I visited and read AKAGI'blog and found that he has the knowledge of such social policies as basic income guarantee and work sharing. But he mentions them only to declare that regular employees and well-fed older generation are too selfish to take interest in such egalitarian policies. It is evident that his intention is not social reforms but a kind of witchhunt by which everything evil is blamed on regular employees and older generation. He must have perceived that such blame game would be hailed by penniless and powerless younger genaration. The media loves scandals and witchhunts. It seems that he solved the problem of inequality by seeking a pesonal and exceptional success.
But he mentions them only to declare that regular employees and well-fed older generation are too selfish to take interest in such egalitarian policies.
IS THIS TRUE? Regular employees may see their sons and daughters forced to work as precarious freeters. Grandparents may see their grandsons passing nights at net cafes. They cannot afford to be as evil and selfish as AKAGI wants us to believe. And declaring oneself a weak creature and thereby giving oneself a right to do everything without being just to others.This is the tactic used by Hitler. The justice is universal and allows no exception. Neither weakness nor poverty gives anybody an exceptional right to be an incarnaton of the justice.
IS THIS TRUE? Regular employees may see their sons and daughters forced to work as precarious freeters. Grandparents may see their grandsons passing nights at net cafes. They cannot afford to be as evil and selfish as AKAGI wants us to believe.
Why this difference between EU and Japan? In my view,EU understood that our age is the post-industrial age in which the labour market becomes of necessity fluid(frequent job changes, sidejobs,short-term employments) and reformed social security policies according to this understanding. But Japan has miserably failed to see this sea change and the Liberal-democratic party, party of the industrial age, still remains in power. This fossilization of the state has resulted in a situation in which only older generation benefits from the legacy of high-growth era.Japan could not transform herself into a post-industrial society because she is controlled by the central bureaucracy whose only philosophy is economic growth and competitiveness. I am pessimistic about the possibility of younger generaton being relieved from their current hardships in the near future. This country will respond seriously probably when they angrily go on French-style street riots demanding reformed social security policies. Youngsters! Do not aspire after a war. Start a civil war instead.
これは今後の展開をまたなければならず、そちらの方向へ後押しする責任はわれわれにもあると思いますが、戦争待望論がもてはやされることで、具体的で効果的な代替案や政策への議論が後景に退いたり、左翼叩きに溜飲を下げることでそうしたエネルギーがガス抜きされてしまうのは心配ですね。
> 赤木さんは東大先端科学技術研究所のジャーナリズムコースに通っている。そのことと、この論調の変化との間には何らかの関わりがあるのではないか。
まえに加齢御飯さんは「丸山真男をひっぱたきたい」と「なぜ人を殺してはいけないか」が巻き起こした議論の類似性に触れられていましたね。さらに勘ぐると、こうした場所(授業のみならず、飲み会とか)で、赤木氏が「なぜ・・・」を「無名の若者が論壇にインパクトを与えた先行事例」として学習してしまった可能性はないでしょうか。だとするとちょっと救えない感じですが。
また、自称左翼でありながら左翼たたきで勇名を馳せる、というのは戦後のお決まりパターンでもあります。
あと、赤木氏の指導教授にあたる武田徹氏ですが、
http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20071101
http://162.teacup.com/sinopy/bbs
などを見るかぎり、吉本隆明の影響が濃厚、という印象を受けました。まさか「丸山・・・」は「『反核』異論」の焼き直しではないでしょうね。
あと上のブログなどの議論を読むと、ルソーやミル、ケインズといった良い古典が読まれてない上に、議論をねじれさせてしまうような腐れ左翼の文献ばかりがよく読まれているのだなあ、という印象を受けます。
