Feb. 6 〜 Feb. 12
Figuring Out Figure Skating
今週金曜日、2月10日から トリノのウィンター・オリンピックがスタートしたのは周知の通りだけれど、
今回のオリンピックはさすがにデザイン王国、イタリアの開催とあって、スタジオ・オリンピコからメダルに至るまで、
デザインの斬新さや優秀さが指摘される大会でもあったりする。
その開会式についてアメリカのメディアがこぞって指摘したのは、選手入場の行進曲としてナツメロ・ダンス・ミュージックが使われていたことで、
あまりに懐かしい選曲は、最先端かつモダンなデザインがあらゆる競技施設やディテールに見られる
大会とはあまりにかけ離れたものだった。
ことに今もゲイ・カルチャーの象徴として揺るぎない ”ヴィレッジ・ピープル” のヒット曲「YMCA」
が流れた時には、アメリカのオリンピック放映局、NBCのアナウンサーが「この曲で行進する国は、一体どんな気持ちなのやら?」と
察するコメントをしていたけれど、それほどに選手入場の選曲はポップ・カルチャーに関する深い配慮が感じられない、あっけらかんとしたものだった。
ところで、そのアメリカのNBCのアナウンサーが日本選手団が登場の際にどんなコメントをしていたかと言えば、「長野大会のホスト国。
ソルトレイクでの結果は芳しいものではなかった。」ということに加えて、「日本はフィギュア・スケートでメダルが狙えると言われているけれど、
日本のベスト・スケーターであり、世界でもトップ・クラスのマオ・アサダは、未だ15歳で、オリンピック規定に3ヶ月及ばなかったために、
今回の選手団には加わっていない」として、唯一 名指しでコメントされたのは、その場を行進していない
浅田真央選手のことだった。
さて、その開会式の翌日からアメリカのメディアが騒ぎ立てたのは、今回のアメリカ選手団で最も知名度が高い、フィギュア・スケートの
ミシェル・クワンが出場を断念するかもしれないというニュース。
ミシェルは本来オリンピック選手を決定するUSチャンピオン・シップに怪我を理由に出場しておらず、彼女のオリンピック参加は、
USフィギュア・スケート協会がミシェルのために行った特別選考会によって1月27日に決定したものであった。
すなわちフィギュア・スケート協会は、そんな特例を認めてまでミシェルを出場させたかった訳だけれど、土曜の練習セッションで
4回ジャンプに失敗した彼女は15分でリンクを去り、その後の記者会見で、この日は朝から身体がこわばっていたこと、
そして体調によっては、出場断念もあり得る可能性を明らかにしたのだった。
その理由として彼女が述べたのは、「開会式で4時間も寒い屋外に座っていたことが身体にこたえた」ということだったけれど、
同日の夜中にはミシェルはドクターの診察を希望。そして、トリノの現地時間の日曜朝、アメリカ東部時間の土曜夜中1時には、
今大会の出場断念を正式に発表したのだった。
ミシェルの記者会見の模様は、アメリカ東部時間の日曜 午前5時半から生放送され、その後 1日中、メディアでは
この記者会見の模様が報道されていたけれど、これにによってチャンスが回ってきたのは、
ナショナル・チャンピオンシップでサーシャ・コーエン、キミー・マイズナーに次いで3位に入賞し、
本当ならばこの時点でオリンピック出場が決定していたはずのエミリー・ヒューズ、17歳。
多くのメディアは、無名の彼女を、「前回、ソルトレイク大会のゴールド・メダリスト、サラー・フューズの妹」と紹介しているけれど、
ソルトレイクで金メダルを有力視されながら ブロンズ・メダルに泣いたミシェルに代わって、当時16歳のサラー・ヒューズが
完璧なロング・プログラムの演技でゴールド・メダルとメディアのスポットライトを獲得したのは未だ記憶に新しいところである。
こうしてフィギュア・スケート協会のいわゆる「政治絡みの決断」に涙を呑んだかに見えたエミリーは、トリノ時間の日曜午前に
正式にアメリカ選手団入りが認められることになったのだった。
このオリンピック開催後の交代劇は、今回のオリンピックの「最初のスキャンダルであり、ドラマである」と多くのメディアが指摘していたけれど、
フィギュア・スケートといえば、前回ソルトレイク大会のペア演技の採点をめぐる騒動や、
ナンシー・キャリガンを夫と友人に殴打させたタニア・ハーディングの事件など、スキャンダルやドラマが付き物の競技。
ことに地味な競技が多いウィンター・オリンピックの中にあって、フィギュア・スケートは 圧倒的に視聴率の高い競技で、
ソルトレイク大会の女子シングルの演技には 全米の3000万人以上がチャンネルを合わたことが伝えられている。
