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2007/11/28のBlog
[ 19:00 ]
[ =イギリス ]
ウォリヤー号は、1860年にロイヤルネービーの船として活躍した船で、はじめて鉄で作られた船です。蒸気で動くパワフルな戦闘のための船で、ビクトリア時代の大英帝国海軍のプライドをかけたものです。
王立海軍潜水艦博物館では、潜水艦アライアンス号がメインアトラクションとなっています。さらに海軍の最初の潜水艦ホランド1号についても知ることができ、この潜水艦は、100年以上も前に海底に沈んだものを再現したものだそうです。
王立海軍潜水艦博物館
2007/11/27のBlog
[ 21:26 ]
[ =イタリア ]
サン・ジョバンニ・デリ・エレミティ教会が建てられたのは、ルッジェーロ2世時代の頃です。現役の教会にありがちな過剰な内装などがない分、アラブ人職人が手がけた当時の面影が色濃く残っています。
サン・ジョバンニ・デリ・エレミティ教会
20071127
20071127
2007/11/24のBlog
[ 18:40 ]
[ =スイス ]
バーゼル大聖堂は、11世紀に始まり、数回の改築を経て現在の姿になりました。バーゼルで没したエラスムスの墓碑銘があって、内部はプロテスタント系の聖堂らしくきわめて質素ですが、塔に上ればバーゼルの市街が一望できます。
バーゼルの表玄関、バーゼル中央駅です。スイス国内だけでなく、隣接するフランスおよびドイツ方面の列車のほか、オーストリアやイタリア行きの直通列車も発着しています。
バーゼルSBB駅(中央駅)
バーゼル・バディッシャー駅
Bird's eye:Viewpoint of Switzerland
20071124
20071124
2007/11/23のBlog
[ 19:27 ]
[ =フランス ]
海岸沿いの東から北に位置する旧市街には、オペラ座、市庁舎、裁判所、教会などがあって、優雅な高級リゾート地とは別の顔を見せ、迷路のような町並みには、洗濯物が風になびく庶民的な風景や、生活を楽しむ人びとの笑顔があります。
サレヤ広場の市場
2007/11/22のBlog
[ 16:00 ]
[ =ベルギー ]
2007/11/20のBlog
[ 06:54 ]
[ =ドイツ ]
ノイエ・ピナコテークは、文字どおり「新絵画館」で、アルテ・ピナコテーク開館から十数年後の1853年、その当時の現代絵画を収蔵するためにバイエルン国王ルートヴィヒ1世によって設立されました。
ノイエ・ピナコテーク
ノイエ・ピナコテークと対をなすアルテは古を表し、ノイエは新を表します。アルテには19世紀の絵画を中心とした美術品が展示されています。
ノイエ・ピナコテークと対をなすアルテは古を表し、ノイエは新を表します。アルテには19世紀の絵画を中心とした美術品が展示されています。
2007/11/18のBlog
[ 15:09 ]
[ =ドイツ ]
中心街には町の象徴でもある15世紀後期ゴシック様式、ホール建築構造のフラウエン教会があります。半円形型2つの塔を持つミュンヘンの代名詞ともいえる教会で、500年間に生みだされた美術作品で装飾され、バイエルン王ルートヴィッヒ2世の墓もあります。
新市庁舎は、旧市街の中心地マリエン広場に面して1867-1909年に建造された新ゴシック様式で、85mの塔にはドイツ最大の仕掛け時計があります。
ヴィクトゥアリエンマルクトは、旧市街にある青空市場です。
教会で注目するべきものにイタリアからの影響が強いバロック様式教会のテアティーナー教会 (1667)、ミュンヘンと昔のバイエルン最初のロココ様式教会の聖アンナ-修道院教会 (1733)、バイエルンのロココ傑作であるアサム教会 (1733-46) などもあります。
テアティーナー教会
Bird's eye:Viewpoint of Germany
20071120
20071120
[ 07:52 ]
[ =ドイツ ]
ツェツィーリエンホーフ宮殿は、第二次大戦後、1945年にポツダム会談が行われた場所で、市街北部の湖に面した緑が豊かなところにあります。ホーエンツォレルン家の最後の王子、ヴィルヘルムが住んでいたという宮殿で、牧歌的な雰囲気の屋敷です。
政治家ビスマルクは、バーベルスベルク庭園でプロイセン宰相を拝命しました。ビスマルクは3つの王国と貴族連合だったドイツを帝国として統一し(1871年)、ドイツ帝国初代宰相となったのです。
バーベルスベルク庭園のフラトウ塔
20071120
20071120
2007/11/17のBlog
[ 06:35 ]
[ =ベルギー ]
