December 01, 2007

月瀬優より。

以前東京図鑑エンタテインメントに所属していた時にお世話になった方、関係者様、今回初めて私を知っていただいた方々へ。


こんにちは。
月瀬 優です。
この度、東京図鑑エンタテインメントに再度所属させていただきました。
これから東京図鑑に所属している一人のタレントとして、がんばっていきたいと思っております。
しかしその前に、私には皆様に言わなければいけないこと、謝らなければいけないことがたくさんございます。
私自身の意志で、ここに新しい月瀬 優、初めてのブログ記事としてお話させていただきたいと思います。

 ご存知の方もいてくださると思いますが、以前東京図鑑エンタテインメントに月瀬 優という名前で所属しておりました。
まずはその時東京図鑑エンタテインメントに入った経緯をお話したいと思います。私は元々コスプレイヤーとして水瀬 優というコスチュームネームで中学生の頃から活動しておりました。
コスプレイベントに参加したり、撮影会に参加したり、又、もともと芸能活動をしたいという気持ちが幼少の頃から強かったので、高校生になる頃にはコスプレイヤー兼ネットアイドル「水瀬 優」としてネットアイドル総合サイトや、ランキング、撮影会開催業社に履歴書を送り、撮影会モデルとして活動しておりました。
その時、私がモデルとして所属していた、とあるネットアイドルの有料写真閲覧サイトがあるのですが、今でもそこには私のスプレイヤー水瀬 優としての、私の名前が残っております。
プロフィールも残っております。
デジタル写真集も残っており、現在も販売されております。
デジタル写真集などを出していくうちに、
「このままではちゃんとしたタレントとして活動できない。
 小さな一人のネットアイドルとして活動して終わりだ。
 まずは事務所に所属し、ちゃんとした指導を受け、活動していかなればいけない」
と思った私は、デジタル写真集を発売していた会社の社長に相談いたしました。
その時に紹介されたのが、東京図鑑エンタテインメントです。
しかし、当時の私はすごく太っており、56kgという明らかに身長と似つかわしくない体重でした。
そして精神もとても弱く、リストカットをするという事で、自分の存在を確かめていた過去もございました。
その傷跡は今も残っております。
そんな私に東京図鑑エンタテインメントの社長はおっしゃいました。
「まずは10kg体重を落としてみせろ」と。
私は必死に努力いたしました。
せっかくのチャンスを逃すわけにはいかないと思ったのです。

ランニング、ウォーキング、縄跳び、半身浴、腹筋、背筋、腕立て伏せ、食事管理。

上に書いたことを毎日行いました。
もともと運動が苦手だったインドア派な私でしたが、駅まで歩き、走り、縄跳びをし、朝起きたら腹筋、背筋、腕立て伏せをし、その後夜は半身欲を3時間いたしました。
食事管理は主食を野菜にし、甘いものを3日に一度クッキー一枚程に控えました。
その結果、一ヵ月半弱で、私は10kgという体重をおとしてみせることに成功いたしました。
そうして私は東京図鑑に所属することになりました。
しかし所属してからは大変な日々でした。
体重管理や体系維持はもちろん、歌の練習、ブログの更新、撮影会。
そしてなによりも作品を出したい出したいという気持ちばかりが先走り、そんな所を社長によく咎められました。
そんな時に東京図鑑恒例のファンの方と行っしょに行くツアーのお話しがあり、そのイベントに参加させていただけることになりました。行き先はバリ島です。
とても楽しみにしていたバリ島ツアーですが、私には精神的にも肉体的にもハードすぎました。
そして、私は事務所や先輩である杏野はるなさんに対し、精神的な恐怖と不信感を覚え、事務所を辞めました。
その理由は「お客様に対しての対応や、作品に関しての責任感の持ち方が異常なくらいに高く、普通ではない」と思ったからです。
また、グラビアアイドルから成長していきたかった私は、グラビア関係の仕事ができないのを自分の努力不足だと思わず、事務所のせいにし、東京図鑑エンタテインメントという事務所を大嫌いになり辞めました。
もうこの業界には戻ってこないと約束をして……。

