比叡山中のお堂に9日間こもり、食事や水を取らずに不眠不休で真言を唱える天台宗の難行「堂入り」に10月、比叡山延暦寺大乗院(滋賀県大津市)の住職星野円道さん(32)が挑んだ。「医学的には不可能」ともされる行。達成の瞬間に立ち会いたいと、南佐久郡佐久穂町の住職が募った旅に参加した。約60人の参加者は、一つの道を極める厳しい姿に接し、貴重な体験を日々の暮らしに生かそうとしている。(長沼佳史記者)
表情のない白い顔が、闇にまぎれずに浮いているように見えた。10月21日午前1時、琵琶湖を見下ろす比叡山山腹にある「明王堂」。行の達成まであと2時間となった星野さんが、介添えの僧侶に両脇を支えられながら、最後のお供えの水をくむため姿を見せた。
満行の瞬間を見守ろうとお堂の周りを取り囲んだ約600人の中から、祈祷句「不動真言」が、うねりのように高まる。星野さんの目が、すーっと井戸の方向を向いた。目が合ったら自分の何かが壊れるのではないか−と恐れを感じた。
数人の僧侶がちょうちんで先導する。人だかりで星野さんの姿は見えないが、通り道を覆う木々の葉が明かりを受け、進み具合は分かった。普通なら20分程度のお堂と井戸の往復。この日、星野さんは1時間ほどかかって戻ってきた。
それからまた1時間。真言は途切れず、午前2時56分、星野さんは満行した。眼下に広がる琵琶湖畔の街の明かりに向かって伸びる石階段を、星野さんは抱えられるように下っていった。
一千日の間山中を歩く「千日回峰行」のうち最難関とされる「堂入り」。命を落とす危険もあるため「生き葬式」を済ませてから堂に入る。暗闇で過ごしてきた星野さんが失明する恐れがあるとして、寺側はカメラのフラッシュ撮影を厳禁した。
◇
今回の旅は、高校に通いつつ比叡山でお勤めをしていた当時から星野さんを知る南佐久郡佐久穂町の千手院住職伝田公順さん(60)が、「活字や写真ではなく、その場で触れてほしい」と募った。参加者は赤ちゃんから80代の男性まで、県内からは45人。東京から十数人が合流した。
参加者の1人、佐久総合病院東洋医学研究所の鍼灸(しんきゅう)士畠山直子さん(25)=佐久市=は1日20人前後を治療し、一人一人違う体、病状と向き合っている。星野さんの行を見て、「何か1つでも無心に続けること、習慣が自信になる」と感じた。「もっともっと鋭く、感性を磨いていきたい」と、星野さんの修行と自身の技術の向上を重ね合わせる。
星野さんの骨張った顔に、「そぎ落とされて美しく、涙が出た」と話す女性や、「頭の中が整理できない。人間は何でこんなことをするのか」と疑問を深めた男性もいた。
「あの目と姿を見て、命のおおもとに触れた気がする」。旅に参加した上田市の会社経営者、今西勝裕さん(63)はいま、そう振り返る。
従業員には身体に障害がある人がおり、企業社会で心を病んだ人も話をしに訪れる。「『経済』が頭の中を占め過ぎて、まじないや真言、祈りに含まれたおそれを捨ててしまった。迷っている人をみると、それを取り戻さないと駄目かという思いを強めた」という。
◇
伝田さんの長男で、長野市の善光寺大勧進で法務職を務める心順さん(32)は、星野さんの「助僧」として堂入りを支え、堂内の張りつめた空気にも触れた。
自らも比叡山に3年間こもり、百日の回峰行をした経験を持つ。75日目の「大回り」で京都の寺院を回り、人の応援に力がわいた。「人間、そんなに強くない」。堂入りの最後を多くの人の真言で囲まれた星野さんも同じ思いではないか−と言う。
心順さんは寺をより身近にして、縁あって接する人が楽になる場所にしたいと話す。「(天台宗開宗)1200年のなかで、人の人生は一瞬。今の世の中と調和し、坊さんだから、自分だからできること」を考え続ける。
あの晩に目にして、衝撃を受けたことが何だったのか、記者自身は今も分からない。これから折に触れて思いおこすなかで、どう見えてくるのだろうか−。