上田原の戦いに向かうころから晴信はものすごく焦っていましたね。やはり勝ちが続くと負けることに対して不安になる。そんな晴信のおびえを板垣信方は見抜いていました。ただ、そのことを由布姫から聞かされ、自分のいないところでそんな話をしていたことにすごく傷ついたところもあります。 あのころから暴走に拍車がかかったようなところがあります。ただ、名君というのは“生まれながらにして”なるものではないと思うんですよ。一度、深い挫折を味わうようなことがないと、なかなか真の名君にはなれないんじゃないかな。 晴信にとって上田原の戦いに意味づけをするなら、初めて『負けた者の痛みがわかる』ようになったということでしょう。初の敗北にプライドを傷つけられたけれど、逆に虚勢を張ることのない飾らない人間になれた。暴走していたころは『いけいけ』(笑)でしたから、人にカッコ悪いところは見せなかった。だけど、上田原以降はカッコ悪かろうが何だろうが、もうすべてを人に見せてしまうようになる(笑)。それが晴信の成長であるということでしょうね。
晴信に板垣の必死の説得が届かなかったのは、反抗期でもあったからでしょう。板垣は晴信にとって父親だったんです。反抗期の子どもは親が怒れば怒るほど、『だめ』と言われれば言われるほど、やってしまうでしょう(笑)。それと一緒だった。 両雄の1人である甘利虎泰にとっては、まず甲斐の国があって、その先にお屋形様という存在があった。しかし板垣は全面的に“お屋形様愛”だったんですね。だから、ずいぶん優しくされましたが、やはり子が父を超えなければ独り立ちできない。そのための反抗期でもあったような気がします。それにしては犠牲が大きかったのですが・・・。 板垣が歌をうたいながら戦って死んでいったことも晴信との関係を象徴していますね。あの『飽かなくもなお木のもとの・・・』という歌は、若いころの晴信をいさめるためにつくったもの。やっぱり板垣の目に映る晴信は、いつまでもあのころのままなんだなって。 晴信に対する呼びかけにも違いがありました。公的な場所や対外的にちょっと気取ったところでは『お屋形様』でしたが、晴信に対して本心から訴えたりする時には『若』でした。暴走した晴信に『自信をお持ちください』と言った時は、初めて勘助がいるところでも『若』と呼んでいました。それだけ必死だったんですね。そして最期に息を引き取る瞬間も『若・・・』だった。板垣の中で晴信は永遠に『若』だったんです。