小田実氏と佐高信氏
テーマ:週刊金曜日一週間ぶりの更新になります。先月小田実さんが逝去されました。
管理人は小田実さんが実際べ平連などで活躍された時期をほとんど知らない世代でありますので、小田実さんに対する佐高信さんの思いがどんなものか想像は難しいです。
一般には市民運動(べ平連や日本はこれでいいのか市民連合など)の中心人物としての評価があるようですが、私にとっては朝まで生テレビで右翼相手に孤軍奮闘していたり、EXテレビで野坂昭如と漫才をやっていたりしていた人という印象です。
右の論壇から見れば「韓国の朴体制は人権、言論弾圧体制だと断罪したが、北朝鮮の金日成はほとんど批判しなかった人」であるとして論難もされていましたね。
佐高信さんは小田さんの死去にあたって「風速計」でコメントしています。
「小田さんが創価学会を批判したらみかん箱3箱分の抗議を受けた。小田さんは自民党は創価学会を昔から注目して、総理大臣になった人物が学会を持ち上げてきた、と言っていた。」
”小田は「不安定と絶対者がないことが結びつくとき、そこにもう一つ、繁栄からとり残されて行くという状況が結びつくとき、人は新しい絶対者を待望するのだろう」と指摘しているが、票として求められた創価学会(公明党)は、自民党が自らの票の増殖器とならなくなったとわかった時、今度は自民党を捨てるのだろうか。”
「小田さんは創価学会の批判も受けるだけでなく、以前は日本共産党からも批判を浴びていた。」
こういった内容でした。
佐高さんは自信の小田論をまとめ上げるのではなく、内部で絶対主義的な体制を持つ組織、体制に対して小田さんは批判しつづけた。という見方だけを述べられます。
引用部分から
>票として求められた創価学会(公明党)は、自民党が自らの票の増殖器とならなくなったとわかった時、今度は自民党を捨てるのだろうか。
創価学会、公明党は自民党を自らの党の増殖器としようとしたのですかね。と言うよりは与党としての政策実現を目論んだといったほうがいいのではないでしょうか。ちょっと前の自民党御用達の言論人、屋山太郎氏や俵孝太郎氏の創価学会批判は激烈なものですから、公明党側とすればそう簡単に自民党支持者が公明党に投票してくれるとは考えないでしょう。
この部分での「繁栄から取り残された人々があたらしい絶対者を待望する。」と言う小田さんの言葉との連関もはっきりしません。
ここで連想されるのが「論座」での「丸山真男をひっぱたきたい。」論争なんですが、「現代の『ネットカフェ難民』に代表される繁栄から取り残される人々を現代の市民主義、戦後民主主義思想は何も救ってくれなかった。」に対して佐高さんや市民主義の人々は有効な対策、反論を撃っていないとされています。
佐高さんは雨宮処凛さんと対談などをされていますが、今までサラリーマンに対する企業や経営者の抑圧を批判されてきた佐高さんは、会社にさえ入れなかった人たちにどういう手を差し伸べることができるのでしょうか?
そういう佐高信さんへの違和感は、死ぬのは奴らださんの反米嫌日戦線ブログ「貧乏人のココロがわからない左翼」 でしっかりと描かれています。
http://anarchist.seesaa.net/article/51179049.html
さて、佐高さんは小田さんとべ平連時代にパートナーであった吉川勇一さんと久野収氏評をめぐって論争などもしています。そういったこともあってはっきりとした小田評を打ち出すことができなかったのかもしれません。
吉川勇一氏の小田実氏追悼文
http://www.jca.apc.org/~yyoffice/saikin82KyoudoutsuushinOdaMakotonoIshi.htm
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■最近、佐高好感度ダウンぎみ
TBありがとうございます。
自分は佐高氏のファンだったのですが(著作のほとんどは読んでいます)、週刊金曜日の雨宮さんとの対談にはガッカリです。
俺なら、派遣社員よりも給料が良くて安定した雇用がある『社畜』になりたいですね。
派遣社員で死ぬよりも、『社畜』で死ねたほうが数万倍幸せだと思います。
裕福な講演料も高額の佐高さんに貧困を語らせたことから失敗でした。