軍事評論家=佐藤守のブログ日記 このページをアンテナに追加 RSSフィード

■軍事を語らずして、日本を語るなかれ!!■

2007-03-08 いわれなき批判に反論する

いわれなき批判に反論する

 昭和60年8月12日に起きた、日航機墜落事故での自衛隊の活動に付いて、私が反論した「月曜評論」のコピーを貰えないか?、という依頼があった。

 コメントにもあったように、既に当事の状況を知らない世代が自衛隊に育っているし、依然として事故原因は「自衛隊の標的がぶっつかった」という“共産党作家”の影響も残っているらしい。驚いたことにコメントには「中性子爆弾説」などもあって、まだまだ国民はこの事故の実情を理解していないことを痛感した。

 そこで、当時私が発表した文を、1〜5までに分けてここで再掲載しておきたいと思う。若き現役自衛官達にも、当時の状況を推察してもらいたい。

『いわれなき批判に反論する』

  …JAL機墜落事故=航空自衛隊の捜索救難活動について…

                防衛庁航空幕僚監部広報室長 一等空佐  佐藤 守

 八月十二日夕刻に発生したJAL機墜落事故は、五二〇名もの尊い犠牲者を出す史上最大の航空事故となったが、航空自衛隊は、事故発生が予測されるや間髪を入れず救難活動に移った。それにもかかわらず、翌日奇跡的に四名の生存者が発見され「他にも生存者がいる」との証言が報道されると、今度はあたかも自衛隊側の救難活動に問題があったかのような「自衛隊批判」が沸き起こったのである。

 夜間、二千m級の山岳地帯での救難活動がどのような困難を伴うものであるかなどの知識を持たぬ素人の批判ならまだしも、毎度のことながら「軍事専門家」なる怪しげな肩書きを持った「ニワカ評論家」が勝手な先入観に基づく無責任な放言をするたびに。防衛庁、自衛隊に対する批判と抗議が相次いだ。けれども、広報担当者である我々が三〇分程かけて事情を説明すると、大半が理解納得してくれ、そのほとんどの人々から「新聞テレビの報道を鵜呑みにしていた」「もっと防衛庁は事実を積極的に国民に知らせるべきだ」との忠告をいただいたのである。

 航空自衛隊の広報の責任者たる私としては地獄絵そのままの現地で懸命に捜索・収容活動に従事した隊員たちの名誉のためにも、各種の批判に対し我々のとった対応振りを説明し国民の理解を得なければならないと考えていたが、今回はからずも本誌(月曜評論)に意見発表の場を与えられたので、航空自衛隊に対する代表的な五つの批判に対し反論する次第である。

1、 なぜ自衛隊はもっと早く出動し、夜を徹して行動しなかったのか?

 航空自衛隊がJAL機の異常を知ったのは十二日午後六時二十五分過ぎ、同機が「緊急事態発生」を知らせる識別信号を出したのを峰岡山レーダーサイトのスコープ上に捉えた時である。サイトの管制官は同機の故障内容や詳しい状況については、無線周波数が異なるため承知できなかったが、スコープ上の機影は羽田に戻ろうとしているように見えた。そのまま注目していたが、飛行コースが正常とは思えないため、埼玉県入間基地にある防空管制所に通報、中部航空方面隊司令部の当直幕僚も極めて異常であると判断、直ちに防衛部長に報告、大中康生部長は指揮所開設を指示し幕僚を配置、同五十七分機影がスコープ上から消えるや、松永貞昭司令官は対領空侵犯措置任務のため、茨城県百里基地で五分待機についているF-4EJファントム戦闘機に対し発進を命令、命令を受けた四分後の午後七時一分には二機が発進し、JAL機がレーダーから消滅した地点に向かって急行したのである。

 司令部は同時に非常呼集を発令すると共に百里にある航空救難隊の救難用ヘリコプターV−107一機に出動準備を命じた。

 午後七時十九分、たまたま飛行中であった米軍のC−130輸送機から、山岳地帯で異常な炎を発見した旨の通報と、その二分後にはF−4戦闘機から「山火事の発生している場所は、横田タカンから三〇〇度の方向三十二マイル」との報告を受領、この時点で航空自衛隊としてはJAL機の墜落は間違いないとして捜索・救出のための諸活動、即ち非常呼集で集まってきた隊員の中から、とりあえず三〇名の先遣隊を編成する作業に取り掛かり、熊谷、静浜、浜松等、近在の部隊にも応援を求め、各部隊はそれぞれ非常呼集を発令して隊員を呼集した。

