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ガラパゴス通信リターンズ

3文社会学者の駄文サイト。故あってお引越しです。今後ともよろしく。

 
 
Weblog / 2007-11-30 11:44:38

大人しい日本の私2

 日本とEU諸国とのこの違いは(日本はフリーターが無権利状態であるのに対してEU諸国ではフリーターの地位は恵まれている・訳者)何故生まれたのでしょうか。私見によれば、EU諸国は現在が労働市場が必然的に流動化する(頻繁に仕事を変わる、副業、短期雇用)脱工業化の時代であることを理解し、それに基づいて社会保障政策を改革していきました。他方日本は、無残なまでにこの大きな変化の意味を理解することができませんでした。そして自由民主党という、工業化の時代の政党がいまだに権力の座に居座っています。国家のこの化石化の結果、年長の世代のみが高度経済成長期の遺産の恩恵に浴するという状況が生じたのです。日本は脱工業化の社会へと変容することができませんでした。この国が経済を成長させ、競争力を高めるという哲学しかもちあわせていない中央省庁によって統制されてきたからです。私は若い世代が現在の窮境から近い将来解放される可能性は低いと考えています。この国は、若い人たちが社会保障政策の変革を求めてフランス式の街頭での怒りに満ちた暴動を続ければ、まず間違いなく真剣に反応することでしょう。若者たちよ!戦争に憧れることなかれ。そうではなくて内戦を始めるのだ。

 これは前回のエントリーに対してひろのさんが寄せられたコメントの翻訳である。ひろのさんには、もう翻訳はしてくれるな、といわれた。しかし世代間不平等の原因をめぐるこの本質的な問題提起が、英語を読むことを苦にしない人にしか読まれないのではあまりにももったいないと思った。とくに若い世代の方には是非読んでよく考えてもらいたい。

 世代間不平等を生じさせた原因を、ひろのさんは日本が工業化の時代のしくみを全然変えていないことに求めている。経済の構造は必然的に不正規雇用を増やしていくのだから、「正社員」のみが厚遇される高度経済成長期以来のしくみを変えないのであれば、若い世代が排除されていくのは道理である。

 「内戦をはじめるのだ」ということばは剣呑な印象を与えるかもしれない。しかし日本の若者の大人しさも、若者の置かれた状況が一向に改善されない一つの原因だと思う。いまの日本の若者の置かれた状況はひどい。自分の国なら若者たちの暴動が頻発してもまったく不思議のない状況だ。私は複数の海外の識者からこのことばを聞かされている。

 
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Weblog / 2007-11-27 10:18:25

若者を見殺しにする国2

 前回のエントリーに対して次のようなコメントをいただいた。若者たちは左翼知識人を愚弄した赤木さんに拍手喝采を送っているだけで、戦争待望論に共感しているわけではない。また赤木さんの執筆意図について、その方は次のように述べている。「…「戦争」は釣りの言葉で、「サヨクおじさんが、ボクたちの状況をなんとかしてくれないとグレちゃうぞ」」。赤木さんはフリーターの窮状を訴えたかったのだから、彼の戦争論を詮議することは論点のすり替えだとその方はいう。

 この方の言うとおりなのだと思う。しかし、だとすれば赤木さんはあまりにも志が低すぎはしないか。「ぼくたちの状況をなんとかしてくれないとぐれちゃうぞ」というのは、受身かつ依存的に過ぎる。「なんともしません。ぐれなさい!」と言われれば、そこで話は終わってしまう。「左翼おじさん」に毒づくのはよい。しかし、世代間格差の解消のための知的代案を提示するのでなければ生産的な議論にはならない。こんな甘ったれた書きっぷりでは、「若いやつらに大したことなどできはすまい」となめられるのがおちだ。

 この国の若者の置かれた状況はひどいものである。世代間不公正は広がるばかりだ。それこそ戦争待望論のような左右の過激思想とテロリズム、そして凶悪犯罪に走る若者が多数あらわれても、何の不思議もない状況である。ところが実際には若者の凶悪犯罪は全然増えてはいない。右翼的言辞が威勢よく飛び交っているのは、サイバー空間のなかだけのこと。リアルの世界では「右傾化した若者」の影もみえない。日本の若者は、海外の識者の目に異様に映じるほど「大人しい」。これは果たして健全なことなのだろうか。

