昨年の夏、我が家の娘は1ヶ月ほどスペインのホアン・カルロス・フェレロのテニス・アカデミーに行っておりました。読者のみなさんはご承知のように、我が家の娘はテニスに狂っておりますが、コーチが「気候のよいオランダなんかでのうのうとしていてはダメだ。夏なんだから灼熱の南国で鍛えられて来い」、とご託宣。
親元を離れて自分ひとりで言葉の通じないところへ行くのは初めての経験でしたが、本人は嬉々として荷物を詰めながら、CDをバーンして好きな音楽の、いうなればコンピレーションをつくっていた。
そのバーンしたコンピCDのなかにローリング・ストーンズが数年前にやったボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」が入っており、わたくしはへえと思ったのであります。
娘はいま10歳でありますが、この歳でもうディランなんか聴くんだ。わたくしの経験からしても、ストーンズとかディランとかどちらかというと硬派で世をすねたロックはもうちょっと大きくなってから聴いたものだが、女房によると、娘は大きな音を出してよく聴いているだけでなく、自分でもよく歌っている唄なのだという。
ディランとかローリングストーンズなどに不案内な読者のため(JMMにそういう読者がいたとして、ですが)にちょっと歌詞を紹介しましょうか。
Once upon a time you dressed so fine
You throw the bums a dime in your prime. Didn't you ?
People'd call, say, "Beware doll, you're bound to fall"
You used to laugh about everybody that was hanging out
Now you don't talk so loud
Now you don't seem so proud
About having to be scrounging for your next meal.
How does it feel, how does it feel
To be without home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?
You'd gone to the finest school all right, Miss Lonely
But you know you only used to get juiced in it
And nobody has ever taught how to live on the street
And now you find out you're gonna have to get used to it
You said you'd never compromise
With the mystery tramp, but now you realise
He's not selling any alibis
As you stare into the vacuum of his eyes
And ask him do you want to make a deal?
How does it feel, how does it feel
To be on your own,
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone ?
...
きみはいい服を着たり有名校にいったりしてスポイルされ、甘やかされてきたけれど、いまきみは世界へ放り出され、なにもかも自分でやっていかなくてはならないのだ。帰るところが無いという、そういう気分はどうだね。きみを知る人が誰もいないというのは、どんな気持ちだね。転がる石のように落ちていく気分というのはどんなものかね ...
こういう唄を、我が家の一人っ子がよろこんで聴いているというのが、わたくしにはなんとなくおもしろく、もっともここから哲学的な考察をするつもりはありませんが、それでもなにか、娘の、こう、なんというか自分の居所がみつからないという、不安定な気分が音楽の嗜好にもあらわれているような感じがするのであります。
こういう不安感を Alain de Botton アラン・ド・ボトンという哲学者が social anxiety 社会的不安という視点から論じております。
そもそも、人というのは生まれてはじめの頃、自分が存在するというそのことだけで世界は注目してくれる、注目だけでなく大切にしてくれる、愛してくれるのである。
どんなに泣き喚いても、物を放り投げても、人前でゲップをしても(とド・ボトン先生は書く)、世界は温かい目で見守ってくれている。世界は自分のためにあるのであります。
ところが、だ。年齢を重ね、大きくなっていくにつれ、そういう事柄はひとつひとつ許されなくなっていく。注意を引こうと大声で泣き叫んでみると、「うるさい!」と怒られる。物を投げようものなら、ひっぱ叩かれたりもする。
はて、昨日までのみんなの好意・善意はなんだったんだろう、なにが変わってしまったのだろう、はたまた、自分は何者なんだろうと問うようになって、Anxiety 不安、焦りという感情が次第に心を支配してくるようになる。それが幼年期からティーンまでなのだというわけであります。
これは誰もが、体験する不安でありましょう。けれどもさらに、自分が何なのか、居場所はどこなのか、という不安要因は、故郷をはるか離れて見知らぬ土地に住む子どもたちがすこし別の側面から対峙する問題でもある。
我が家の娘がよい例でありますが、彼女はスイスに生まれ、幼稚園を日本で過ごした後、(親の都合で)オランダへ来た。アメリカンスクールへ通い、家では日本語を使いながら、オランダの子どもたちとテニスの練習・試合をしているのであります。ときおり、ふと、「わたしは誰でしょう」と考える、自分は居場所のわからないローリング・ストーンなのではないかと考える。そういう気分を、ときおりポロッともらしたりするようになっております。
むかしJMMにも書いたことがありますが、911から1年目の2002年の秋、アメリカンスクールでのセレモニーでのときである。中学生の女の子が立ち上がり、次のような話をしました。
「わたしは祖父母がカトリックですが、母が仏教に改宗した家庭で育ちました。父はフランス人で母はドイツ人。そしてわたしはオランダで育ち、アメリカンスクールで勉強しています。それで、わたしはこれまで自分の居場所がわからなかった。国籍とかそういうことではなく、自分がどこにいるのかわからなかったのです。だが、昨年の911の事件に直面して、わたしは初めてこの世界が自分の居場所なのだと気がついたのです」