 災害派遣要請権者である東京空港事務所長から、中空司令官に災害派遣の要請があったのは午後八時三十三分であり、部隊が初動を開始してから実に一時間半以上たっていたが、この七分後には入間基地から先遣隊三〇名が墜落地点に向けて出発、その二分後の八時四十二分には、百里基地から飛び立ったV−107が現場上空に到着し「横田タカンから二九九度の方向、三五・五マイル地点で、一五〇mから二〇〇m四方にわたり山腹が炎上している」ことを報告してきている。

 なお念のために申し添えるが、入間基地には航空救難部隊は所在せず、したがって救難団司令部は百里・松島・小松などからV−107および捜索機MU−2をそれぞれ三機ずつ、計六機を入間に機動展開させ、十三日午後零時十八分には集結を完了している。

 他方地上部隊は入間の先遣隊に続いて午後九時三〇分、熊谷基地から一〇名の先発隊を北相木村小学校に向かわせたが、これらの先遣隊は十三日午前三時三〇分及び同五〇分に到着、本隊は十三日午前一時に静浜基地から一一五名、入間基地からは同一時十五分五四八名、熊谷基地からは同二時に九十一名が出発、それぞれ明け方の四時五〇分から六時四〇分の間に北相木村に到着、中部航空警戒管制団副司令藪口1佐の指揮下に入っている。

 このように我々は、墜落したのではないかと判断した時点以降、関係機関から何ら情報や要請のないまま、独自に可能な限りの救難活動を展開していたのであって、決して夜間行動をしていなかったわけではない。    (続く)

NASARNASAR 2007/03/08 12:24 JAL123便の事故は、当直室で朝までTVを見ていたのを思い出します。知人がいないかと心配で何回も乗客の名前を確認しました。
さて、この事故に出動した隊員の苦労は大変なものがありますが、その教訓は生かされているのでしょうか。
1,記録は残っていますか?
凄惨な現場での平常心の保持、隊員の士気は、部隊の運用は、装備は、宿泊給養は、輸送は?等々。これらは有事の行動にも有用なことです。
隊員が流した汗を無駄にしないためにも、事実をキッチリと記録に残し後世に伝えなければと思うのですが。基地の図書館などを探しましたが、それらしきものにはお目にかかりませんでした。某司令部で勤務の時に書庫を探しても見つかりません。部内の資料として何も作成されていないのでしょうか。
あれから20年余り。当時現場に進出した隊員も数が少なくなっています。あの苦労と努力は、すべて水の泡です。佐藤さん、どう思われますか?私の調査能力が不足かも知れません。ご存じでしたら教えて下さい。
2,お偉いさんは、言われなき中傷に何ら反論しようとしなかったとのことですが、佐藤さんのおっしゃるとおり理解できません。自衛隊の名誉が傷つけられてるのに平然(反論しないのは、誹謗中傷されても気にしてませんと解釈できます)としてられる神経が理解できません。私もいまだに腹が立ちます。
こんな人が自衛隊の中枢にいたことは、記憶にとどめておきましょう。現場で必死に働いた隊員が気の毒です。
佐藤さんの孤軍奮闘に頭が下がります。組織ぐるみでなぜ斗わないのでしょうか?情けないですね。