 赤木さんのネット上での発言は06年を境に激変している。俗流若者論やクルマ社会を批判するリベラルなものから「すべては左翼が悪い」というトーンに変わった。この時期、赤木さんは東大先端科学技術研究所のジャーナリズムコースに通っている。そのことと、この論調の変化との間には何らかの関わりがあるのではないか。だとすれば、東大と朝日新聞という本邦2大権威が赤木さんにとってのメフィストフェレスだったということになる。

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Weblog / 2007-11-25 08:49:28

戦争と平和

くどいようだが赤木氏の戦争についての理解はでたらめである。フリーターがハッピーになる戦争などあるものか。彼はいろいろな統計に通暁しているようだが、それならイラク戦争のアメリカ人戦死者の統計をみてほしい。圧倒的に貧しい階層の若者が戦死しているはずだ。戦争も自然災害も、すべての人の上に均質に災厄が降り注ぐものではない。貧しい人、もたざるものに対してこそ、災厄は大きなものになっていく。

 授業で、91年の湾岸戦争の話をした。ヴェトナム戦争でメディアに自由に取材をさせたアメリカは、メディアに様々な悪事を暴かれ、ヴェトナムに敗れることになった。ヴェトナム戦争をメディアに敗れた戦いと位置づけたアメリカ軍部は、この戦争では徹底的な報道統制を行った。従軍取材は厳しく規制した。国防総省のプレスリリースが、メディアにとって概ね唯一の情報源だったのである。「戦争はイラクで起こっているのではない。統合参謀本部の会議室で起こっているのだ」とパウエル統合参謀本部議長が言ったとか言わなかったとか。

 学生に聞いてみた。「ブッシュ(シニア)大統領と統合参謀本部の軍人たちと、どちらが地上戦突入に熱心だったと思う?」。学生たちはみな「軍人」と答えた。地上戦をしたがったのはブッシュで、軍人たちは「イラク軍は非常に精強だ」といって戦端を開くことに非常に慎重だったというと、皆非常に驚いていた。文民は平和愛好的で、軍人が好戦的だと心底思っていたようだ。戦争に勝てば政治家は英雄になれる。国内の都合の悪い問題を全部ちゃらにすることができる。だから戦争をしたがる。軍人は万が一にも戦争に負ければ身の破滅だから、リアリズムに徹して慎重なのだ。ぼくがそう言うとみんな「なるほど」という顔をしてうなずいていた。

 戦争がなんであり、それはどうやってはじまり、どんな結果をもたらし、何故なくならないのか。それを学校でしっかり教えるべきではないのか。お涙頂戴の空虚な平和教育が、グロテスクな戦争肯定論を生み出す土壌だという思いを、最近強くしている。
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Weblog / 2007-11-22 11:06:07

犯罪と刑罰

『カラマーゾフの兄弟』を読み終わった。通勤の行き帰りの電車のなかで読み続けた。読書に熱中してしまい、なんど乗り過ごしそうになったことだろう。最後のイリューシャ少年が亡くなる場面では不覚にも電車のなかで号泣しそうになった。亀山郁夫先生の翻訳も素晴らしいの一語!現在東京外国大学学長の要職にあられるようだが、そんなものはテキトーに片付けて、是非『白痴』・『罪と罰』・『悪霊』等々も訳していただきたいものだ。

 この当時のペテルブルクは犯罪と自殺が短期間の間に凄まじいペースで増え続けていたらしい。まさに黙示録的世界であったようだ。自らもぺトラシェフスキー事件に連座して、危うく死刑になりかけた経験をもつドストエフスキーは、事件や裁判に強い関心を払っていた。『罪と罰』(この小説は本来『犯罪と刑罰』と訳されるべきだと聞いた)も、『悪霊』もそしてももちろん『カラマーゾフの兄弟』も、現実に起こった事件が下敷きになっている。

 何故ドストエフスキーは犯罪に注目したのだろうか。それは犯罪がいかに極端に歪んだものであったとしても、いやそれ故にこそ、その時代を映す鏡だからではないのか。永山則夫の連続殺人事件は、高度経済成長期と団塊の世代の精神的荒廃を象徴する出来事といえる。オウム事件にも、そして酒鬼薔薇の事件にも、時代と世代の病が色濃く反映している。

