ムネオ日記
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2004年7月31日(土)

鈴 木 宗 男

 函館から飛行機で丘珠に着き、札幌駅から列車で帯広に移動する。
 帯広で十勝総連合後援会の拡大役員会、先の参議員選挙でも十勝管内では46,911票の得票を戴き、鈴木宗男後援会の健在をしめす事により役員の顔も明るい。次のステージに向けての新しい戦いに向けて、皆 意欲をもってくれる。
 帯広後援会役員も世代交代が進み、私の世代が後援会の中核になっている。やはり20年の月日の重みを感じるものだ。
 久しぶりに帯広の自宅により、母のお参りをする。
 最終列車で札幌に向かい、大相撲の北海道巡業が札幌であり、八角部屋の激励会を22時30分からはじめ、北勝力、海鵬 他、皆日焼けし巡業の成果が感じられる。
 橋本元首相の派閥における挨拶が尚、マスコミの話題になっているが当分続くことだろう。
 説明責任の重さを改めて感じるものだ。

2004年7月30日(金)

鈴 木 宗 男

 稚内から飛行機で千歳に着き丘珠空港に出て函館へ向かう。
 稚内で飛行機に乗る前に氷雪の間 9人の乙女の碑を見る。
 終戦時、ソ連軍の侵攻前に自ら命を絶った「皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」言葉にならないものを感じる。
 南極観測にたずさわったタロー・ジローの話も胸を打つものだった。
 百年記念館の間宮林蔵の資料も歴史の大きなヒトコマとして勉強になる。
 稚内も真夏日、函館も同じ、函館での選対事務所解散式も沢山の人に集まって戴き、負けた空気がなく出陣式の感じがした。出席者から次の戦いに向けて頑張って行こう、その為には組織の整備拡大をしょうという事になり感激。
 「選挙に勝って挨拶廻りは聞いた事があるが、選挙に負けてもすぐ挨拶廻りをする鈴木さんは、やっぱりたいした人だ」と、各地区で言われ、少しでも鈴木宗男の人間性が判ってもらえる事は有難い。
 函館の解散式の前に、橋本元首相が次期小選挙に出馬しないとの話が数名の国会議員から知らせが入った。
 政治の世界の権力闘争、人間関係、ねたみ、ひがみ、やっかみ等私自身も経験した事だがすごい世界だ。
 それにしても三年前、一億円という金額が記憶にない、思い出せないと話をしたようだが益々わかりずらく混乱をきたすのではないかと思うのは私だけだろうか。
 マスコミの情報源も正確に特定して国民に知らせてもらった方が、何が真実というのがはっきりするのではないかと思うのだが。
 二年前の私の事を考えると、何もなかった事が疑惑、疑惑と報道され、なんでも「鈴木ありき」でテレビ 新聞は事実でない事、裏づけのない話が出たものだが、メディアのありかたとして、一緒になって考えさせられた問題であった。

2004年7月29日(木)

鈴 木 宗 男

 朝、千葉県に行き挨拶廻りをして、午後からは札幌経由で稚内に入り稚内選対事務所の打ち上げ式に出席。多くの方が集まってくれ、いい戦いができたので次に向けての組織拡充に向けて話し合う。9月の上旬には宗谷管内を廻る日程を決める。後援会の熱き思いに感謝の気持ちで一杯だ。稚内、宗谷管内で衆議院選挙出馬要請の声も上がり、これまた政治家として光栄である。
 国松元長官の事件で思う事だが、検察の面子で逮捕し大々的に報じたものの、犯人を特定できず釈放する事となり、さまざまな波紋を呼ぶこととなったが、面子や風潮とかで人を落としいれ、真実を隠すことは公権力の乱用と言うべきものだ。
 私の場合も、ねじまげた事実を報じて世論を作り、それを背景に逮捕したが、世に出たもので事件になったものは一つとしてなかった。一方的に恣意的な事実を作りマスコミを使って世論という大きな力を働かせれば、常人にはどうにもできない。
 私の時を思い起こしながら、今回の件も考えさせられる思いだ。

