月刊「GON!」1995年10月号 |
イモムシ女と暮らした男 |
イモムシ女の話、どこまで出てくるのか、ちょっ っと気にして 「GON」を買っていましたが、八 月号記事で打ち切りにするとのことなので、私の 話も、もう送ってしまいます。 私の友人でKという男の話です。彼はイモムシ女 の世話を二週間もするというパイトを経験しました。 Kは、それほど口が上手い方でもなく、いつも二コ エコしていて、生真面目なところもある男でした。 彼にほ、中国系フィリピン人の留学生でSという 友人がいました。 二人がどこで知り合ったのか知りません。Sのこ ともほとんど知りませんが、Kの口からSのことを ちょいちょい聞いているし、駅の待ち合わせとか喫 茶店でわずかの時間ですが同席したことがあるので、 実在の人物であるのは間違いありません。冗談を連 発する陽気なタイプだったと思う(その時だけだっ たのかも知れないが…)。 1984年頃の話だと思いますが、あるとき、二 人が居酒屋だかスナックだか(場所も聞いたかも知 れないが忘れた)で猥談していて、たまたまSMの 話になったとき、Sが「普通のSMなんてメじゃな い、すごいのがある」といって例のイモムシ女の話 を教えてくれたそうです。Kはその時は表面では驚 きながらも内心では半信半疑でした。 そのわすか数日後、Kは香港に旅行に行くことに なったのですが、偶然Sもその期間中、香港に滞在 していることかわかり、二人は落ち会うことにして いました。 ところがKは、初日から財布をなくしてしまい(ス リにあったのだったかも。忘れた)困っていると、 Sが「自分はこれからインドネシアに用があって行 くが、そこにいいパイトがあるから一緒に行かない か」というのです。その仕事の内容を聞いて驚いた ものの、Sとはつきあいも長く信頼もあったので、 危険なんかないという言葉を信じて(それにどうせ 一文無しでどうすることもできないし、例のものに 興味もあって) ついていったのです。 場所はインドネシアの首都(けっこう開けた都会 だという以外、町名は教えてくれなかった)で、ア パー卜のような狭い部屋に、粗末なベッドとテレビ、 小さな冷蔵庫があり、Kはそこで、イモムシ女に食 事を与えたりシモの世話をしてすごしました。 初日、Kが待っていると、手足がなく裸で眠った ままの女の庫が運びこまれ、その娘は、手足の付け 根だったところにガ−ゼがあててあるだけ、包帯も 巻かれていないし下着とか服も一切ない全裸の姿で ペットに置かれました。胸はCカップぐらい。ガー ゼが大きくて股間もかなり隠れていましたが、盛り 上がった恥丘は、なぜか(足の切断手術のため?) 陰毛が剃られていました。 その女の子が目ざめ痛がって叫んだのを聞くと日 本語ではなく、初めの頃、毎日来て痛み止めらしき 注射(モルヒネ?)をして帰っていたSによると、 香港ででさらわれた子だいいう。 Kは毎日、薬とガーゼを取り替えてやったが、腕 を切ったところを触ると胸からすぐ背中に、肩の上 からすぐ脇に下にいってしまい、足を切ったところ は撫でると、下っ腹からすぐお尻に手がいってしま うというふうに、腕も足も付け根から(関節から) 全く無い状態なので、ガ−ゼを取ってしまうと性器 も肛門も丸見えになり、年中大股開きしているよう な感じでした。切ったところも皮膚は縫ってあり、 病院でのちゃんとした手術のようにも思えたので、 これもSに聞くと「手術したのは新人の外科医で、 マフィアに押さえられてる医者や病院はいくらでも あり、しかたなく練習を兼ねて、ヤミ手術をするの だ」という。 初めはまったく動くこともできないが、二、三日 するとモゾモゾ動きだし、その様子は確かにイモム シにそっくりだが、四、五日目あたりになると寝返 りをうったりする、その横子がこの世の物とは思え ないほどエロティックで何ともいえないほどだった そうです(さらに何日かすると、床の上を転がった り、だるまのように起き上がったりできるようにな るので、食事は皿に盛って犬食いさせろといわれた)。 途中でイモムシ女が死んでしまうとバイト代がゼ ロになってしまうのですが、排泄物のバイキンが足 を切断した傷口から入って炎症を起こすと、七、八 割は助からないそうです。しかし清潔とは程遠い状 態で、ハエはたかるし、それでバイトの仕事は、マ メにシモの世話をすることで、どうしても神経質に なります。 おしっこは、部屋にあった女性用のしびんで取っ てやっていましたが、散らばってこぼれてしまうの で、そのうち海水浴場で使うような古ビニールシー トを(面倒なので)普段からお尻の下に敷きっ放し にするようになりました。