NASARNASAR 2007/03/08 12:24 JAL123便の事故は、当直室で朝までTVを見ていたのを思い出します。知人がいないかと心配で何回も乗客の名前を確認しました。
さて、この事故に出動した隊員の苦労は大変なものがありますが、その教訓は生かされているのでしょうか。
1,記録は残っていますか?
凄惨な現場での平常心の保持、隊員の士気は、部隊の運用は、装備は、宿泊給養は、輸送は?等々。これらは有事の行動にも有用なことです。
隊員が流した汗を無駄にしないためにも、事実をキッチリと記録に残し後世に伝えなければと思うのですが。基地の図書館などを探しましたが、それらしきものにはお目にかかりませんでした。某司令部で勤務の時に書庫を探しても見つかりません。部内の資料として何も作成されていないのでしょうか。
あれから20年余り。当時現場に進出した隊員も数が少なくなっています。あの苦労と努力は、すべて水の泡です。佐藤さん、どう思われますか?私の調査能力が不足かも知れません。ご存じでしたら教えて下さい。
2,お偉いさんは、言われなき中傷に何ら反論しようとしなかったとのことですが、佐藤さんのおっしゃるとおり理解できません。自衛隊の名誉が傷つけられてるのに平然(反論しないのは、誹謗中傷されても気にしてませんと解釈できます)としてられる神経が理解できません。私もいまだに腹が立ちます。
こんな人が自衛隊の中枢にいたことは、記憶にとどめておきましょう。現場で必死に働いた隊員が気の毒です。
佐藤さんの孤軍奮闘に頭が下がります。組織ぐるみでなぜ斗わないのでしょうか?情けないですね。

雉さん雉さん 2007/03/08 13:08 疑問があります。
1.峰岡山SSであるなら当時のスコ-ク77発令移行の交信記録は持っているのか?
(TVで公開された交信記録はATCとの記録です が横田からのアシストは拒否してCH変更をして います。緊急事態なら周辺空域や関係ステーショ ンに対して自己の状況をモニターしてもらった方 が楽なのに変える必要があるでしょうか?
(カンパニーラジオを使う機会もありました)
2.当時IFFはモードA/Cであり、モードSのように個別識別が出来にくい状態は無かったか?
(当時はまだ測高と捜索レーダーが別にあった物と 3Dレーダーがまだ多数混在している時代です)
3.中空隷下のコミント部隊による予想墜落位置判定 に必要な情報をアシストしているのですか?  
4.墜落時フライトレコーダーにはアンダーウォータ ロケーター(着水時に緊急位置信号を発信)や
 ELTもあります。当時救難隊員は当然この装置 の信号による墜落位置捜索はしたのでしょう。
 か?
 宜しく願います。

権兵衛権兵衛 2007/03/08 14:04 JAL123便事故発生時点の空自救難体制移行の詳細をはじめて知りました。
こうゆう事は
当時の新聞には一切書かれていなかったですね。
生存者が発見されるや、マスコミはむしろ救難の遅れを論らっていましたね。
”軍事評論家”と称する連中もニュース受けが好いだけの無責任な発言が目立ちます。
いくら”飯のタネ”とは言え程度が低すぎます。
これは日本の”軍事評論家”の殆どが実務経験の無い者であることと無縁ではないでしょう。
佐藤空将も以前指摘されていたことですが、米国のCNNやFOXなどで出てくる軍事評論家は皆、元○星のジェネラルとか大佐・中佐とかです。
日本では何ら実務経験も無い者がどうして評論出来るのか?
意図的に或は本人も無知な侭にイイカゲンな事を放言するようになりますので、日本の軍事評論家と称する大部分には要注意です。

やはり広報と言う事は大事ですね。
言うべき事はその都度、各自がしっかりと言わないと「嘘」が世間には刷り込まれてしまいます。
嘗ては言ってもマスコミはそれをまた曲解して伝えるような状況もありましたが、いまはネットという直言の手段もありますし。
現役・元自衛官、理解・支援者各位の御健闘を祈ります。

原風景原風景 2007/03/08 16:48 こんにちは。
いつもワクワクしながら拝見させて頂いております。
数年前千葉県某所での「温泉会議」に参加させて頂いた若造です。

あの時、私は不躾にも佐藤様の「三沢基地への左遷の原因」について質問させて頂きました。
憶えていらっしゃいますでしょうか。

ご返答を戴き、当時の日本社会に於ける不条理に憤りを憶えましたが、
それがこの記事の件なのですよね。

今回の記事では、当時の自衛隊の皆様が情報を得るべく
如何に必死に、そして真摯に冷静に事態に対処されたのかが窺えて感心しますが、
実はこの後に続く文章の中にこそ、当時も、そして現在でもなお国内外に存在する
メディア、政府、官僚等の本来のあり方に対する欺瞞への提言が込められており、
それらがいよいよ白日の元に晒されるのだと期待しております。

