内野聖陽さんの「風林火山」トーク 番外編

勘助の上田原3

避けて通れなかった敗北そして板垣の弔い合戦

 上田原の戦いは、武田が初めて大きな敗北を喫した戦いになってしまいました。しかし、この敗北は新しい武田家をつくっていくリーダーとしての晴信が避けては通れないものだったんでしょうね。それまで負けを知らずにきたから、敗者の痛みもわからない。板垣信方は、そんな晴信に『自分の力に自信を持て』と諫(いさ)めるために死んでいく。まさに、晴信が『お屋形様』として、より大きくなっていくための試練だったとも言えます。

 勘助は、この前後のくだりで腹を決めます。ゆくゆくは京の都に武田の御旗を立て、晴信に天下人となっていただくためには、ある程度血を流し、傷を負って痛い目にあうことがどうしても必要だと思ったのでしょう。愛情深く見守るしかなくなりました。
 しかし、正直言って勘助は上田原での村上義清との戦いが、これほど大きな犠牲を払うとは見越していなかった部分もあります。一方、板垣は上原城の城代として諏訪の状況をつぶさに見ていましたから、諏訪に対する思いも深い。上田原合戦の前に、晴信に諏訪家高揚のための旗を賜り、小笠原の調略を含めて、さまざまな種をまいていました。

 29話はそんな板垣の思いを背負い、武田家が結束していく姿が描かれました。塩尻峠の戦いは板垣に安心して成仏してもらうための“弔い合戦”になったのです。上田原、それに続く塩尻峠の戦いは、信濃制圧を進める武田家のターニングポイントとなった戦いですね。晴信が重臣の甘利、そして傅役(もりやく)でもあった板垣を失ったことで、勘助もこれまでのように『嫌われ者でもいい、軍師参謀として力を発揮すればいい』というわけにはいかなくなった。より“武田家の一員”という自覚を強く持ち、甲斐の命運を決定していく男になっていくのでしょう。

 
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