ムネオ日記
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2004年6月23日(水)

鈴 木 宗 男

 朝から札幌市内を回る。
 夕方、小泉総理も視察された「木の城たいせつテーマパーク」を訪問する。オーナーの山口昭様の著書「もったいない」に改めて感銘を覚える。「物を大切にする心」は「人を大切にする心」にもつながる。もっとも必要な心だ。
 韓国から、イラクの武装勢力に拉致されていた金鮮一さんが殺害されたという衝撃的ニュースが入ってきた。イラクになぜテロがあるか。あってはならない事だ。と、同時に日本の自衛隊の皆さんが全員無事に任務を全うして帰国されることを改めて祈るだけです。私は自衛隊の海外派遣についてはPKO(平和維持活動)、人道支援、緊急災害等の緊急援助に限るべきと考えています。金鮮一さんのご家族はじめ、韓国の国民の皆様に哀悼の意を表します。
 いよいよ明日から選挙戦が始まる。ムネオ日記も続けることができない。たくさんのアクセスを頂いたと聞いた。嬉しい限りだ。感謝、感謝。日記を読まれての感想、激励の電話も毎日毎日たくさんもらった。
 さあ、頂いた皆の心をむだにしないためにも、頑張ろう!いざ、出陣!

2004年6月22日(火)

鈴 木 宗 男

 札幌後援会を設立した。雨の中150人の社長さんが集まって頂き、松井社長を選出した。中小企業の景気の回復、雇用の確保、中小企業を守ることを訴える。
 その後、今回の選挙に立候補のテレビ取材を受ける。私は、「議員年金廃止」、「景気回復」、「雇用確保」、「北海道の自立」、「恵まれない地域や弱い人に対する配慮」を強く訴える。
 午後から札幌市内を回り、夕方には街角で話をする。私の訴えに耳を傾けてくれ‥皆さんの反応が、大変よく、嬉しい限りだ。
 夜、6ヶ所でお茶コン・会合に出席。ここでも感激。感謝、感謝。
 年金法設立前に、出生率が1.29であった事が中間報告されていたと、明らかにされた。このような事は審議の前に明らかにされるべきではないか‥
 報道で大仁田議員が、私の応援に来た為に厳重注意を受けた事を聞いた。大仁田先生の男気と友情で来てくれたもので‥
 24日の公示以降の運動ならば自民党も厳しく対応しても良いが、公示前まで細かい規制や圧力をかけてくるのは‥狭い自民党になったものだ。この狭さが求心力を失っているものと思う。
 昨年の衆議院選挙では、北海道で自民党のそれも党を代表して比例に出る議員が、堂々と無所属議員候補を応援していた。それについては、お咎めがなかったが、なぜ今回だけなのか‥
こちらは気にせず、堂々と戦う。
改めて、大仁田先生の思いやりに感謝。ありがたい限りだ。

2004年6月21日(月)

鈴 木 宗 男

 午前に、民報3社の政見放送のビデオ撮りをした。各局それぞれ中身を変えながら私の訴えをきちんと述べさせてもらった。
 午後から市内企業廻り。
 18:00から大通り公園で、はじめて話をする。マイクをにぎるとたくさんの人が私の話に耳を傾けてくれる。有難い。どこで聞きつけたか報道関係の方達も駆け付けて来てくれている。思いがけない反応のよさにこちらも演説に力が入った。今日からが選挙戦の本番との思いでやって行こう。
 夜は3ヶ所でお茶コンを行う、意外な所にも人間関係があり、さまざまな出会いに感謝。
 毎日新聞の夕刊で私のことが6段で取り上げられている。見出しを見て「ぎょっとした」が、中の文章は正確で安心した。内容は、事実関係をよく調べているようでこれからも、正確な報道を求めたい。

2004年6月20日(日)

