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【野球】

愛工大・長谷部 ベール脱いだ星野ジャパンの秘密兵器

2007年11月23日 紙面から

日本−オーストラリア 7回に4番手で登板し、3人でピシャリと抑えた長谷部=ヤフードームで(榎戸直紀撮影)

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 星野ジャパンの“秘密兵器”が真価を発揮した。野球の北京五輪アジア予選(決勝リーグ=12月1−3日、台湾)に臨む日本代表とオーストラリア代表との壮行試合が22日、ヤフードームで行われ、日本が6−0で快勝。台湾で行われていた野球のW杯出場で、21日にチームに合流したばかりの長谷部康平投手(22)=愛工大=は7回に4番手で登板。4番以下3人をピシャリと抑え、貴重なリリーフ左腕としてアピールした。

 残った。アマ球界唯一の代表候補である長谷部が、ドラフト会議で中日など5球団から1巡目指名を受けて楽天が交渉権を獲得した大物ぶりに恥じぬ快刀乱麻のピッチングを披露した。

 台湾で行われた野球のワールドカップ(W杯)に出場していたため、チーム合流は21日。翌日にいきなり登板という強行軍も、長谷部には関係なし。7回に4番手でマウンドに立つと、173センチの小柄な左腕がうなりを始めた。ソフトバンクの和田をほうふつさせるような小さなテークバックながら腕はきっちり振れていた。4番・ライシンガーから始まる打順にも、堂々とした顔つきで立ち向かっていった。

 ライシンガーを外角低めのチェンジアップで空振り三振。続くローンバーグは遊ゴロ、3人目のウィリアムズを二飛に仕留めると、長谷部は軽くグラブをたたいて、喜びを表した。

 「緊張しました。緊張し過ぎて、力みすぎた部分もありましたが、思い切って投げられました。四球を出さなくてよかった!」。任務を終えた長谷部は笑みを浮かべながら、星野ジャパン初マウンドを振り返った。

 それ以上に笑顔の男がいた。ほかならぬ星野仙一監督(60)だ。

 「プレ五輪と比べて、ずいぶん場慣れをしたなと…。西岡や川崎、里崎は『来年どう打とうか』と思いながら、守ってたんじゃないかな」

 同監督にしてみれば長谷部は“秘蔵っ子”。試合前、取材に来た古田前ヤクルト監督に打ち明けていた。「これまでの収穫は長谷部っちゅうピッチャーを見つけたことや。左ピッチャーはなんぼおってもええからなあ」。

 帰国したばかりの長谷部にいきなり実戦のマウンドを託すのも、いかにも星野監督らしい。それだけ長谷部にかける期待の大きさがうかがえる。

 長谷部には他の選手が味わっていない体験をした。今回の台湾遠征で予選、決勝トーナメント合わせて5試合に登板して9イニングを無失点に抑えている。アジア予選本番で使用される台中洲際野球場のマウンドも経験していることは、大きなメリットでもある。

 気になるのは合否。星野監督は「明日(23日)、説明します。詳しく分かると思います」と投手の絞り込みについて言葉を濁したが、長谷部への好感度はアップしたはず。この日ベールを脱いだ星野ジャパンの“秘密兵器”は、着実に日本代表への道を歩んだと言っていいだろう。 (川越亮太)

 【長谷部康平(はせべ・こうへい)】 1985(昭和60)年5月21日、岐阜県関市生まれの22歳。173センチ、68キロ、左投げ左打ち。旭ケ丘中では硬式の少年野球「岐阜中濃リトルシニア」でプレー。杜若高では最後の夏の愛知大会4強で甲子園には縁なし。大学では1年春から登板。愛知大学リーグでは通算21勝21敗。昨年は夏の日米大学選手権(米国開催)、世界大学選手権(キューバ開催)に唯一3年生として出場し、12月のアジア大会(ドーハ)には社会人選手に交じってアマ日本代表として出場。今年の北京五輪予選日本代表候補にアマで唯一選出された。今年の大学生・社会人ドラフトで5球団(中日、広島、ロッテ、西武、楽天)から1巡目指名を受け、楽天が交渉権を獲得している。

 

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