インタビュー 板垣信方役・千葉真一 時代を超えて理想の親父像を・・・

晴信と積み重ねてきた年月が育む絆

 今回、僕は板垣信方を通して“日本の理想的な親父像”を伝えることが出来たらうれしいなと思いながら演じてきました。戦国時代といえども、子どもを育てる親の気持ちに変わりはないはずです。板垣は武田晴信を自分の息子と思い、1人の親父としてある時は“愛”を、そしてある時は“愛のむち”で、その成長を見守ってきました。
 しかし、戦国という過酷な状況では親父の力だけでは守りきれないことも起きてきます。そうなった時、やはり親父は子どものために死ぬことができるんですね。板垣も本当に何の抵抗もなく晴信のために命を賭して戦いに挑んでいきました。彼の持つ犠牲的愛は、まさに日本の侍の姿であり、そういう役を演じられたことは役者冥利(みょうり)に尽きます。
 板垣と晴信の関係は、僕と市川亀治郎さんにも重ね合わせることが出来ます。役については2人でずいぶん話し合ってきました。たとえば、先代の信虎を追放する決意を晴信が初めて板垣に打ち明けた時のことです。『わしに従わぬのなら、この場でわしを斬れ』と、晴信が板垣に刀を渡すシーンがありました。しかし、そう言われて親が子どもを斬るための刀を受け取るはずがない。では、どうしたらいいのか。そこで亀治郎さんに『僕に近づいて僕の手を握り、その手に刀を重ねるようにしてください』と言ったんです。いつの間にか板垣は刀を握らされ、晴信の決意がいかに強いかを思い知らされる。そんな形を2人で話し合いながら作り上げていきましたね。
 いろいろなことがありましたが、親父と息子という関係が脚本でも実によく描かれていてやりやすかったですね。また、亀治郎さんとの日常のつきあいの中で育まれた雰囲気も、うまい具合に芝居に反映されていったのではないかと思います。

最期の瞬間の満ち足りたほほえみ

 板垣の最期の戦いはロケで撮ったのですが、いや、年取ったなって(笑)。これまでなら、あの程度の殺陣(たて)は、そんなに苦にならなかったのに、次の日に足腰たたないくらいしんどくてマッサージ受けました(笑)。しかし、大好きな晴信にすてきな死に様を見せることが出来て良かったと思います。子どもは宝だって言うでしょう。宝のために死んでいくのだから悲壮感はまったくない。むしろ笑いながら最期を迎えたいと思い、実際にそのように演じました。
 ただ、最初に脚本を読んだ時は少し抵抗があったんですよ。晴信が歌に興じてばかりいた若いころ、板垣も自ら歌を作ってみせた。あの晴信に人生を教えた歌を、戦場でうたいながら戦うと書かれていたのですから。果たして、うたいながらの殺陣というのはどうなんだろうと悩み、プロデューサーや演出家の方たちと何度か話し合いました。その中で、いや、それこそが晴信に男の生きざまを見せる瞬間になるのではないかと思うようになったんです。板垣が晴信に伝えたいことが全部あの歌にはあった。きれいな歌であり、いい歌だったから、うたいながらの最期には満足しています。

 
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