2004年7月28日(水)

鈴 木 宗 男

 留萌管内、小平町、増毛町を廻る。小平町も増毛町も第一位の得票を頂き支援して頂いた人に感謝、さらに後援会を充実させ今後に備えて行きたい。
 旭川から東京に戻り夜は、国会議員の皆さんと会食。日本歯科医師会の政治資金の問題や政局について話を聞かせていただく。それぞれの方が緊張感をもっている様子が伺われる。
 私も何があってもいいように、日々体制をとっていこうと思う。

2004年7月27日(火)

鈴 木 宗 男

 朝、稚内駅に着き留萌管内を廻る。
 幌延町、天塩町、遠別町、初山別村、羽幌町、苫前町、夜は留萌市で選対事務所の打ち上げをする。
 留萌管内の1市8町村では10,747票の得票を頂き第一位の得票であり大きな支持を改めて感謝。留萌管内第10区から、衆議院選挙に出てくれと有難い要請も受ける。そういう声があるだけでも意味のある参議院選挙であったと思う。
 一部報道で、昨日の記者懇における私の発言が次期衆議院選挙出馬表明ということが出ているが、485,382票の  私の名前を書いてくれた人の思いを無にしないためにも、私は新たな政治活動をしていく責任があると考える。ベターよりもベストな選択をして支持者の皆さんの期待に応えて行きたい。
 自民党参議院議員の議員会長に青木先生が就任とでていたが選挙前、議席の維持が出来ない場合、責任をとると確か話していたと思うが、自由民主党もおおらかな政党になったものだとつくづく思う。
 小泉首相の再選を決めた時も政策の違いがあると支持をしないといっていた話を思い起こしながら、責任のとり方というのは色々あるものだと考えさせられる出来事だ。
 したたかな生き方をするのが、永田町での生き残りであり、私みたいに正直すぎると足元をすくわれるのかと考えさせられる。

2004年7月26日(月)

鈴 木 宗 男

 釧路管内、白糠町、音別町を挨拶廻り。地元マスコミ関係者と懇談をする。釧路・根室管内ではダントツの得票を頂いたので、とても気分がいい。次の小選挙区での対応、比例での対応、さまざまな選択肢がある事を話す。
 夕方、釧路から飛行機で千歳に入り札幌に出て、夜行寝台列車で稚内に向かう。

2004年7月25日(日)

鈴 木 宗 男

 朝コイヘルペスが発生したという湖を視察、土佐組合長さんの案内でコイが浮いている現場を見る。地元にとっては深刻な問題なのでできる限りのサポートをしてあげなくてはと責任を感じる。風評被害が一番困るのでマスコミの皆さんには冷静に対応してもらいたいとお願いしたい。
 水面事業なので北海道許可でもあり、行政とよく連携してやらなくてはいけない。
 別海町、中標津町、標津町、根室市を廻る。お蔭様でダントツトップで二番手にダブルスコアでの得票を頂いた地区なので皆元気だ。平成八年最初の小選挙でも根室管内はダントツトップだったが今回も堂々たる結果に感謝の気持ちで一杯だ。

2004年7月24日(土)

鈴 木 宗 男

 朝の飛行機で釧路に向かい地元挨拶廻り、阿寒町、弟子屈町、標茶町、厚岸町、釧路町、釧路市を廻る。
 どの地区でも満足のいく得票を頂き有難い。皆が次の選挙に向かって今から活動しようと言ってくれ有難い限りだ。
 世論調査でも内閣支持率が支持、不支持 逆転してきているので秋からの政治は目を放せない事になるだろう。

2004年7月23日(金)