 若い世代の論客たちは、「若者たたきの神話崩し」に余念がない。彼らは「少年犯罪の急増凶悪化」が事実無根であることを明快に論じている。そのことじたいに異論はない。しかし、昔にも凶悪な少年犯罪はありました。いまの若者がとくに悪いわけではありませんといっていて、それでよいのだろうか。この若者に不利な状況のなかで、若者の犯罪が増えていないとすれば、もしかするとそこに、この国の、そして若者たちの病があるといえはしないか。そして、「昔から同じような犯罪はあった」ということで、事件の象徴性を論じようとする試みを封じることは、われわれの時代に対する認識を狭めることになりはしないだろうか
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Weblog / 2007-11-19 06:55:49

若者を見殺しにする国

 赤木智弘『若者を見殺しにする国』を読んだ。「丸山真男をひっぱたきたい」の人が書いた単著である。ゲーム脳だのケータイをもったサルから、果ては「少年犯罪の急増凶悪化」にいたる「俗流若者論」への批判に多くのページを割いている。この部分はなかなかよく書けている。正規雇用者の利益ばかりを守って、若者の雇用を切り捨てることに加担してきた、大労組=既成左翼に対する批判はするどくその怒りは正当なものだとぼくも思う。

 しかし本書の売りの戦争待望論は、相変わらず支離滅裂のままである。この人は若者をモンスター呼ばわりする「俗流若者論」への正当な批判を説得的に展開している。その同じ人物が、自らを「戦争を望むモンスター」として提示しているのだ。このことに矛盾を感じないのだろうか。

 戦争前夜にはナチスドイツのように、フリーターのような社会的弱者は強制収容所に入れられるぞという「ひっぱたきたい」論文に対する識者の批判に、彼はこんな風に答えている。ガス室に送り込まれたのは共産主義者や同性愛者、それにユダヤ人で自分はそのいずれでもないから自分が迫害を受けるおそれはない。逆にそうした状況は自分がマジョリティの側に加わる好機であり、そのために権力者の名を呼ぶこともやぶさかではない…。自分がマジョリティ、強者になるためにはどんな権力者に対してでも媚を売るというのである。

 この人は「丸山真男をひっぱたきたい」のなかで、普通のワーキングプアと自分たちを一緒にされたくないといっている。一度も経済的自立をとげられなかった「就職超氷河期世代」の惨めさは他の弱者との比較を絶しているのだと。ある箇所では自分たちは究極の弱者であるかのごとくに語り、またあるところでは、外国人・同性愛者・左翼等々に比べれば自分たちは成り上がる可能性を持つ相対的強者であるといけしゃあしゃあとのたまう。

 この人の根本的な主張は破廉恥としかいいようのないものだ。ところがこの本は大変よく売れれているらしい。新宿紀伊国屋では、「新しい論客の誕生」を祝してサイン会まで開かれたそうな。この国ももう終わりだ。
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Weblog / 2007-11-16 07:41:15

兎の目(そうだ!ぼくは理想の先生だ!!・声に出して読みたい傑作選42)

 一年前のこの頃。さる高名な児童文学者が亡くなった。私は人生でこの人と一度だけ接点をもったことがある。前の学校に「社会学会」という学生と教員で作る組織があった。新入生が入学時に1万円の会費を納めて運営されている会だった。1学年に200人ぐらい学生がいたから資金は潤沢だったのである。この会では毎年秋に講演会をやっていた。ぼくが学会の教員側の委員をやっていた年に、この高名な作家を呼ぼうということになった。熱心なファンの学生がいたのだ。その学生が直接コンタクトをとってみた。

 翌日ぼくのところに報告に来た彼は、浮かぬ顔をしていた。講演の依頼をしたところ高名な作家はいきなり、「私は50万です!」と切り出したのだという。いくら何でも50万円は高過ぎるし、ヒューマンな作風から想像していた作家のイメージが音をたてて崩れたと彼はいっていた。それはそのとおりだと思ったが、運営委員会というところで諮ったところ、この講演会の案はあっさり承認された。多少講演料が高すぎないでもないが、会の財布には余裕がある。そして高名な、学生にも人気のある作家の先生だからよいではないか、というのが承認の理由であった。

 そして講演当日。開口一番、高名な作家はこういった。「小谷先生こそが私が抱く理想の教師像です!」。びっくりした。小谷とは加齢御飯と本人関係にある人物のことではないか!?たしかにぼくは理想的な教師には違いない。しかし何故遠来の高名な作家がそんなことを知っているのだ?!話を聞いてみると「小谷先生」とは女性らしい。自分の作品の主人公の名前らしいのだ。自分の作り出した作中人物を「理想の教師」と呼ぶのである。そしてこの高名な作家は、講演の間中自分の作品を延々と讃え続けたのだ。

