人もあってはならない戦争での出来事だ。戦争はあってはならないものだ」今一度、岳父の言葉の重みをしみじみ考えるものだ。

2004年8月8日(日)

鈴 木 宗 男

 午前中、北広島市のお祭り広場に出向く。後援会幹部の人の案内で露店出店の人に挨拶、街づくり、街おこしの意欲が伝わってくる。どこでも「鈴木さん次は頑張って」と、励まされ有難い。
 午後の列車で帯広へ向かい足寄に帰ってお墓参り、お袋の側に十分居れなかったことが悔やまれる。故郷に感謝しながら家族を想う。
 アジア杯サッカー、堂々たる勝利でよかった。大変なプレッシャーを受けながらもフェアプレー精神で目的を達成した日本代表に心から敬意を表したい。それにしても、行きすぎたサポーターの言動、行動は厳しく指摘しなくてはならない。
 中国のためには、はっきりものを言うことが親切である、真の友好につながっていくためにも。

2004年8月7日(土)

鈴 木 宗 男

 午前中、東京事務所でお客さんに会う。
 午後から札幌に戻り、後援会の会合、新しいメンバーが集まり次の戦いに向けて相談させてもらう。
 アジアカップで中国サポーターのブーイングのニュースを見て、こうした事が続く事は次期オリンピックの時がどうなるか心配だ。愛国心は大切だが、節度や礼儀は大切だと思う。
 民主主義やスポーツは、ルールがあるところに価値や面白さがあるという事を、お互い確認したいものだ。

2004年8月6日(金)

鈴 木 宗 男

 午前中、苫小牧市内廻り。どこでも温かく迎えてくれ、次のステージに向けての期待を話してくれ元気が出る。
 苫東地区で家電リサイクル場とペットボトルリサイクル場ををたずね、勉強させていただく。環境問題への取り組みをしっかりやっていこうと考える。
 午後、東京へ戻りお客さん等に会う。
 夜、野中先生他と会食。政局の話、大いにもりあがる。さすが野中先生はさまざまな所にアンテナがあり、適切な話をされる。とてもお元気で安心した。

2004年8月5日(木)

鈴 木 宗 男

 朝から苫小牧を選挙後2回目の挨拶回り、女房も2日間苫小牧入り。
 挨拶廻りで皆さんから激励を頂く。次への戦いに向けて意欲を示してくれる。
 今朝の朝日新聞に、山崎拓元自民党副総裁の話として、小泉総理は、ロシアからの石油の安定供給に積極的に取り組むという考えに賛成し、同時に在任中に北方領土を訪問する意欲を示したとの事だ。
 昨年、政府・外務省は、日露関係には領土問題以外にもできることはたくさんあるとシベリアの石油パイプライン構想に熱中し、プーチン政権に間違えたシグナルを送った。そこで今年になってから、総理が北方領土に直接乗り込むという、今度は極端にロシアを刺激するような考え方が浮上している。私の考えでは、ロシアから資源の安定的確保と北方四島の日本への帰属確認は可能だが、そのためにはよく練られた戦略とクレムリンに繋がる信頼できる人脈、そして適切なタイミングでのメディアへの発信が不可欠だ。
 最近、政界や外務省からロシア絡みの色々な話が漏れ聞こえてくるが、戦略、人脈、タイミングのいずれも欠けているように思えてならない。日露関係がかつてなく混迷する悪い予感がする。

2004年8月4日(水)

鈴 木 宗 男

 釧路から札幌へもどる。今日も三十度を越す暑さの中、札幌市内を廻る。
 夕方は「第1回すすきのハシゴ酒大会」に参加し、ノルマの5店を廻りスタンプを押してもらい景品とひきかえ。
 すすきのに活気をとりもどそうとの思いが伝わってくる。参加してよかった、私も廻りながらどの店でもお客さんから激励を受け有難い。
 「鈴木さん元気の出る北海道にして」と、よく言われ政治の責任を感じる。現職の国会議員には現状をしっかり認識して取組んでほしいものだ。
 サッカーのアジア杯で中国人の日本に対するブーイング、反日的言動がテレビから伝わってくるが、日中関係は難しいものだ。
 中国は教育で反日指導しているのだから、日本政府もしっかり考えなくてはいけない。小泉総理が何か他人事の様な感じでコメントしていたが、日本としての姿勢、考えを明確にすべきと思う。

2004年8月3日(火)

鈴 木 宗 男

 雄武町、興部町、西興部村、滝上町、上湧別町、佐呂間町、常呂町、美幌町、阿寒湖畔と各地区後援会をまわる。どの後援会も目標どおり、またそれ以上の得票を出してくれて、次に向けての意欲を語ってくれた。これでひと通り主だった地区をまわったので、これからはきめ細かい組織作りをしていかなければならない。
 それにしても、釧根管内の得票はじめ、中選挙区の時の地区では大変な支持を戴き有難い限りだ。新しい同士の人達の力も合わせて『再・起・働』して行こう。
 「社会保険庁 事務所ごと徴収ノルマ 新長官が指示 年金納付率改善図る」という記事があったが、なぜそこまでやらなければならないのか。年金制度の基本をもっとしっかり考える事が急務ではないのか。国民に理解されない制度や仕組みの下では納付を期待できないと思うが、多くの人はどう考えるだろうか。

2004年8月2日(月)

鈴 木 宗 男

 網走管内挨拶廻りスタート。
 清里町・小清水町・東藻琴町・北見地区(北見市・端野町・置戸町・訓子府町)留辺蕊町・遠軽町・紋別市と廻る。どこも目標以上の得票をとっているので明るい。
 武部代議士の地元で勝った事は大きい。これから様々な選択肢を考えて行こう。
 各会合場所で、橋本さんが「一億円もらった記憶もないし思い出せない」と言っているが、鈴木さんはどう思う、と聞かれるので「私なら三年前の記憶、認識はしっかりしている」と答える。
 国民は一億円という大金を、いつどこでもらったのかわからないのは、不自然と考えている人が多いだろう。この点しっかりとした説明を期待する人が多い事だろう。
 新聞で、福井 新潟の豪雨被害に子供達が夏休を利用してボランティア活動をするとの記事があり感激。小さい時から「こまった時はお互い様」という精神をもつ事は、将来大きな財産になる。子供達の頑張りに期待したい。

2004年8月1日(日)

鈴 木 宗 男

 朝、知的障害者授産施設 新篠津ふれあいの苑を訪問。私がお世話になっている羅臼の人の関係で八角部屋の北勝力、海鵬を連れての訪問、鶴羽施設長、黒壁業務課長さんも大変喜んでくれこちらも感激。入所者と北勝力、海鵬とのやりとりもよかった。
 一生懸命頑張って生きている人達に少しでも政治があったといわれる様にしていきたいものだ。
 又、サポートしている職員の皆さんにもより勇気や誇りを与えてやりたいと、つくづく考える。めぐまれない人に夢や希望を与えるのが政治と訴えてきた鈴木宗男の姿を実践できてよかった。
 夕方、札幌から飛行機で網走に向かう。
 北海道新聞1面に「次期見て新党結成、鈴木元議員が明言」という記事がのっていたが、次期衆議院選挙を考えると当然の流れだ。
 政治状況を見ながらタイミングを見て行きたい。


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