鈴 木 宗 男

 午前中、札幌市内挨拶回りをし、午後からは旭川市内挨拶回り。
 夕方、旭川選対事務所の打ち上げ。ボランティアの皆さん方に心から感謝。次に向けてそれぞれ決意を述べてくれ有難い。家内、娘も同行してくれ感謝の挨拶をし大いに受け、特に娘の挨拶には出席者全員大満足。家内、娘のサポートにも感謝する。
 23日、朝刊に自殺者が3万4千人社会問題だと出ていたが、私は選挙中は勿論、それ以前から自殺者が増えているのに何故、政治家がとりあげないのか、多くの人が経営に行き詰ったり、リストラされ人生に疲れての自殺であることを私は警鐘してきたが、今頃マスコミが取り上げていること自体、遅きに失ったのではないかと思う。
 政治家から生活感のある言葉、発言がないのはどうした事だろうか。
 私は自分の生い立ち、父の死等、自分の生きてきた道を振りかえりながら少しでも勇気や夢、希望を与えられる様、頑張っていきたい。

2004年7月22日(木)

鈴 木 宗 男

 札幌市内を挨拶回りする。通行中の方から、握手を求められ激励を頂く。圧倒的に女性からの声が多くて嬉しく思う。20代、30代の男性からも声をかけられる。まだ、選挙の余韻が残っている。
 お盆前まで、精力的に後援会回りをする。
 夜はボランティアの方々の集まりに招かれ、思いのたけを話す。それぞれの人達が次に向けての気持ちを話してくれ、有難かった。
 東京は大変な暑さと聞いているが、ここ北海道は本当にからっとして、さわやかだ。日中は30度ぐらい上がっても夜は20度ぐらいまで下がる。まさに別天地。このかけがえのない北海道の風光明媚な環境に、心から感謝するものだ。自然を敬い感謝する事が、家族愛、郷土愛、祖国愛につながると思う。まず、私自身率先して自然を敬い、感謝していく事を誓う。改めて、北海道に生まれ育っためぐり合わせに手を合わせ、大自然に感謝してやまない。
 一部報道に法案審査の見直しの記事があるが、これも役人的な話だ。プロとしての見識や職務上の責任はどこにいったのか、どうしたのか。政治家は選挙で洗礼を受けるが、役人はミスをしても今までどういう責任を取っただろうか?もう少し責任ある仕事に対する取り組みがあっても良いのではないだろうか?
 官僚政治の弊害が如実に現れていると思うが、そう考えるのは私だけだろうか‥

2004年7月21日(水)

鈴 木 宗 男

 朝一番の飛行機で帯広に戻った。足寄後援会長の奥さんの告別式に参列。息子さんは十勝連合の幹事長もしてくれ、昭和58年からの後援会の最重要メンバー。また私が小さいころからお世話になった方でもあり、かけつける。あらためて故人を偲ぶ。
 夕方札幌に戻り、後援会の方々への挨拶回り。市内を歩いても、通行中の方から「今度頑張ってね!」というたくさんの励ましや温かい声をかけていただき感謝にたえない。間違いなく鈴木宗男に投票してくれた485382票の声があった事を実感する。お礼の挨拶回りに専念しなくてはいけない。毎日送られてくるメールも激励や、「今度は頑張れ!」ばかり。嬉しい限りだ。
 新聞各紙の世論調査では、内閣支持率が下がり不支持が高くなっているようだ。選挙後も世論の流れは厳しいものがある。政治家の言葉の重みと責任が問われてきている物と考える。
 私もより真摯に受け止めながら、政治活動をして参りたい。

2004年7月20日(火)

鈴 木 宗 男

 選対本部の解散式があった。
 出席者全員から、「次は絶対勝つ体制を!」と激励や支援の声を戴く。明日にでも選挙ができるほどの熱気があり、感謝の気持ちでいっぱいだ。
 午後上京し、お世話になった方のお通夜に行った。人生80年の今日、60歳の永久の旅立ちをされた事を思うと、世の無情を恨むのみだ。故郷足寄高校の先輩でもあり、私の選挙をいつも心配してくれた方なので、心からお悔やみを申し上げた。
 福井の災害が広がっている事に、心配している。この暑い時期、被災に合われた方の事を思うと心が痛む。
 昨日、鈴木元総理が亡くなられた。日本の歴史をになった方の逝去だけに、心からのご冥福をお祈りするのみ。

