ムネオ日記
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2007年5月31日(木)

鈴 木 宗 男

 昨日安倍首相は、年金記録漏れを1年で調査し、社会保険庁に24時間窓口を設けると表明した。一歩前進ではあるが、社会保険庁のいい加減さが腹立たしい。監督官庁であった旧厚生省は何をしていたのか。特に、厚生大臣の監督権限は何もなかったのか。ここ20年間の厚生大臣を呼んで、国民に説明してもらうことも問題解決への道ではないか。官僚政治の典型的出来事だと思う。
 私はよく役人を恫喝したと言われたが、行儀の悪い役人、横着で国民へのサービス、奉仕の精神がない役人には厳しく対応した。それが国民の代表たる政治家の役割だと思っての事である。正直者が馬鹿を見る世の中ではいけない。
 役人の言う通りやる政治家が良い政治家ではない。今、役人の言いなりになっている大臣、政治家が何と多い事か。私は国民の目線に立って声なき声を大事にしていきたい。
 多くの記者さんから「28日のムネオ日記に書かれている24日に松岡さんと会食した時の話に、自民党や官邸が神経質になり、鈴木さんに対して打ち返しをしていますよ」と教えられる。正直に、かつ正確に事実を言っているだけである。中川幹事長が29日の記者会見で、「国対に確認したがそういう事実は一切ない」と記者会見したが、国対の誰に確認したのか堂々と国民に知らせて欲しい。
 安倍首相が「鈴木議員がどういう意図でそういう事をおっしゃっているのか私はわかりません」と述べた事に対し、昨日私は「今となってはこれが松岡さんの最後の言葉となり、松岡さんの遺言を、胸の内を国民に知らせるのが松岡さんへの供養になる」と、そして「人は死ぬ前にウソはつかない」と書いた。この私の日記に対し、肯定的に受け止めてくれる人達からは「鈴木さんの言う通りです。鈴木さんの言っていることが胸に入ります」「鈴木さん、知っていることは国民に知らせて下さい」「情報の透明性確保を図って下さい」等の連絡を戴く。意を強くしながら、私は真実を正直に訴えていく。
 衆議院本会議で柳沢厚生労働大臣の不信任決議案が出されたので、私は賛成する。「女性は子供を産む機械」と言ったり、「結婚したら2人以上の子供を作らないと不健全」と言った事は許せない。そして29日の委員会答弁での開き直った態度は、先の不規則発言で謝ったあの神妙な態度は何だったのかと思わせる傲慢な姿である。こうした人間性のない人が大臣をしているところが、政治の現状を現している。

本日提出した質問主意書11件
204 内閣総理大臣の指揮権発動に関する質問主意書
205 在ベルギー大使館に配置されていた日本画「静物」の消失に関する質問主意書
206 在ベルギー大使館に配置されていた洋画「Pearl(パール)」の消失に関する質問主意書
207 在インドネシア大使館に配置されていた洋画「CRYSTAL SCAPE」の消失に関する質問主意書
208 在パラグアイ大使館に配置されていた日本画「華」の消失に関する質問主意書
209 在グアテマラ大使館に配置されていた日本画「叭鳴」の消失に関する質問主意書
210 在ケニア大使館に配置されていた洋画「風景」の消失に関する質問主意書
211 在ラスパルマス駐在官事務所に配置されていた金屏風の消失に関する質問主意書
212 在アトランタ総領事館に配置されていた日本画「さぎ一対」の消失に関する質問主意書
213 在ニューオーリンズ総領事館に配置されていた日本画「柿落葉」の消失に関する質問主意書
214在サンクトペテルブルク総領事館に配置されていた日本画「冬景山水」の消失に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月30日(水)

鈴 木 宗 男

 5月28日のムネオ日記で、24日の松岡さんとの会食の席での松岡さんの話を載せた。今一度、28日ムネオ日記のその部分を乗せたい。

 私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。

 この松岡さんの話に対し、自民党の中川幹事長は記者会見で「国対に確認したがそういう事実は一切ない」といっている(毎日新聞5面)。しかし私はこうお聞きしたい。こうした問題が出た時、答弁のすりあわせや確認を、自民党の国会対策委員会はしていないのですか。「ぶれてはいけない。言った以上それで押し通せ」と指導していないのですか、と。松岡さんが国対の職員に相談したことも私は確認している。何も改まって幹事長が事を荒立てる話ではない。事実を正直に言っているだけである。あの時、松岡さんと私の他に3人の人がおり、私は念には念を入れて表現している。
 安倍首相は「政府で方針を決めるという事は勿論ない。鈴木議員がどういう意図でそういう事をおっしゃっているのか私はわかりません」と述べたという(朝日新聞1面)。私は松岡さんとの長い付き合いの中で、今となってはこれが松岡さんの最後の言葉となり、松岡さんの遺言を、胸の内を、国民に知らせるのが松岡さんへの供養になると思って書いたのだ。これが私の意図である。
 そして私は更に言いたい。「人は死ぬ前にウソはつかない」という事を。
 札幌で新党大地参議院選挙対策本部、北海道地方区立候補予定者の多原たはら香里かおり連合後援会事務所開きを行う。9時半から「チセノミ」というアイヌ民族の伝統儀式による事務所開き、10時から神事をとり行う。全道各地から350人近くの主だった人達が出席して下さり、盛大にとり行う事が出来た。
 多原たはら香里かおりさんも決意表明をし、「女性、若者の代表として、アイヌ民族の代表として、お年寄り、弱者の声をしっかり受け止め、政権交代の実現を目指して参ります。そのために、是非とも私を当選させて下さい」と気合の入った挨拶をし、出席者から万来ばんらいの拍手を浴びていた。さあ闘いは始まった!

本日提出した質問主意書10件
194 在広州総領事館に配置されていた陶磁器「青瓷瓢花瓶」の消失に関する質問主意書
195 在ベレン総領事館に配置されていた洋画「夕焼帆船」の消失に関する質問主意書
196 在南アフリカ大使館に配置されていた日本画「桜に鳥」の消失に関する質問主意書
197 在オーストリア大使館に配置されていた書「新年の詩」の消失に関する質問主意書
198 在ニューヨーク総領事館に配置されていた美術品「フィレンツェの庭」の消失に関する質問主意書
199 在アルジェリア大使館に配置されていた陶磁器「葡萄文染め付大壷」の消失に関する質問主意書
200 在韓国大使館に配置されていた日本画「初舞台」の消失に関する質問主意書
201 在ペルー大使館に配置されていた日本画「学士耕雨」の消失に関する質問主意書
202 在シアトル総領事館に配置されていた日本画「路・想春」の消失に関する質問主意書
203 在トロント総領事館に配置されていた日本画「枇杷」の消失に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月29日(火)

鈴 木 宗 男

 熊本空港9時発で羽田へ。
 11時20分、松岡利勝さんの弔問。家内も一緒に行く。眠る様な松岡利勝さんのお顔であった。「松岡さん」と声をかけながら「身命をす決意があるなら、まだ生きる道があったのではないか」と考えると、ただただ涙が流れてくる。松岡さんだけが、松岡さんにしかわからない厳粛な事実を受け止めるしかない。
 お互い肩書もない頃からの36年の付き合いだった。昨年9月26日、官邸から呼び込みの電話が入った時、私は松岡さんの議員会館の部屋にいた。あの時、すくっと立ち上がって「鈴木先生、お陰様で大臣になれます。本当にありがとうございました」と私の手を両手で握ったあの感触が今でも残っている。
 奥様、息子様に御挨拶しながら、秘書の皆さんにもねぎらいの言葉をかける。28日、松岡大臣と最後に話した秘書さんから「車の中ではよく鈴木先生のお話をされていました。『鈴木先生の意志、精神力は強い。俺は鈴木先生の真似は出来ない』と言っていました」と聞かされ、松岡さんの無念さが伝わってきた。松岡さんとの事でテレビ4社、新聞6社の取材が入り、これだけで一日が終わってしまった。
 18時40分、政治評論家の森田実先生の出版記念パーティーに出席し、挨拶の機会を得る。いつも森田先生から励まされているので、今日は私から「魂を持った活動をする森田先生の姿から勇気を戴いております」と、森田先生に感謝を申し上げる。気持ちの良いパーティーであった。
 21時羽田発で千歳に向かう。明日9時半から参議院北海道地方区から立起する多原たはら香里かおりさんの事務所開きに出席するためである。

本日提出した質問主意書11件
183 在ベルギー大使館に配置されていた日本画「潤」の消失に関する質問主意書
184 在グアテマラ大使館に配置されていた日本画「吹雪」の消失に関する質問主意書
185 在ラスパルマス駐在官事務所に配置されていた日本画「銀盆に盛る」の消失に関する質問主意書
186 在ケニア大使館に配置されていた洋画「踊り子」の消失に関する質問主意書
187 在ミャンマー大使館に配置されていた洋画「新橋」の消失に関する質問主意書
188 在アルジェリア大使館に配置されていた陶磁器「葡萄文染め付大壷」の消失に関する質問主意書
189 在韓国大使館に配置されていた日本画「初舞台」の消失に関する質問主意書
190 在ペルー大使館に配置されていた日本画「学士耕雨」の消失に関する質問主意書
191 在シアトル総領事館に配置されていた日本画「路・想春」の消失に関する質問主意書
192 在トロント総領事館に配置されていた日本画「枇杷」の消失に関する質問主意書
193外務省が創設した国際漫画賞に関する質問主意書

本日受領した政府答弁書3件
155 2007年5月15日に明らかになった沖縄返還を巡る日米密約についての米国立公文書館所蔵の一連の公文書に関する質問主意書
156 沖縄返還についての日米密約に係る「口止め」に関する質問主意書
157 沖縄返還についての日米密約の存在に対する外務省の対応に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月28日(月)

鈴 木 宗 男

 議員会館から羽田に向かっている最中、私の携帯に新聞社の方から「松岡大臣が自殺を図った」と第一報が入る。ビックリして松岡大臣の議員会館に電話し、赤松秘書官に確認すると、自殺を図ったのは事実との事。ただただ驚き、言葉を失った。
 閣僚になってから何かと狙われた感のある報道が目立ったが、特に「ナントカ還元水」以来、世間の目は厳しかった。最近の緑資源機構の談合事件も、所管官庁の長として責任を感じていたのか。農林水産省のまだ肩書のなかった役人時代からの、35年にわたる付き合いだったが、何ともあっけない永遠の別れである。奥様はじめ、ご家族に心から哀悼の意を表したい。
 今となっては24日夜、熊本の地元の人が出てきたので会食につきあって欲しいと早くから言われていた会合でゆっくり話したのが最期さいごとなってしまった。その時私は松岡大臣に「明日決算行政監視委員会で私が質問するから、国民に心からのお詫びをしたらどうか。法律にのっとっている、法律に基づいてきちんとやっていますと説明しても、国民は理解していない。ここは国民に土下座し、説明責任が果たされていませんでしたと率直に謝った方がいい」と進言したら、力無く「鈴木先生、有難いお話ですが今は黙っていた方がいいと国対からの、上からの指示なのです。それに従うしかないんです」と、弱気な言いぶりだった。私はなお、「これからも何かにつけこの話は続くので、早く国民に正直に説明した方が良いと思うよ」と重ねて話すと、「そこまで言ってくれるのは鈴木先生だけです」と、にっこり微笑んでくれた事を想い出す。
 どうして自ら命を絶ったのか。ご本人しかわからぬ事である。第三者が詮索するのは避けるべきだ。
 私も昭和58年、中川一郎先生が亡くなられた時、心ない人達から「自殺の原因は鈴木宗男だ」と、マスコミを使い、権力を使って叩かれたものである。あの時、飛行機に乗っている時、ふとこのまま墜落してくれないかと思ったことさえある。5年前バッシングに遭った時も、テレビ、新聞、週刊誌が毎日私の事を書き立てた。事実でない事があたかも事実の様に作られていく。検察のリーク、外務省からの情報、裏付けのとれない話がそのまま流れてしまう。あの時も「死んだ方がましだ」と思った事がある。
 しかし、いつの時も松山千春さんはじめ、家族、秘書、後援会の人が私の「命」を心配してくれた。松岡大臣の悲しい知らせを聞くと、私自身なんとなく松岡さんの胸の内がわかる。平成14年5月29日から私が逮捕されるまで、毎日の様に私に励ましの電話をくれた松岡さんだった。
 松岡さんが自らの命を持って政治とカネの問題にケジメをつけたとするなら、与党の皆さんは事務所費5万円以上の領収書添付で果たして良いのか、国民の目線に立った議論をし、例えば全ての領収書添付を義務付けるべきではないのか。民間企業、一般社会ではそれが常識なのだ。当たり前の事をしていく事が今求められている。
 私は政治資金規正法改正の議論が出てから、一貫して領収書添付を訴えてきた。なぜ早くやらないのかと私自身憤りを感じてきたし、国民はもっと怒りを感じている事だろう。大事な命が亡くなったのである。松岡さんに応える意味でも、政治資金の透明性確保、情報開示を図る事が大切ではないのか。
 古賀誠先生の女性部後援会「乙女会」の会合で講演を頼まれ、熊本に行く。松岡さんの地元での会合であり、飛行機に乗るかどうかためらったが、政治家は約束を守る事が一番だ。会場も松岡さんの支持者であると聞かされていたので、松岡さんとの想い出話をするのも松岡さんに対する供養になると私なりに考え、熊本での時間を過ごす。
 身命をしての決意をするならば、そこまで考えていたのならば、また別の生き方があったのではないかと考える時、やはり松岡さんの死は残念でならない。24日、「また別の会合があるから」と言って席を立って出て行かれた姿が目に浮かぶ。