ブリュージュは、13世紀から14世紀にかけて毛織物工業で栄えましたが、15世紀後半、北海と結ぶ水路が泥で埋まり、船の運行が不可能になると交易は衰退し、以来、産業革命の波も押し寄せることなく、街は中世の面影をそのまま封印しました。ゴシック様式の建造物群が、街の姿を特徴づけています。
運河とゴシック様式の建造物群
フランドル地方のベギン会修道院群は、ベルギー各都市のベギン会修道院(計26件)で、北西ヨーロッパの自律的な女子修道会であり、一般には木々に囲まれた中に立てられています。建物には生活や信仰に関わるものだけでなく、共同体で使われる作業場も含まれた複合的なものです。
ベギン会修道院
ベルギーとフランスの鐘楼群は、両国合わせて56の鐘楼がユネスコの世界遺産登録されています。ブリュージュのギルドホールと鐘楼は、13世紀に建設されたものですが、その後拡張されています。鐘楼は高さ83メートル。366段の階段を登る途中で、総重量27トンというカリヨンや、自動演奏装置が見られます。
グランプラス広場の鐘楼
2007/11/16のBlog
[ 13:03 ]
[ =ベルギー ]
グロート・マルクトは、アントワープの中心にある広場で、まわりを取り囲む市庁舎やギルドハウスの眺めは圧巻です。市庁舎は1561年から1564年にかけて建造されたルネサンス様式の建物で、中心には1887年のジェフ・ランボー作のブラボー像の噴水があります。
グルン広場は、18世紀には墓地として利用されていましたが、現在ではまわりにホテルやカフェの立ち並ぶアントワープでもっとも活気あふれる広場です。中央には1843年に造られたルーベンスの像が立ち、大聖堂の壮麗な姿を背景とした広場の眺めはもっともアントワープらしい景観の一つです。
グルン広場
中央駅は、1895年から1905年の世紀の変わり目に建造されたネオバロック様式の大建築で、アントワープを代表するランドマークの一つです。ガラスと鉄骨で築かれた半円筒形のホーム天蓋はベルギーを代表する近代建築の傑作の一つで、かつての一等客待合室は現在雰囲気あふれる素敵なカフェになっています。
中央駅のインテリア
ブーラ劇場は、1830年代の初期、在アントワープのフランス語有産階級のための劇場として建築家ピエール・ブルーノ・ブーラによって建てられました。今日では新劇団「ヘット・トネールハイス」の本拠地になっています。2階にある半円ドームを冠したカフェ「フォワイエ」ではエレガントな雰囲気を楽しみながらのティーブレイクや食事ができます。
ブーラ劇場
20071120
20071120
2007/11/15のBlog
[ 19:30 ]
[ =フランス ]
ノートル・ダム・ド・ラ・ガルド寺院は、丘の上に建つローマ・ビザンチン様式の聖堂で、マルセイユのシンボルです。鐘楼の上の黄金のマリア像が航海に出る船乗りたちを見守ってきました。18世紀中頃に建築家エスペランデューによって建てられたもので、テラスからは360度の大パノラマが楽しめます。
ロンシャン宮は、干ばつと人口増加による水不足を解消するため、1839年、デュランス川から市内へ運河を建設し、運河の終点にロンシャン宮殿が建てられました。左翼部分は美術館、右翼は自然史博物館になっています。
ヴィエイユ・シャリテ(旧慈善院センター)は、恵まれない人々を収容しようという計画で始まった貧民救済院でした。卵形のドームを持つ中央礼拝堂のまわりには、アーケードのついた3階建ての回廊が取り囲んでいます。フランス・バロック建築の傑作、とても見事な建築物です。
ヴィエイユ・シャリテ
1852年から1893年にかけて建造されたサント・マリー・マジョール大聖堂は、長さ140m、天井までの高さ70m、ローマ・ビザンチン様式の巨大で壮麗な建物です。
サント・マリー・マジョール大聖堂
20071123
20071123
2007/11/14のBlog
[ 19:12 ]
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2007/11/13のBlog
[ 15:03 ]
[ =イタリア ]
発掘によって現れたポンペイの町は、整然と区画され、住居はもちろん、劇場や公衆浴場、下水道まで完備されていました。人口1万人以上と推定される町には、壁画やモザイク画、市民が記した落書きなどが当時のまま残され、ローマ帝国の市民たちの贅沢で、享楽的な暮らしぶりを鮮やかに物語っています。
ポンペイの遺跡④
2007/11/12のBlog
[ 10:06 ]
[ =イタリア ]
Live Search Maps の Bird's eye, US stayle