鈴 木 宗 男

 道南、乙部町をスタートし、厚沢部町、江差町、上ノ国町、松前町、木古内町、知内町、大野町を回る。
 どの地区でも皆さんの人間関係で、それぞれが活動してくれるのはとっても心強い。やはり人間関係の重要性を感じる。人と人との「ご縁」、「人間関係」を大切に大切にしていきたい。
 これらの地域を回り、この地域の将来には道路整備が一番だと痛感する。高規格道路整備はなんとしても早くやらなくては、とつくづく思う。
 松前は3年後には400年を迎えるが、歴史の重みを考え、過去に学び、先人に感謝しなくてはと思う。若いやる気のある町長が誕生したので、大きな飛躍をする事だろう。
 夕方、函館から丘珠にとび、NPOリンカーンフォーラム主催の参議院立候補予定者の討論会に出席した。函館からの飛行機で中川義雄さんと一緒だったので、当然討論会にも出席されると思っていたのだが、欠席され残念だった。私の主張、考えは伝わったものと思う。NPOリンカーンフォーラムの皆さん方の努力に感謝したい。
 こうした討論会が数多く開かれることを期待するものです。

2004年6月19日(土)

鈴 木 宗 男

 朝早く、函館に向かう。函館から奥尻島に行く予定であったが、悪天候のため飛行機が飛ばず、奥尻島には行けなくなった。
 奥尻には、国会議員はほとんど顔を出さない。私一人でも行って、島の実情を聞こう、と思っていただけにとても残念だ。自然にはかなわない…。
 予定を変更し、八雲、長万部、瀬棚、北檜山、今金、大成、熊石、乙部と回る。道南の地を回り、道路整備や、水産・農業の振興の必要性を改めて考えさせられた。
 計器着陸装置CATVaを設置すれば、霧の中でも飛行機が降りられる。これも政治の責任だ、やるべき事はたくさんある、と知らされる。
 奥尻には明日行けるだろうか? チャレンジしてみる…。

2004年6月18日(金)

鈴 木 宗 男

 朝から札幌市内を回り、昼からNHKの政見放送のビデオ撮り。5分30秒という短い時間の中で色々言いたい事はあったが、まずは北海道の現状を述べて、景気回復と雇用の場の確保、年金問題、議員年金廃止、年金の一元化を訴えた。
 北海道自立に向かって、一千万人宣言。行ってみたい北海道から、住んでみたい北海道に、そしてサハリンからのパイプラインや日露の経済協力を訴えた。
 夜は北海道新聞主催の参議院候補予定者の公開討論会があり、景気・雇用問題、年金問題、憲法・イラク派遣問題、参議院議員の位置付けに6人の候補予定者がそれぞれ意見を述べた。
 北海道の深刻な問題として、景気回復・雇用確保が最重要課題。北海道には政治がない。私が表舞台から去って、約1千億円開発予算が下がっている。政治は実行力、20年間の衆議院議員の経験やパイプを生かして必ずやりますと訴えた。
 年金については、議員年金を廃止するのが大前提。一元化に向けて透明性をはかり、間違えなくもらえる仕組みにするようにしたいと話した。年金の財源として、消費税率アップをどう考えるかという質問には、私は消費税率を上げる前に、まずは役人の天下りを止めるべきだと訴える。
 自衛隊の多国籍軍への参加は、国会の議論もなく手続き的におかしい。憲法改正については、作られた時と今の日本の現状では相当な開きがあるので、憲法改正に向けて議論を深めていくべきである。
 憲法改正というと憲法9条だけがよく取り上げられるが、9条については作られた当時から、50年100年を見越した条文であるので、それを踏まえていくべきだ。今の憲法の権利の主張は条文化されているが、義務規定は少ない。
 参議院議員のあり方については、人口1億人以上の日本では、衆議院のチェック機関として「ちょっと待てよ」という機能が必要であり、そのためにも二院制は大事だと訴えた。
 私みたいにはっきり物を言う。また、自由に物を言える人がいいのではないか? 訴えると会場から大きな拍手が起きた。

2004年6月17日(木)

鈴 木 宗 男

 終日、旭川市内を駆け巡り、さまざまな所で歓迎される。有難い。感謝、感謝。
 旭川でも言われることは、政治が身近でない。国会議員は何をやっているのか? と、こんな話ばかりだ。
 2000人もの人と握手をしながら「実物の宗男さんはマスコミで見る感じと違いますね。実物に会ってよかったです。やっぱり会わないとダメですね。会ってファンになりました」と、多くの人から言われ、照れくさいやら、嬉しいやら。マスコミでの間違ったイメージを払拭する事が課題だ。
 人に会えば、会わせてもらえれば、本当の私がわかってもらえるので、一人でも多くの人に会えるよう、最善をつくさねばならない。
 総理の17日の記者会見で、年金など社会保障に関連し、政府協議機関を作ると言われたが、それならば国会開会中にそれも年金法案採決前に表明すべきではなかったかと思う。何かしら言葉の遊びが多すぎるように思うが…。

