2007年 08月
アジアの純真 [2007-08-26 18:13 by sweetmitsuki]
チャンギー殉難者物語 [2007-08-15 16:48 by sweetmitsuki]
ルート467 [2007-08-14 08:32 by sweetmitsuki]
再起動 [2007-08-12 15:44 by sweetmitsuki]
アジアの純真
所用で品川・高輪界隈まで出掛けましたので、ついでに辺りを散策して参りました。
白金台にある瑞聖寺は江戸で最初に開かれた黄檗宗のお寺です。
黄檗宗とは聞き慣れない宗派ですが、江戸時代のはじめ、明(中国)から伝えられた禅宗の一派で、見ればなるほど、反りの強い屋根の上には宝珠を戴き、壁には丸窓が設けられているなど、中国人が好きそうな、エキゾチックな印象のある寺院です。
ちょうどこの頃、中国大陸では大きな内戦があり、中華民族の大部分を占める漢民族の国、明が滅び、女真族(満民族)の皇帝の支配による清が起こり、戦禍を逃れ大勢の人々が日本を訪れています。
ですから、日本に布教するため、というよりは、帰化した人たちの拠り所としてのお寺という意味合いの方が深かったのではないでしょうか。
外国人難民の布教活動を認めてしまう権力者など、この時代、世界中探しても見つからないと思いますが、徳川幕府は耶蘇教外の宗教にはとても寛容でした。
『信仰の数だけ神様がいる。』という日本人独特の宗教感のルーツがここにあるような気がします。
お次は、忠臣蔵で有名な泉岳寺。
ここでもアジアつながりのうんちくをひとつ。
四十七義士のひとり、武林唯七孟隆重は豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、俘虜として捕えられ日本に連れてこられた明の医師、孟二寛の子孫です。
そのまま医師として日本に留まった二寛は、故郷の杭州武林にちなんで武林姓を名乗り、唯七は二寛の孫にあたります。
話は戻りますが、「○○の病に霊験あらたか」などと、現世利益に短絡してるのが多いのも日本の寺社信仰の特徴。
これは中国から来た、あるいは中国で勉強してきた僧侶が、同時に漢方医療も身につけていたというのが正解で、仏さまの加護によるものではないと思うんですが、鰯の頭も信心から。拝んで病気が治るなら安上がりってもんです。
それに、規則正しい生活は百薬の長といいますから、仏さまの教えは、やっぱし守った方が良いのでしょうね。
# by sweetmitsuki | 2007-08-26 18:13 | 史蹟で歴史のお勉強 | Trackback
チャンギー殉難者物語
戦争をご経験なさった方々のお話を伺うと、終戦の日について、どなたも異口同音にに次のような事を仰います。
「女は全員辱めを受け、男はみな性器を引き抜かれると大人たちから教わった。」と。
もちろんそんな事はジュネーブ条約に違反していて、如何に無条件降伏といえど、戦勝国にそこまでの権能は無いのですが、(GHQ統治時代、米兵による犯罪が報道されなかったのは事実ですけど)敗けいくさの時にそんな話をするくらいですから、勝ちいくさの時、占領地で一体全体何をやらかしていたのか、おおよその見当はつくというものです。

東京・大田区、池上本門寺の脇寺、照栄院の境内にある「シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑」は、終戦の日の今日、花や線香を手向ける人も少なく、ひっそりと佇んでいました。

第二次世界大戦後シンガポール地区においては146名の旧軍人軍属が連合軍により戦争犯罪人として処刑された。が、その大部分は誤った戦争の犠牲者として、このような悲運に哭かなければならない人々であった。しかもこの方々は祖国から見放されたまま、不自然な「死」を前にして苦悩に苦悩を重ね、最後には「祖国再建の人柱となるならば、又世界人類の平和にもつながれよ」と絶叫して散華したのである。
これら殉難者の心情を思うとき、万斛の涙また新たなるものがあり、かかる悲惨が再びあってはならないと誓うのである。今、ここ池上の静かなる杜を、この方々の安らかな眠りの場と定め、碑を建て以て諸霊の冥福を祈る次第である。
昭和58年4月11日 
シンガポール チャンギー殉難者慰霊碑建立協賛会
(献文より)