本日提出した質問主意書11件
172 在パラグアイ大使館に配置されていた陶磁器「染付木の葉花瓶」の消失に関する質問主意書
173 在インドネシア大使館に配置されていた版画「大野・伊那」の消失に関する質問主意書
174 在アトランタ総領事館に配置されていた日本画「滝」の消失に関する質問主意書
175 在ニューオリンズ総領事館に配置されていた日本画「風景」の消失に関する質問主意書
176 在サンフランシスコ総領事館に配置されていた日本画「早春富士」の消失に関する質問主意書
177 在ボストン総領事館に配置されていた日本画の消失に関する質問主意書
178 在ケニア大使館に配置されていた洋画「花」の消失に関する質問主意書
179 在フランス大使館に配置されていた陶磁器「碧釉大壷」の消失に関する質問主意書
180 在米大使館に配置されていた日本画「春暖」の消失に関する質問主意書
181 在米大使館に配置されていた日本画「緑雨」の消失に関する質問主意書
182 我が国の対アフリカ外交についての官房長官秘書官の発言に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月27日(日)

鈴 木 宗 男

 昨夜は仲間と話しこんで寝たのは1時半近くになったが、15年ぶりの実家、生家に泊まり目覚めは爽やかだ。5時半に起き、横山管理人の心のこもった朝食をいただき、7時20分足寄町役場横での日本自動車連盟(JAF)北海道ラリー選手権第3戦の開会式に出席し、挨拶する。足寄・陸別の林道を使ってのレースだがすっかり定着し、地元の皆さんの関心も高くなっている。大会長の西川雅敏さんとの長いご縁に感謝したい。
 9時20分女満別発で千歳に向かい、12時から「恵庭大地会」の会合。国政報告をし、7月の参議院選挙北海道地方区「多原かおり」をよろしくとお願いする。16時札幌事務所に入り、お客対応。日曜日だがたくさんの人が来てくれ、有難い。皆さんに多原かおりさんをお願いすると、(こころよ)く頑張りますと言ってくれる。
 18時半から全国バーテンダー協会の大会があり、出席。全国から札幌に来てくれた皆さんのテーブルを廻り、ここでも多原かおりさんを紹介して歩く。反応は極めて良く、温かい言葉をいただく。20時から札幌で次の道議会議員選挙に打って出る方々と会食懇談し、皆さん若く、(こころざし)の高い事に意を強くする。最終便で上京。航空会社のコンピューターの故障の為、定刻から1時間ほど遅れてしまう。
 大相撲夏場所白鵬が全勝優勝、堂々と横綱に昇進するだろう。昨年の苦い経験が生きた今場所の良い結果だったと思う。試練が人をつくる。厳しい条件がそこに根性とか優しさが備わってくる。白鵬関のお嫁さんのご家族もどんなにか喜んでいることだろう。ご家族を知る者として心からお祝い申し上げたい。
 横綱が2人、モンゴル出身になってしまった。我が日本の国技・大相撲である。是非とも日本人力士にも奮起してほしいものだ。来場所を楽しみにしたい。

2007年5月26日(土)

鈴 木 宗 男

 7時20分羽田発で女満別へ。車で約2時間かけて紋別市に向かい、大変お世話になっている曹洞宗上野方丈さんのお母様の告別式に参列。30人近いお坊さんによる厳粛(げんしゅく)かつ荘厳(そうごん)な最後のお別れであった。焼香をすませ、故郷大誉地(およち)に行く。
 13時から「大地の里」開村式。空き家になっている実家を使い、夏の期間だけ素泊まりの提供をする。同級生の横山和夫君が管理人で、「大地の里」村長も地元の王塚善一君が引き受けて下さり、皆手弁当で運営するとの事である。故郷の人情、やさしさ、(きずな)を感じ、胸熱くなる。
 お墓参りをし、「大地の里・開村」「大地の森・植樹」の報告をする。両親、兄、姉も喜んでくれたと思う。心配された天気も何とかもち、天の加護にも感謝である。
 17時から足寄町民センターで大地塾5月例会。地元足寄・十勝管内はもとより、北見網走管内、釧路管内、札幌・小樽、空知、上川管内、東京、神奈川、埼玉の大地党員、後援者も足を運んでくれる。足寄での会合は、やはり格別で盛り上がる。
 参議院選挙にのぞむ新党大地の基本的な考えを述べる。今の参議院定数242を約半分の125に削減する。郵政解散以来、参議院の無用論、あるいは「衆議院のカーボンコピー」と言われ、真の二院制の重要性が忘れられている。そこで、内閣総理大臣経験者、衆議院の永年勤続議員は参議院に移る。そこで真の上院としての存在感を持たせる。6年間解散のない参議院は、国家の中・長期的国家戦略の議論をする。例えば福祉・社会保障、教育、外交、防衛・治安、もちろん憲法も入る。予算、条約は衆議院の優位性があるが、他の予算執行に関する法案は衆議院に委ねる。役割分担をはっきりさせる事により、衆議院の役割、参議院の役割がはっきりするのではないか。
 これから環境問題、特に地球温暖化対策は急務である。その為には緑地、川、運河の整備、透水性の高い道路にするとか21世紀型社会資本整備が必要だ。又、高齢化社会に対応する為にはバリアフリー、ロードヒーティング等、お年寄りにやさしい整備が必要である。
 7月の参議院選挙には北海道地方区から多原かおりを出馬させるので、格別のご支援をお願いする。多原かおりさんも気合の入った決意表明をし、温かい激励の拍手をいただく。例会後、懇親会と久し振りに故郷(ふるさと)談義(だんぎ)。夜は15年ぶりに実家に泊り、感慨(かんがい)無量(むりょう)である。
 日刊スポーツ29面社会欄、政界地獄耳に「秘書注目の宗男議事録」という記事が載っている。全文掲載したい。

 ★「これ読んだ?」。ある秘書が議員会館で議事録のコピーを差し出す。それは11日開かれた法務委員会のもので、法相・長勢甚遠(63)以下、最高裁幹部、法務省幹部、警察庁幹部が並ぶ中、新党大地代表・鈴木宗男(59)の質問の部分だ。この日1日だけ民主党と会派を組んだことで、鈴木に質問のチャンスが回ってきた。裁判中である鈴木らしく、まずは拘置所や刑務所の実態、職員の定員や予算措置から切り出した。
 ★質問はエスカレートしていき、検事のものの言い方や冤罪(えんざい)とは何かという定義、果ては国策捜査とは何かまで踏み込んでいく。その都度、長勢は対応に苦慮し、鈴木から「人間長勢としての答弁をしてください。」と詰め寄られた。最後に「久しぶりに鈴木先生の力強い話を聞かせていただきまして勉強になりました」と答えるのが精いっぱいだった。
 ★「私が国策捜査で問題にしたいのは、から切り出す部分。その話は知らなかった」(同秘書)。要約すると「秘書に佐藤玲子という女性がいた。逮捕された事務員だ。彼女は、がんの手術をしていて、その7年前にも別のがんの大手術をしていた。放射線治療をしている時に逮捕されて。入院しているときも退院しても呼び出され事情聴取。本当に証拠隠滅や逃亡の恐れがあるならともかく、一事務員だ。結果は不起訴。ああ国家権力はここまでやるのかと思った。彼女は、がんの転移で死んでしまいました」。秘書たちはこの議事録を何度も読み返していた。

 11日の法務委員会でのやりとりの一部だが、大きな関心を持って頂く事が出来、それだけでも質問した意味は重い。これからもチャンスがあれば、冤罪(えんざい)捜査のあり方等、国民への情報開示に努めていきたい。

 

 

2007年5月25日(金)

鈴 木 宗 男

 決算行政監視委員会で20分間ではあるが質問の機会を得る。
 エリツィン前ロシア大統領の国葬の際になぜ特使を出さなかったのか。商用便があるにも関わらず、記者会見でなかったと言ったのは塩崎官房長官の独自の判断か、それとも外務省のからのメモで言ったものか。戦略的外交というなら、エリツィン氏が4月23日亡くなった段階ですぐ特使を出す頭づくりをすべきでないのかと官房長官に質す。
 記者会見で商用便がなかったと言ったのは外務省のメモによるものと、官房長官は明らかにした。外務官僚の不作為である。お粗末極まりない。私から、「国益の観点から安倍首相を支えるという、毅然とした姿勢を持ってほしい」とお願いする。
 外務省の原田欧州局長に対しては、かつて在モスクワ日本大使館に存在した裏金組織である「ルーブル委員会」について、その存在が確認されていないとの私の質問主意書に対する答弁になっているが、佐藤優さんが月刊現代7月号(昨年)で、「『ルーブル委員会』はあった。原田局長、国会で私と差し違えようじゃないか」と書いているが、原田局長は佐藤優さんと差し違える用意があるかと質す。原田局長は「記憶にない」と、今までにない答弁をしてきたが、佐藤優さんの言っている事が私は真実だと思うし、他のモスクワ大使館勤務経験のある人からも聞いている事だ。
 私はこれからも、国民への情報開示、情報の透明性確保の観点からも、また、税金の無駄遣いをなくすという面からも、事実を明らかにしていきたい。
 本会議終了後、国民新党代表の綿貫民輔先生と会談し、今後の政局や参議院選挙について意見交換をする。今後も連絡を密にしていく事にする。7月の参議院選挙まで何が起こるかわからない。アンテナだけは高く掲げ、ぬかりなくやっていきたい。

本日提出した質問主意書11件
172 在パラグアイ大使館に配置されていた陶磁器「染付木の葉花瓶」の消失に関する質問主意書
173 在インドネシア大使館に配置されていた版画「大野・伊那」の消失に関する質問主意書
174 在アトランタ総領事館に配置されていた日本画「滝」の消失に関する質問主意書
175 在ニューオリンズ総領事館に配置されていた日本画「風景」の消失に関する質問主意書
176 在サンフランシスコ総領事館に配置されていた日本画「早春富士」の消失に関する質問主意書
177 在ボストン総領事館に配置されていた日本画の消失に関する質問主意書
178 在ケニア大使館に配置されていた洋画「花」の消失に関する質問主意書
179 在フランス大使館に配置されていた陶磁器「碧釉大壷」の消失に関する質問主意書
180 在米大使館に配置されていた日本画「春暖」の消失に関する質問主意書
181 在米大使館に配置されていた日本画「緑雨」の消失に関する質問主意書
182 我が国の対アフリカ外交についての官房長官秘書官の発言に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月24日(木)

