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「瀬島少佐と配達遅らせた」 日米開戦前 (2/3ページ)
このニュースのトピックス:歴史問題・昭和史
続けて戸村少佐は「瀬島から『南方軍の船団が飛行機に発見されてこれをおとした』と聞いて、これが開戦の第一発であると思って、瀬島とも一緒に考えて親電を遅らせた」と証言していた。
これは、日本の船団がマレー半島沖で英軍の哨戒飛行艇に発見されたため、護衛していた旧日本軍の戦闘機が撃墜した事実を指す。この証言が事実なら、瀬島氏は旧日本軍がすでに、米国と同盟関係にあった英国と開戦したという事実誤認から陸軍の規定に従い、親電の配達を遅らせたことに関与していた可能性がでてくる。当時、参謀本部が海外情報の統制のため、外国からの電報を10〜15時間程度遅配するよう決めていたが、大統領親電のような特別重大な電報については例外とする余地があったようだ。
大統領親電の内容は日本側に一見、和平を呼びかけながら日本軍の仏印からの全面撤退を要求する強硬な内容だった。
学識者の中には、軍部が親電の配達を遅らせている間に外務省本省がこれを解読、翻訳し、最後通告の内容に反映させようとしたため、結果的に最後通告の遅れにつながった−との見方がある。
作家の半藤一利氏は「瀬島少佐が戸村少佐と会って親電の扱いを話したのは事実で、結果としてこれが最後通告の遅れにつながったという推論はあり得べき話だ」と語る。その一方で、「瀬島氏に親電を握りつぶす力があったかどうかは材料不足で判然とせず、瀬島氏個人の判断が通告遅れにつながったと断定するのは無理があるのではないか」としている。