2004年6月16日(水)

鈴 木 宗 男

 朝から稚内市内を回り、昼のフェリーで利尻島に渡り利尻富士町・利尻町の2つの町をくまなく回る。利尻島から礼文島に向かい礼文町を歩かせて頂く。利尻も礼文も離島の悩みを抱えており、特に働く場所がない事をなげいておられ、政治の必要性を強く感じた。利尻でも礼文でも「こうして足を運んで来てくれる鈴木さんに期待します! 応援します!」と言われ、私自身嬉しく思った。
 礼文町は、女房の故郷広島県の豊町と姉妹都市であり町長をはじめ議会の皆さんもその事を知っておられ、これまた感激。人の縁に感謝する。
 今日は雲ひとつない快晴で利尻富士が美しく、礼文島の自然の趣にただただ言葉にならない感動を覚える。この美しい自然を後世に残していく事もこれまた政治の責任だと強く感じる。今日もまた実りのある一日だった。
 一部新聞で選挙の世論調査の記事があった。選挙前の傾向を知るには一つの参考になるだろうが有権者に予見を与えるのでは? という意味では一考して頂きたいように思える。
 候補者は、選挙活動の中で厳しい規制がある。が、マスコミはどうだろうか? 公平、公正の面からも選挙期間1ケ月前はここまでの報道、2ケ月前はここまでの報道とか何かそれなりのルールが作られてもいいのではないか? と考えるのだが皆さんはどうお考えでしょうか…。

2004年6月15日(火)

鈴 木 宗 男

 朝6時に稚内駅に着き、豊富・幌延・猿払・枝幸・歌登・中頓別・浜頓別・稚内市内を回る。どの町でも顔を見せてくれる、足を運んでくれる、「鈴木さんに親しみを覚える、鈴木さんならやってくれる」と温かい激励をいただく。
 稚内は若手経営陣がサハリンの交流を進めており、私がサハリン、ユジノサハリンスク日本センターや総領事館を設置した事が喜ばれている。交流が着実に前進していることを肌で感じた。私がやってきた事がまちがっていなかったと安心する。私のやってきた事で稚内の人達が喜んでいるとわかり、本当に嬉しく思う。これからもやはりサハリンのエネルギープロジェクトを進める中で稚内の果たす役割が重いものであると考える。そしてサハリンと稚内の利点を活かして将来を考えようという事で夜の会合も盛り上った。
 今日もつくづく思ったのは国会議員は自らの立場を放棄しているのではないかと…。役目をはたしていない事を知らされ、愕然とする。政治をより身近なものにしなければいけないとしみじみ感じた一日だった。

2004年6月14日(月)

鈴 木 宗 男

 朝から室蘭市内を回り、午後には有志による会合で300人もの方達が集まってくれる。短時間での連絡で多くの人が集まってくれる事は、本当に有難いことだ。
 その後、苫小牧での総決起大会。2000人近い人が集まってくれていて驚いた。月曜の午後3時という忙しい時間帯なのに…。女性部や青年部のご協力の賜物だ。頭の下がる思いだ。チーが千春節で会場をわかせてくれ、わかりやすく政治の価値や重みを語ってくれた。
 6時半からは、江別での総決起大会。ここも2000人近い人が来てくれていた。会場に入れず帰られた方が多数おられたと聞き、申し訳ない思いでいっぱいだ。ここでも千春節が遺憾なく発揮される。
 昨日の帯広、十勝、そして今日の室蘭、苫小牧、江別と大成功に終わり、本番に向け大きな弾みがついた。私の話では、「議員年金廃止」を言うと、大きな拍手が沸いた。
 多くの人に、不公平感、ある種の特権意識に対しての反発があることは間違いない。共済年金も不公平感を感じる人もあるだろう。年金は一元化を将来のあるべき姿とした上で、簡単なことではないが、わかりやすい仕組みにしなくてはいけない。
 江別の会合が終わった後、札幌に戻り、中小企業の社長さんの集まりに顔を出し、11時の夜行で稚内に向かった。

2004年6月13日(日)