フォイエルバッハの「問題がどうしようもなく難しく見えるのは、そもそも問題の立て方が間違っているからだ」といった健全な思想こそ知られてほしいものです。
> 東大先端科学技術研究所のジャーナリズムコース
http://www.anzenansin.org/journal/index.html
のカリキュラムに問題あり、とは思いませんが、日本のメディア事情を考えるに、このコースでプロパガンダのノウハウを学んでしまった可能性もあるように思います。
http://d.hatena.ne.jp/t-akagi/20071101
http://162.teacup.com/sinopy/bbs
などを見るかぎり、吉本隆明の影響が濃厚、という印象を受けました。まさか「丸山・・・」は「『反核』異論」の焼き直しではないでしょうね。
まつもとさま。吉本隆明の連想は最初からありました。何しろ丸山真男を最初に「ひっぱたいた」のは60年安保直後の吉本隆明ですから。しかし30そこそこの赤木氏がそんなものを知っているはずもないし、と思っていたら、なるほど師匠譲りということはおおいにありえますね。武田という人は私ぐらいの年齢のフリージャーナリストで、この世代でその道を志した人は多かれ少なかれ吉本の影響下にあったといってよいでしょう。どんなことがあっても、どんな自己撞着があっても絶対に自分の非を認めないという赤木氏の弁論術は、吉本を彷彿とさせます。よい伝統は簡単に途切れても、悪い伝統はだらだら生き続けるというのが日本の知的世界のようです。しかし税金を使ってなんちゅうしょうもない「教育」をしているんでしょうか、東大は。
ひろのさま。赤木さんは俗流若者論の若者たたきを批判していて、基本的にそこには共感します。ところ
がその赤木さんが正社員や先行世代を諸悪の根源にしている。つまり魔女狩りをやっている点では、俗流若者論と何の変わりもないわけであって、そこに赤木さんと彼を支持する人たちは矛盾を感じないのでしょうか。
ひろのさま。これもまったく同感です。東大に全盲で耳のきこえない准教授がいます。社会的地位からいえばこの上もない強者ですが、身体的にはまったくその逆です。つまり誰が強者で誰が弱者なのか。一義的にそんなことはいえないのだと思います。赤木氏たちは反発するでしょうが、たとえ貧乏でも、若く身体壮健ならいくらでも未来はあると言いたい衝動にかられます。
IS THIS TRUE? Regular employees may see their sons and daughters forced to work as precarious freeters. Grandparents may see their grandsons passing nights at net cafes. They cannot afford to be as evil and selfish as AKAGI wants us to believe. And declaring oneself a weak creature and thereby giving oneself a right to do everything without being just to others.This is the tactic used by Hitler.
The justice is universal and allows no exception. Neither weakness nor poverty gives anybody an exceptional right to be an incarnaton of the justice.
「私」は甘ったれた人間ですが、私は若者の代表例ではありません。大部分の人はがんばっています。
赤木さんは親元でくらしているようです。だから本を読んだり書いたりするゆとりがあるのでしょう。それは結構なことですが、その意味では恵まれた境遇にあるわけで、親の世代を若者の未来を食いつぶす鬼畜のようにいうのは、やはり恩知らずといわなければなりません。私はひどい状況に置かれながら日本の若者たちが暴発しない現状は不思議だとエントリーのなかで書きましたが、たとえ山田昌弘教授がなんといおうとも、食えない若者を親の世代が何とか支えていることが力になっていると思います。
あいさま。これは赤木さんの主張の本質をいいあてて、余すところがないと思いました。
「私」は甘ったれた人間ですが、私は若者の代表例ではありません。大部分の人はがんばっています。
日本の若者は、自立心が強く、そのかわり冷たいと韓国からの留学生は言っていたそうです。
http://blog.goo.ne.jp/binbin1956/e/e933edd678346fbfdde8d5183149ab86
これはよくわかります。甘えているというより、他人に依存することがとても下手のように思えます。欝になってゼミに出てこられなくなる学生が増えて困っていますが、「なんで」と思うことが多い。昔なら困った時には、友だちにSOSを出したでしょうし、友だちもおせっかいをやいたのではないでしょうか。
いまの若者はむしろ過剰なぐらいがんばろうとする。しかし一人でがんばろとするところに、私は危うさを感じています。
私は赤木氏なる人物も「丸山真男をひっぱたきたい」などにも酷く疎いのですが(ちょっとだけ今回読みました)、赤木氏と同世代(のようです)の人間として、赤木氏の言いたいことは何となくわかりました(共感できると言ってもいいかもしれません)。
もちろん、しかし、彼の論は支離滅裂だと思います。
彼は、姜尚中氏の発言に否定的ですが、同世代として私はむしろ姜尚中氏の発言の方が当たっているという印象を持っています。
われわれの世代には「外部」が無いように思うのです。われわれの世代は、本当にマルクスなんか知らない世代でして(というのも、大学入学時にはソ連はなかったわけです)、資本主義の圧力をモロに受けながら、その圧力の正体がわからない(それへ対抗する言説を持ち合わせていない)という鬱憤を抱えているように思います。赤木氏の言う「右傾化」というのは、どうしていいかわからない鬱憤の乱反射でしかありません。これは<力>が統制されていない。姜氏はそこを述べたかったのだと思います。
ところで、最近似たような問題意識を持っておりました。加齢先生のところに適当な駄文のTBを送るのは気が重いのですが、阿部和重の『グランド・フィナーレ』の主人公は、赤木氏とよく似た状況にあります。阿部氏も赤木氏も(私も)、何となく「グランド・フィナーレ(最終場面)」を生きているように感じるのです。それを打ち破りたい欲求を表すのにもっとも簡単な言説が「戦争」に表象されるのかもしれません。
長文失礼しました。TBお送りします。
弱者はふつうでないから弱者なのでは。これだけの発言ができる人、真っ向からその場で発言できる人は
りっぱですよ。もちろん、わたしは自分を弱者だとは思っていませんが、りっぱな人間ではありませんね。
わたしの通う病院の外来待合室に座る人々のうち、一体何人がこのふつうだとされる発言ができるでしょうか。
それから、赤木さんのネット上の発言については、まるで、知りません。
たとえばいまBガタカンエンのモンダイでクニとキギョウのセキニンをツイキュウしているヒトたちがいます。 カレラはフミニジられたジャクシャでしょうが「ワタシたちはジャクシャでございます」などといったりしないでクニとキギョウに「セイギにかなうタイオウをせよ」といっているのではないでしょうか。これがフツウのタイドだとおもうのですが。 ワタシのパソコンはグアイがおかしいのでこれイジョウはナニももうしあげないことにします
その延長上に、「弱者」発言があるのではないでしょうか? 吉本が市民ならば、フリーターは弱者じゃないのでしょうか?
