社会の深層に埋もれてきた「日雇い派遣」などの非正規労働者の働き方を見直す動きが加速している。背景には、貧困や格差問題への世間の関心の高まりと、一方的になし崩しにされてきたワークルールに異議を唱えて立ち上がった非正規労働者たちの怒りがある。
1年半前、派遣ユニオンの幹部が自らの日雇い派遣元の営業所に給与を受け取りに行った時の光景を、鮮明に覚えている。当時、日雇い派遣の問題はほとんど手つかずの状態だった。給与明細に書かれた250円の意味不明の天引きについて説明を求めるユニオン幹部に、営業所の責任者は「パソコンの管理費」や「そういう決まり」という言葉を並べ、まともに答えようとはしなかった。一人で抗議を繰り返す幹部の姿に日雇い派遣労働者の置かれた現状が重なり、切なかった。
日雇い派遣という働き方は、1985年に制定された労働者派遣法を契機に生まれた。当初、通訳など専門性の高い仕事に限定して導入された派遣労働は、使用者側のニーズにより、使用者にとって使い勝手の良い形へと変質した。職種などの規制が次々と緩和され、04年には製造業を含め原則自由化された。
日々雇用関係を結び直し、さまざまな現場に派遣される不安定な働き方だが、企業側が正社員雇用を手控える中で、職を求める若者を中心に増加。厚生労働省も「想定外」という規制緩和の副産物となった。
会社の外に置かれた形の日雇い派遣労働者たちは、それぞれが孤立しがちだ。日雇い派遣歴5年の男性労働者(28)は「ユニオンの存在を知るまで、残業代を請求できることも知らなかった。相談相手もなく、アドバイスしてくれる人もいなかった」と振り返る。別の男性(30)は「現場に向かうバスの中では、みんなが無口だった。明日の不安がふくらみ、疲れて人と話すのもおっくうだった」と話す。
そんな状況下で分断されていた人々が、労組につながりを求めて、動き出した。例えば、「データ装備費」などの名目の天引きは、派遣ユニオンに集まった日雇い派遣労働者の団体交渉での追及で返還され、多くの会社は徴収をやめた。首都圏青年ユニオンは、ファストフード店のアルバイトの一方的な解雇と残業代の不払いに取り組み、解雇を撤回させ、不払い分を支払わせた。
住居がなく、ネットカフェや漫画喫茶などを宿代わりにする“ネットカフェ難民”に光を当てたのも彼らだった。野宿者支援団体などと調査を行い、住居を喪失した若年労働者の存在を掘り起こした。その結果、厚労省も無視できなくなって、全国的な調査を実施。仕事があればネットカフェなどを使い、ない時は野宿せざるを得ない若年者や中高年の存在を確認し、日雇い派遣という働き方の影の部分が浮き彫りになった。
労組に加わった日雇い派遣で働く男性(30)は「僕らに選択の自由はない。紹介された仕事を断れば、明日は食べることに困る。危険な仕事でも、ピンハネがひどくても同じ。こんな働き方がまともですか?」と訴えた。そんな思いが結集する過程で、「自分のためだけでなく、仲間たちもなんとかしたい」との意識が生まれ、同じ痛みを持つ他者にも目を向けることになった。シングルマザーや生活保護受給者、障害を持つ人たちが集まり、社会に横たわる「貧困」を共通のキーワードに、連帯と運動の輪を広げた。
こうした動きに、参院選で与野党が逆転した政治も変化を見せている。参院選の前までは、経済界を中心に派遣業種の全面解禁などさらなる規制緩和を求める論調が主流だった。だが、現状は日雇い派遣禁止など労働者保護の視点での抜本改正を求める声が高まっている。今月20日に労組が開いた集会には、「日本社会全体の問題」として野党各党が参加。与党の公明党もエールを送り、自民党内でも、抜本的見直しを求める声が出ている。
非正規雇用の労働者は今や働く人の3分の1を超え若年者では2人に1人を占めている。流通、サービス業などの分野は顕著で、もし非正規労働者が一斉にストライキに立ち上がったら、日本の経済はたちまちストップするほどに、大きな塊として存在している。
安定した雇用、暮らしを支えるに足る賃金……。彼らの要求は、人らしく生きたいとの思いだ。やり切れない現実から上がった声が社会を揺さぶり始めた今、その声のさらなる高まりを期待したい。ささやかな願いさえ押しつぶされる社会に、この国の未来はないと思うからだ。(社会部)
毎日新聞 2007年11月30日 0時04分