インタビュー 寿桂尼役・藤村志保 今川家を守り抜く覚悟を貫いて・・・

女戦国大名の強さと母親の思いと…

 寿桂尼は夫亡き後、子どもたちをよくフォローして、事実上今川家を背負って立ってきたような女性でしょう。“女戦国大名”と呼ばれたように腹がすわっていて、時代の動きや世の中の動きも実によく見ている。そんなスケールの大きさがとても魅力的で、こういう役柄は演じていても気持ちがいいですね。
 ただ、強い女性ではあるけれど、やっぱり寿桂尼の中には女としての弱い部分、もろい部分もあったと思うんですよ。今回のドラマに親子の情や家庭のにおいといった部分はほとんど出てこなかったのですが、義元の成長をはらはらドキドキしながら見守ってきた母親の顔もあったと思います。
 桶狭間の後、孫の代になったところで今川家は事実上、なくなってしまったわけですが、寿桂尼は『死しても今川家を守る』と言って、駿府の今川館の東北、鬼門の方角に自分のお墓を決めてそこに入ったそうです。そのエピソード一つとっても、自分がいなくなっても今川を守るという母親の強い気持ちを感じとることができますよね。
 実は収録が始まる前に、静岡にある今川家ゆかりのお寺を何か所かお参りしてきました。寿桂尼のお墓では『あなた様を演じさせていただきます』と、ごあいさつしました。義元や雪斎が祀(まつ)られたり供養されているお寺にも参ってきました。そういうことをすると気持ちがほっとするし、腹が座るというか気が入るので行ってよかったと思います。

無念の桶狭間に“信長憎し”の思いが(笑)

 山本勘助のことは、義元より冷静に見ていましたね。最初の出会いで、そのすぐれた素質を見抜くと同時に、勘助が背負ってきてしまった心の傷みたいなもの、浪人としての苦労なども感じとることができたんです。
 山本勘助の力量を認めていたから、だんだん成長していく姿には『うん、うん』と目を細めるような思いもありつつ、やはり警戒を強めていきましたね。寿桂尼にとっては自分の国が大事だし、子どもも大事ですから、敵方になっても、あるいは同盟を結んでも、とにかく手強い相手だということがわかっていたんです。
 その寿桂尼が桶狭間をどう受け止めたのか。そこが最大ポイントね。なぜ2万5千の大軍が1500の信長にやられてしまったのか。私もお参りしながら本当にくやしかったんですよ(笑)。どこかに油断や隙(すき)があったのでしょうし、篠つくような雨に降られて視界が見えなくなったことも原因の一つでしょうね。そして桶狭間に突入することに勘助が大きな仕掛けをしてくる。実に面白い今回の桶狭間です。
 でも演じているとやっぱり今川びいきになってしまうんです。これまでは「信長様〜」という思いがあったのに、今は「信長め!」って(笑)。そんなに感情移入しなくてもよさそうなものなのに、すっかり“わが今川”みたいな気持ちになってしまうのです。不思議ですね(笑)。

 
特集メニューへ戻る
トピックス一覧へ
ポスターをクリックすると大きくご覧になれます