ところで、「市民」という言葉を用いたら、どういう反応が予期できたでしょうか?
加齢様の『「丸山真男をひっぱたきたい」を書いた奴を「ひっぱたきたい」』と『若者を見殺しにする国』以降のエントリ(とコメント欄)を拝見させていただきました。その中ですこし引っかかる部分があったので書かせていただきます。
「ぼくたちの状況をなんとかしてくれないとぐれちゃうぞ」という赤木氏の主張に対し、加齢様の反応が
「左翼おじさん」に毒づくのはよい。しかし、世代間格差の解消のための知的代案を提示するのでなければ生産的な議論にはならない。
とありますが、赤木氏は
2 成功した人や、生活の安定を望む人は、社会が硬直化することを望んでいる。そうした勢力に対抗し、流動性を必須のものとして人類全体で支えていくような社会づくりは本当に可能だろうか?
これは一生モノの宿題であり、おそらく一生解けることはない。(論座 2007年6月号)
と「自分への宿題」というカタチで問題提起されています。「代案は出せないけど、僕にはこういう問題が残った」とする〆方には問題がないと思います。
あと、加齢様の
「左翼おじさん」に毒づくのはよい。しかし、世代間格差の解消のための知的代案を提示するのでなければ生産的な議論にはならない。こんな甘ったれた書きっぷりでは、「若いやつらに大したことなどできはすまい」となめられるのがおちだ。
という文章を読んで私が感じたのは、
「志が低い若者」に毒づくのはよい。しかし、若者の無力感の構造を言語化するのでなければ生産的な議論にはならない。自分も構造が見えてないくせにこんな甘ったれた書きっぷりでは、「社会学者に大した分析などできはすまい」となめられるのがおちだ。
ということです。加齢様に見受けられる「上から目線」は
「仕事が大変だ」という愚痴にはあっさりと首を縦に振る世間が、「マトモな仕事につけなくて大変だ」という愚痴には「それは努力が足りないからだ」と嘲笑を浴びせる。何をしていいか分からないのに、何かをしなければならないというプレッシャーばかり与えられるが、もがいたからといって事態が好転する可能性は低い。そんな状況で希望を持って生きられる人間などいない。(論座 2007年1月号)
考える時間を得るためには、生活に対する精神的な余裕や、生活のためのお金がなによりも必要不可欠であり、それを十分に得られて初めて「考える」という行為をすることができる。
そうした人間が、考えて活動するための「土台」を整備することこそ、私に反論する方々の「責任」ではないだろうか。(論座 2007年6月号)
と彼はとっくに喝破していますよ。
彼の本意はバブル以前世代による以後世代への搾取構造の存在を示すことにあったと思います。
つまり、通常考えられていた「在日」や「障害者」といった「(喧伝された)わかりやすい弱者」だけでなく、現在進行形でひそかに拡大している「就低賃金労働の機械」たる若者が新たな弱者層を形成し、右傾化傾向と共にいずれかは社会不安の種になるのではないかという予測です。
「なんとかしてくれ!」という叫び声に、「なんともしません。ぐれなさい!」と社会学者を称するあなたが言うのであれば、社会学の存在意義は誰のためにあるのでしょうか?