ここに眠っておられる方々は戦後、先に述べた「俘虜は博愛の心をもって取り扱われ、人格は尊重され名誉は重んじられること」などを定めたジュネーブ条約違反に問われ、B・C級戦犯として裁かれ、刑に甘んじたのですが、彼らは「ジュネーブ条約」についてまったく教育を受けていませんでした。
当時は「生きて虜囚の辱めを受けず…」という皇民化教育が、軍人はもちろん一般市民にまで浸透していた時代だったのです。
終戦の日というと、毎年首相が靖国神社を参拝する、しないで大騒ぎしますが、A級戦犯ばっかり拝んでないで、たまにはこっちにも・・・あ、やっぱしいいです。煩いから。
池上本門寺にはそのほか、戦後を代表するプロレスラー・力道山のお墓があります。ここを読んで下さってる方ならご存知とは思いますが、本名を金信洛(キム・シンナク)という朝鮮民主主義人民共和国籍の元力士です。
白黒テレビから飛び出してくる、カラテチョップで白人レスラーをなぎ倒す雄姿は当時の日本人にとって爽快そのものだったようです。
金日成国家主席とも交流があった事が知られています。
それから、本門寺といえばくず餅が有名です。
東急池上線・池上駅前から続く参道沿いに、くず餅を提供している甘味処が軒を連ねています。
きな粉と黒みつの爽やかでヘルシーな甘みと、くず餅のもっちりとした食感もさることながら、箸休めのしば漬けの塩加減が絶妙です。 
ほかにも五重塔は関東に4基現存する幕末以前の五重塔のうち、一番古い塔だったりして、見どころは沢山。(詳しくはコチラ)
# by sweetmitsuki | 2007-08-15 16:48 | 史蹟で歴史のお勉強 | Trackback
ルート467
ボンジュール!
私は今、フランスのモン・サン・ミッシェルに来ています。ここはオムレツ発祥の地だそうで、そこいらじゅうから卵の焼ける良い香りが漂っています。
・・・すいません。ウソです。本当は江ノ島(観光案内はコチラ)で撮りました。漂っているのはサザエの壺焼きの香りです。
それにしても、えのすぱ(HPはコチラ)が出来てから、ますますモン・サン・ミッシェルに似てきましたね。
江の島とモン・サン・ミッシェルは外観が似てるだけでなく、竜退治の伝説が残る所までそっくしなのですが、あちらでは聖ミカエルが力づくでねじ伏せるのに対し、こちらでは天女が色仕掛けで懐柔し、誑しこんでしまうあたりが、やはり文化の違いなのでしょう。
怪獣だけに懐柔策。
くだらない事書いてないで、次にいきましょう。
観光フードというと、話のネタにとりあえず食べてみたいけど、特別美味しいという訳じゃない。というのが普通ですが、江の島の生しらすだけは別。
何しろつい先刻まで泳いでいたカタクチイワシの稚魚を、目の前の海から水揚げするのですから、鮮度が違います。お値段も300円前後とロープライス!
今の季節、これだけを賞味しに湘南を訪れる人も多いというのも頷けます。
ただし、天候に左右されやすく、不漁の時は出回らないので要注意。
江ノ島には海水浴場はなく、したがって更衣室のある海の家も見当たらなかったので、泳ぐには対岸の片瀬海岸まで戻らなければならないようです。
もっとも、いい年した大人までもが岩場の陰で着替えてましたが。
この辺りの砂浜は鉄分を多く含んでいるため黒く、それが子ども心には「あまりキレイじゃないなぁ。」と思っていたのですが、今見直してみると燻し銀のような重厚な質感が、青い海によく映えていい感じです。
水質も、以前にも益して更に良くなってきているようですね。
早起きした甲斐あって朝の7時に到着したので、海には地元のサーファー以外誰もいず、水平線を独り占めする事が出来ました。
お昼過ぎになって帰る頃には、人で海の水が見えないくらい混雑していましたから、やはり早起きは三文の徳ですね(後になって早朝の海には人を刺し、刺されると死に至る事もあるという、恐ろしいアカエイという魚がいる可能性があるという事を聞き、ゲゲゲ!)
# by sweetmitsuki | 2007-08-14 08:32 | お出かけドリフト | Trackback
再起動
東京郊外の小さな町工場に勤め始めて、はやひと月半が経ちました。
職場に嫌な人はいないし、仕事は面白いし、通勤は快適だしで、これで文句を言ったらバチが当たるというものですが、いかんせんひ弱な私には、躯体がもちましぇ~ん。
鉄工所で勤務するのがこんなにきついとは思ってもみませんでした。
確かにそういう事を忠告してくれた人はいたのですが、もう後戻りできないところまで来てしまわないと気付かないのが私の悪い癖です。
いまさら後悔しても、どうにもなりません。
本来ならこのラックも、お盆休み前にとっくに完成していて今頃は海で泳いでいる筈なのですが、「仕事して帰ってきて家でまた溶接の火花なんて見たくない~~。」と、予定をずるずる後回しにしてきて、結局今日のお昼すぎにようやく形になりました。。

