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駒井政武が武田家中のことを記録した『高白斎記』という日記があります。それを読んでみたら、日常の出来事が細かく記されていてすごく面白い。駒井という人がいろんなものに興味を持っていたことや、武田家の史実をきちんと残そうとしていたことがうかがえます。武田への愛を感じると同時に実に冷静な人だということもわかりますね。
『甲州法度』を作ったのも駒井ですが、その末尾に『たとえお屋形様でも、法度を守らなければ罰を受けることになる』という条文を付け加えてほしいと申し出ています。そんなことを晴信に言えるのは、たぶん駒井だけでしょう。ずっと側にいて世話をしてきた人間だからこそ、周りの人たちが言えないことをすぱっと言えてしまう。身分は違っても、そんなことに気をつかわずに、『ちょっと、それはまずいんじゃないの』と思うことは、言葉だけでなく態度でも示しています(笑)。
駒井は晴信と同い年なので、板垣信方のように親の視点に立つことはないですよね。そうかといって兄弟でもない。家臣でありつつ、家臣団より晴信と一緒にいることのほうが多い。だから、同年代、同じラインの視点で晴信のことを見ていると思うんです。だからこそ、“冷静なる判断、公平なる判断”が出来るし、それが駒井の役割なんです。

演じるうえでも単なるイエスマンではなく、駒井という人間の熱さや、逆に晴信のことをどれだけ心配しているかということを出していけたらいいなと思っています。ただ“冷静な人物”というだけでなく、人間としての奥行き、立体感のようなものですね。
そのために、まず台本にあるセリフはすべて現代の口語に直すという作業をしています。ふだん僕がしゃべり慣れていない言葉で書かれたセリフの本質的な意味、言葉のリズムをつかむためです。そして一度声に出してみる。
ふだんなら、このセリフをどういう感覚で、どういうトーンで言うのかなって。そうやって一度、セリフを分解したうえで、改めて当時の時代の言葉に戻してみるんです。
僕は、あんまり役作りのシステムというのを信頼していないんですよ。“この人物はこういう人だった”ということは頭に入れるけれど、それを演技で説明しようするとがんじがらめになってしまう。それより、その場その場で、その時あったこと、感じたことを大事にしたい。とくに時代劇は様式に頼ってしまいがちなので、その時の感覚や感情を大切にしたいですね。

晴信役の市川亀治郎さんには、いろんなことを教えていただいています。たとえば感情を表したい時の所作とか、勉強になることばかり。これまで歌舞伎の方たちのメソッドを聞く機会はなかったので、ものすごく新鮮だし、嬉しいんです。亀治郎さんは、それらがすべて身に付いていますからね。
一緒に食事に行っても、能や歌舞伎の世界のことをいろいろ話してくださるので、本当に勉強になります。印象的だったのは、能や歌舞伎の音楽と、いわゆる洋楽(クラシック)とは根底から世界観が違うということ。邦楽(日本古来の音楽)は無音を聞かせるために音を出していると言うんです。洋楽では“休符”でしか存在しない部分であり、何もない余白の部分、その“静”を生かすための音楽なんだそうです。
それは日本人の考え方、世界観に通じるものだと思うんですよ。僕自身、奥底には熱いものを秘めながら、『ただそこにいるだけ』といった静けさみたいなものを、しっかり表現していきたいと思っていたので、こういう話を聞くとすごく嬉しいですね。
亀治郎さんとの出会いは、僕の人生にすごく大きな影響を与えてくれるものになりましたし、亀治郎さんが晴信役で本当によかったと思いました。だって駒井は“お屋形様ラブ”(笑)ですが、僕も『この人にならずっと、ついていきます』って自然に思えますから。
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