「風林火山」は一視聴者として見ていたので、まさか自分が出演することになるとは思ってもいませんでした(笑)。たまたま別の仕事でも長野との関わりが深く、去年1年間は足繁く通っていたので、村上義清役と聞いた時にはやや因縁めいたものも感じました。 役が決まって村上の生誕地である坂城町などを訪ねてみると、史料は少ないものの小学校の校歌に名前が残るほどの英雄。その期待を裏切ることのないよう、見ている人たちが村上に肩入れできるような人物像をつくっていければいいかなと思っています。 実際、村上の居城があった葛尾城跡や真田の館などにも行ってみたのですが、本当に狭いところで豪族たちが覇を争い、群雄割拠していたことがわかります。それだけ豊かな土地だったんですね。その中で村上は領土を広げようということよりは、自分の領土や領民を守ろうという意識のほうが強かったのではないかと思います。だから攻められたら正々堂々と戦うけれど、侵略するために調略を仕掛けて人を翻弄(ほんろう)するような戦いは出来なかった。その根底には今のところで十分食っていけるのだからという思いがあったんでしょうね。
武田というのは、いままでの信濃にはなかった新しい勢力であり、巨大な軍隊ですね。いい意味でも悪い意味でも、あまり人を殺さず、調略という形でムダな戦をせずに敵を落としていった。攻められたほうも武田の軍門に下ることで領地がそのまま認められるのだから、そこになびくのは仕方のないことでね。人の気持ちというのは非常に移ろいやすいというか、戦国武将といえども生きていくためには“長い物には巻かれろ”という形で武田にのみ込まれていくしかないわけです。 そんな中で、武田の軍門に下らないという生き方もある。それがいいか悪いかは人が判断することで、村上の生き方は武田との対比を出すうえでも意味があるのではないかと思います。正直言って政治力という意味では弱かったと思いますけどね(笑)。人間社会は組織でないと生きていけないところがあり、たとえば会社を飛び出してはみたものの、いざとなると1人では食べていけないということも往々にしてあります。 村上が正々堂々と戦うというのは、非常に男っぽくカッコいいことではあるけれど、若干、世間知らずというか、多少は長い物に巻かれてもいいかなという部分もあるかも知れません。でも、その“清(きよ)さ”も含めて武田との対比を出していくことで魅力的な人物像をつくっていけたらと思います。