Kは、外出が自由で、出 る時には、平べったい形の便器をお尻の下にあてが いっ放しにしました(初めの頃は、帰ってみると、 おしっこが飛び越していたり背中にまわったりして たりしていたが、やがてそういうこともなくなった)。 うんこやおしっこを拭く紙は、三日でなくなリ、 使用済みのガーゼで拭きました(外出はできたが金 がないので神を買えなかった)。 シモの世話も初めの数日は、SM趣味的にもエロ ティックな反応や恥ずかしそうな顔がよかったので すが、すぐ飽きて嫌になってしまいました。 そういう時期も過ぎ、だんだん情が移ってきて愛 着が湧いてきた頃、おしっこを拭き終わったのに「オ シッコ、オシッコ」と何度もいうので、オナニーが したいのだと気付いたこともあった。(彼女は「うん こ」と「オシッコ」と「ハラヘッタ」だけ日本語を おぼえた。ほかは広東語らしき言葉をよくしゃべっ ていた)その頃には、Kが外出すると不機嫌になる ようにもなっていました。 Kは事前にいわれていたとおり、十二日目に、両 腕両足を切断した傷口の抜糸をして、風呂に入れて 全身をくまなく洗ってやった。その日あらわれたS は「この仕事気に入ったろ」と笑っていった。 最終日(二週間目)また来たSは、「イモムシ女に おむつをして一緒に来たオバサンに引き渡した。見 せ物小屋(?)では、つききりでシモの世話をして くれるはずもなく、これから生渥ずっと(ショーの 時以外?)おむつ人生なのでしょうか?Kは最後に 彼女とセックスしようかと思ったのですが、万が一 バレた時「商品をキズものにした」とか何とか、か らまれるとヤバいと思い、結局やめたそうです。K は金をもらい、Sと二人で香港経由で日本に帰りま した。 以上は1984年頃のことだったと思いますが、 二年後、また同じ什事の機会があり、今度は私も誘 われたのです。前から話は聞いており「俺も行く」 といっていたのですが、どうしてもはずせないスケ ジュールができ結局いけませんでした。Kは今回は、 日本からいろんな家財道具や材料を運びこんでいき ました(1986年頃。うろおぼえだがこの回も前 回も四月中のことだったような気がする。季節労働 なのか…?)。 しかしKは、帰路、香港から直接メキシコに渡っ てしまい、帰ってきませんでした。国際電話が入っ た時、それとなくイモムシ女の事を聞くと、二回目 の時は一度に三人、しかも日本人の娘ばかりだった そうです(このときは切り落とした四本の手足を持 って来て、本人たちの見えるところに置いたりして いじめたそうでず。その一人は重症の痔でたいへん だったとか、またもう一人は五日目に死んだとか聞 きました。またこの時も結局セックスはしなかった そうです)。 その後、Kから時々来るはがきは、都内からなの で、いつの間にか帰国していたようですが、二回目 のイモムシ女の仕事の話はメキシコから国際電話が きいたときの一回しか聞いていません(二回とも写 真を撮ったと言っていたような気がする)。 今から九年も前の事なので、記憶も曖昧なところ があり、今はKとも連絡がなく、詳しく聞き直す事 もできません。似たようなウワサが結構あるという ことを、二、三年前から聞いていましたが、たくさ ん集めたのは『GON!』が初めてではないでしょ うか。どうか『GON!』編集部の力で、話の全貌 を明らかにして頂けるようにお願い致します。
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追伸
書き忘れていたことがありました。
@ メキシコからの電話の中で、Kがいっていたのですが、イモムシ女はもと
もとインドネシアの何とかいう部族の、大昔からの宗教的風習(詳しくは、聞
いたけど忘れた)で、中国人たちがインドネシアに初めて侵入してきた頃は、
それを捕まえて見せ物にしたのでしたが、やがてその部族が消滅したため、見
世物小屋が自前で作るようになったのが始まりだそうです。
A 数年前から知れている似たようなウワサ話では、手足を切られた女性はイ
モムシ女ではなく、牛のような姿の「牛女」と呼ばれていました。当時から不
思議でならなかったのですが、女性の手足をどこから切ったって、牛のような
姿には全然見えない。
こう思うのは私だけでしょうか? どういう訳で 「牛女」なんでしょうか。
文・K/T(東京)
(編集)とっても怖い原稿をどうもありがとうございました。
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