鈴 木 宗 男

 10時から15時まで10回目の高裁公判が行われる。
 島田事件と偽証について弁護側尋問が行われ、私は島田社長から賄賂はもらっていないし、口利きでお礼をもらった事もないと答える。偽証についても、平成14年3月11日のビデオをみてもらえればその場の雰囲気が良くわかるのでビデオをみてもらいたいと答えると、次回の裁判でビデオが採用される事になった。偽証する必要のない事で検察の一方的な作り話による事件に対して、私はきちんと対応していきたい。
 それにしても、時間が経つに連れ、何でこんな事件が作られたのかと考えると、権力の怖さ、国策捜査の実態が見えてくる。冤罪(えんざい)、政治犯をなくすためにも、私は闘っていく。真に公正、公平な社会を実現させるためにも、闘っていかなくてはならない。
 昨日の政治とカネをめぐる衆議院予算委員会の集中審議について新聞各紙は、社説も含め、今の状況に対して厳しい論調である。事務所費の情報の開示、透明性の確保を図り、国民から理解を得られるしくみにしなければならない。政治家自身の自浄能力が求められている。その点をしっかり受け止めないと、国民から大きなしっぺ返しを受ける事だろう。その機会を国民は待っているかもしれない。
 明日11時40分から、決算行政監視委員会で20分間の質問時間がとれた。今国会では3回目の質疑の機会になる。外務省に対して、エリツィン前ロシア大統領の国葬に政府特使を派遣しなかった理由をはじめ、税金の無駄遣いについて尋ねていきたい。



◎ 本日提出した質問主意書2件
・ 160 政府開発援助(ODA)と我が国の国益に関する質問主意書
・ 161 日本の在外公館における美術品の紛失に関する質問主意書

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

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2007年5月23日(水)

鈴 木 宗 男

 豊島区のマンションのゴミ捨て場で、生まれて間もない女の赤ちゃんが置き去りにされており、鳴き声で人が気付いたそうだが、泣いていなければそのままゴミとして収集車に入っていたかと思うと、想像を絶することだ。この子を生んだ親はどんな気持ちでゴミ袋に入れたのか。命の重さを考えなかったのか。子供が欲しくても授からない、また生みたくても生めない人もいるのに、せっかく授かった命をと考えると、腹立たしさを通り越し、何とも言えぬ(いきどお)りを感じる。
 幸い赤ちゃんは命に別状なしと聞き、ホッとした。元気に大きくなって、いつの日か親を見返す様に頑張って欲しい。私に出来る事があれば、最大限のお手伝いをしたいと思う。
 ここ5,6年、子供同志の殺し合い、親が子を、子が親を殺すという殺伐(さつばつ)とした社会になってきたが、血の通わない、心のこもらない政治が行われている事も関係していると私は思うのだが、間違っているだろうか。「(じょう)」や「義理堅(ぎりがた)さ」とか、忘れてはいけない「道義」「節度」を、今の日本人は失っている。
 私は新党大地の代表として、「道義」「節度」を重んじ、「(じょう)」「義理堅(ぎりがた)さ」を忘れないでいたいと思う。美しい日本より、美しい日本人をつくるのが先決だと考える。その為にも、7月の参議院選挙では、アイヌ民族で偏見や差別を経験してきた多原(たはら)香里(かおり)さんに大きな期待をしながら、結果を残していきたいと思う。
 明日裁判があるので、資料整理をしたり記憶喚起をしたりする。今冤罪(えんざい)が社会問題として取りあげられている。国家権力を背景にしての何でもアリでは、真の公正、公平ではない。私は国策捜査により裁判をしている者として、堂々と真実を神聖なる法廷で訴えていくのみである。

本日提出した質問主意書1件
159 北方領土における我が国経済の浸透度に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

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2007年5月22日(火)

鈴 木 宗 男

 本日発売の『月刊日本』6月号の「ミッキー安川のズバリ勝負!」というコーナーで、ミッキー安川さんと日本経済新聞社論説委員の田勢康弘さんとの対談記事が掲載されている。その中に極めて興味深いやりとりがあるので、その部分を以下に紹介したい。

安川 最近、佐藤優さんが『国家の罠』を書いたことから、「国策捜査」という言葉が流行ってますね。この言葉に象徴されるように、検察や裁判所に対する厳しい批判がようやく出てきました。
 鈴木宗男さんや佐藤優さんの裁判経過を新聞などで見ると、僕たち素人目にも、オカシイぞ!と思うような事実が明らかにされています。刑事事件の捜査の在り方そのものに問題がありそうですね。
田勢 検察の捜査も実はイメージ先行なんです。「コイツは昔から噂があったから、きっと悪い奴に違いない。そういう奴は徹底的に叩け」というようなことで、捜査が行われる。最近どうもそういう捜査が多いような気がするんです。
 例えば鈴木宗男さんですが、彼は逮捕され、現在控訴審の最中です。永田町周辺の人に「鈴木さんはどういう容疑で逮捕されたのか」と聞いても、実は誰も真相を知らない。一般の人は「ロシアで何か悪いことしたんだろう」という程度の認識です。
 しかし、実際はこの事件はロシアと全く関係はないのです。鈴木さんが官房副長官就任の御祝いとして、北海道の材木業者から400万円を貰いましたが、それはキチンと政治資金報告書に記載して届けている。でも検察は、その400万円の祝儀の裏には業者の下心があったに違いない、その下心を承知で貰ったということで逮捕した。
 検察は違う容疑で逮捕したかったが、それは立件できないと判断して、政治資金規正法違反に切り換えたのです。
安川 正しく「国家の罠」、デタラメだね。
 鈴木さんと一緒に逮捕された佐藤優さんにはこの番組に出てもらいましたが、彼は「日本の国家権力は、一度逮捕したら絶対有罪にする」と言っていました。
田勢 佐藤さんは自らの著書で、朝から晩まで取り調べる検事と仲良くなったと書いています。その検事は「お前がいくら否定したって駄目だ。これは国策捜査で、お前を逮捕し、鈴木宗男とお前は初めっから有罪だと決まっているんだ」、「お前の言ってることは、いくらか理があることは自分もわかるが、検事として認めるわけにはいかない」と、検察の狙いを説明するんです。
安川 「国家の罠」にはまったら、無実でも刑務所送りになっちゃうんだね。
(月刊日本6月号 96〜97頁)


 日本を代表する識者の声として、多くの人に考えてもらいたい事である。

 
本日提出した質問主意書1件
158 北方領土における投資と北方領土問題解決を目指す我が国の立場に関する質問主意書

本日受領した政府答弁書2件
149 エリツィン前大統領の国葬についての内閣官房長官及び外務大臣の発言に関する質問主意書
150 緑資源機構の林道整備をめぐる入札談合に係る証拠品を東京地検が紛失した件に関する質問主意書

 今日受領した「緑資源機構の林道整備をめぐる入札談合に係る証拠品を東京地検が紛失した件に関する質問主意書」に対する答弁書が返ってきた。以下、質問と答弁の一部を紹介したい。

問2 5月12日付北海道新聞の記事にあるように、独立行政法人「緑資源機構」の林道整備をめぐる入札談合で、東京地検特捜部が公正取引委員会の押収した証拠品を庁内で紛失し、証拠品が誤って溶解処理されていたというのは事実か。
答2 東京地方検察庁において、公正取引委員会から預かっていた証拠品の一部を誤って紛失し、廃棄されるという事態が生じたと承知している。
問3 問2が事実であるならば、このような不祥事が起きた原因についての政府はどう考えているか。
答3 証拠品の紛失・廃棄の原因については、東京地方検察庁における証拠品の管理が十分でなかったことにあると承知している。
問4 問2の不祥事に関連して、関係者に対してどのような処分が下されたか。
答4 関係者の人事上の処分については、法務省において、事案の内容等を踏まえて、適切に対処する考えである。

 私の問に対してきちんと正面から答弁している様子がわかる。外務省の答弁書と比べると、遙かにマシな答弁書であると言える。この点、外務省も見習うべきだと思う。

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月21日(月)

鈴 木 宗 男

 男子プロゴルフツアーで15歳の石川りょう選手が最年少優勝を果たす。いつの時代にも凄い人がいるものだとつくづく感じる。福島で高校生が母親を殺すという、悲しい想像を絶するニュースがあった後だけに、石川選手の優勝インタビューの初々ういういしさ、さわやかさ、特に涙を流して「夢みたいなラウンドだった」と心情を吐露とろする姿に好感を抱いたのは、私一人ではないだろう。スーパー高校生の出現に、多くの高校生も「やれば出来る」と、目標・目的を持って生きて欲しいと思う。すぐそばに良いお手本があるのだから。
 石川選手も一日4時間の練習、ランニング、筋トレ、400〜500球の打ち込みと、人一倍努力した結果の優勝である。「努力に優る天才なし」と言うが、人一倍努力して頑張れば、誰にでもチャンスはあるし、実現出来る事がある。全国の若者よ!夢と希望を持って生きていこうじゃないか!
 安倍首相が19日、北海道洞爺湖サミットの舞台になるウィンザーホテルを視察された。私も19日の夕刻、洞爺湖町を訪ね、長崎町長とも懇談する機会があった。安倍首相がいち早く現地を訪ねてくれた事に大変感謝していた。血の通った、心の通った政治家としての行動だと思う。当然とは言いながらも、今、その当然の事が出来ない政治家が多い。そういった意味で、安倍首相はバランス感覚が良いと思う。
 そのバランス感覚の良さで、日ロ関係、北方領土問題を是非とも進めて欲しいものである。そして歴史に名を留めて戴きたい。民族の悲願、国益の観点から、与野党問わず取り組むべき課題・問題には、一致結束して臨んで欲しいと思う。

本日提出した質問主意書2件
156 沖縄返還についての日米密約に係る「口止め」に関する質問主意書
157 沖縄返還についての日米密約の存在に対する外務省の対応に関する質問主意書

2007年5月20日(日)

鈴 木 宗 男

 参議院創設60年で昨日、今日と国会を開放し、多くの人に身近に参議院を見てもらっている。とっても良い企画と考えながら、同時に7月には参議院選挙があり、参議院が問われる事になる。
 参議院は「良識の府」「再考の府」として二院制の重要性、衆議院のチェック機関としての役割があったが、2年前の郵政解散で参議院は死んでしまったと言って良い状況になった。参議院のあり方、真の「上院」としての立場をしっかり確立しなくてはいけない。
 17日「ファーラム神保町」で、私は参議院の定数を今の242から125、約半分にする。中長期的国家戦略、少子化、年金、教育、外交、防衛・治安等は参議院でじっくり腰を据えて議論する。衆議院のカーボンコピーと言われない為にも内閣総理大臣経験者、衆議院永年勤続議員を参議院にまわす。その事により、参議院の上院としての存在が出てくる等の提案をし、参議院議員選挙の公約としていきたいと話したが、その後、反応が多いことに驚く。
 「定数を半分に是非ともして下さい」「重い地位に就いた人が参議院に優先的に廻ることは、(おの)ずから参議院の存在感が出てくるので良い事です」といった声が寄せられる。自信をもって大改革に向けて前進したい。
 憲法改正手続法(国民投票法)が成立し、憲法の中でも参議院のあり方を考える時に来ている。私の提案がいずれ国家の課題として議論される事を期待してやまない。
 胆振管内(壮瞥町、洞爺湖町、白老町)を廻り、各地で後援会挨拶廻り・懇談をし、苫小牧市に入り市政クラブで記者懇談会。皆さん、参議院選挙北海道地方区の多原(たはら)香里(かおり)さんの事に大きな関心を持っており、私から多原(たはら)さんの人となりを紹介し、7月の参議院選挙の意義を話す。週刊誌の選挙情勢なども参考に話しながら、現時点における私なりの分析を披露する。皆さん、それなりに理解して頂いたと思う。
 多原(たはら)香里(かおり)さんも精力的に北海道を廻っており、段々エンジンがかかってきている。人一倍努力した者が栄光の座・当選につながる事であり、先ずは本人が一生懸命頑張る姿をアピールする事が一番であり、更に二人三脚でやっていきたい。