ちなみにフィギュア・スケートの4種目で、女子シングルに次ぐ視聴率となっているのがペアのフィギュア・スケート。
次いで男子シングル、最も人気が無いのはペアのアイス・ダンスである。
過去のオリンピックで最高の視聴率を記録したのは、先述のナンシー・キャリガン&タニア・ハーディングのスキャンダルが話題を集めた
1994年のリレハンメル大会。
今やアメリカ市民となった ウクライナのオクサナ・バイウルがナンシー・キャリガンを僅少差で破ってゴールド・メダルを獲得した際で、
この時の放映は アメリカTV史上第6位にランクされるメガ視聴率を獲得したのだった。
でも、フィギュア・スケートの視聴率が高いのはオリンピックに限ったことではなく、
フィギュア・スケートのプログラムは、女性を中心にコンスタントに高い視聴率を獲得しており、
時に、中年、中流男性を中心に人気を博しているナスカー・レースの 女性版 のように語られるスポーツ・イベントである。
しかしながら USフィギュア・スケート協会の発表によれば、フィギュア・スケートファンはナスカー・ファンよりも裕福であるとのことで、
そのアヴェレージの年収は9万ドル(約1千500万円)と 全米平均の約2倍。また教育レベルも高く、71%が大学卒業者であるという。
その一方で、裕福でなければ続けられないのがフィギュア・スケートの選手で、トーナメント参加クラスの選手にとって、
フィギュア・スケートは最も高額と言われるスポーツである。
その華やかな衣装代はもちろんのこと、スケートの実技を左右するシューズは 選手の滑りに応じたカスタム・メイドは当たり前。
シューズ本体と、それとは別に制作されるブレード を加えた 1足の総コストは 700ドル(8万3000円)以上。
これを3〜4ヶ月ごとにオーダーしなければならないのだそうで、加えてコーチやトレーナー、選任ドクターに支払うフィー、
リンクの使用料など、多額の出費を強いられるスポーツなのである。
ミシェルの辞退によってオリンピック参加が決まったエミリー・ヒューズは、ヒューズ家がサラーに次いで生み出した
2人目のオリンピック・スケーターとなったけれど、彼女ら以外にもヒューズ家には現在28歳で、弁護士となった姉が
オリンピック・フィギュア・スケーターを目指した時期があり、彼女らを含む7人兄妹を擁するヒューズ家が 裕福な家庭であることは推して知るべしである。
そのヒューズ家のゴールド・メダリスト、サラーは現在スケートをお休みし、イエール大学の2年生としての日々を送っているけれど、
フィギュア・スケーターがこのような一流大学に進むというのは極めて異例なこと。ファンが高学歴であるのに対し、
フィギュア・スケート選手は、大学はもちろん、高校さえろくに出ないでスケートに打ち込む例が殆どであるという。
スケーター達の学業がそっちのけになる理由は、親達がそれを容認しているためで、子供をオリンピック・フィギュア・スケーターに
育て上げたいと思う親達にとって、子供達は言わば投資対象。
一度、オリンピックに出場して、クリスティ・ヤマグチ、タラ・リピンスキーのようにメダルを獲得してくれれば、
広告出演料や、全米で開催されるフィギュア・スケート・ショーのギャラ、バイオグラフィー(自叙伝)の出版といった
ビジネスが転がり込んでくる訳で、数億円を稼ぎ出すのは いとも簡単な事なのである。
このため 中には、トーナメントでの娘の滑りが悪いと虐待する親も居るというし、体重が増えないように無理なダイエットを強要する例も
少なくないという。
また親に強要されるまでもなく、フィギュア・スケーターは拒食症が多いことでも知られており、美しい銀盤の上の演技の背景には
様々なアグリーなドラマが展開されている訳である。
そもそもフィギュア・スケートの世界では、歴史的にペアはロシア、女子シングルはアメリカが強いというシナリオが成立しており、
事実、アメリカは古くから、1968年のペギー・フレミング、76年のドロシー・ハミルといった、ゴールド・メダリストを生み出し、
彼女らはオリンピック・スーパースター 兼 カルチャー・アイコンとして もてはやされて来た存在である。
特にドロシー・ハミルは、そのスピンの際に弧を描くショートヘアが「ハミル・カット」として、「チャーリーズ・エンジェル」のファラー・フォーセットや
ジェニファー・アニストンの「フレンズ」のレイチェル・ヘア同様のセンセーションを巻き起こしているけれど、
このハミル・カットを手掛けたと言われるのが、ニューヨークで活躍していた今は亡き日本人ヘア・アーティスト、須賀雄介氏であった。
