京都大学大学院医学研究科社会健康医学系専攻
国際保健学教室 木原 正博
HIVの世界的流行は、ついにアジアに及び、一部の国々で感染爆発が生じている。人口がアフリカの5倍にも及ぶこの地域で、どこまで流行が拡大するのか、世界の注目が集まっている。国連合同エイズ計画は、昨年末時点で、3360万人のHIV感染者が存在し、2330万人がサハラ以南アフリカ、600万人が南・東南アジアに存在すると椎定しているが、アジアがアフリカを凌駕する日はそう遠い将来のことではない。タイ、カンボジアでは、すでに国民の数%が感染していると見積もられている。そうした流行からわが国が「運良く」逃れられる理由もなく、わが国でもHIVの流行は次第にその勢いを強めつつある。
日本の流行について、大きく3つのポイントを指摘したい。第一は、HIV流行の自然史の中で、今日本がどこに位置するのかという点である。理論予測によれば、流行は2つの波からなり、まず、同性間性的接触や薬物静注など高リスクの行動による流行波
(第1波) が現れ、次ぎに、異性間感染による波 (第2波) が現れる。後者は人口規模が極めて大きいために、21世紀に深く及ぶ非常に大きな波になると予想されている。わが国は、まだ第1波の入り口にいるに過ぎない。
第二は、わが国は、最近の日本人、特に若者の性行動がHIV 流行に対して非常に脆弱性 (vulnerability) の高い状態にあるという点である。我々の最近の性行動調査の結果によれば、買春を行う男性の割合は、若い世代に多く、男性の10数%にものぼると推定される。そして、最近の若者の性行動には、初交年齢の早期化、性行為の種類の多様化、セックスの相手の多数化といった傾向が顕著に強まっており、それを裏付けるように、1990年代半ば以降、若者を中心として、クラミジアや淋病などの性感染症(STD)
が、先進国としては例外的に増加に転じている。STDとHIVの間には密接な関係があり、STDがあればHIVに感染しやすくなり、また、HIV感染者がSTD
にかかると、他の人にHIVをうつしやすくなる。つまり、STD の拡大は、HIV感染を促進するという意味で特に注目される現象である。このような若者の動向は今後のわが国の流行に大きな影響を与えるに違いない。第三は、わが国の保健医療が、構造上エイズ負荷に耐えられるかという点である。エイズ医療のリソースは極めて限られており、今後の流行の拡大によって、とりわけ都会の拠点病院で一気に矛盾が拡大することが懸念される。また、現在、障害者福祉法による医療費助成が行われているが、感染者の生涯医療費は最低5000万円と見積もられるため、今後患者、感染者が急増するにつれて、サービスの切り詰めへと向かう圧力が高まる可能性があり、かなりの混乱が生じるものと予想される。
残念ながら、わが国のHIV流行の将来を楽観させる材料は今のところ見あたらない。我々の推計によれば、流行は1990年代の半ばから加速し、2003年までに、毎年1600人の感染者が発生する。感染者の報告地は全国拡散の兆候を見せており、流行するHIV株は、異性間感染しやすいと言われるE型が優勢となった。同性間感染にも依然衰えが見られない。クラミジアや淋菌感染も、1995年以降、急増しており、そこにピル解禁が追い打ちをかけようとしているのである。このままでは、わが国は、薬害エイズに続く第二のエイズの時代を迎えることになるだろう。
参考文献
「エイズパンデミック」. 山崎修道、木原正博監訳、日本学会事務センター、1998年
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