鈴 木 宗 男

 6月9日から札幌で行われているヨサコイソーランに出席する。チームの激励に朝行った。それぞれチームには気合が入っており、その気合をいただいて帰ってきた。
 15時からは、女性部の集まり、また続いて青年部主催の総決起大会と… たくさんの人に集まっていただいた。運動会や各種行事もあるだろうに、私のために集まっていただいた。勇気をいただいた。
 いよいよ決戦! との思いが高まってくる。
 日米首脳会談での多国籍軍参加問題。手続き的に一方的に話がでるのは問題だ。自衛隊のイラク派遣は、イラク復興支援特別措置法を作って行われている。アメリカのいいなりで決めるとういうのは問題では…? 良い事ではないと思う。こういう事の進め方が、今の地方切り捨ての政治つながるのではないかと思う。
 地方にも光を! 地方からの反乱。北海道からの反乱を!たくさんの支援を受けて今日も感謝の一日だ。

2004年6月12日(土)

鈴 木 宗 男

 朝から空知支庁6市1町を回る。
 支持を頂いている方から、「上から圧力がかかったり、さまざまな嫌がらせを受けているが、『今 北海道に必要なのは、鈴木宗男さんだ!』という強い思いで頑張っていますから!」と、聞かされ、涙の出る思いだった。
 北海道からの反乱、地方からの反乱、宗男の反乱を、こうした心ある方達からの力を借りて是非実現させたい。
 失業率の高さ、働く場所がない、自殺者が3万2千人。強い者だけがよい思いをしている。弱い者が疎んじられている。こんなおかしな流れ、状況を何としても、どんな事をしても変えなければいけない! と、決意を新たにした一日だった。
 時間との闘いかもしれないが… 何があっても頑張ろう。

2004年6月11日(金)

鈴 木 宗 男

 朝から週刊誌のインタビューを受ける。
 その後、札幌市内を回り、夜は北広島の総決起大会に出席。たくさんの人達が集まってくれ、感激した。
 夜中にはホールエフ45のイベントにゲスト出演した。ムネオコールに迎えられ、若者の熱気にパワーをいただく。若者の情熱や想いをぶつけられ、収穫を得た。
 毎日毎日たくさんの人達に集まってもらい、感謝と同時に、頑張らなくては! との思いがつのる。
 シーアイランドサミットが終了した。シーアイランドでは日露首脳会談も行なわれ、プーチン大統領の来日が発表された。来日が領土問題の解決に向けて、加速されることを期待する。
 今から準備をして、「乾坤一擲」の日露首脳会談にしてほしいものだ。森前首相が果たしてきた役割が大きいので、きちんとしてほしいと思う。
 選挙まで後1ヶ月、時間との闘いになってきた。

2004年6月10日(木)

鈴 木 宗 男

 朝早くから後志支庁管内を廻り、夜、小樽で個人演説会を開く。各地で心あたたかい支援をいただき有難い。
 夜の小樽の会合には松山千春さんがコンサート期間中にもかかわらず応援に駆けつけてくれた。千春節を存分に発揮してくれ、出席いただいた方々にもぐっとくるものがあったと思う。本当に嬉しいかぎりだ。私も年金問題や北海道、日本の将来の事、思いのたけを話させていただく。小樽の皆さんの人情にも心から感謝するものだ。
 今日もまた人の優しさに触れ、激励をいただき、感謝、感謝。
 今日からシーアイランドサミットがスタートしたが、日本の存在感を充分に示してほしいものだ。サミットと聞くと、小渕内閣のころ、沖縄サミットを決定したことが懐かしく思い出される。
 政治の重みを示した大きな出来事だったと思う。

2004年6月9日(水)

鈴 木 宗 男

 朝から札幌市内を回る。各界、各層の人達と顔をあわせ、話を聞くと、新しい発見が多い。政治はやっぱり直に触れるのが一番だと、つくづく思う。
 名古屋や福井の後援会の方が札幌に来てくれ、その方々の人間関係を頼って挨拶させてもらったり、会合を開いていただいたり… ありがたい極みだ。感謝の言葉しか出ない。毎日毎日、応援メールや激励の言葉をかけてもらい、本当に感謝、感謝。
 沖縄・米海兵隊の一部を矢臼別演習場へ移転する打診のニュースが流れているが…。私は矢臼別での演習の受け入れを勧めた者として、これらの問題で一番大切なのは地元の理解、協力なくしてはありえないという事だ。別海町、浜中町、厚岸町の声を十分聞いて、しっかりとした手続きの下で進めてもらいたいものだと思う。アメリカの言いなりや、押し付け、といわれる流れは避けるべきだと思う。