ミシェル・クワンの出場辞退に話を戻すと、彼女は 世界選手権で5回チャンピオンに輝き、USチャンピオンシップで9回の優勝経験を持ち、
オリンピックでもシルバー、ブロンズの2つのメダルを獲得している、フィギュア・スケート史上、最も輝かしいキャリアを持つスケーターである。
でも今日、彼女が正式に出場断念する以前から メディアは、改定された採点システムがミシェルにとって不利であること、
そして治癒の遅れが伝えられていた彼女の怪我を考慮し、今回のオリンピックで
決して彼女がゴールド・メダルの最有力候補とは言い難いことを指摘していたのだった。
さらに土曜日に彼女の転倒を目にしたスポーツ記者からは、「今回のオリンピックに参加しないことは
彼女の輝かしいキャリアを傷つけないけれど、怪我という言い訳があったとしても オリンピックの大舞台で惨めな演技を見せることは
ミシェルの今後のキャリアや評判を傷つける」という声も聞かれており、同時に 自ら男子フィギュア・スケートのゴールド・メダリストで、
現在解説者を務めるスコット・ハミルトンは、「ミシェルが最もゴールド・メダルを獲得する可能性があったのは、長野大会だったと思う」
とコメントしていたのだった。
私も、この2つのコメント、特にスコット・ハミルトンの意見には全く同感で、確かに長野ではシルバー・メダルに終わったミシェルと、
ゴールド・メダルに輝いたタラ・リピンスキーの実力はほぼ同じくらいだったと思うし、ミシェルがロング・プログラムをノーミスで滑り終えた時、
誰もが彼女のゴールド・メダルを確信したのを今でもはっきり覚えていたりする。
でもその後登場したタラ・リピンスキーがミスを恐れながら滑ったミッシェルとは好対照の、はじけるような演技を見せてゴールドをさらって行ったというのは、
2人の大会期間中の行動をそのまま反映したものだった。
開会式に参加せず、遅れて長野入りした上に、選手村を避けてホテルに滞在し、練習以外はホテルにこもり切りだったミシェルは、
USオリンピック委員会の眉を吊り上げたと言われるけれど、この時の彼女以来、
冬季オリンピックで選手がホテルに滞在するのは珍しい事ではなくなってしまった。
反面、タラは選手村に滞在し、先輩スケーターであるトッド・エルドリッジの演技やホッケーの試合を観戦し、
様々な国の選手と積極的に触れ合ってオリンピック・ムードを満喫しており、
この段階で、2人の精神面での調整に大きな差が出ていた様子がレポートされていたのである。
さて、今大会で、ミシェルが出場しても、しなくても、アメリカ選手の中では 最もゴールド・メダルに近いと言われているのは
前回のソルトレイクで4位に甘んじたサーシャ・コーエン。
彼女が先ごろ出演したトークショーで明らかにしたところによれば、
ソルトレイクではテロを警戒した荷物検査が厳しく、選手と言えど、スポーツバッグの中身を全て取り出さないと会場入りが出来なかったという。
ところが、その荷物検査でサーシャが置き忘れてきたのがタイツ。
女子フィギュア・スケーターは、ストッキングのように見える厚手のタイツを履いて滑っており、これを着用しないで
演技をするのは不可能。
サーシャがタイツが無いのに気付いたのはロング・プログラムを滑る直前で、
真っ青になった彼女は 控え室の中を、「誰か余分なタイツを持っていない?」と聞いて回っていたものの、誰も返事をしてくれない。
サーシャが”タイツを忘れてオリンピックに出れなかった前代未聞のスケーター”になるのを覚悟し始めた時に、
親切にも 自分が履いていたタイツを脱いで 彼女に差し出してくれたのが 他でもない日本人スケーター。
サーシャはそれが誰だったかまでは 覚えていないのか、語らなかったけれど、この日本人スケーターは、
サーシャが滑れば自分のランキングが下がる可能性が高いことを承知で タイツを提供した訳で、
敵に塩を贈るような事を決してしない フィギュア・スケートの世界において、
このことは「極めて稀な美談」と言える出来事だったと思う。

執筆者プロフィール
秋山曜子。 東京生まれ。 成蹊大学法学部卒業。
丸の内のOL、バイヤー、マーケティング会社勤務を経て、1989年渡米。以来、マンハッタン在住。
FIT在学後、マガジン・エディター、フリーランス・ライター&リサーチャーを務めた後、1996年にパートナーと共に
ヴァーチャル・ショッピング・ネットワーク / CUBE New Yorkをスタート。
その後、2000年に独立し、CUBE New York Inc.設立。以来、同社代表を務める。
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