2007年5月19日(土)

鈴 木 宗 男

 12時から南青山会館で中曽根康弘先生を囲む会に出席。中曽根先生が拓大の総長をされていた昭和42年から46年までの学生による1週間早い中曽根先生の誕生日を祝う会である。久し振りに同期の仲間とも顔を合わせ、過ぎし40年前からの今日迄が想い出される。
 中曽根先生が総長就任挨拶で、「私学には建学の精神がある。早稲田大学・大隈重信の独立の精神、慶応義塾大学・福沢諭吉の自由の精神、我が拓殖大学は桂太郎の開拓の精神がある」と熱きメッセージを発してくれたことを今も鮮明に覚えている。
 89才の中曽根先生が今日も矍鑠かくしゃくと拓大のこと、日本のあるべき姿を約40分話されたが、まさに歴史の生き証人である。私も心からの敬意を表して中曽根先生にご挨拶したが「よくきてくれた」と喜んで頂き、感激だった。
 私は昭和45年3月、卒業式で中曽根先生から卒業証書をもらい、記念写真を撮ってもらった。すでに中川一郎先生の秘書をしていたので卒業式終了後の謝恩会の席で「中川一郎君は将来あるから鈴木君もしっかり頑張りなさい」と言われたものである。私なりに夢と目的を持って働き、秘書として「鈴木あり」と言われるまでになった。35歳で衆議院議員に当選。49歳で国務大臣を拝命することが出来た。30代で国会議員。40代で大臣と考えていたので、計算通りの歩みだった。更に内閣官房副長官、自由民主党総務局長と順調な歩みをしたが、国策捜査により一頓挫してしまった。
 中曽根先生も殖産住宅事件、リクルートと、証人喚問され大変な経験をされたが乗り切り、天下人になった。エラーとファインプレーは「紙一重」と言われるが、私も小渕総理が倒れなければ、森総理がもう一年続いていればと、せん無いこととは知りながら、政治家としての宿命を感じた一日でもあった。5年前、あれだけのバッシングを受けながら国政に復帰できただけでも奇跡を起こしたと思いながら、その奇跡をつくった事を誇りにしながら次の闘いをしていくしかない。
 週刊文春の松山千春さんの記事をムネオ日記に昨日載せたが多くの人から「感動しました」「松山さんの人柄を知りました」「松山さんも鈴木さんもじょうの人ですね」「鈴木さんも松山さんも義理堅く人間関係を大事にしていますね」「日本人として忘れてはいけない心を知らされました」等々のありがたい声を、メッセージを頂く。あらためて今日あるのは人間関係だとつくづく感じながらこれからも原点を忘れず鈴木宗男なりのドラマをつくっていきたい。

2007年5月18日(金)

鈴 木 宗 男

 昨日発売の週刊文春5月24日号の【特集ワイド ホントにあった本当に泣ける話】に、「松山千春が語る亡き恩人に捧げる一輪の赤いバラ」という記事があり、感動する。全文を掲載するので読んで戴きたい。

 松山千春(51)のステージで本人に寄り添うように置かれた一輪の真っ赤なバラ。そこには、鈴木宗男擁護、スキンヘッドの強面といったイメージからは窺い知れない、亡き恩人との秘話があった―。

   千春本人が振り返る。
 「竹田さんとの出会いは最悪だった。とにかく恐かった。一緒に仕事をするようになっても、すごく厳しくて、よく怒られた。でもそれも、いま思えば、優しさだったんだと思う」
 千春(当時19)と札幌STVラジオのディレクター竹田健二さん(当時34)が出会ったのは75年4月。北海道足寄町のアマチュアシンガーだった千春は「全国フォーク音楽祭」帯広大会に出場し、高校時代に作った『旅立ち』を歌った。その審査員が竹田さんで、新人発掘で全国に名を知られた仕事人だった。歌い終わった千春に対する批評は、ひとこと、
 「ギターが悪いな」
 ギターは高校時代にバイトして買った5千円のもの。鼻っ柱の強い千春はすぐさま食って掛かった。
 「俺はギターの品評会にきたんじゃない。歌はどうだったんですか、歌は」
 竹田さんはそれに答えず、「松山君、コピー曲を歌ってくれ」。
 千春はしかたなく、風の『22才の別れ』を歌った。竹田さんはそれっきりで、千春は落選を確信した。前年の同じ大会でも『旅立ち』を歌って落ちていたし、なにより自分の歌が認められていないみたいで癪だった。ところが千春は合格し、札幌で開催された全道大会に進んだ。ニッカーボッカーにサングラス姿の千春が、肩で風を切ってステージに登場するなり、会場の5千人が爆笑した。千春は相変わらず突っ張っていた。審査員の間では「歌はいいが、態度がでかくて生意気だ」と言われ、結局落選した。
 「松山、ちょっとしたらラジオで使うかもしれない。そうなったら出てこれるか」
 千春が帰る間際そう声を掛けてくれたのは、意外にも、あの竹田さんだった。
 しかし、札幌から電車を乗り継いで片道8時間以上かかる山あいの田舎町に住むアマチュアシンガーにとって、ラジオ出演は夢のまた夢。期待などしていなかった。千春は足寄でまた、普段の暮らしに戻った。
 父親は足寄のローカル新聞を発行、たった一人で切り盛りし、長男の千春は集金の手伝いをしていた。しかし実家は貧乏のどん底で、新聞の収入だけでは食べていけず、母親が工事現場の出稼ぎをして家計を助けていた。冬はすきまから雪が吹き込み、家の中に吹き溜まりができるようなボロ家。恥ずかしくて友達を家に呼べなかった、と笑う千春にとって歌が心の支えだった。小学生の時、公民館で聞いた岡林信康の歌に感動しフォークシンガーを夢見た若者は、働きながら現実に埋もれていく―。が、そんな千春の元に突然、電話があったのだ。
 「新番組やるから、おまえのコーナーもたないか」
 あれからちょうど1年。竹田さんは周囲を説得し、番組を用意してくれていた。
 ラジオとはいえ、デビューもしていない無名の新人を抜擢することなど、前代未聞のこと。舞い上がる千春に対し、竹田さんは厳しい条件をつきつけた。
 「君のコーナーは15分間。毎週2曲、新曲を発表する。1ヶ月で8曲。半年で48曲。アルバムが四枚できる計算だ。千春、どんどん曲を書かなきゃだめだぞ」
 ラジオ出演が始まり、千春は夜行列車で足寄と札幌を往復した。その間、千春は精力的に曲を作った。と同時に、千春と竹田さんの二人三脚の日が始まった。竹田さんは荒削りながらまっすぐな千春の歌声に魅せられていた。最初に会った時の「ギターが悪い」という表現は、「歌は申し分ない」という最上級のほめ言葉を意味していた。
 夏が過ぎ、曲が貯まったのを見計らって、竹田さんは会社に千春のレコーディングを申し出た。しかしSTVラジオでは大反対があった。「あんなどこの馬の骨かわからんやつをレコーディングして、どうなるんだ。赤字を作るだけだろう」「深夜番組一本しかやっていないし、若造が調子に乗るだけだ」などという意見。それに対し竹田さんは、
 「それなら、俺の退職金前借りさせてもらいます」
 と、会社を説得したという。その熱意が実って、ついに東京で念願のレコーディングが叶った。本当の勝負となるデビューシングルのA面は、さんざん悩んだ末、「俺と千春が出会った最初が、『旅立ち』だ。これでいこう」という竹田さんのひと声で決まった。
 77年1月、リリースされた『旅立ち』が大評判となり、道内のラジオのヒットチャートでは一位を獲得。千春は瞬く間にスターへの階段を駆け上がっていく。そして竹田さんは変わりなく、千春を陰で支えていた。周りから「恋人よりも真剣につきあっている」と言われた。その一方で、竹田さんは千春の巣立ちを予感していた。あと2、3年もすれば千春は足寄から全国へ羽ばたくだろう。その時ステージの袖で千春の歌う姿を見ていたい、そう心から願った。
 6月に出したファースト・アルバムも好調で、8月には道内7カ所を回るデビューコンサートも決まった。多忙な合間を縫って、竹田さんが千春を連れて行ったのは札幌の楽器店だった。
 「千春、残念なんだけど、楽器っていうのは声と違って、値段が高いものほど音がいいんだ。コンサートをやるんだから新しいギターでなくちゃな」
 竹田さんは出世払いだ、と言い、マーチンを買い与えた。「竹田さん、もうギターのせいにはできないですね」。二人は大笑いした。
 そして迎えたデビューコンサートで、千春は札幌厚生年金会館を超満員にした。公演終了後、竹田さんはしんみりと語りかけた。「おまえをこの世界にひきずりこんだのは俺だから、一生つきあっていこうな。俺は一介のラジオ局のディレクターだけど、おまえがどうなっても最後まで責任持つ。俺のできることはなんでもする。喧嘩しながら、やっていこう」
 8月26日、千春は竹田さんに電話を入れた。
 「明日の函館公演来てくれますよね」
 「わかった。ところで、今からニッポン放送の人と会うんだけど、オールナイトニッポンでやってみないか」
 「全国区じゃないですか」
 「ラジオはおまえの個性が生かせる媒体だ。やってみたらどうだ。明日午前10時にSTVにきてくれ。ま、その時ゆっくり話そう」
 ところが次の朝、STVに行った千春に知らされたのは、竹田さんの突然の死だった。急性心不全、享年36。終始元気な声だった最後の電話から数時間後のことだったという。
 信じられなかった。「コンサートはやめだ」と泣きじゃくる千春。だが竹田さんの声が聞こえたような気がした。
 「千春、甘っちょろいこと言うな、お前はプロなんだぞ」
 その夜、千春はアンコールで『旅立ち』を、涙を流し声をか嗄らして歌った。

 《私の瞳が ぬれているのは 涙なんかじゃないわ 泣いたりしない
 この日がいつか 来る事なんか 二人が出会った時に 知っていたはず
 私のことなど もう気にしないで あなたはあなたの道を 歩いて欲しい》
(「旅立ち」松山千春 作詞・作曲)

 竹田さんは千春のために東京の仕事を取り、北海道を離れたがらない千春の旅立ちを準備していた。竹田さんが生前思い描いたように、千春は全国区のスターとなった。
 デビューから30年余、千春は竹田さんを赤いバラに見立てて、ステージに飾っている。
 最後に千春本人が語る。
 「今もずっと感謝してます。俺はこれまで長くやってきたけど、曲作りやコンサートの時なんか、竹田さんに、これでいいですか、って問いかけることもある。ただ、それに対して答えが返ってこないのが、さみしい」
 そして千春は、真っ赤なバラの理由をこう語った。
 「ギター一本でステージに立つと、なんとなくさみしいから。いつもそばにいて、見守ってくれているような気がするんだ」

 以上である。
 亡き竹田さんとの事は松山千春さんからも良く伺っていた。人生の出会い、巡り合わせ、不思議なものである。竹田さんがお元気でおられたら、大きくなった、あの足寄から出てきて日本を代表するトップシンガソングライターになった千春さんに、何と言ってくれるだろうか。「千春これからだぞ、千春の出番は。千春、これからが千春の本舞台だ」と竹田さんが言っているように私には聞こえてくる。
 今、日本人が失いかけている「じょう」「義理堅さ」を忘れていない千春さんに日本人の心を見た。私自身、千春さんのお陰で今日ある者として、「心友しんゆう」に心から感謝するものである。久し振りに胸が熱くなる人間関係に触れ、勇気や感動を戴き、千春さんありがとうと、「大空と大地の中で」を口ずさむ。  福島県で高校生が母親を殺したり、愛知県では立てこもり事件で警察官が死傷したりと、悲しい、恐ろしいニュースに愕然がくぜんとする。何という世の中になってしまったのか。前途有為ぜんとゆういだった林一歩巡査部長に、心からのご冥福をお祈りしたい。
 心を失った日本人が多くなったことは、モノ・カネ優先できた政治に責任があると自責の念を持ちながら、心の通った政治の実現を目指し、頑張っていきたい。その勝負は7月の参議院選挙だ。弱者・女性の視点から立ち上がった多原香里たはらかおりを当選させる事である。

