
山本勘助役のオファーをいただいた時、『この役を僕がやっていいのだろうか』と、一瞬のためらいを覚えました。井上靖さんの原作では、すでに年齢が50歳ぐらい。隻眼(せきがん)で足が不自由なうえに、子どもたちがよけていくほどの“異形”ぶりという強烈なイメージだったからです。
しかし山本勘助について調べていくと、実に謎に包まれた男で『甲陽軍鑑』など、いろいろな歴史史料に記録はあるものの事実は定かではない。肖像画として残されているものも後々になって描か れたものだということで、存在やイメージ自体があやふやだということがわかってきました。それなら虚構の世界の中で、自分なりのイメージをふくらませて“内野流”山本勘助を作るのも面白そうだなという思いに駆られてきたのです。
それにこれだけ影のある主役というのは、いままでにないですよね。ただ単に偉業を成し遂げたというのではなく、ハンディキャップを背負って恵まれないところから始まり、心の闇も引きずっている。そんなヒーロー像に役者として食指が動くという面もすごくありました。
川中島にある山本勘助のお墓を訪れたら、その墓石は決して大きなものではありませんでした。恵林寺に祀(まつ)られている武田信玄公の立派なお墓とのあまりの違いに、勘助は“在野の男”なんだということを実感しました。そして、だからこそ、何もないところから自分の意志の力や、欲望の力ではい上がり、頭角を現した人間のすごさを感じることができました。

勘助を演じていてすごいなと思うのは、その勉強家ぶりです。築城術、陣取り、城取りなど、『そこまでするか』というほど、戦のことや兵法を研究している。その情報収集能力やデータ分析力には感心しますね。
その一方、もし勘助のような人物が周りにいたら、かなり鼻持ちならない人間ではなかろうかというのはあります(笑)。すごく自分に自信を持っていて『俺は出来る人間なのに報われていないんだ』と思っている。そういう人間がそばにいたら…。でも、役者は自分の役に惚れ込んだら突っ走るもの。勘助に惚れ込んでいるいまの僕には、うっとうしい人間かどうかはよくわかりません(笑)。
ただ、勘助という人間が最初から自信家だったわけではないと思うんですよ。脚本の大森寿美男さんのフィクションですが、ドラマではハンディキャップを背負っていたがゆえに『お前は侍には向かない』と肉親から見放され、里親に出された養父母にも見放されています。そうした生い立ちや経験が『自分の志を全うしたい』という強い気持を彼に抱かせる原動力になった。それが彼をして、あそこまで軍略の勉強に駆り立てたという感じですね。
そんな不遇な人生を歩んできた勘助ですが、だからこそ強くなれた。常に前進し、向上していくことを宿命づけられていたから、どんな苦境に立たされても、前に向かうパワーとエネルギーを持ち得たんです。ドラマを見てくださる方に、それを少しでも感じ取っていただけて、『頑張るぞ』という気持になっていただけたらうれしいですね。