加賀万歳保存会長の田中久雄さんは高岡駅長などを歴任した元国鉄マンである。仕事のかたわら伝統芸を引き継いで五十年。万歳に歌い込まれた金沢―東京間四百八十キロを歩き続け、来月には踏破する 万歳の一つ「北国下道中(しもどうちゅう)」は加賀藩が参勤交代に使った「下街道(しもかいどう)」(富山―高田―長野―高崎―江戸)の光景がうたい込まれている。例えば富山の岩瀬は「なにか岩瀬(言わせ)の飛団子」としゃれていて、歩いてみると今でもダンゴ屋があったという 鉄道マンだから北陸線には詳しいが、数百年の昔から人々が行き交った街道を歩くのは、巡礼にも似た苦楽の旅に違いない。多くの年配者が「参勤交代」や「奥の細道」を夢見るのがよく分かる 参勤交代に詳しい忠田敏男さんの「加賀百万石と中山道の旅」によると、加賀藩の参勤交代百九十回のうち百八十一回が下街道を使っている。東海道回りより安く早く安全だったらしい 不思議なことに下街道は北陸新幹線のルートとほぼ同じで、見事なほど四百年の歴史と重なり合う。開通時には車窓に目を凝らしてみたい。下街道を行く「百代の過客(かかく)」が見えるに違いない。
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