本日提出した質問主意書1件
155 2007年5月15日に明らかになった1972年の沖縄返還を巡る日米密約についての米国立公文書館所蔵の一連の公文書に関する質問主意書

● 本日受領した政府答弁書3件
・ 146 北方四島への日本国憲法の適用に関する質問主意書
・ 147 竹島への日本国憲法の適用に関する質問主意書
・ 148 太平洋戦争中の中華民国国民政府の性格に関する質問主意書

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月17日(木)

鈴 木 宗 男

 7月の参議院選挙に関連して、またぞろ各党ともタレント、Jリーガー、プロ野球選手、テレビアナウンサー等、政治家として何をやるかよりも知名度に頼る、先に「名前ありき」みたいな流れになってきている。参議院は良識の府、再考の府と言われてきたが、今、二院制としての参議院のあり様が問われている時に、各党とも国権の最高機関たる「院」についてどれほど考えているのか疑問に思う。
 特に、憲法改正手続き法が成立し、安倍首相は「改憲」を参議院の争点にすると言っている。平成17年8月、郵政民営化法案が参議院で否決されると、時の小泉首相は解散の挙に出た。この時、参議院はなくなってしまったと言って良い。7月の参議院選挙はまさに参議院の存在を示す絶好の機会なのに、大所高所の議論が出てこない。「上院」として参議院を位置付ける為にも、私は次の様な提案をしたい。

@ 242の定数を125へと約半分にする。人口100万人に1人の計算である。
A 予算や条約だけでなく、法案の審議は全て衆議院に優位性を持たせる。
B 参議院は6年間選挙がないのだから、国家の中長期的政策、福祉、少子化、教育、外交、防衛、治安等の国家基本戦略についての議論をする場にする。予算や条約だけでなく、法案の審議は全て衆議院に優位性を持たせる。
C 内閣総理大臣経験者、衆議院議長経験者は参議院に移る。
D 各党の永年勤続衆議院議員、最高裁長官経験者も参議院にまわす。

 この様な改革を行えば、参議院が日本の知恵袋となる。そしてタブーなき議論、専門的議論をしていけば、おのずから参議院に対する見方が変わり、チェック機関としての重みが増し、国民に理解される真の二院制になると私は考える。新党大地として、7月の参議院選挙では堂々と以上の事を訴えていきたい。14時半からの「フォーラム神保町」でも、この話をさせて戴いた。単なる参議院の改革ではなく、「大改革」をして国民の負託に応える様にしていきたい。
 フォーラム神保町では、7月の参院選で北海道地方区から出馬する新党大地副代表の多原香里たはらかおりさんがアイヌ民族の歴史を30分話し、7月に向けての決意表明をする。普段聞かれないアイヌ民族の話に出席者が耳を傾けて下さり、ありがたかった。
 質問の中で「知名度が低いからしっかり頑張りなさい」といった声もあった。真摯に受け止めていきたい。先週選挙予想を出した週刊誌では「台風の目は『女ムネオ』」とも出ており、これから更にアピールしていきたい。

本日提出した質問主意書2件
153 特命全権大使の免官に関する三回目質問主意書
154 1981年5月に行われた日米首脳会談をめぐる閣内不統一に関する質問主意書

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月16日(水)

鈴 木 宗 男

 「格差都市 東京 年収500万未満 初の過半数  昨年度都調査 年金・生活保護 3割
 東京都が5年ごとに実施する『福祉保健基礎調査』で、年収が500万円未満の世帯が昨年度、初めて5割を超え、81年度の調査開始以来、過去最多となったことが分かった。300万円未満の世帯も全体の3割近くで前回調査より約10ポイント増加していた。雇用機会や賃金で地方より恵まれている首都・東京でも低所得層の増加が顕著になっている実態が浮かんだ。」と、毎日新聞夕刊は1面トップで扱っている。
 景気が良いと言われている東京都でも格差が拡がっている実態が明らかになった。強いものはあくまで強く、弱い者は立ち上がれないという新自由主義、ハイエク型の政策で、この日本は本当にやっていけるのか。都会と地方の差をなくす、富める人、富めない人の溝をなくすのが政治だと考えるのだが。格差が拡がり、国民のやる気がなくなると、国力が格段に下がってしまうことを懸念してやまない。
 この流れを変えないと、10年先、20年先が心配だ。7月の参議院選挙で結果を出さないと日本がダメになる。そんな気概を持って闘っていくしかない。
 選挙と言えば、またぞろタレント候補とも言うべき名前の知れ渡った人が話題になっている。良識の府、まさに参議院のありようが問われている今、自民党も民主党も参議院の重みを考え、衆議院のチェック機関としての「真の上院」と言われるに相応しい候補者を擁立すべきではないか。政治家が小さく見られているのに、なお自ら政治を狭くしてはいけないのではないか。一つの仕事をきちんとやる人を出してほしい。
 新党大地は自信を持って北海道地方区からアイヌ民族出身の「多原(たはら)香里(かおり)」を立候補させる。北方領土もサハリン(樺太)も千島列島も、先住民はアイヌ民族であった。先住民族の権利の確立を(うた)いつつ、歴史的、文化的経緯を堂々と訴え、国家国民に奉仕しようと考えているのである。なにとぞ宜しくお願いしたい。
 生まれ故郷の足寄町大誉地(およち)から、国会研修旅行の一環で、大変懐かしいお世話になった皆さんが上京される。国会見学をし、議員会館で懇談しながら故郷の話に花を咲かせる。聞くところによると、今年は天候不順で桜の開花もまだとの事。今月末あたりからやっと開花するのではという話だ。
 大誉地の高台から見える阿寒の山々の威容(いよう)は、何とも言えぬ景色であった。また、冬はマイナス30度、35度もの寒さを記録する事もある。故郷の素晴らしい、厳しい自然が自分を育ててくれた事を考えると、やはり故郷とはありがたいものであると感じる。
 小さい時からの仲間やお世話になった方の息子さんらと、今日は大誉地(およち)一色の話題で盛り上がり、時計の針を45年、50年前に戻す事が出来た。かけがえのない故郷の皆さんに、感謝と感激の気持ちでいっぱいだった。

本日提出した質問主意書1件
152 ビザなし交流の訪問団と第38瑞祥丸船長との面会に関する質問主意書

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月15日(火)

鈴 木 宗 男

 朝のテレビニュース・新聞は、昨日成立した国民投票法でもちきりである。特に新聞各紙は社説から特集記事、シリーズもの等、盛りだくさんだ。一口に国民投票法と言っているが、正式な法律名は「憲法改正手続き法」である。言葉・フレーズが一人歩きすると、何かしら国民投票で憲法がつくられると言った錯覚を国民は持ちかねない。正しい法律名で統一していくのが良いのではと考える。
 同時に、「憲法改正手続き法」が成立したからと言ってすぐ改憲ありきだという短絡的議論は避けるべきだ。時代にあった憲法にするのが当然だが、急ぐべき話ではない。また、守るべき点、受け継いでいくべき点は堅持していかなくてはならない。戦争の放棄という条文はまさに21世紀を見据えた表現であり、その最たるものだと思う。いずれにせよ、十分時間をかけて、口先だけの「国民と共に議論を深めたい」ではなく、真摯に国民の声に耳を傾けながら進めて戴きたい。
 よく首相は「3年後を見据えている」と言っているが、北海道新聞1面トップに次の様な記事がある。
 「『3年後の政界は変わっているかもしれませんよ』。国民投票法案が参院で審議入りした4月16日。同法案の衆院通過に汗を流した中山氏を慰労した首相は、ぽつりとささやいた。」
 なかなか意味深な言いぶりだが、私は3年後と言わず、7月の参議院選挙後にも政界再編せざるを得ない状況になる事も考えられると思う。衆・参同日選挙の可能性も十分あると頭に入れながら、この1ヶ月の終盤国会、十分アンテナを高くあげながら情報戦に負けない様しっかり取り組んでいこうと思う。


本日提出した質問主意書1件
151 情報収集衛星の導入の経緯に関する質問主意書

本日受領した政府答弁書9件
137 特命全権大使の免官に関する再質問主意書
138 政府開発援助(ODA)における使途不明金に関する質問主意書
139 2002年度の政府開発援助(ODA)における使途不明金に関する質問主意書
140 弔問外交に関する質問主意書
141 実効支配の定義等に関する質問主意書
142 北方領土交渉の今後の展望に関する質問主意書
143 政府開発援助(ODA)に対する外務省の認識に関する質問主意書
144 2007年4月11日付日中共同プレス発表における「最終的な境界画定」の意味に関する質問主意書
145 前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀に関する質問主意書

 質問主意書に対する答弁書が9件返ってきた。相も変わらぬ外務官僚の小手先での答弁内容である。閣議決定を何と心得るのか。後で齟齬そごをきたす中身である。一例を挙げると次の通りだ。

 【140弔問外交に関する質問主意書】
問 エリツィン前ロシア大統領の葬儀は外交上どの様な意味を持つと外務省は認識しているか。
答 外務省としては、エリツィン・ロシア連邦初代大統領の葬儀は、同初代大統領の御遺族並びにロシア連邦政府及び国民に対し、我が国政府及び国民の弔意を表す場であったと認識している。
問 エリツィン前ロシア大統領の国葬に日本からしかるべき人物が参列しなかったのは、適切なタイミングで適切な報告と提案を行わなかった外務官僚の不作為によるものではないか。
答 エリツィン・ロシア連邦初代大統領の葬儀に関しては、政府として本国からしかるべき者を派遣することを検討したが、ロシア側から、葬儀に外国代表団を公式に招待することは予定されていない旨が外交ルートを通じて連絡があったこと、また、東京から出張して葬儀に出席することが物理的に不可能と判断されたこと等から、本国から特使等を派遣せず、齋藤泰雄ロシア連邦駐箚特命全権大使を葬儀に出席させることとしたものである。このことについては、外務省として、内閣総理大臣官邸サイドとしかるべく調整を行ったものであり、「外務官僚の不作為」との御指摘は当たらない。

 12日の日記でも触れたが、24日にロシアに飛ぶ民間機はあった。決して「物理的に不可能」な話ではなかったのだ。また、エリツィン氏の葬儀が「我が国政府及び国民の弔意を表す場であった」と考えるならば、ロシア側の受け入れ態勢云々は関係なく、日本からしかるべき人物を派遣すればよいではないか。現にアメリカからはクリントン前大統領とブッシュ元大統領、イギリスからはメイジャー前首相等、国家を代表して弔意を表すに相応しい人物が参列しているではないか。
 私は、国民に信頼・理解され、国民の声を背に外交をしてもらいたいと、外務官僚の自浄能力に期待し、私自身外務官僚の言いなりになり、国民の尊い税金の中から無駄な予算をつけてしまったという国民への自責、反省の上に立ち、国民への情報開示、情報の透明性確保に努めている。そして、無所属で国会質問する機会もないので質問主意書を出しているのだが、外務官僚は本質を理解していない様である。正直に答えるのが一番であり、無駄なエネルギーを使う必要はない。「一に国益二に国益、三、四なくて五に国益」の観点で、外務官僚には働いてもらいたい。
 筑紫哲也さんが肺ガンを告白され、驚いた。私も平成15年10月に胃ガンを宣告され、しかも悪性で転移の可能性があると言われた時、「人生終わった」と思った。しかし、手術を受けたら、お陰様で転移もなく、今元気に政治活動が出来るまでになった。
 筑紫さん、ガンは怖くありません。一日でも早く手術を受け、お医者さんの言う通りにすれば、間違いなく元の生活に戻れます。筑紫さんの一日でも早いご全快をお祈り申し上げます。
 またテレビで筑紫さんの姿にお目にかかれる日を楽しみにしたい。

2007年5月14日(月)

