記者の目

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記者の目:三宅島・オートバイ祭典=木村健二(社会部)

 「何かをしなければ島がすたれてしまう。ありがたい」と建設業の男性(60)は歓迎し、主婦(31)は「興奮した。子どもも喜んでくれた。うれしい」と笑みがこぼれた。00年の噴火災害で全島避難を強いられた三宅島(東京都三宅村)で、今月16日から3日間行われたオートバイの祭典「チャレンジ三宅島07 モーターサイクルフェスティバル」を取材した時の島民の反応である。避難していた住民が05年2月に、島に戻って以来最高の盛り上がりとなったのは確かだ。しかし、フェスティバルの関係者が引き揚げた島の現実を見ると、喜んでばかりはいられない。

 祭典は、石原慎太郎知事が復興の起爆剤として提唱し、島民帰島以来初のビッグイベントとして行われた。当初の目玉は、オートバイの公道レースで長い伝統を持つ英国北西部のマン島をモデルとした島の一周道路(約30キロ)を使ってのレースだった。しかし、安全性を不安視した国内の二輪車メーカーが協力を辞退するなどして見送られた。その結果、火山ガスの影響で閉鎖中の空港滑走路を活用したドラッグレース(改造二輪車による直線レース)や、一周道路のツーリングに変更された。

 こうした紆余曲折(うよきょくせつ)もあってか、一般参加はオートバイを持ち込んだライダーが定員100人に対して40人。公式ツアーの参加者も300人の募集に対して185人にとどまった。事業費予算は、都が3億4000万円(公道レース中止で実際の執行額は約2億円減の見込み)。村は約3億円で、今年度の村の当初予算の約7・7%に相当する。石原知事は来年以降の公道レース実現を強調し、平野祐康村長も「継続してやらないと何の意味もない」と歩調を合わせるが、同規模の事業費を毎年予算化していくのは容易ではない。

 島の人口は00年9月の全島避難時の4分の3の2886人(今月1日現在)に減少した。65歳以上は1052人で全体の約36・5%(全国平均20・8%)を占めている。島内3地区にあった小中学校は、今年度から小中1校ずつに統廃合。昨年の観光客数は4万905人と噴火前の半数。島内ではガスマスク携帯、約45%の地区では立ち入り規制、ガス濃度が高い2地区は居住禁止……。帰島から2年たった島の実態は、復興とはほど遠く、イベントに頼ろうとする気持ちも分かる。

 ただ、民間調査会社が今春、島民を対象に行ったアンケートでは、集客が望める観光事業としてレースを挙げた島民はわずか17%に過ぎない。軽飛行機や大型ヘリの就航(74%)、観光名産品を作る(38%)、宿泊施設を増やす(24%)など社会基盤の拡充を望む声が圧倒的に多かった。こうした期待に応える動きがある。あまり知られていないが、今年度発足した「三宅島人材受け入れ連携協議会」が進める取り組みだ。

 都や村、観光協会、災害支援団体など島内外の民間組織、学識経験者ら約40人から成る協議会は、未帰島の旧島民や退職した団塊世代の人たち、島に関心のある若者らを島に定住させるための調査を進めている。新たな特産品の開発にも取り組み、魚を火山灰で干物にする「灰干し」や、火山ガスに強く花も葉も食材となる南米原産でハスに似た「キンレンカ」と既に有望株が見つかりつつある。

 国土交通省のモデル事業に指定されている協議会の国が付けた今年度の予算は546万円。イベントの費用に比べればケタ違いの安さで、都や村からの財政援助はない。協議会の副会長で「早稲田エコステーション研究所」の藤村望洋・代表研究員は「島の特色を創出しながら生活に密着したところで、復興を下支えしていきたい」と島の再建に意欲を燃やす。

 三宅島と同じ00年に噴火した有珠山を抱える北海道洞爺湖町では、美しい湖や温泉に恵まれながら宿泊者数は一時噴火前の約4割に落ち込んだ。しかし、町が火口散策路の整備など火山資源を生かした観光振興策に取り組むなどして観光客の誘致活動を強化、06年度の宿泊客は噴火前の9割にまで回復した。来年7月のサミット(主要国首脳会議)ではメーン会場になる。

 同じ観光が基幹産業でも、周囲を海に囲まれ、海釣りやダイビングが主体の三宅島との単純比較はできないが、町の取り組みは参考になる。島では来春、羽田間の空路が再開される予定だ。本格復興への転機を迎える今、派手なイベントばかりではなく、被災地の足腰を鍛える地道な振興策にこそ行政は目を向けてほしい。

毎日新聞 2007年11月28日 0時12分

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