2004年6月8日(火)

鈴 木 宗 男

 早朝から事務所で朝礼をして、札幌市内を回る。
 お昼に、若い方の投票率アップを活動する北大生からのインタビューを受ける。私の立候補は投票率アップに寄与するのだな、と考える。
 午後からも1時間刻みで会合がセットされ、遅れ遅れながらにも無事こなすことが出来た。
 今日も多くの方に会えて、感謝、感謝。毎日毎日こんなにたくさんの方が、私のために集まって下さる、感謝の気持ちでいっぱいです。何があっても、北海道からの反乱を起こさなくては…。
 辻元清美さんが参議院選挙に出馬されるとの、報道がありました。各テレビ、新聞社からコメントを求められました。

「ご本人が出馬する資格があり、ご本人が判断され、またその判断は有権者の皆さんがなさる事と思います」

これが、私のコメントです。

2004年6月7日(月)

鈴 木 宗 男

 朝から弟子屈町、釧路を回り、飛行機で丘珠に戻り、札幌、恵庭、千歳市を回る。
 各地に後援会組織ができ、ありがたく思う。私の場合、人間関係を基に後援会作りをしているので、表には見えないが確実に支援の輪が広がっているように思う。
 苫小牧で最新の酪農施設を視察する。機械が稼働すれば労働時間が少なくてすむ事を実感しながら、これからの酪農の安定を考える。
 各地で懇談する度に、必ず年金問題が話題に出てくる。どうなるのか、関心事のようだ。私は持論である議員年金廃止や年金の一元化と、税負担等の話をする。私の話しは、大体理解してもらったように思われる。
 新聞、テレビにはアテネオリンピックの聖火が東京をかけめぐったと出ていたが、アテネでの日本選手の活躍を期待したい!

2004年6月6日(日)

鈴 木 宗 男

 朝早くから女満別に飛び、網走管内をくまなく回った。
 日曜日で運動会、植樹祭やいろいろな行事がある中、たくさんの人達が来てくれて、改めて昭和58年からの後援会の組織に重みを感じる。感謝の言葉しかない。
 夜遅く釧路管内に入る。そこでも、どの地区の話でも、「働く場所がない」「仕事がない」「先行きが不透明だ」「深刻だ」という話ばかりだ…。「政治が身近にない」という話も多く聞かれる。
 また、年金法案の本会議に欠席したり、参議員になって1円も年金を払ってない議員に対して、何をしているのだ? という、声も多く聞かされた。いろいろ考えさせられる日々だった。
 大相撲北京公演のニュースを聞いて、日中友好に大きな一石を投じたと考える。日本の国技が中国でも受け入れられ、評価された事は とっても意味のある事だと思う。関係者のご尽力に感謝したい。

2004年6月5日(土)

鈴 木 宗 男

 長万部から砂原町、森町、七飯町を回り 函館事務所に寄った。事務所で打合せをして、札幌に戻る。
 森町の福祉施設を訪問した時には、理事長さんから「東京の言いなり、東京からの押し付けに対抗できるのは鈴木さんです!」と、力強く言われ 感激した。「はっきり物を言う鈴木さんに期待する!」とも言われ、世の中わかってくれる人がいる、と意を通ずる。
 札幌市内でも 1時間おきに会合がセットされ、夜中の11時30分までかかった。毎日がハードな中でも、充実した日々で ありがたい事だ。
 拓殖大学 学友会の総会があり、参議院選挙に向けての推薦状を頂き感激した。入江会長も東京から参加してくださり、心温まるご挨拶を頂き感謝の気持ちでいっぱいである。
 本当に嬉しい限りだ、がんばらなくては!
 年金国会の参議院における年金法案の採決を見て、改めて 国民はどう思っているのか?と考える。年金制度はわかりやすく、国民が納得いくしくみ、制度にしなくてはいけない。
 私は、議員年金の廃止、年金の一元化を強く主張していく。

2004年6月4日(金)