鈴 木 宗 男

 「共同通信社が12、13両日に実施した全国電話世論調査で、集団的自衛権行使は憲法で禁じられているとの政府解釈に関し、『今のままでよい』が62.0%と、四月の前回調査より7.4ポイント上回った。『憲法解釈を変更し、行使できるようにするべきだ』との回答は5.0ポイント減の13.3%、『憲法改正し、行使できるようにすべきだ』はほぼ横ばいの19.1%だった。解釈の見直しを検討する政府の有識者会議の初会合が18日に開かれるが、変更の必要はないとの声が強まる結果となった」(東京新聞・北海道新聞1面トップ)。国民のバランス感覚が賢明である事を示す数字だと思う。
 今、世界は一部地域に関しては緊張関係はあるが、イデオロギーの対立はなくなり、協力、連携の流れである。なぜ今、集団的自衛権の解釈見直しなのか、私は理解出来ない。今、急ぐ必要の無い事である。
 国民投票法案が参議院で可決する。憲法改正の為の国民投票は憲法96条で定められているが、実施に関する法律がないことからの今回の法案となったのだが、国民がどれほど憲法改正を望んでいるのか。各種世論調査でも、今すぐ憲法改正だという調査結果は出ていないし、緊急課題にはなっていない。この点、国民に対する説明責任が十分果たされていないのではないだろうか。これも急ぐ必要のない話である。
 施行は3年後の2010年で、2011年には憲法改正の是非を問う国民投票が行われる訳だが、その時の政治状況はどうなっているか、政府与党はどんな枠組みかにかかっている。こうしたことを踏まえると、改めて7月の参議院選挙は歴史的に大事な、大きな意味のある選挙であると考える。イケイケドンドンの数の横暴による、勝ち組・負け組と溝をつくる今の与党で良いのか、地方重視、弱者をまもる我々の主張の方がいいのか、国民には是非とも賢明な判断をしてほしい。今の弱肉強食の新自由主義政策から、公平配分、新に平等でフェアな社会にする様、選挙で結果を出すしかない。私は目的達成に全力を尽くして闘っていく。
 午後の便で千歳に向かい、札幌事務所で仕事。昨日、札幌の隣りの石狩市で市議会議員選挙が公示されたので、同志の応援の為、夕方石狩市に行く。1時間程、応援演説をし、札幌に戻り、先月の選挙で見事札幌市議会議員に当選された方の会合に出席。
 19時半から後援会幹部との会合。東京からの経済人も来られ、意見交換をする。「札幌の実態経済は良くない。地方はもっと大変だ」という声であった。東京と地方の格差を私はしっかり受け止めてやっていきたい。

◎ 本日提出した質問主意書1件
・ 149 エリツィン前大統領の国葬についての内閣官房長官及び外務大臣の発言に関する質問主意書
・ 150 緑資源機構の林道整備をめぐる入札談合に係る証拠品を東京地検が紛失した件に関する質問主意書

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月13日(日)

鈴 木 宗 男

 今朝の新聞報道で、『今夏の世界遺産(文化遺産)登録を目指している「石見銀山いわみぎんざん遺跡とその文化的景観」(島根県大田市)について、文化庁は12日、国連教育・化学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関「国際記念物遺跡会議」(ICOMOS、本部・パリ)が、「登録延期を勧告する」との報告書をまとめたと発表した。』(読売新聞一面)と書かれている。国内の世界文化遺産は10件あるが、日本政府が推薦し登録が見送られたケースは初めてだという。イコモスは普遍的価値の証明がされていないということでの延期だというが、そもそもユネスコの事務局長は、外務官僚上がりの松浦さんである。外務官僚がユネスコの職員として何人も働いている。なぜ、前もって情報が取れなかったのか。こういう点でも官僚の基礎体力の無さが表れている。文化庁は延期から他の結論に変更された例もあるといい、関係国への働きかけなど巻き返しを図る動きもある。今後、外務官僚がどれほど国益の観点から努力していくのか注目していきたい。
 連日話題になっているが、高校野球の特待生の問題は高野連自身が今まで何もしてこなかったことが原因である。原点に立ち返り、高校球児を救うべく救済措置を考えるべきである。今まで純粋に野球に打ち込んできた生徒には罪はない。私も高校生の頃野球に打ち込んできた一人として、生徒に夢と希望の持てる公明正大な規則作りを期待するものである。
 今朝、北海道で大変お世話になっていた江別市の野村昭松さんの3回忌のお参りをし、9時5分千歳発の飛行機で上京。
 午後から古賀誠先生のご子息の結婚披露宴に出席。森元首相のご媒酌で各界、各層の方々が集まり盛大な披露宴であった。古賀ご夫妻の我が子の晴れ姿を見つめる目はまさに何とも言えぬお顔であった。古賀家の益々のご繁栄が約束された結婚披露宴であり、素晴らしい御慶事であった。

2007年5月12日(土)

鈴 木 宗 男

 昨日の法務委員会での質問について毎日新聞・朝日新聞のネット・新聞で「冤罪(えんざい)事件取り上げ検察批判・取調べの録画要求」といった配信記事がある。「国策捜査」はあってはならない事である。また冤罪(えんざい)事件をつくり大変な社会問題になった以上、責任を取るのは当然である。私は当たり前のことを言っただけであり、責任を取らない検察の態度・姿勢は国民の理解を得られるのか、信頼回復の上でも結果責任を取るのが普通の考えだと多くの人が思っていることを代弁させてもらった。
 今日も多くの人から「権力と闘って下さい」「権力にものを言う鈴木さんに期待します」「自分の経験則(けいけんそく)を踏まえて発言する鈴木さんは説得力があります」といった声が寄せられ、有難い限りである。これからも国民の声を背に頑張っていこう。
 塩崎官房長官は昨日の記者会見で、ロシアのエリツィン前大統領の葬儀に日本から特使を派遣しなかった理由として25日の会見では葬儀に間に合う航空便がなかったとの説明をしていた事を撤回した。政府は11日の閣議で私の質問主意書に、「エリツィン前大統領の逝去について、政府は2007年4月23日に情報を得ていたと承知するが、確認を求める」との問いに、「エリツィン・ロシア連邦初代大統領の逝去に関する公電は、平成19年4月23日午後11時48分に外務省にて受信した」と答え、「2007年4月24日に日本からモスクワに向かう航空便があったか。あったならば、その便の日本出発時刻とモスクワ到着時刻を明らかにされたい」との問いに、「平成19年4月24日に日本からモスクワに向かう直行便は、アエロフロート・ロシア航空のものが1便あった。当該便は、日本時間の午後0時27分に出発し、モスクワ時間の同日午後5時13分に到着した」と、答えてきた。
 これにより塩崎官房長官の4月25日の記者会見が間違っていた事が明らかになったのである。麻生外相が小型の政府専用機が必要だと閣僚懇談会で発言した事は何だったのか。官房長官も外相も基本がなっていない。ここに安倍首相の不幸がある。何が大事か、何が国益かを絶えず頭に入れておけば、なんでもない話である。今回の私の質問主意書によって少しは基礎体力をつけてほしいものだ。
 大阪から東京に戻り打ち合わせ等をし、午後から札幌に行く。札幌市内を廻り夕方、大変お世話になっている北海道を代表する企業の親睦会に出席。多くの人と旧交を温めながら日頃のご支援にお礼を申し上げる。あらためて人間関係・ご縁に感謝しながら有意義なひとときを過ごさせていただく。仲間とは尊いものだ。

2007年5月11日(金)

鈴 木 宗 男

 村岡兼造先生の2審での判決が各紙を踊っている。人を裁く事の重み、真実はどこにあるかという事を考えさせられる判決である。
 私も中川一郎先生の秘書をしていた時、事件に巻き込まれ、検察の取り調べを受けた事が何度かあった。秘書の立場からして、代議士本人を守る事を私は何よりも優先した。そこに人間関係、信頼関係が、強い絆が出来る。元事務局長の供述が信用出来ると言うが、元事務局長は幹部への忠誠心がなかったのか。検察から何か弱みを握られて誘導されている事も考えられる。
 そもそもは事務的な問題である。日本歯科医師連盟から献金を戴いても、法的には政治団体間の献金には上限がない訳だから正直に政治資金収支報告書に記載しておけば良かった事である。報告書に載せるのが当たり前だ。事務的にしっかりやっていれば良い事で、それをしていなかっただけの事だ。いちいち派閥の幹部が口を挟む事かどうか、政界関係者なら誰しもわかる事だ。橋本龍太郎先生がお元気でおられ、堂々と真実を語って下されば何でもない話だと思う時、何とも言えない巡り合わせの悪さを感じずにはいられない。
 「村岡先生の記者会見に同席した弁護人で、元福岡高検検事長の豊嶋秀直弁護士は、1、2審で証拠の評価が正反対だった事について『刑事裁判は恐ろしいと実感した。検察は真相解明も出来ずに起訴しており、これで有罪になるなら表面的な証拠だけで起訴出来てしまう』と指摘。『検察がきちんと捜査していれば一審段階で有罪か無罪かはっきりしたはずだ』と後輩に注文した」(日本経済新聞39面)と出ている。この豊嶋元福岡高検検事長の言葉に私も同感しながら、今の検察には良く考えてもらいたいものだと思う。
 14時半から法務委員会で30分間質問の機会があり、長勢法務大臣に冤罪に対する認識、検察の責任の取り方、取り調べの可視化、国策捜査について質す。特に国策捜査については、まずは人ありきで捜査が進められる事を述べる。佐藤優さんの『国家の罠』、宮本雅史さんの『真実無罪』、田原総一朗さん責任編集の「オフレコ! Vol.3」を持ち込む。これらの本には、実際の取り調べにおける検事の態度、暴言が以下の様に生々しく書かれている。

 「『これは国策捜査なんだから。あなたが捕まった理由は簡単。あなたと鈴木宗男をつなげる事件を作るため。国策捜査は「時代のけじめ」をつけるために必要なんです。時代を転換するために、何か象徴的な事件を作り出して、それを断罪するのです』『見事僕はそれに当たってしまったわけだ』『そういうこと。運が悪かったとしかいえない』」(佐藤優氏『国家の罠』287頁)

 (村上正邦元参議院議員への取り調べで尾形検事が森喜朗元総理の事を)「あれはバカだ」「村上さん、あんたなあ、参議院なんていうのは県議会からあがってきた連中や、役所ではもう一丁あがりの連中だ。そういう連中をあなたのハッタリと目クソのナニ(カネ)を配ってだね、手のひらに乗せて振りまわすくらい簡単なことだね」(アスコム『オフレコ!』vol.3 319頁)

 「お前、殴り倒すぞ。張り倒すぞ。村上正邦、見苦しいぞ、お前を先生と呼ぶ価値ははい。おい、村上だ」「お前、村上、きさま、チンピラややくざよりまだ悪いな。チンピラやくざよりも劣るよ」「お前は国会の証人喚問で『腹を切る』と言ったよな。いま、私の目の前で腹を切ってみろ。切れるものなら切ってみろ」(宮本雅史氏『真実無罪』197−198頁)


 これらの記述を読み上げ、国策捜査における検事の取り調べでの態度についてどう考えるか長勢大臣に問い質した。
 私の事件については、亡くなった佐藤玲子秘書の事について話す。佐藤玲子秘書が子宮ガンの大手術をし、その治療を受けている最中、逃げ隠れや罪障隠滅ざいしょういんめつの恐れがないにも関わらず、また最初から起訴出来ない事は明らかなのに、私に対して不利な調書をつくる為、検察は敢えて逮捕した。その事により佐藤玲子さんは亡くなってしまった。死人を出す様な捜査はやめて欲しいと長勢大臣に迫った。
 法務委員会での質疑は初めてだったが、与野党委員も私の経験則からの話に耳を傾けてくれた。また、マスコミ関係者の中には「裁判をしている人が自らの経験を踏まえ、捜査の実態を国会で堂々と披瀝ひれきした事は立派だ」と言ってくれる人もいる。更には「恐ろしい国策捜査の姿を知りました」と、何人かの国会議員からも声をかけられる。これだけでも、国民の代表たる立法府で質問した意味は大きいと感じるものである。
 権力の暴走をチェックするのが、本来政治の果たすべき役割である。今それが機能しているかと聞かれれば、クエスチョンマークだ。これからも国民の目線に立って発信していきたい。
 16時の飛行機で大阪に飛び、「経済界」関西支社会員の例会で講演。100人以上の参加者で、気持ちの良い会であった。「経済界」さんの会合では、もう既に東京、福岡、名古屋の3カ所で講演をしており、今回の大阪で4回目である。ご縁を大変嬉しく思う。委員会質問の関係で予定より1時間遅く到着してしまい、会員皆様にご迷惑をかけた事をお詫びしたい。