「論壇」とかのわかりやすい制度言語にばっか漬かってるから、「あえて一人称」とか「戦争待望」というわかりやすい赤木氏の「釣り針」に引っかかるんじゃないでしょうかね。
「論座」編集部は指導教授としての態度をとるべきではなかったのか。世代間格差の拡大に対する氏の真摯な怒りが読者にストレートに伝わるような文章になるまで、何度でも何度でも書き直しをさせるべきだったのです。しかし「論座」は氏を戦争を待望するモンスターとして世に出してしまった。
には完全に同意します。「消費される若者」といったテーマで「洒落話」を掲載しつつ、赤木氏を消費するのは下品な洒落を通り越して醜悪ですらあります。
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赤木氏のブログを訪れてみました。そこで、彼には基礎所得保障やワークシェアリングなど社会政策の知識もあることがわかりました。
しかし彼はそれらを、ただ「フルタイム(一般雇用の)労働者や豊かな中高年世代は自己中心的に過ぎ、それらの平等主義的な政策に関心を示すことはない」と断言するためにしか取り上げていない。
これは、彼の意図が社会改革ではなく、すべての悪はフルタイマーや年長世代のせいだと非難する、一種の魔女狩りである証拠です。赤木氏はこうした非難ゲームが、金も力もない若者の崇拝を集めることを見通していたにちがいありません。メディアはスキャンダルや魔女狩りが大好きです。
赤木氏は不平等の問題を、個人的かつ例外的な成功を追い求めることで解決したのではないでしょうか。
http://mazzan.at.infoseek.co.jp/lesson13.html
アカギさんは「なぜEUができることがニホンではできないのか」 というホンをかくべきだったのではないでしょうか。そのバアイ「ウエのセダイがジャアクだから」というのはコタエにならないとおもいます。 またそんなコタエをだしたところでナンになるでしょうか。
読解力不足
私は大学教授ですし、「論座」誌上で赤木さんを批判していたのは、名だたる論客ばかりです。そんな人たちの「読解力」でも不足なら、一体誰が赤木さんの文章を「文脈をとりちがえ」ずに読めるのでしょうか。
足踏堂さま。TBありがとうございました。そうですか。そんなにお若かったのですか(笑)。阿部和重の小説、おもしろうそうですね。早速よんでみたいと思います。赤木さんのような境遇にある人が「世界の終わり」を望む心理というのは、理解できるような気が私にもしています。分からないのは、それが年長の世代や左翼に対する憎悪と結びつくというのが理解に苦しむところなのです。
そこでなぜ、そうした面でとくに目新しい主張を掲げているわけでもない赤木氏が一人勝ちして若者に受けるのか?
それはやはり、彼のフルタイマー・年長世代叩きや戦争待望論の部分が、それをカッコ良く思う若者(と「論座」編集部)に受けたということではないでしょうか。赤木氏をことさらに持ち上げる人々は、そこを誤魔化してはならないと思います。
しかし、若くて一見過激な論客を集める営業戦略は、じつは岩波の伝統でもあります。戦後、マルクス主義やマル経の学者を担いだのは、新興の岩波が大正デモクラシー派の大手、中央公論を追い抜くための戦略でもあったようです。
天下の大学教授たる加齢御飯様への数々のご無礼、まことに失礼いたしました。
>「論座」誌上で赤木さんを批判していたのは、名だたる論客ばかりです。そんな人たちの「読解力」でも不足なら、一体誰が赤木さんの文章を「文脈をとりちがえ」ずに読めるのでしょうか。
とは、まさに慧眼です。感服いたしました。重ね重ね、無礼をお詫び申し上げます。
>ひろの様
>アカギさんは「なぜEUができることがニホンではできないのか」 というホンをかくべきだったのではないでしょうか。
私もここの部分には同意いたします。ただ、赤木氏が「門外漢」であることを上手に利用(演出)できたからこそ、いわゆる「言論人」にも彼の言葉が届いたのではないでしょうか。
>「ウエのセダイがジャアクだから」
の部分に関しては、彼は無自覚もしくは自覚的に古典的階級闘争論者を演出していますね。
あと、赤木氏は、自身を「理解されないマイノリティー」と設定しており、社会的手続き(選挙)又は革命(連帯)による変革には絶望している旨を『けっきょく、「自己責任」 ですか〜』で述べられていますよ。
>まつもと
たくさんいろんなこと知っててえらいね^^
いい子だから森へお帰り^^
出直してくるべきはあなたでしょう。
>トシヨリのトッケンがショアクのコンゲンとかんがえている
考えてませんが。もし誤解を生むような記述があれば、ご指摘いただけるとありがたいです。
>くさしていないで
そうですね。遊んでもらいたいという私の幼稚性は不快感を与えただけで終わってしまったようです。申し訳ないです。
>そういうブロッグをつくるだけでもいいですよ。
アドバイスありがとうございます。
>ロンザにかくキカイ をもらえるヒトが「リカイされないマイノリティ」
赤木氏が自身を「マイノリティ」と設定しているので、そこは彼の意思を酌んで、設定を前提として論ずればよいかと思います。
そうそう、「論座」は朝日の雑誌だったんですよね(日頃縁がないので)。では、吉本もそうですが、それこそ「若者たちの神々」の焼き直しではないかな。