1966年東京生まれ。タイ国立マヒドン大学経営大学院経営学修士。シンガポール留学時代に知り合ったインドネシア人の妻と10歳の娘はまだタイに暮らす。来年初めには呼び寄せる予定。 休日はジムや水泳で体力づくり。起業前に、1日40本吸っていたたばこを止めた。
42歳までに自分の会社をつくりたい――。人生設計より2年早い40歳で、今年4月に人材紹介会社グッドジョブクリエーションズを立ち上げた。
シンガポールの日系人材紹介市場は、大手だけでも10社がひしめく戦場。そこへ1人乗り込むには覚悟がいる。早く知名度をあげたいと1日12時間働く。シンガポールは、大学時代に留学して以来、永住を夢見た憧れ(あこがれ)の地。残念ながらまだ自分の給与はでないが「疲れは感じない。むしろ自由な気持ちです」。眼鏡の奥の穏やかな目が細くなった。
■「地獄」を経験
自由を感じるには訳がある。大企業で人間関係のしがらみをいやというほど経験したからだ。
大学を卒業してすぐ、海外進出を積極的に押し進めていたヤオハンに就職。1993年に香港本社に転勤し、2年後には人事課長として日本人と香港人計2,300人の給与管理を任された。
しかし、破竹の勢いだったヤオハンは坂を転げ落ちるように97年に倒産する。斉藤さんら日本人2人と香港人スタッフ20人が残務処理に当たった。昨日まで威張っていた日本人取締役は、自分の保身しか頭にない。毎日かかってくる苦情の電話に応対するのは香港人スタッフだ。ある日、自分の部下である20代の女の子が泣きながら一生懸命仕事をする姿を見て、斉藤さんも部屋の片隅で悔し涙を流したという。
「会社という箱を取ってしまえば、取締役も平社員も同じ。初めて人の価値が分かるんです」
会社を辞める選択もあったが、日本に戻ってヤオハンスーパーの店員をやりながら、香港の残務処理を続けた。まさに「天国」から「地獄」に落ちたような体験だった。年末にはその仕事にもめどがつき辞表を出す。
もともと人が好き。人材紹介を天職と決め、その後、東京の情報技術(IT)雑誌会社の採用マネジャーや、日系大手人材派遣会社のタイ社長を務めた。「人の採用で大事なのは過去にこだわりすぎないこと。面接ではいつもその人の将来性を見ています」
しかし雇われ社長では物足りない。仕事のかたわらタイ国立マヒドン大学経営大学院起業家学部に通い、経営学修士を取得。起業を本気で考え始めたころ、昔からの知り合いであるグッドジョブクリエーションズの香港社長と意気投合しシンガポール法人の立ち上げを決意する。
■人材商社めざす
営業開始から4カ月。現在の人材登録数は180人余りで大手に比べればまだ少ない。他社との差別化を目指して、人材の精査に力を入れる。日本人だけでなく、日本語ができるシンガポール人の紹介にも力を入れたい。
しかし、競合と市場の取り合いに終始していては成長はない。2年内には採用、評価、給与、税金、福利厚生も含めた「人材商社」への一歩を踏み出す考えだ。
「シンガポールが成功すれば、5年内にはタイやマレーシアなど域内全体に規模を広げる計画です」
未来を見据えた生き方と、人の「将来性」を大事にする斉藤さんの姿勢が重なった。
(シンガポール編集部・吉岡由夏)