 この後にも新聞やテレビで、この高名な作家の声に接する機会はあった。しかし「私は50万」ということばの残響が頭のなかにはあって、素直にこの人の声に接することはできなかったのである。「子どもたちのやさしさや、美しさ(私は50万!)」。「日本国憲法を守り平和な世の中を子どもたちに渡していくことこそが(私は50万!)」…。
 

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Weblog / 2007-11-13 06:48:56

思い出のアルバム3

 太郎が幼稚園に通っていたころ、11月23日の勤労感謝の日は、「お父さんと遊ぶ日」だった。父と子が幼稚園から、市の境を超えて6キロの道を歩き、森のなかの大きな公園で遊ぶ。これが大変な苦行だった。
 
 幼稚園児と歩くのだ。6キロといえば2時間近くかかる。おしゃべりをしていれば別に辛くもないだろう。しかしまわりはお父さんばかり。「男はだまってサッポロビール」の人たちである。何も話題がない。ただ黙々と歩くのみだ。とても辛かった。

 それでも努力をして周りの人に話しかけてみたことはある。太郎が年少組の時、たまたま隣にはいあわせたお父さんは大企業のエンジニアで、国分隼人のテクノポリスで働いていたという人だった。よかった。ぼくも鹿児島暮らしが長かったからこれで接点ができたと思った。「どこにおすまいでしたか」。「加治木です。あなたは」。「谷山です」…。これで終わりだ。全然話がはずまない。ぼくも含めて日本の大人の男というのは社交ができない。肩書きや地位を抜きの、裸の人間同士の付きあいということができない動物なのだと思った。

 寒風吹きすさぶなかを歩き続け、ようやく公園にたどり着くと、今度は「お父さんは強い」系のゲームが待ち受けている。太郎が年少の時にはクラス対抗でお父さんが子どもをおんぶして走るリレーをやらされた。骨髄移植を受けた翌年である。まだ免疫抑制剤を飲んでいた。死ぬかと思った。これをお父さんたちは必死の形相でやるのである。「お父さんは強い」。いついかなる時でも負けてはならないのだ。

 帰りは電車で帰る。公園から駅までの道すがら、何人かのお父さんが「ああ、今日は楽しかったな」と顔面神経を引きつらせながら言うのが例年のことだった。一体どこが楽しかったのだろうか。太郎が卒園して、この行事から解放されて正直ほっとしている。近年の勤労感謝の日は、太郎と一緒にヤクルトスワローズのファン感謝デーに行く日になっている。
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Weblog / 2007-11-10 16:49:47

恐怖新聞

 「恐怖新聞」はつのだじろう氏の名作マンガである。「恐怖新聞」がどこからともなく届けられるのだが、それを読むと寿命が100日縮むという恐ろしい話である。しかし、この新聞の名前は妙にリアルではないか。「葬儀新聞」があるのだ。「恐怖新聞」という業界紙があっても不思議はあるまい。では恐怖業界とは、一体全体どのような業界なのだろうか。

 辞書でテロル(terror)を引くと「恐怖」という訳語が冒頭に出てくる。恐怖業界とはテロリストの業界である可能性が高い。この新聞の第一の購読者はアルカイダの日本支部だろうか。しかし、いくら現職の法務大臣とつながりがあるらしいとはいっても、それでは読者の間口が狭すぎる。それにいまの日本には恐怖を売り物にしている業界は他にいくらでもある。

 日の丸君が代を処罰で脅して教師に押し付けている東京都は恐怖業界の一員に違いない。治安維持のためには死刑制度が欠かせないと考える法務省も、犯人を死刑にと叫ぶマスメディアもやはりこの業界に属しているはずだ。若者たちにやれ「パラサイト」だ、やれ「ニート」だと事実無根のレッテル貼りを行い、言説のテロルを繰り返している大学人も「恐怖新聞」の愛読者に違いないのだ。 そうそう。あの厚生労働大臣や「作家」を名乗る新しい東京都の副知事の禍々しい顔だちは、彼らが恐怖業界の一員であることの何よりの証である。

 こうしてみると「恐怖新聞」には実に広範な読者が存在してることが分かる。しかも日本のエスタブリッシュメントを網羅しているではないか。広告媒体としての価値も高そうである。営業基盤はしっかりしているに違いない。しかし不思議だ。「恐怖新聞」は一日読むと百日寿命が縮むはずだ。半年も読み続ければ誰も生きてはいられないだろう。ところが恐怖業界のお歴歴はみなぴんぴんしている。とてもお亡くなりになりそうもない。これは一体どうしたことなのだろうか。

