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なるたま、たるたま

 「なるたる」、なんとも奇妙な題名ですね。それだけ聞いてもさっぱり意味がわかりませんが、副題が「骸なる星珠たる子」なので、ああ、これに由来しているのか、と納得するという仕組みです。しかし、果たしてそれは正しいのでしょうか。そう考えると、アフタヌーン本誌1998年4月号の次号予告に「なるたる」が登場したとき、「キーワードは骸なる星、珠たる子」と書かれていて、「なる」と「たる」のみが白抜きで強調されてはいましたが、「骸なる星、珠たる子『だから』なるたる」だ、とはどこにも書かれてはいません。連載開始後も、単行本でも、題名の由来について断定したような文章は目にした覚えがありません。もしかして、この副題は読者をミスリードするためのものに過ぎないのではないでしょうか。
 そこで、一つの面白い文章を紹介したいと思います。

「宇摩志麻治命(うましまぢのみこと)、殿の内に天爾の瑞宝を斎ひまつり、帝・后のために御魂を崇め鎮めまつり、壽(みいのち)の祚(さきはひ)を祈(の)み祷る。謂る御鎮魂祭(みたましづめのまつり)これより始まれり。およそ厥(そ)の天瑞(あまつしるし)は、謂ゆる宇摩志麻治命の先考(みおや)、饒速日尊(にぎはやひのみこと)の天より受け来ませる、天爾の瑞宝十種これなり。謂ゆる瀛都鏡(おきつかがみ)一つ・辺都鏡(へつかがみ)一つ・八握剣(やつかつるぎ)一つ・生玉(なるたま)一つ・足玉(たるたま)一つ・死反玉(まかるがえしのたま)一つ・道返玉(ちがへしのたま)一つ・蛇比礼(へみのひれ)一つ・蜂比礼(はちのひれ)一つ・品物比礼(くさぐさのもののひれ)一つ、是なり。天神教導へたまはく、もし痛む処あらば、この十宝を、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つ、八つ、九つ、十と謂ひて振(ふる)へ、ゆらゆらと振へ。かく為さば、死(まか)れる人も返り生きん。即ち是れ布瑠(ふる)の言の本なり。謂ゆる御鎮魂祭は、是れ其の縁(もと)なり。」(吉田敦彦著『豊穣と不死の神話』より引用、一部改変)

 これは『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)巻第七、天皇本紀の一部で、物部氏の神祖であるニギハヤヒが大和に降臨するに際して天津御祖から賜ったとされ石上神宮に納められた十種の神宝を、息子のウマシマヂが使って神武天皇のために最初の鎮魂祭を施行したことが記されているということです。そしてこの文章によれば、これらの品物は怪我を治し死者をも生き返らせる強力な力が秘められているというのです。注目すべきは色を変えた部分、「なるたま」と「たるたま」という品物が瑞宝十種に含まれていることが書かれている部分です。そうです、これが「なるたる」という題名となにかしら関係がないかと考えたのです。しかしなるたまたるたま、だから「なるたる」だというのはいささか早計に過ぎるようです。今少しこれらの言葉について調べてみましょう。
 「生玉」は、「なるたま」で引いても載っていませんでしたが「いくだま」もしくは「いくたま」で引くと記載されています。古語辞典によると、

いくだま【生玉】「いく」は接頭語。人に生命力を与える呪力を持つ玉。玉をほめて神格化した語。「生島足島」「生国足国」と同様に「生玉足玉」と並べ用いることがある。

 ということで、「生」と「足」はセットであり、生玉足玉は生命力の源泉として捉えられていたことがわかります。また、生國魂命(いくだまのみこと)という神が存在し、これは生命を現出せしめ、生き続けしめる神の意で、上代に生成神を称え呼んだ称の一種だということです。そして記紀神話に登場する神武天皇の母親、「活玉依姫」(いくたまよりひめ)の「いくたま」もこの生國魂命と同義ではないかと考えられています。つまり、溢れるばかりの生命の神なのです。そして、この玉依姫はかつてむくたまの掲示板でシイナの苗字である「玉依」(たまい)の由来ではないかと指摘されているのです。果たしてこれは偶然の一致なのでしょうか。
 さて、さらに「生玉足玉」を「生る」と「足る」に分解してみましょう。

なる【生る】(1)生まれ出る。この世に現れる。(2)(植物の)実ができる。結実する。
たる【足る】(1)十分である。一定の数量に達する。(2)(心が)満ち足りる。安心する。(3)価値がある。値する。
(小学館 全訳古語例解辞典)

 思い出してください。シイナは漢字で書けば「秕」、つまり殻ばかりで中に実のない籾や果実のよく実っていないもの、総じて中身のからっぽなものを指す言葉なのです。したがって「なるたる」とは、からっぽな籾殻のような存在であるシイナが満たされた価値のある存在として結実しこの世に新生することを示しているのではないでしょうか。また、玉依が玉依姫に由来する可能性を踏まえれば、もともと生命力に満ち満ちた慈母神または大地母神であった存在が何者かによってその神性の根源たる生命力を剥奪され、そして再びその生命力を回復し再生する物語であるとも読み替えられます。作者は「ヴァンデミエールの翼」でキリスト教の父権的絶対者の支配を拒否する人形達を描いており、またコミッカーズでのインタビューで「利用してる下敷きっていうのか物理法則っていうのか、世界の法則はいっしょなんです」と述べていることを考え合わせると、思想的にも指向する世界は同じ母権的社会、つまり大地母神信仰なのではないかと思えます。さらに、むくたまの掲示板における作者とR.一郎さんの会話から推すに作者は吉田敦彦の著書を読んでいるようですから、もしかしたら「豊穣と不死の神話」の引用部にも目を留めたかもしれません。したがってこのような「なるたる」という題名の由来に関する推測も幾ばくかの根拠があるといえるのではないでしょうか。
 「なるたる」とは単なる略称ではなく、物語の行方を示唆する深い意味を持った言葉だった。それが僕の得た結論なのです。








 以上、詭弁終わり。たぶん、上に書いたことは間違いだと思います(^^;;; だって、そもそも「生玉足玉」という言葉はハイヌウェレ神話素に関する話を探していたときに偶然見つけたもので、さきに「なるたる」という言葉が頭になければ読み流していたはずなので。しかも、コミッカーズでのインタビューで「名字は遊びです」と断言されてるし(笑)。まぁ「なるたる」という物語を楽しく読むための一つの方法だと思ってください。ただ、あの鬼頭さんが付けた名前なのだからなにか意味はあるのではないか。そういう思いはやっぱりありますけど。

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