時代を進めて下さい。
続きを楽しみにしております。

ゆみこゆみこ 2007/03/08 17:54 佐藤守様 皆様 初めまして。 ゆみこと申します。

私の父は日航機事故当時の航空自衛隊の現場指揮官のY.Yです。こちらのブログもちょくちょく覗いているようです。

下記掲示板のスレッドを読んで父から私に送られて来た感想のメールを紹介させていただきます。
チャンネル桜掲示板<日航ジャンボ機墜落事件に思う>
http://nf.ch-sakura.jp/modules/newbb/viewtopic.php?viewmode=flat&topic_id=1171&forum=8

=====
毎年、夏の蝉の鳴く頃になると、靖国問題と日航機事故が話題になります。

日航機事故に関しては、概ね防衛庁・自衛隊の足を引っぱり、如何に事故対応が拙劣であるかを偏向主張するのが常です。 本来、国家的危機・災害についての問題点、 対応のあり方等について、この様な時期に検討・話題にすべきです。
 
自衛隊の基本は陸・海・空における戦闘を目的とした組織・編成・装備であり、大規模災害即応体制は人・物・金(人員・装備・予算)が極めて不足の為、確立されていません。

また、国家的大規模災害に関する法的体制は不備だらけです。航空関係でも、現場確認の為の緊急発進、官民の捜索機・取材機の空中統制等など問題は数々です。

これらの問題は現在も本質的には全く改善されていません。(超法規でしか実施出来ない事)

この様な状況での自衛隊の事故対応は、諸情報混乱の中、指揮統制・臨時の編成・現場進出・救助等最善を尽くしたものであり,他から非難される問題は無いと思います。

空自の現場捜索救助指揮官として延べ約一万人隊員と共に「勝利なき闘い」でした。 勿論、教訓・改善すべき点多々あり、部隊運用等に反映し必要事項は関係機関に報告。

OOO(氏名省略byゆみこ)さんの詳細な資料検証による反証に対しては頭が下がり、敬意を表します。特に自衛隊、災害派遣関連の要所要所を的確に押さえて反証したのは見事です。

来年の蝉の鳴き始める頃、同様な雑音が出て来た時はこの価値あるスレッド資料が活躍できるかと思います。

この様に、部外者が自衛隊を真摯な姿勢で応援して頂くことは、我々が在隊当時は考えられない事でした。 一意専心任務に精励することが,いつかは国民・社会が国防・自衛隊を理解し、応援して呉れると、部下隊員にも訓話しておりました。

何かの機会があれば感謝の意を伝えて下さい。

=====

以上

元空自隊員元空自隊員 2007/03/08 20:36 僭越ながら、ひとつだけ。
「日航機墜落事故」の時の、自衛隊(空自)の指揮統制系統、装備、SOP等に関しては、その後、大小の改編・換装を何度か繰り返しております。
したがって、自分の専門分野(職種)においても、事故当時の状況を推察するのは「想像」の域を出ない部分もあり、現在の視点で概観するのは困難なことだと改めて感じる次第です。

ウルトラマンウルトラマン 2007/03/08 22:34 自衛隊員の皆様、いつも大変な任務おつかれさまです。あのころの救難隊の装備脆弱であったのも要因ではないかと思っております。たしか、この事故がきっかけになり装備が改まっていったような気がします。

nekonosanponekonosanpo 2007/03/08 23:05 CNNで安部総理が謝罪すべきか投票をしています

http://edition.cnn.com/2007/WORLD/asiapcf/03/04/japan.sexslaves.ap/index.html

私のBlog
http://nekonosanpo.iza.ne.jp/blog/entry/130102/

AnonymousAnonymous 2007/08/14 09:29 「「事故直後2時間で現場に到着した米軍ヘリよりロープによる隊員降下が行われようとしたが、日本側の要請により、米軍はやむを得ず降下を中止し、日本の航空自衛隊ヘリが現場に到着し交替が行われたが、航空自衛隊は「夜間の隊員降下は自殺行為だ」と称して隊員降下を行わず、ヘリよりのロープによる救出は翌朝に延期され、時間を空費してしまった事実があります。」」
http://www.irei-japan.com/

米軍の救助を阻止したのは、
米軍に墜落機を見られくなかったのです。
墜落事故の原因が
自衛隊による誤射であることがバレるからです。

ゲスト

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