2004年7月19日(月)

鈴 木 宗 男

 朝から、札幌で挨拶回りやお礼の電話かけをする。
 毎日続く事だが、電話に出た方からは、激励と次に向かっての熱意を語ってくれる。
 夜は北広島市の選対の解散式があった。ここでも次に向けての熱い思いを皆さん語ってくれた。後援会組織も役員についてくれる人が相当増えており、ありがたい限りだ。こうした動きをてこに、次にむけての勇気が湧いてくる。
 今日の毎日新聞によると、小泉内閣の支持と不支持が始めて逆転、と書かれている。
 今回の選挙結果を見ても、地方での自民党の取りこぼしは、政策に「ノー」といった結果だ。すべて東京の尺度で物事を測る事ができない事を証明したものではないか?地方の悩みや思いを、是非とも政治に生かしてほしいものだ。
 小泉総理が新潟の豪雨を視察しているが、福井も同じような被害にあっている。ましてや新潟と福井は近くなので、福井にも同じような配慮をしても良いのではないだろうか?
 このような災害が起こると、激甚災の指定の問題がおきるが、査定をしなくても死者の数や被害を受けた数で、当然受けれるものですから、一日も早く直ちに激甚災の指定をする事が、これまた政治の重みや価値ではないのか?
 被災を受けた側の気持ちになって判断してあげる事が一番だ。
 官僚や行政の判断で動くと、時間がかかるのみだ。
 あらためて、被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げ、亡くなられた方々にご冥福をお祈りするものです。

2004年7月18日(日)

鈴 木 宗 男

 札幌選対事務所の解散式を行う。
 事務所につめてくれていた約100名近いボランティアの人達が集まってくれた。皆さわやかな気持ちの良い選挙をした、という満足感でいっぱいだった。
 せっかくの人間関係なので、この「輪」を維持していこう!次の国政選挙に向けてこの「輪」をさらに広げていこう!という決意がなされ、全員総意のもとで時々会合を持つ。また次の戦いに向けて今から活動していくことを決定される。
 とてもありがたいことだ。
 私は人間関係を大事にしてここまで来たので、その気持ちがボランティアの方々に理解してもらえた事が、何よりもありがたく嬉しい限りだ。さらに意を強くして頑張っていこう。

 曽我さん一家が夕方帰国されたが、ジェンキンスさんの一日も早い回復を祈るのみです。曽我さんの祖国、日本に第一歩を記した2人の娘さんやジェンキンスさんの思いはいかがなものだろう・・と私なりに考える。
 何よりも、4人一緒に日本に無事帰られたことを嬉しく思うと同時に、行方不明者のご家族の気持ちを考える時、政府はより熱心に解決へ向けて努力すべきである。ほっとし喜ぶ人がいる中で、心を痛め悲しむ人がいる事を政府や政治家は重く重く受けとめるべきではないか・・と考えるのは私一人ではないと思う。

 新潟に続いて、福井の豪雨災害に驚いている。私の関係者も被害にあっており、他人事ではない事態だ。
 防災に対する認識をもっともっと考えていく必要がある。被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げ、亡くなられた方々にご冥福をお祈りするものです。

2004年7月17日(土)

鈴 木 宗 男

 朝から札幌にて御礼の挨拶回りをする。
 夜は苫小牧選対事務所の解散式に行く。この事務所も短期間の間に立ち上げて、本当に良くやってくれた。それどころかもう次に向けて動き始めている。ありがたいことだ。感謝の言葉しか出ない。
 新潟の集中豪雨の被害が拡大している。被災者の方々にはくれぐれもお見舞い申し上げると共に、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。自然災害とはいえ、普段から政治の果たす役割はなかったのかどうかも考えなくてはいけないのではないか・・そのための基盤整備は常におこたってはいけない、とつくづく感じる。
 曽我さん一家が日本に来られる様になったようで、良かったと思う。
 アメリカにも人道的対応を是非ともお願いしたい。

