上田原の合戦で単身、敵陣に乗り込んだのは、甘利にしてはちょっと無理がありましたね(笑)。自らがやりとなって村上の首を取りに行こうという一途な気持ちはわかりますが、『やはり、それがし謀(はかりごと)は不得手じゃ』と言っているように、不器用な生き方の甘利には似つかわしくない策でした。 しかし、もし成功していたら多くの味方を失うことなく勝ち戦になっていたはずです。『おのが妻子が大事、所領が大事、そして甲斐の国が大事』という甘利だからこそ、たとえ自分を犠牲にしてもみんなを守りたかったのでしょう。 つまり甘利という人物は、もちろんお屋形様のことも思っているけれど、それ以上に甲斐の領民のため、そして妻子ある武士集団のために生きていたような気がします。だから妻子を持たず、何も守るものを持たない勘助のことが嫌いなんです。甘利の目には、勘助が自分のためだけに生きているというふうに映っているからです。 勘助が献策する軍略や策略も、お屋形様のためではなく自己満足のためというふうに受け取ってしまう。甘利は甲斐源氏の流れをくむ名門の出ということもあり、誇り高いところもあったのでしょう。とにかく勘助の存在が快くなかったんです。
勘助に対して非常にはっきりした1本の道というか、対立軸があったことは演じやすかったですね。上田原の戦いの前にも、甘利は『戦の勝ち負けとは、何を守り何を失うかじゃ』ということを言い聞かせています。勘助は、その言葉を記憶にとどめていたんですね。合戦の最中、甘利が敵方に寝返ったかに見えた時、お屋形様に『裏切りではない』と進言したのは勘助でした。これまで対立する関係だった勘助との間に、最後の最後に絆というか、つながりが出来てよかったと思います。 武田家臣団の中での甘利の位置も明確でしたから、楽しみながら演じることが出来ました。板垣信方とは同じ方向を向いていながら、ある種、好みというか、やり方というか、目ざす部分がちょっと違っていた。板垣は傅(もり)役でしたから、全面的にお屋形様に力を注いでいく。ところが甘利は、お屋形様というのは状況に応じて変わっていく流れの一つというとらえ方なんです。それより領民や仲間を守っていくという姿勢でした。 いろんなことがあったけれど板垣のことは非常に尊敬もしていたし、その存在の大きさもよくわかっていました。もし彼が倒れたら甲斐の武田は立ちゆかない。だから、村上の首を取ることに失敗した後、敵陣から逃げ出し、ひん死の状態になりながらも板垣の陣に駆け込み、村上軍の夜襲を知らせている。 お屋形様は板垣が守るのだから、その板垣を助けるのが自分の使命だという考えだったんでしょう。最期まで甘利にとって大事なのは仲間だった。そんな私利私欲のない生き方は好きですね。