11月25日:買うエコのLCA的思考法 HP更新
買うエコ、節約エコ、この2種類のエコだが、もしも現在程度より多少低いぐらいの快適性・利便性・安全性を確保しようとするのなら、効率向上がその手段で、同時に、買うエコを普及することが重要。現時点では、まだまだ買うエコに値する製品は少ないのだが。
買うエコに値する製品かどうか、それをどのように判定するのか、その方法を提案する。
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コメント
>安井至さん、
【重要】
今回の記事はまずいです。
特に、詐欺商法である「円天」を利用しているHPのURLを公開/直リンクし、そのHPを擁護していると受け取られる文言が書かれておりますが、安井至さんご本人はこれを認識されておられますか?
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★ 他人のブログに、礼節を全く無視した文句を書きつらね、自分の憂さ晴らしのために使っている人が多いことが、このページからも良く分かる。作者には深く同情。
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ブログ主は、「円天」で商売をされており、それに対する批判がブログでなされております。この事実を認めた上で、「作者には深く同情」されているのでしょうか?
詐欺商法についての深いご認識のないままに、「作者には深く同情。」と書かれたとは思います。それとも、安井至さんは「円天」をご存知の上で、「作者には深く同情」すると公言されたのでしょうか?
その場合は、各方面からしかるべき処置がなされ、大変に厳しい事態となることが想像されます。
いずれにせよ、この「科学的」で「良心的」な板からのURL直結では、あの板へ飛んだ方から被害者が出ることも想像されることでしょう。
◆しかるべきご処置をお願いいたします。
投稿 【重要です】 | 2007年11月26日 (月) 04時13分
重要ですさんへ
荒らしに反応するのも荒らし って有名な格言を守ってずっとROMしてましたが
何かひとつ落ち度があった後に、違う話題を提供したらその内容が問題なくても
過去の落ち度と関係のないその内容まで非難し、コメント欄があるのをいいことに
我が物顔で嫌がらせしいる人間がいることには私も深く同情しますけどね。
特に安井先生のブログには、コメント欄でストーリー仕立ての揚げ足取りを書いて
大喜びしている人間がいるので、特に悪質かと。
人間には羞恥心って必要ですよね。
※このコメントにはどなたからのお返事も不要です。
投稿 tuki | 2007年11月26日 (月) 09時33分
昔から質素倹約がエコにつながると考えられていましたから、「買うエコ」や「我慢しないエコ」さらには「贅沢なエコ」は、なかなか信じてもらえないでしょうね。そうは言っても少しずつ世の中は動いているようで、ご近所さんもプリウスに買い換えたり、ハイブリッドカーに興味を持って質問される機会も多くなりました。
電球は家の中でなかなか他人の目に見えないのですが、毎月の少ない電気代や、例えば10年間使った後に計算した浮いた電気代など、馬鹿にできない金額です。毎月2000円の節約でも、10年間で24万円の節約、初期投資の電球代は、せいぜい1万5千円ですから、こんなうまい話いまどきなかなかありません
「変人」「環境バカ」はどんどん増えるでしょうね(笑)。
買って、さらにそれを使ってそこそこ節約すれば、効果倍増ですから、どっちを選ぶかというよりも、どちらも選びたいものです。
投稿 健 | 2007年11月26日 (月) 13時31分
>tukiさん、
落ち着いてください。
もう一度いいますが、あのHPは詐欺商法として摘発された円天で商売されている方のHPです。(ご本人自身も被害者の方から告訴されているという書き込みもありました)
安井至さんは「国連大学副学長」その他の肩書きをお持ちです。「円天」という詐欺事件として世間を騒がせ、告訴されいる(未確認)方を擁護する発言を、ご自身のHPで行っているという自覚をお持ちなのでしょうか?
もし認識が無いままにそのような行為をされているならば修正すればいいだけの話しです。(あのHPが記事の流れの中で重要とは思いませんから)
もし、「円天」「詐欺商法」をご存知の上で擁護されているならば、それなりの覚悟をお持ちなのでしょう。
前投稿、およびこの投稿はあくまで善意のものです。
誤解なきよう。
投稿 【重要です】 | 2007年11月26日 (月) 17時37分
C先生の永年のご活躍には敬意を抱きつつも、時折お見せになる、ややもすれば他人の言説に厳しくご自分のそれには少々甘い傾向が以前から気になっておりました。
「環境学」には、企業の経済活動や、個人の生活様式に踏み込んで非難や指図めいたこと(今回の電球型蛍光灯なんかまさにそう)を言わざるを得ない事情があり、その意味で学問の自由・発言の自由をどう確保してゆくかは、案外大事なことのように思います。
某氏の書き込みを荒らしと認定され、しかし無視を決め込むことができず、今日の記事でも「礼節」という点から言及されています。しかし、そもそもの発端と申しましょうか、公刊された書籍に対して、「実は、この本を買っていない。読んでもいないのだ。むしろ買うこと、読むことを拒否してきた。なぜならば、『読む価値の無い本は読むだけ無駄だから』」とやるのは、言論界ないし学界の礼節的にどうなんでしょう(礼節以前に、ルール違反ではないかとも思いますが、環境科学方面の学界慣習には詳しくないので断定は控えます)。
善意に解釈すれば、過去のT先生の著作等から判断して、読む価値の無い本「である蓋然性が高い」ということを仰っているに過ぎないのかも知れません。しかし、単に一読書子Cの読書日記ではなく、環境学者C先生の御説を開陳される場であってみれば、読む価値の無い本という断言は、読んでいない御本に対する評価としては著しく相当性を欠くように思われます。
以前にも、某有名政治家の家族のプライバシーに触れる記事を載せた週刊誌への販売差し止めを支持されていました。C先生のように、草創期からパソ通やネットと親しんでこられた方々のなかには、礼節云々に問題があれば発言を封殺しても構わないという意識をお持ちの方が多く見受けられます。ラテン語だけで教義が語られていた時代は、もう終わったのではないでしょうか。
投稿 ino | 2007年11月26日 (月) 19時10分