2004年7月16日(金)

鈴 木 宗 男

 朝8時から朝食会に出席し、その後東京事務所にて御礼挨拶や書類の整理をする。
 夕方の飛行機で札幌に入り、支援者グループとの打合せをする。集まった人達から「次に向けてがんばる!」「次に続く!」という熱い激励を受け 感激と供に感謝の気持ちでいっぱいになる。
 日本歯科医師連盟からの政治資金が問題になっているが、是非とも真相を明らかにしてもらいたいように思う。各派閥のパーティーにしても、どこまでオープンにしているのか、  またその所属議員の明細がどうなっているのかも国民は多いに関心があるのではないだろうか…。その点もはっきりした方が、政治の信頼回復においても必要ではないだろうか…。

2004年7月15日(木)

鈴 木 宗 男

 朝から来客の応対、書類整理、お礼の電話をする。
 しばらく東京を離れていたので、書類も山になっている。その上選挙中はもとより 今もたくさん頂く「これからだ!」「弾みがついた」「頑張れ!」という激励の電話や手紙、FAXそしてメールの一つ一つに感激する、と同時に頑張らなくては、と自分に言い聞かす。
 今日のデイリースポーツの野中先生のコラムに感激する。
 「宗男さんの50万票獲得スゴイ」のコラムにこめられた、野中先生のお心に報いて行きたいと、新たな勇気と闘志が湧いてきました。全国の心ある多くの人からも励ましを受けており、「人間関係」「ご縁」に感謝するものです。

2004年7月14日(水)

鈴 木 宗 男

 今日は公判、検察側の論告求刑だった。
 検察側の主張を、注意深くきちんと聞かせて戴きました。
 この事件は、始めから鈴木宗男ありきの国策捜査であり 普通の刑事事件ではなかった、と思っています。検察側がいう事実関係には誤認があり、また認識においても検察と私の間には大きな開きがある。この事については次回8月25日の公判で 法律論は弁護士がきちんと弁論するが、私自身も法廷において自分の言葉ではっきりと主張したい。

2004年7月13日(火)

鈴 木 宗 男

 選挙からあけて、充実した満足感のある疲れが出た。
 札幌にある選対事務所を、今日撤収した。一ヶ月足らずの事務所だったが、結構な荷物が残った。それを見ただけでも、良い戦いができた結果だと思う。
 市内を挨拶回りすると、「次は大丈夫!」「次、頑張って!」と言う、言葉が返ってくるのでありがたい。と、同時に485382票の重みをかみしめるものだ。次につながる得票を得た事を、改めて感謝する。今から、これにこたえる政治活動をしていく。
 たくさんの激励のメールが来ていて読みながら、感激する。返信に追われる。これもまた、ありがたい忙しさだ。
 ニュースでは新潟で集中豪雨がおき避難された方がおられたと聞き、心から心配しているものです。災害はいつくるかわからない。自然の力というものは、計り知れないものがある。その為にも日頃から、防災に対する心構えやあるいは河川や森林の整備をしておかないといけない。また、お互いにそのことを認識しておかないといけない。
 備えあれば憂いなし、と言う言葉があるが、普段から考えておかないといけない事だとつくづく思う。

2004年7月12日(月)

鈴 木 宗 男

 心温まるご支援ありがとうございました。
 私の力不足で当選はできませんでしたが、一ヶ月足らずの運動期間で485382票の大きな得票を頂いた事は、身に余る感激です。
 なんの組織もなく、一つの団体もなく、ひたすら人間関係にすがった、心と血の通った、中身の濃い、胸にしみる大きな得票に、私の訴えは理解されたと考えております。
 今から次の政治に向けて、頑張ってまいりますので、どうか今後ともご支援戴きます様、お願い致します。
 松山千春さんの身体を張った応援、また全道各地でのさまざまな出会いや感動が目に浮かび、感謝の気持ちでいっぱいです。チャレンジャー精神で新たなスタートをきりますので、今後とも宜しくお願い致します。


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