ミニチュアの棚は、スパイスなどの小瓶を収納するのに便利なので雑貨屋さんなどで人気のアイテムですが、お人形サイズともなるとなかなかぴったりするものがないので、作ってしまいました。
市販されているものは、大抵がコンパクトに畳めるようにギミックが仕込んであるので、それも再現してみました。
鉄パイプを小さく切って蝶番代りにしたのですが、思っていたよりずっと簡単でした。
やっぱりこういうのは、考えるより先に動くのが肝ですね。
仕掛けものを作る場合、木だと0.5ミリ違っただけで噛み合わなくなってしまいますが、鉄だと1.5ミリぐらいくるっていても後から力尽くで押し込めば適当にひん曲がって馴染んでくれるから便利です(やっぱ私って鉄工向き)。
せっかくの夏休み初日なのですが、遠出するにはもう遅いので、深大寺に行って来ました。
蕎麦は美味しいし、緑は綺麗だし、お寺は古いし、何より行くのに疲れないときてますから、半日で行って帰って来るにはもってこいです。。
今、アニメで大人気のゲゲゲの鬼太郎のキャラグッズと、水木しげる先生の故郷、鳥取県境港の名品が揃っている鬼太郎茶屋にも注目。
妖怪かき氷は昔ながらの角氷を削って作るふわふわの食感が売りの逸品。他にも、鬼太郎ビール、じゃころっけなど、充実の店構え。
さて、名物の蕎麦ですが、どこのお店でもやっているのですけれど、どれでも美味しいという訳ではないから要注意。
有名な所だと、お寺を出て直ぐの嶋田屋と門前が人気が高いようですが、私は乾門脇の坂道を登ったところにある玉乃屋がお気に入りでして、店の半分がオープンになっているので、木漏れ日の下開放的な気分で食事が楽しめるのです。
今日食べたのは、「夏野菜天もり」。トマト、コーン、アスパラガス、オクラ、ズッキーニ、ナスといった洋野菜中心の天ぷらが添えてありまして、特にトマトの天ぷらはありそうでなかった新食感なのでした。

※注意!プチトマトの天ぷらは放置し過ぎると爆発の危険があります。衣が揚がったらすぐに取り出して下さい。
ご家庭で試してみたい方は、コチラが参考になると思います。
# by sweetmitsuki | 2007-08-12 15:44 | ハンドメイド大好き | Trackback
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手作り雑貨と原チャリ放浪と雑学で綴る、実践お気楽ライフ
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