鈴 木 宗 男

 函館にて8時から道南地区再起働事務所開きを行った。早朝にもかかわらず、心ある多くの方々に来て頂き、感謝。
 上磯町、大野町、戸井町、恵山町、南茅部町、茅部町、森町、八雲町、長万部町を回る。今日歩いたコースは、56年の人生で初めて歩いたコースで、大いに勉強になった。と、同時に水産の問題、農業の問題、活性化の問題や様々な問題が地方にある事が、ひしひしと伝わってくる。何があっても「地方からの反乱」を成し遂げなくてはならない。
 新幹線の函館までの着工も年末の政府案で盛り込まなくてはいけない。何かしらムードだけが先行して、言葉が飛び交っているだけの様な気がしてならない。
 年金法案についても、「委員会で強行採決し、深夜の本会議で成立」への流れだ。何よりも一元化に向けての議論をしっかりと、すぐにやる事が大事ではないだろうか。
 また、今通る法案が、すぐに見直しの議論になるとするなら、何のための強行採決か?私からみれば、与党も野党もお互いの立場を演出しているだけに過ぎない。
 責任ある政治が求められる。

2004年6月3日(木)

鈴 木 宗 男

 朝から札幌市内を回った。
 午後、北海道大学の学園祭に顔を出す。以前、BAR PAG様によばれて行って、学園祭に行くように紹介された。
 学園祭では、学生がサークルでお店を出しており、焼き鳥、ビール等を出し、非常に面白かった。沢山の人からの「宗男コール」で感激した。それぞれの店から「宗男頑張れ!」と、握手を求められたり、「写真を撮って!」と言われたり、若者のエネルギーをもらい非常に感激した。と、同時にこの若者たちの将来に責任を感じた。
 夕方、中小企業の集まりである、全国DID総会で講演をさせて頂く。「地方からの反乱」というタイトルで、私の思いの丈を語った。講演の後、質疑応答があり、その質問の一つに今いる政治家でトップリーダーに押したい方を3人上げてくれ、と言われたので、私は伊吹文明代議士、額賀nu郎代議士、道内では中川昭一代議士の3人の名前を上げた。それぞれが能力のある方達なので、日本の責任ある立場で頑張ってほしいと語った。
 夕方、函館入りし会合をこなす。函館でも、勝手連的に確実に鈴木支援の輪が広がっている事を実感する。ありがたい。しっかり頑張ろう! と、自分自身に言い聞かせる。

2004年6月2日(水)

鈴 木 宗 男

 苫小牧を一日中回らせて頂く。
 11時からは苫小牧地区の後援会事務所開きを行った。各界、各層からたくさんの人が来られ、マスコミの方までたくさん来てくれた。盛大な事務所開きになった。ありがたかった。感謝、感謝。この事務所を拠点に日高、胆振管内の本格的な活動がスタートする。後援会の皆さんに心から感謝。特に女性部、八重桜会の皆さんの頑張りに感激と感謝でいっぱいである。
 今朝のニュースで驚いた。小学生の同級生同士の不幸な事件にことばも無い。どうしてこういう事になったのか? なぜ、こうした事件が起きるのか?大人の責任という視点からも考えなくてはいけない。「物」優先できた戦後の流れが、「心」という大切な物を忘れさせてしまったのではないかと…。私は、皆が反省しなくてはいけないと思う。それにしても、不幸な事件に改めて胸が痛む。

2004年6月1日(火)

鈴 木 宗 男

 午前中は札幌を中心に午後から江別に移動し、夜まで一日皆さんの声を聞くために回った。
 コンビニの草分けの会社にお邪魔して、社員の礼儀正しさや、接客態度に感銘を受ける。政治もこうあるべきだとつくづく思った。
 いろんな企業や個人宅を回りながら、働く場を作ってほしい、仕事を増やしてほしい、という切実な声を聞いた。まさに生の声だ。
 「今の北海道には政治がない!」という指摘も頂いた。おっしゃる通り。その通りだ! とつくづく思う。
 皆さん北朝鮮問題や、イラクの誘拐問題にも関心を持っている。イラクに対しても政府の対応はあれで良かったかどうか? 人命よりも自衛隊の活動を優先したのでは? と思われる発言も…。
 北朝鮮に対しても総理は十分な準備をして行かれたのだろうか…とも聞いた。皆、私と同じ意見を持っているのだと話をした。
 国民1億2500万人のトップリーダーの決定は、国民一人一人の生命や財産にも影響するのでトップリーダーの責任は重大であると思った。


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