武田信玄の肖像




 武田信玄の画像として最も有名なものとして、高野山成慶院蔵の長谷川等伯(信春)筆のものがある。しかし、この画像に関して、信玄の画像とすることに異論があることも事実だ。晩年の信玄は労咳に冒されていた。つまり、この画像のように健康的な身体であったとは思えないというのである。また、この画像には、武田氏の家紋であるところの「菱」紋がついていないこと。さらにいえば、画像にあるべき賛が切り取られていること。
 このようなことから、この画像を「武田信玄の肖像」とは断定できないというのである。では、この画像は一体誰を描いたものなのか?。
 一説によれば、長谷川等伯(信春)の出身地が能登であることから、その能登の戦国大名「畠山義続」を描いたとするものがある。たしかに、身に帯びた刀装具(目貫など)に二つ引両の家紋が見られ、家紋から考えれば、信玄の画像というよりも畠山氏の画像とした方がうなづける。
 とはいえ、この画像の主を確定することはいまとなっては、困難としかいえないようだ。長い歴史を超えて「武田信玄」の画像ということで伝わったものであるならば、武田信玄の画像なのであろう。




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