 
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Weblog / 2007-11-08 07:17:21

見果てぬ夢4

世間は小沢の大連立構想をぼろくそにいっている。ぼくも小沢という政治家は好きではないが、ウオルフレンのいうように、日本の政治家には珍しく一貫した原則に基づいて行動している人物のように思う。彼の原則とは、日本を「普通の国」にすることだ。

 関曠野さんが別の場所で書いておられたように、日本は「異常な国」である。世界第二の経済大国でありながら国是というものがない。外交軍事の面では完全にアメリカの属国である。そしてウオルフレンもいうように、この国では意思決定を行う政治権力の中枢が存在しない。国会も内閣も最高裁も形骸に過ぎず、霞ヶ関官僚がほしいままに振舞う「省庁天皇制」の支配が続いている。

 小沢の目指したものは、大連立の実現によって国内的には強力な国家権力の中枢を作り、対外的にはアメリカ追随から脱却した国連中心主義外交を推し進めようとしたのだとぼくは考える。彼をただの権力亡者のようにいうメディアは、「省庁天皇制」の思考様式に慣れきってしまっていて、理念や原則をもつ政治家が存在するということが理解できないのだ。

 しかしよくわからない部分がある。本当に小沢は大連立構想が、自民民主の双方から受け入れられると思ったのだろうか。小沢は政治屋としてもプロ中のプロである。旧社会党まで含みこんでいる自党の反応が読めないはずがあるまい。そして、辞意を撤回して党の代表にとどまるに至った醜態は、とても「豪腕」小沢のふるまいとも思えない。

 小沢はドンキホーテだったと関さんはいう。それが過去のものとなった時代に騎士道に執着していたドンキホーテのように、小沢は政党政治が過去のものとなった時代に2大政党制の確立に執着していたのだと。なるほど。これですべてが理解できる。小沢はいま、様々な冒険の果てに、政治家としてのいまわのきわにいる。臨終の床で、善良な郷士に戻ったドンキホーテと同じように、大連立構想が崩れた後の小沢は、ただの岩手の老人に戻ったのだろう。もはや彼は昔の彼ではない。

 
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Weblog / 2007-11-05 10:33:19

ヒーコの日本(ぼくも思わず言いそうになった・声に出して読みたい傑作選41)

3年生のA子さんは、「なんたらシオール」というおしゃれなカフェでアルバイトをすることになった。私鉄沿線の町に新しくできるお店の開店準備をする「オープニングスタッフ」となったのである。若い店長と経験のないアルバイトばかりで、一つのお店を立ち上げるのだ。その過程では「プロジェクトX」顔負けの感動のドラマがいくつもあったらしい。それは机上の勉強では決して得られないものだ。いまの学生たちがバイトにはまるはずである。

 彼女たちの頑張りのかいあって、「なんたらシオール」は開店以来、満員の盛況が続いた。しかし、東京では珍しく老人が多い街の、しかも潰れたスーパーの跡にはじめた店である。「大根はどこかな?」と毎日訪ねてくるおばあさんがいる。おしゃれな店構えと名前から錯覚するのだろう。いつも店員に英語で話しかけるおじいさんもいる。彼女が「私英語分からないんです」と言うと、「なんと不勉強な!」とこのおじいさん烈火のごとく怒ったという。

 あるおじいさんは、毎日この店を訪ねてきては、「『ヒーコの日本』をください」と意味不明な注文をする。彼の指差す先には「本日のコーヒー」を書いたボードがあった。彼は毎日、「ヒーコの日本」を注文しては、キリマンジャロやグアテマラを飲んで帰っていく。不思議なおじいさんだ。「なんで逆に読むんでしょうね」という彼女の質問に、「昔は横書きの文字は右から左に読んでいたんだよ」とぼくが答えると彼女は「あー…」と納得(?)していた。

 A子さんも若い女性である。このお店でバイトをすれば、イケメンの男の子が客として来るのではないかという期待もあったのだが、それは見事に裏切られた。しかしいまは、愉快なご老人たちと触れ合う日々を楽しんでいる。それにしても謎は残る。この街への「なんたらシオール」の出店は、老人市場の開拓を企てた一つの「賭け」だったのだろうか。それとも、同社にとってさえこれは「予期せざる結果」だったのだろうか。知りたいものである。
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