元総務庁長官の江藤隆美さん死去2007年11月22日20時34分 建設相、運輸相、総務庁長官などを歴任し、自民党江藤・亀井派(現伊吹派)会長を務めた元衆院議員の江藤隆美(えとう・たかみ)氏が22日午前9時50分(日本時間午前11時50分)、ベトナム・ホーチミン市内のホテルで意識不明になっているのが発見され、その後、死亡が確認された。死因は心不全。82歳だった。通夜は26日午後5時、葬儀は27日午前10時から宮崎県日向市中町1の31の同市文化交流センターで。喪主は長男の衆院議員拓氏。自宅は同市亀崎東4の117。
伊吹派に入った連絡によると、江藤氏は19日から私用で東南アジアを旅行中で、ハノイを経由し、21日にホーチミンに入ったという。出発時間になっても起きてこないことから、部屋を訪ねた同行の秘書が発見した。 宮崎県出身。69年の総選挙で初当選し、通算当選10回。故中川一郎氏を中心としたタカ派の「青嵐会」に属し、自民党国会対策委員長、幹事長代理などを務めた。海部内閣の運輸相だった89年には、成田空港建設反対派に対し「地元への説明不十分が問題長期化の原因となった」と国の誤りを認め、話し合い路線に道を開いた。 農林族、道路族の「実力者」として鳴らした。道路公団民営化などの構造改革を旗印にした小泉内閣に対しては「抵抗勢力」を自認し、批判の急先鋒(きゅうせんぽう)となった。 歯にきぬ着せぬ発言で知られ、発言が問題化したこともあった。村山内閣の総務庁長官だった95年には、朝鮮半島に対する日本の植民地支配に関連して「日本は良いこともした」と発言、韓国の強い反発を招いて辞任に追い込まれた。 中曽根派に属し、旧渡辺派の一部と亀井静香氏(現・国民新党代表代行)のグループが合併してできた派閥「志帥会」の第2代会長を務めた。03年に地盤の宮崎2区を長男拓氏に引き継いで政界を引退。同派会長を亀井氏に譲った。 おくやみ
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