● 本日受領した政府答弁書10件
・ 127 外務省におけるスクールの弊害に関する質問主意書
・ 128 尖閣諸島への国旗掲揚に関する質問主意書
・ 129 エリツィン前ロシア大統領の逝去に関する質問主意書
・ 130 チェチェン問題に関する質問主意書
・ 131 交戦権に関する質問主意書
・ 132 自衛権に関する質問主意書
・ 133 ロシア連邦駐箚特命全権大使と在モスクワ日本人記者との関係に関する再質問主意書
・ 134 オランダ国駐箚特命全権大使の免官の過程における外務省官房審議官の発言に関する質問主意書
・ 135 主要国首脳会議(G8サミット)の開催地選定に関する質問主意書
・ 136 エリツィン前ロシア大統領の国葬への日本からの出席者に関する質問主意書

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ>

2007年5月10日(木)

鈴 木 宗 男

 7時45分、福井市内の病院に、大変お世話になっている方のお見舞いに行く。手術直後とは思えないほど元気で一安心する。国会の関係で9時15分小松発の飛行機で東京に戻り、決算行政監視委員会に出席する。
 日本歯科医師連盟からのヤミ献金事件で、村岡兼造先生が東京高裁で逆転有罪の判決を受ける。滝川元会計責任者の証言の方が信憑性が高いという裁判官の判断だが、本当に真実をついているのかどうか、村岡先生にとっては大いに疑念を感じている事だろう。真相を解明する為の、真実を明らかにする為の証言が、検察側の誘導、一方的な思い込みで正しくないとされ、真実でない話があたかもそれが正しいととられたならば、身も(ふた)もない話である。今後村岡先生がどう出るのか注目していきたい。
 明日14時からの法務委員会で質問の機会を与えられる。30分という短い時間ではあるが、最近起きている数々の冤罪(えんざい)事件に対して法務省がどういう責任を取ってきたのか、国民の目線に立って質問していきたい。

本日提出した質問主意書1件
148 太平洋戦争中の中華民国国民政府の性格に関する質問主意書

※質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ>

2007年5月9日(水)

鈴 木 宗 男

 読売新聞1面トップに、厚生労働省研究班の調査により、喫煙を続けると40歳以降の寿命が煙草を吸わない男性に比べて3.5年短くなる事がわかったと書かれている。具体的な数値として出てくると、愛煙家の人々も少しは控える様になるのだろうか。いずれにせよ、嗜好品はそれぞれ個々人の判断だが、健康あっての人生と考えれば、やはり無視出来ないデータである。
 同時に、喫煙を話題にしながら税金を取り、特に最近はことある事にたばこ税の増税で財政をやりくりして来た事もしっかり考えなくてはならない。「健康に悪いですよ」と言いながら、一方でしっかり税金を取るやり方に、納得出来ない思いでいる人は多いのではないか。予算編成の際にはきちんと検討されるべき問題だと私は思う。
 事務所費に関する政治資金規正法改正で、5万円以上の領収書添付で与党が合意した事について、沢山の声が寄せられる。「生活者の視点に立っていない」「政治家の特権意識の現れだ」「民間企業は100円でも領収書が必要だ」等々である。私もその通りと受け止める。
 権力側の発想、判断が、特権意識を持ってのものであると受け止めるのは一人私だけではないだろう。この点も参議院選挙の争点にしていくべきだとつくづく感じる。
 かかった経費全てに領収書をつける事がどうして出来ないのか。民間企業で行われている事をなぜ政治家はやらないのか。当たり前の事を当たり前と思わない政治家は問題である。国民もこの事を踏まえて、選挙投票で結果を出してほしいものだ。
 麻生外相が8日の閣僚懇談会で政府専用機の追加導入を提案したそうだが、専用機があっても使う判断をしなければ宝の持ち腐れである。「ロシアのエリツィン前大統領の葬儀に特使の派遣を検討したが、安倍晋三首相の訪米直前で、政府専用機が使えなかった。民間機を乗り継いでも葬儀に間に合わない事から、派遣を見送った経緯がある」(日本経済新聞2面)と出ているが、エリツィン前大統領が亡くなったのは23日夜である。24日の商業便でモスクワ行きなりフランクフルト、ロンドン行きに乗っても25日の葬儀には間に合ったし、24日の夜のパリ行きの便でも間に合う話である。民間機のチャーターだって可能である。要は、特使を出すか出さないかの頭づくりが遅かったので間に合わなくなっただけだ。外務官僚の判断ミス、基礎体力のなさを棚に上げ、国民の税金を使って政府専用機を導入するというトンチンカンな話をするだけでも笑い話だ。
 日露関係の重要性、特に領土問題解決を具体的に真剣に考えてくれたエリツィン前大統領に敬意を払うならば、更にそのエリツィン大統領から指名を受けたのがプーチン現大統領である事を考えるならば、23日の夜に既に決定されるべき事ではないのか。プレイヤーがいない事は国益を損なう事である。自分達のミスを「飛行機がなかった」とすり替える言い方は、ロシアの理解を得られるものではない。外務官僚も外務官僚だが、指導力を発揮できない政治家の責任も重いと言わざるを得ない。
 7時10分羽田発で女満別空港へ向かい、網走管内遠軽町丸瀬布町に行き、私の後援会長であった入江彦一さんの告別式に顔を出す。政治風土厳しい網走管内で私の後援会長を引き受けて下さり、本当に良くやって戴いた。ご家族、ご遺族に心からお礼申し上げ、入江会長のご冥福をお祈して失礼し、12時50分旭川空港発で羽田へ。議員会館で仕事をし、福井県で大変お世話になっている方のお見舞いの為、20時羽田発で小松空港に向かう。
 一日があっという間に過ぎてしまったが、私はたとえ10分でも、お世話なった人に、ご縁を得た方に対する感謝の気持ちだけは忘れないという思いで最期のお別れに足を運んできた。これからも人の道として、私の生き様として、この事を守っていきたい。

◎ 本日提出した質問主意書1件
・ 147 竹島への日本国憲法の適用に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

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2007年5月8日(火)

鈴 木 宗 男

 約2週間ぶりで本会議が開かれ、日本年金機構法案、国民年金事業等の運営の改善の為の、国民年金法案の一部を改正する法案の趣旨説明があったが、緊張感がなく、いかにも休み明けと言った感じの本会議であった。2ヶ月後には参議院選挙も控えており、これで良いのかという思いである。
 衆議院は与党の圧倒的な数を背景に、問答無用と言わんばかりの国会運営である。民主主義は数とは言いながらも、少数の意見にも配慮するのが民主主義の約束事でもある。民主党もどうにもならない衆議院の現状を見る時、参議院で流れを変え、第一党になってこそ初めてバランスのとれた良い政治が出来る事を、しっかり肝に銘じてやって戴きたいものだ。
 沖縄の下地幹郎代議士が私の議員会館に来て「沖縄の地域政党そうぞうと国民新党とで院内会派を組んでいきたい」と報告に来てくれた。結構な事だと賛意を示す。これから地域政党の果たす役割は更に大きくなってくる。下地代議士のやる気を高く評価し、激励する。平成8年、下地代議士を国会に出すべく応援した者として、若手代議士の成長は嬉しいものである。
 事務所、光熱水費に領収書を添付する事について、安倍首相は「5万円以上」と自民党の石原幹事長代理に指示したと報道されているが、5万円という金額の大きさを考える時、国民の理解を得られるものではない。民主党は1万円と言っており、まだ与党案よりもマシであるが、本来ならかかった経費の領収書を全て添付するのが当たり前である。どちらの方が生活感があるか、心ある人にはわかってもらえるだろう。生活感のない政治に対しては、いつか必ず国民が目を覚まし、大きな反動になっていく事だろう。

◎ 本日提出の質問主意書1件
・ 146 北方四島への日本国憲法の適用に関する質問主意書

※ 質問主意書の内容は下記の衆議院HPでご覧頂けます。

  衆議院ホームページ

2007年5月7日(月)

鈴 木 宗 男

 注目されたフランスの大統領選挙は、決選投票の結果、保守系与党のサルコジ氏の当選。初の女性大統領誕生かと期待されたロワイヤル氏には残念な結果となる。52歳の大統領で、大きく世代交代が進んだ事になる。親日派で、特に日本の国技・相撲を良く観戦されたシラク大統領だったが、新大統領も対日関係ではシラク路線を引き継いでほしいものである。
 フランスの大統領は1期5年の任期である。2000年までは1期7年、2期やると14年トップの座にいたものだ。日本の首相とはケタ違いの在任期間であるが、洋の東西を問わず、長期政権でも国民の為に実績を残さないリーダーは必要ない。逆に、在任期間は短くても、国民の目線でキラリと光るものを残していくリーダーが大事だと考えるのは、私だけだろうか。
 ヤンキースの松井秀喜選手が日米通算2000本安打を達成した。15年目での金字塔だが、凄い事である。大記録達成の陰には、人一倍の努力、練習、何よりもご両親から戴いた強靱な身体があっての事だ。松井選手は多くの人に感謝して2000本安打達成を感慨深く、そして次の目標に向かって前進する事だろう。暗く悲しいニュースが伝えられる中で、松井選手の活躍は一筋の光明である。
 ゴールデンウィークが終わり、今日から仕事に就いた人が多い事だろう。仕事が出来る喜び、仕事に就ける感激を、お互い持ちたいものである。仕事がないつらさ、仕事がしたくても機会がない人が大勢いる事を考える事も必要ではないか。
 17時35分釧路発で上京。20時30分から田原総一朗さん責任編集の雑誌「オフレコ」(株式会社アスコム)の対談。

本日提出した質問主意書2件
144 2007年4月11日付日中共同プレス発表における「最終的な境界画定」の意味に関する質問主意書
145 前ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀に関する質問主意書

2007年5月6日(日)

鈴 木 宗 男

 子供の日に大阪でジェットコースター事故があり、1人が亡くなり19人が負傷され、ゴールデンウィークに悲しい出来事が起きてしまった。コースターが脱線し、手すりに衝突したとのことだが、スリルを味わい楽しいはずの遊技がなんということか。どこの遊園地でもジェットコースターは人気がある。点検には念には念を入れ、今回の事故を教訓にしていただきたい。亡くなられた方のご冥福と負傷された方々の一日も早いご全快を心から念じてやまない。
 「日本遺族会(会長・古賀誠自民党元幹事長)は8日、靖国神社に祭られているA級戦犯分祀の是非などに関する勉強会の初会合を東京都千代田区の九段会館で開く。昨年来A級戦犯合祀に対する昭和天皇の不快感を裏付ける証言・資料が相次ぎ、遺族会にも分祀容認論が広がっている。勉強会メンバーは現時点で容認派が過半数を占め、勉強会を続ければ分祀容認の結論は不可避の情勢。」(毎日新聞一面)と出ている。見出しも「A級分祀容認が過半数」「8日に初会合 昭和天皇の『不快』影響」と大きく出ている。富田朝彦宮内庁長官のメモ、卜部亮吾元宮内庁侍従の日記から、天皇陛下のお心、思いは十分伝えられており、私は素直に富田メモ、卜部日記をうけとめることが大事ではないかと思う。ここでは予見をはさむ必要はない。A級戦犯が合祀されてから昭和天皇が靖国参拝をしなくなったことを考えなくてはいけないと私は思う。
 8時55分羽田発で釧路へ。正午から釧路管内釧路町昆布森後援会国政報告会。連休最終日にもかかわらず百人以上の後援者が集まってくれる。女性部の皆さんの手作りのかじか汁、カキの酢漬け、フライ等カキ料理の数々、トキシラズ、ホヤ、特産品がテーブルに並び、お盆とお正月が一緒になったご馳走だった。美味しさもさることながら、何とも言えない人間味に感謝感激である。7月の参議院北海道地方区に出馬する多原香里さんも一緒で、多原さんも大いに人の心、情けを知って勉強になったはずである。人間関係に頭の下がる思いである。

