倫理研究所
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創立者短歌

熱烈な向上心

倫理研究所の創設者である丸山敏雄は、明治25(1892)年5月5日、現在の福岡県豊前市合河町に生誕しました。
尋常小学校・高等小学校を経て、16歳で小学校准教員の免許を取得。大正5(1913)年に小倉師範学校を首席で卒業後は、郷里の八屋小学校に勤務しました。しかし進学の思いはつのり、広島高等師範学校に入学します。
福岡県豊前市合河町 同校を卒業すると、福岡県立築上中学校教諭として奉職し、同年に神崎キクと結婚(29歳)。さらに久留米の県立中学明善校から長崎女子師範学校へと転勤、首席教諭(教頭)として教鞭をとるかたわら、考古学・民俗学の実地踏査を行ない、日本古代史の研究にはげみました。
長崎の地でカトリック信者の熱狂的な信仰に接した丸山敏雄は、歴史教育者として民族の本質を根本的に研究し、不抜の信念を得なければならないと痛感。学問をさらに深めたいと願い、昭和4(1929)年に広島文理科大学へ入学します。すでに2児の父、37歳でした。
大学では専攻する日本古代史の研究に励むとともに、尊敬する西晋一郎教授から哲学・倫理学の講義を受け、個人的にも親しく教えを仰ぎました。卒業論文には「我が国古代に於ける神人交感に関する研究」を執筆しています。

捨て身の修業

若き日の丸山敏雄それまでの丸山敏雄は、もっぱら教育者および研究者としての人生を歩んできたのですが、一貫して求めていたのは「人間としての真に正しい生きかた」であり、それに対する確固とした信念でした。大学を卒業した敏雄は、約束されていた師範学校長の職をなげうって、一転、宗教の世界に身を投じます。『古事記』『日本書紀』など日本の古典に記されている奇跡や奇瑞の意味を理解するには、学問だけでは不可能だと判断したからです。
在学中に知った当時の神道系の新興宗教団体「ひとのみち教団」に身を置き、それまでの「学」に裏付けられた、本格的な「行」の段階がはじまりました。生来、修徳・鍛錬の資質を有していた敏雄は、黙々と修行にはげみ、心境を磨いて、次第に「教団」の中で頭角をあらわしていきます。やがて准教祖の一人に抜擢されるまでになったのですが、戦時中に「教団」が弾圧をうけ、敏雄ら幹部は投獄されて、1年余りの勾留生活を余儀なくされました。
獄中で、激しい拷問や脅迫に耐えつつ、敏雄は宗教団体の排他独善性を深く反省するとともに、亡き両親に詫びつづけることで「いのちの悟り」を得ました。それまで培ってきた「学」と「行」とが不動の「信」に結晶し、〈徳福一致の絶対倫理〉すなわち純粋倫理が敏雄の中に芽生えたのです。

昭和13(1938)年、仮出所を許された47歳の丸山敏雄は、いつ果てるとも知れぬ公判に臨みながら、学問と実践に専心し、いよいよ心境を磨きあげていきました。「秋津書道院」を創設して、青年期より親しんできた書道の指導により糊口(ここう)をしのぎながら、研究は続けられていきます。
昭和17(1942)年には東京に転居。やがてむかえた敗戦の悲嘆の直後に、丸山敏雄は『夫婦道』という論文を、「この平和と世界文化建設の大任に入る」の大決心のもとに起稿します。昭和20年9月3日のことでした。国情の混迷と道義の退廃を憂えるなかで、長年にわたる研究と実践は体系的な純粋倫理として開花結実していきます。昭和21年には「しきなみ短歌会」も創設されました。
敏雄を慕う書や歌の友、あるいは生活指導を受けてきた多くの人々の要請もあって、ついに昭和21(1946)年12月、倫理研究所の前身である「新世文化研究所」が設立され、月刊誌の発行や「家事相談所」の開設が数人の同志とともに始められました。ここに本格的な倫理運動が開始されたのです。

最後の決意

草創期の内弟子には、青山一真、宇宿五郎、鳥居武二、上広哲彦(のちに分派して実践倫理宏正会を創始)たちがおり、長男の丸山竹秋も父親の仕事を助けました。次第に雑誌頒布の努力が実り、晩年の丸山敏雄次々に心境を磨く道場としての「朝の集い」会場が開設されて、この運動はやがて東京近郊はもとより関西・中国・九州へと波及し、全国に広がっていきます。
昭和23(1948)年に『無痛安産の書』が上梓されるや、敏雄は超人的に講演、個人指導、書道や短歌の指導をこなしながら、研究に打ち込み、数多くの論文や著作を矢つぎ早に発表していきました。昭和26(1951)年には病身をおして夫人を伴い、伊勢神宮に人類救済の誓願を奉じています。それは身命を犠牲にしての壮絶な誓願でした。同年の12月14日、東京都武蔵野市の自宅「高杉庵」において永眠。

「我が願ひたぐひも無けれしみじみと人類の幸思ふなりけり」
晩年の作であるこの一首に、丸山敏雄の真情と念願が込められています。

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