しかし私はその約束を破り、スカウトされたとある事務所Aで着エロ系グラビアの仕事をはじめました。
その当時、グラビア界はU−15ブームでした。
新しい事務所Aの社長はおっしゃいました。
中学生として売っていこう、と。
私はそれを了承しました。
年齢を詐称することは悪いことだとわかっておりました。
しかし、少しでも売れたい、作品を出したいという気持ちの方が強く、また事務所Aのそれが方針だということも知り、自然と自分が中学生グラビアアイドルとして売り出されることにも拒否感を覚えなくなりました。
そして最終的には、開き直るという一番悪い形に気持ちが終わり、
「みんな年齢詐称しているんだから」
という気持ちで仕事をはじめました。
仕事はたくさん与えられました。
東京図鑑エンタテインメントにいた時とは違う、過激なDVDの仕事です。
仕事はどんどん過激になっていく一方でありました。
批判中傷はたくさんありました。
水瀬 優としての過去は形としてネットに残っているので、すぐに年齢を詐称していることはばれました。

デブ
不細工
年齢詐称
どうせAVにいって終わり
コスプレイヤーだった過去をばかにされもしました。

そしてある程度のDVDを出したとき、私はその社長から移籍の話をされ、事務所Bに移籍することになっておりました。
私の意志とは関係なく、その事は事務所Aの社長と事務所Bの社長との間で決まっておりました。
事務所Bでは年齢を実年齢に戻したいという私の強い希望のもと、実年齢に戻し、全く新しい芸名でスタートされました。
しかし事務所Bでの仕事は事務所Aでの仕事よりももっと過激なものでした。
頭ではわかっていました。
私にはもうこのように過激なことをするしかないのだと。
求められていることもわかっていました。
もっとエロスを感じる動きや発言をしなくてはいけないことを。
しかし頭ではわかっていても心は追いついていきませんでした。

そして私は、その時初めて東京図鑑エンタテインメントの良さや、私に対しての優しさや愛情に本当に気づきました。
私がどんなに心がズタズタになろうとも厳しく咎めてくださったり、アドバイスをしてくださった社長や先輩。
私の本当の良さを着エロというエロスという形ではなく違う形で、違う意味で時間をかけてでも引き出そうとしてくれていた事を。
その時初めて心から東京図鑑を愛し、バリ島ツアーでの自分を情けなく思い、年齢詐称をして開き直っていた自分や、過激なことをすれば売れると思い、その結果追い詰められた自分を悔しく思いました。
そして、もう一度やりなおせるならばやりなおしたいと思いました。
私は謝るだけでもいい。
謝るだけでもいいので、今の自分の気持ちを伝えたいと思い、東京図鑑エンタテインメントにメールを送りました。
社長は優しく厳しいままでいらっしゃいました。
親身にまだ私の事を考えていてくださいました。
そして、「本当に身も心も入れ替えられるなら、自分に特技を身につけられるなら戻っておいで」とおっしゃいました。

特技は大好きな私のコスプレ1つに絞る事にしました。
変身願望の強い私はコスプレが大好きでしたし、アニメやマンガの世界、ゲームは苦手でもゲームを見ていることやキャラクターを見ていることが大好きだったからです。
特技はコスプレ。
笑われてもかまわない。
それでも私はコスプレが、そのキャラクターが大好き。
強い思いをもつようになりました。
そしてこのようにブログで自身の事を話すことも、どんなに批判中傷があろうと、やり直すためには、私にはしなくてはいけない事だと思いました。私は特別可愛いわけでもありません。
腕にはリストカットをしていた痕が今でも残っております。

こんな特殊な私ですが、東京図鑑エンタテインメントだからこそ私のよさを引き出してくれる。
私のしてきたことは、今思うと本当に恥ずかしいことでした。
陳謝いたします。
本当に申し訳ありませんでした。
謝って済む問題では無い事はわかっております。
それでも謝らせてください。
これから私はがんばります。

あせらず

でもすぐに

自分の本当のよさを見てもらうために。

長くなりましたが、これが私の精一杯の皆様への謝罪文です。
正直にお話した文章です。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
これから私には厳しい道が、たくさんあるのはわかっております。
それでも新しい私としてがんばりたいと思っております。
本当の私のよさを引き出せるよう、改めてがんばりますので、

よろしくお願いいたします。

月瀬 優 2007年 12月1日

Profile
月瀬 優
月瀬 優-Tsukise Yu-

所属事務所:東京図鑑エンタテインメント
生年月日:1989.01.02
星座:やぎ座
血液型:O型
身長:154cm
体重:44kg
スリーサイズ:B80 W56 H82
趣味:コスプレ(二次元も三次元もすき)
裁縫
文章を書くこと(心に残る個性的な文体がすき)
音楽鑑賞(切ない曲を好む)
ピンクがすき
「ありがとう」という言葉がすき
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