アメリカの社会学では、このように親の仕事の関係とか家庭の都合でいうことで、この国、あの国を転々としながら育つ、つまり複数の文化圏で成長していく子どもたちを、「Third Culture Kids 第三文化の子どもたち」と定義するということです。David Pollack デヴィッド・ポラックとか Ruth Van Reken ルース・ヴァン・レケンという学者たちの研究が知られております。そのポラック先生がハーグのアメリカンスクールにきて話をしていったことがあり、そのノートがどこかにあるはずなのですが、いまちょっと見当たらない。それでうろ覚えのまま書くのですが、third culture kidsには日本人とかアメリカ人とかの特徴を言う前に、共通の興味深い特徴が見られるという。
まず、適応性に長けている。これは、よくわかりますね。
友だちをつくるのがうまい。すぐ誰とでも仲良くなってしまうという陽性の性格がある。それは、自分が環境に順応できるという、経験から来る自信に裏打ちされているというのですが、要するに要領がいいのだともいえるな。
しかしその反面、友だち関係に深入りしないという傾向もあるらしい。つまり、親友とか生涯の友だちと言えるものをつくるのが難しい。これは、まさにそのとおりで、娘の友だちはそれぞれにアメリカに帰っていったが、数回eメールをしたらおしまい。
いまでも手紙のやり取りが続いているのは、数人の日本の友だちとスペインの友だちだけであります。
興味深いのは、この傾向は子どもたちだけではない。親が外交官だったり、ビジネスマンだったりして、子どもの頃から外国生活を長くしたお母さんたちにも、三つ子の魂百までというように、third culture kidsの特徴がはっきりと刷り込まれているのであります。
娘の同級生にテキサスから来ていた家族がおりましたが、そのお母さんが彼女の父親の仕事(シェル石油)で子どもの頃からバンコック、中東と住み、結婚してテキサスに住んだものの、夫の仕事(これもシェル)で今度はハーグに来た。はじめはわたくしどもと環境が似ていたりするから親しく付き合っていたが、アメリカへ帰ってからは家族一同ナシのつぶてという人がおります.そのことからも third culture kids理論がいう「深入りしない」という性癖が説明されるようにも思えます(もっとも、あいつらはへんな日本人だったからもういいやなんて思われていたのかもしれないけどね...)。
次の特徴は、観察力に優れていることである。ポラック先生はこれを自己生存のための本能だと説明しています。新しく置かれた環境を即座に分析して、自分のポジショニングを図るというのは、たしかにあちこちの国をまわった後にアメリカンスクールにやってきた生徒(香港からの生徒とか、イスラエルの生徒)にみられる傾向であります。
また、彼等は数年たつと、ソワソワしはじめ、落ち着かなくなる。これは「渡り鳥現象」なんだと定義されるが、これもわかりますね。わたくしどもも、オランダに来てすでに5年。娘も女房もなんとなく落ち着かない。わたくしが、OPCWを辞めてつぎになにをすると決まったわけでもないのに...
Third culture kidsというのは、まさに親の因果が子に報うような話ですが、結論としてそんなに悪いものではない、とわたくしは思う。外国に育って外国語ができるから国際人になるとかいうそんな粗雑な議論ではなく、小さいときから必然として環境への対応能力を強いられることで、どこにいてもけっこううまく生きていく、要領のいい人材ができるのではないかと思えるのであります。
その反対例があって、こちらは新聞に載っていた大のおとなの話ですが、いまフランスのパリ在留邦人のあいだに「パリ症候群」という症状があるんだと。
なんでも、花のパリを夢見てきたものの、(できるはずだと思っていた)言葉の壁に跳ね返され、フランス人たちにいじわるされ(と本人は思う)、アパートの自室にこもり(いちばん落ち着く)、泣いて過ごした挙句、日本へ帰っていくというのであります。
なんだ、単なるホームシックというやつじゃあないか、とわたくしは思うが、居場所の見つからないまま、また探す努力も本腰を入れてしないまま、めげてしまうのは、同情せずに申し訳ないが、子どもたちより頼りなくはないですかね。
ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、雑誌「ローリング・ストーン」(ちょっとややこしいね)の昨年11月発売の特別号「トップ500ロック・ソング」特集で、これまでのロックミュージックのナンバー・ワンと評価されたということです。すなわち、これをもってこの唄は「全時代を通じてもっとも偉大なロック・ソング」に認定されたわけであります。
「ライク・ア・ローリング・ストーン」は、それまでほかのどの曲もできなかったビジネス上の決めごとやアーティストの慣例(たとえばこの曲は演奏に六分以上もかかる)に対するチャレンジを果敢に成し遂げた、と雑誌の編集者が語ったということですが、まったく反骨的な唄ですよね、これ。
第2位はストーンズの「サティスファクション」、3位はジョン・レノンの「イマジン」、それらにマーヴィン・ゲイの「ホワッツ・ゴーイン・オン」、アレサ・フランクリンの「リスペクト」と続きます。その他10位までは、「グッド・ヴァイブレーション」(ビーチ・ボーイズ)、「ジョニー・B・グッド」(チャック・ベリー)、「ヘイ・ジュード」(ビートルズ)、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」(ニルヴァーナ)、「ホワッド・アイ・セイ」(レイ・チャールズ)。
いまロッテルダムでは、オーストラリア・オープンとロラン・ギャロの中間の大きなトーナメント(ABN−AMROワールド・テニス・トーナメント)が行われております。J.C.フェレロは昨年までの怪我で、オーストラリアも不調だったが、いまは調子を取り戻したようであります。
で、あしたはフェレロを応援に、ロッテルダムまで行ってまいります。
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※アラン・ド・ボトン:ロンドン大学大学院で哲学指導教官をつとめる。
最新邦訳『
旅する哲学−大人のための旅行術』安引宏・訳/集英社