イタリア統一運動の主力となったサヴォイア家は、統一イタリアの首都をトリノに定め、その周辺に様々な建築を残しましたが、それら多くの建物がサヴォイア王家の王宮群として世界遺産に登録されています。
サヴォイア家の王宮及びその庭園は、市内中心部カステッロ広場に面した左右対称の優美な建築物で、16世紀から17世紀に建てられました。裏手(北側)に広がる庭園はアンドレ・ル・ノートルが1697年に造ったものです。
サヴォイア家の王宮
ヴァレンティーノ城は、1564年にエマヌエーレ・フィリベルトが余暇を過ごす建物として購入、ポー川を望む宮殿は1641年にカルロ・ディ・カステラモンテによって完成し、現在ではトリノ工学院の建築学部に使用されています。
ヴァレンティーノ城
カッチャ宮殿及びストゥピニージ宮殿は、1729年にヴィットリオ・アメデオ2世が狩猟用の宮殿として建てたもので、屋根の頂上にフランチェスコ・ラダッテの鹿のモニュメントが設置され、セント・アンドリュー・クロスの形に建物が左右に延びています。現在、美術品及び歴史的家具博物館が内部に併設されています
カッチャ宮殿及びストゥピニージ宮殿
20071120
20071120
2007/11/11のBlog
[ 13:12 ]
[ =イタリア ]
Live Search Maps の Bird's eye, US stayle
スフォルツァ城は、ミラノにある城塞で、1450年にミラノ公爵フランチェスコ・スフォルツァがヴィスコンティ家の居城を改築して現在の姿となりました。内部にはミケランジェロの最後の作品「ロンダニーニのピエタ」などが展示されています。
ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガレリアは、モザイク模様の床とアーチ型の優美なガラス天井を備えたアーケードで、中央十字路の天井には四大陸を象徴的に描いた美しいフレスコ画があります。
サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会付属の修道院の食堂に、ダ・ヴィンチの生涯唯一の壁画であり、ルネッサンス期の最高傑作『最後の晩餐』が残っています。キリストが12人の使徒に「汝らの一人、我を売らん」と言った瞬間が描かれている。
2007/11/10のBlog
[ 10:09 ]
[ =イタリア ]
Live Search Maps の Bird's eye, US stayle
ナポリ王の宮殿は、スペイン統治時代の17世紀初頭に、建築家ドメニコ・フォンターナの設計により建築され、以後、ブルボン家を始めとするナポリ王の宮殿として使用されました。
サン・テルモ城は、ナポリの町を見下ろすヴォメロの丘の上に建っています。アンジュ家により1275年頃、初期の城郭が建築され、その後、アンジュ家により拡張されましたが、16世紀には、スペイン人がナポリを支配するところになり、星型の近代城郭へと改修されました。
サン・テルモ城
2007/11/09のBlog
[ 21:05 ]
[ =スペイン ]
カセレスの見所は、ゴシック式のサンタ・マリア教会(lglesia de Santa Maria)、ゴルフィネス邸(Casa de los Golfines)、オバンド邸(Casa de Ovando)、県の観光振興会が入居しているカルバハル邸(Casa de Carvajal)、県立考古館になっているべレタス邸(Casa de las Veletas)などです。
聖フランシスザビエル教会
20071120
20071120
2007/11/08のBlog
[ 21:29 ]
[ =スペイン ]
2007/11/07のBlog
[ 16:42 ]
[ =スペイン ]
アルカサルは、11世紀に建設された要塞で、以降500年にわたりカスティーリャ王国の首都となったトレドの軍事拠点として重要な役割を果たしました。
カテドラルは、6世紀に西ゴート王によって建てられ、イスラム時代にはメスキータに造りかえられました。1226年、フェルナンド3世の命により新しく工事が始められましたが完成は遅く1493年です。内部には金色の鉄柵に囲まれたゴシック装飾が、華麗なマヨール礼拝堂をはじめ22の礼拝堂があります。
16世紀の画家、エル・グレコが愛し、数多くの作品がいたるところに残る芸術の街、タホ川の対岸から望むトレドの全景の美しさはグレコの描いた絵そのままです。
エル・グレコの家
エル・グレコによる『トレドの情景』
20071120
20071120
2007/11/06のBlog
[ 10:29 ]
[ =スペイン ]
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