2007年5月5日(土)

鈴 木 宗 男

 「日本と東南アジア諸国連合(ASEAN)は4日ブルネイで経済相会合を開き、経済連携協定(EPA)締結に向けて大枠で合意した。貿易自由化について日本が貿易品目及び貿易額の92%、ASEAN主要国が同90%でそれぞれ10年以内に関税を撤廃することを確認。8月までに具体的な自由化品目のリストを作る。投資・サービスの自由化も含め11月の首脳会議でEPA署名を目指す。」(日本経済新聞1面)と出ている。EPAが日本経済産業に及ぼす影響を十分精査しての、また、産業界に説明しての今回の合意だろうか。
 自動車、電気製品業界にとっては好都合かもしれないが、農業、水産業界はやっていけるのか。あまりにもスピードの早い市場開放という流れが、日本の将来にとって本当にプラスになるのか。十分各業界の声を聞き、やって欲しいものだ。新自由主義政策により地方は過疎化が進み、経済が低迷して泣いている。地方出身の政治家の声が聞こえないといった強い指摘がある。「EPA」も参議院選挙の争点にして、国民に判断してもらうことが必要だと私は主張していく。
 総務省が「こどもの日」にちなんで4日発表した統計人口によると、15歳未満の子供の人口は26年連続で減少。子供の割合は東京、京都で上昇。神奈川、愛知、大阪で横ばい。42道県は前年を下回り地方での少子高齢化が目につく。このデータからも、地方の活力のなさが見えてくる。競争原理、市場原理だけで生きてはいけない。水、空気、食料等、地方が地球環境と食料安全保障に多大な貢献をしていることを評価して欲しい。【勝ち組vs負け組】と格差を拡げるのではなく、公平配分、都市と地方の差をなくすのが政治だと、私は信念を持って主張していきたい。
 第一生命保険が全国の小学生以下の子供1,000人を対象にした「大人になったらなりたいもの」のアンケートの結果を発表した。男子は3年連続で「野球選手」、女子は10年連続「食べ物屋さん」だった。男子の2番目は「サッカー選手」でスポーツに憧れることは良いことだと思う。また、女子の「食べ物屋さん」にも何となくうなずくものである。
 五月晴れの空に鯉のぼりが泳いでいる。「こどもの日」、明日を担い、将来を背負って立つ子供達に、良い日本の姿を残していきたいものだと考える。

2007年5月4日(金)

鈴 木 宗 男

 3日モスクワで行われた日露外相会談で、両外相は「北方領土問題で日露双方が受け入れ可能な解決策を見いだすために交渉を継続することで一致した」とニュースになっている。今、こうした話になることが、そもそも日露関係、就中(なかんずく)日露間の最大の懸案事項である領土問題がこの6年間何も動いていなかったことを証明するものである。
 平成13年4月の田中外相の誕生が、橋本、小渕、森首相とロシア側とで築いてきた信頼関係を壊してしまった。その次の川口外相も含め、空白の4年間だった。また、その後の外相も「2+2」「2+α(アルファ)」といったロシア側のシグナルを読み切れず、また、真摯(しんし)に受け止めないで来てしまった結果である。 平成13年3月25日のイルクーツクにおける森−プーチン会談での森提案が領土問題解決の一つの大きな糸口であったと考える時、田中外相の誕生は国益を大きく損ねることであったとつくづく思う。
 外交は積み重ねである。過去の約束、決定を遵守(じゅんしゅ)することが更なる信頼関係の醸成(じょうせい)につながっていく。基本が出来ていない、勉強をしていない大臣が出てくると大変な事になることをお互い認識し、検証する必要がある。外交は国益に直結し国民生活に大きな影響を及ぼす。国民等しく外交の重要性を、この際考えていきたいものだ。
 家内の父の十三回忌法要で広島県呉市豊町に行く。家内の実家は瀬戸内海の大崎下島と言う島で豊町というところである。そこの豊町観光協会から観光大使になって欲しいとのお話があり喜んで受ける。これも義父の十三回忌法要でのご縁であり、生前私のことをいつも心配してくれた義父の導きとも感じながら豊町の御手洗(みたらい)にある豊町観光協会を訪ね説明を受ける。脇坂進さん、石田雅恵さんに御手洗(みたらい)の歴史的な由緒ある場所をご案内戴く。34年間豊町に来ていながら、初めて遺跡、名所に触れ、ただただ感激である。
 観光客も来ており記念写真を撮る。ご縁に感謝しながら、家内の故郷の人情を知ることもでき、心(なご)む一日だった。

2007年5月3日(木)

鈴 木 宗 男

 日本高校野球連盟は二日、スポーツ特待制度を採用していると申告した高校は382校、いずれも私立校で日本高野連に登録している773校の半数近くにあたると発表している。最終集計では、さらに申告校は数十校増えそうだという。脇村春夫日本高野連会長が「非常に数が多いことに驚いている」と他人事(ひとごと)みたいな表現をしているが、スポーツ特待制度の問題点は以前から言われており、また「野球留学」という言葉もつかわれてきたではないか。「脇村会長のしらじらしい言い方は、教育上よくない」と、言った声が私のもとに寄せられる。私もそう思う。高校野球だけが何か特別に聖域化されるようなやり方は、いかがなものだろうか。
 高校生の他競技でも同じようなことが行われていると聞く。「違反」を放置していたのは高野連であり、まず高野連が責任をとるべきではないか。生徒には何ら問題なく、組織の問題である。脇村会長がどのようなけじめをつけるのか見守りたい。
 今日は憲法施行60年である。高まる憲法改正論議に対して、改めて私は冷静にかつ時間をかけ、拙速な議論はつつしんでいこうと訴えたい。安倍首相は三日付談話を発表し、その中で戦後レジーム(体制)からの脱却を言うが、国民一人一人の理解のもとで進められるべき重要課問題である。集団的自衛権行使に関する政府の憲法解釈見直しにも意欲を見せているようだが、「議論に議論を重ね、そこで得た結論はお互い責任をもつ」という民主主義の大原則をしっかり守った上で進めてほしいものだ。

2007年5月2日(水)

鈴 木 宗 男

 今日の産経新聞3面に、安倍首相が1日、ドーハ市内のホテルで同行記者団と懇談した事に触れ、「『政治とカネ』の問題で、事務所費で5万円以上の支出を計上した際には領収書を添付するという公明党案に、自民党内に慎重論が根強いことに関して、『最後の段階で私の判断が必要であれば、党総裁として判断したい』と述べ、政治資金規正法改正に強い意欲を示した。」という記事が出ている。国民からすれば、5万円という額の大きさにビックリしている。生活感のない話だ。
 私はかねてから5千円以上の領収書添付を主張している。5千円でも国民は不満に思っているかもしれない。情報の透明性の確保、情報の開示を政治家自ら率先して実行すべきである。安倍総裁自らが「5千円以上の領収書添付が国民の声だ。私もそう思う」と言えば済む事である。良い判断は速やかにして戴きたいものだ。
 東京新聞が熱心に「緑資源機構」の官製談合について報じている。日本歯科医師政治連盟の裏金、自民党の迂回献金も東京新聞で重要な事が資料付きで連日報じられたが、事件になる事はなかった。東京新聞の報道は正確で事実に基づくものだったが、日の目を見なかった。今回も極めて精度の高い記事だと読みながら感じる。今後の展開を注意深く見守っていきたい。
 午前中雑誌「オフレコ」の対談、TVのインタビュー。午後の新幹線で浜松に向かい、会合出席。連休の間で議員会館も静かで、なんとなくノンビリしている。7月の参議院選挙に出る人は毎日が選挙戦だろう。後2ヶ月、世の中の風がどの方向に吹くのか、有権者が何に関心を持ち、どんな政治家を求めるのか、今から楽しみである。

本日提出した質問主意書2件
142 北方領土交渉の今後の展望に関する質問主意書
143 政府開発援助(ODA)に対する外務省の認識に関する質問主意書

2007年5月1日(火)

鈴 木 宗 男

 未解決の凶悪事件などに警察が公費で懸賞金を出して情報提供を呼びかける「公的懸賞金制度」がスタートする。上限300万円で広告期間は1年。せっかくの制度がいかされる事を望みたい。
 同時に、地道な捜査という基本が守られないのではと、懸念、心配する声もある。隣人はじめ人と人とのコミュニケーションが少ない今の社会で、他人に対する思いやりやいつくしみを大事にするという点からも、正しい情報、何よりも「事実」を伝える事が重要である。検挙率が著しく低下し、世界一安全といわれた日本の治安が揺らいでいる時の新しい試みに、私も関心を持って対処していこうと思う。
 日本経済新聞1面で、富田メモ研究委員会が30日最終報告をまとめ、富田メモを昭和史の一級資料と評価する記事が出ている。
 「特に昨年7月、本紙が報じたA級戦犯靖国合祀ごうしに不快感を示した昭和天皇の発言について『他の史料や記録と照合しても事実関係が合致しており、不快感以外の解釈はあり得ない』との結論に達した。
 精査したところ、『明治天皇のお決めになって(「た」の意か)お気持ちを逸脱するのは困る』などと昭和天皇の靖国への思いを記した新たな走り書きが見つかった。日付は1988年5月20日で、天皇が『だから 私あれ以来参拝していない それが私の心だ』と述べた同年4月28日から約3週間後。
 天皇は『松平(永芳)宮司になって 参拝をやめた』と話し、4月のメモでも述べていた『松岡(洋右元外相)』『白取(白鳥敏夫元駐イタリア大使)』の名を5月20日にも繰り返している。」

と書かれている。先般の卜部侍従長の日記からもその事は十分読み取れるが、天皇陛下のお心がはっきり示されている。私は天皇陛下のお心を大事にしていきたいと思う。改めて貴重な、重い富田メモであり、その後の卜部日記と言えるだろう。
 午前中議員会館で仕事をし、12時から19時まで、横浜・みなとみらいでTBS(北海道はHBC)「キャプテン☆ドみの」収録。スタジオで様々なアトラクションに挑戦する番組で、みのもんた司令官のもとでゲストチームのキャプテンを務め、ドみの☆ワールド、ステップテニス、ザ・ボディビート、セブンフラッシュのゲームを行う。5月12日(土)19時56分から20時54分の放送である。
 4月26日のムネオ日記に書いたが、同日の毎日新聞2面「発信箱」欄に書いてある丹波實元駐露大使の発言について内容証明文書を出したところ、今日丹波氏から葉書で回答が来ており、その全文を紹介したい。

 お元気のようで何よりです。
 私の発言は、町田氏との雑談の中で、「10年」という数字を使ったかは憶えていませんが、現在のプーチンの立場、プーチンの後継者もプーチンの立場をとるであろうから、今后当分の間ロシアの固い立場は変わらないであろうとの観測の下に、日本にとっては当分ガマンの時になるであろうと言ったまでのことです。
 御活躍をお祈り申し上げます。
平成19年4月27日
丹波實


 丹波氏は「町田氏との雑談の中で」と言っているが、エリツィン前大統領が亡くなって直後のデリケートな時期に、ロシアの専門家であり、かつ駐露日本大使まで務め、ロシア外交に大きな影響力を持ってきた丹波氏が「10年は動かない」とは軽々に言ってはいけないことではないか。雑談で言ったものを記事したと言うならば、記者との信頼関係の上で、発言内容を精査すべきではないのか。いずれにせよ、領土問題解決を心から願う者として、軽率な発言には納得がいかない。

◎ 本日提出した質問主意書1件
・ 141 実効支配の定義等に関する質問主意書


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