核武装と日本の軍事戦略-防衛省OB太田述正ブログ

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「核武装と日本の軍事戦略」最新の記事一覧
東村山市議殺人事件
人種別知能指数比較(その1)
報道の自由「後進国」の日本・再訪
爆笑問題との私の共演プラン
セポイの反乱(その1)


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東村山市議殺人事件!!! 第二の坂本弁護士事件か?

東村山警察署の副署長の千葉英司

に係る訴訟の担当弁護士から連絡があり
控訴を・・・・・

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2007年11月19日

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太田述正コラム#2185(2007.11.19)
<人種別知能指数比較(その1)>

1 始めに
 
 人種ごとに平均知能指数(IQ)が異なるという話は、以前(コラム#538で)「「人種」のIQを、データの得られている範囲で高い方から並べると、欧米のユダヤ人、東アジア人(中国人・日本人・朝鮮人)、欧米の白人=イスラエル人、アラブ人(エジプト人)=米国の黒人、アフリカの黒人の順となる。厳しい環境(寒冷な気候や迫害)・移住(やる気。奴隷としての移住は逆。コラム#280参照)・漢字の習得・IQの高い「人種」との混血・高い生活水準、が高いIQをもたらすと考えられている。」という具合にやったことがあります。
 これに関連する話も、コラム#1159、1465、1490、1491でやったことがあるので、関心ある方はご参照下さい。

2 サレタンの指摘

 (1)ワトソン博士の受難

 DNAの共同発見者3人のうちの1人であるワトソン(James Watson)博士は、先月、「アフリカの展望については悲観的たらざるをえない」、何となれば「われわれの社会諸制作は彼らの知能がわれわれと同じであるという事実に立脚しているところ、あらゆる検証の結果はそれがそうではないことを示しているからだ」と述べ、囂々たる非難を浴び、研究所長の職を辞する羽目になりました(
http://www.slate.com/id/2175899/
http://www.telegraph.co.uk/news/main.jhtml?xml=/news/2007/10/17/nwatson117.xmlhttp://www.slate.com/id/2178122/entry/0/
。いずれも10月19日アクセス)。

 (2)サレタンの指摘

 米国の科学コラムニストのサレタン(William Saletan)は、次のように指摘しています。

 「・・約10年前のデータだが、米国の白人の平均IQは103だった。アジア系米国人は106、ユダヤ系米国人は113、中南米系米国人は89、アフリカ系米国人は85だった。研究結果によれば、世界においても同じ一般的傾向が見られる。白人は100、東アジア人は106、サハラ以南のアフリカ人は70だ。別のIQ表では、香港が113、日本が110、英国が100、豪州、カナダ、欧州、ニュージーランド、南アフリカ、そして米国の白人の数値も世界全体としての黒人のそれよりも英国の数値に近い。この傾向は少なくとも1世紀にわたって変わっていない。
 ・・IQの差異の半分以上は遺伝によるものだ。・・
 平均して、アジア系米国人の子供達の大脳は、白人たる米国人の子供達の大脳より大きいし、彼らの大脳はまた、黒人たる米国人の子供達の大脳より大きい。身体の大きさや体重ではこの逆の傾向が見られるというのにそうなのだ。この傾向は世界においてもあてはまるし、死ぬまで変わらない・・。
 ・・頭の大きさと大脳の分量の差異の50から90パーセントは遺伝によるものだ。・・
 仮にアフリカ人、アジア人、そして欧州人が異なる遺伝子を進化で得たとするならば、その理由は、それぞれの遺伝子がそれぞれの環境に適合的なものになったということだろう。
 平均して、白人に比べて黒人は子宮の中でより早く成熟し、より早く生まれ、歯を生やし、力と器用さを備える。また、黒人はより早くおすわりをし、這い、歩き、自分一人で着物を着ることができるようになる。そして彼らは、より早く性的に成熟し、より良い視力を備える。これらすべてにおいて、東アジア人は白人や黒人に遅れをとる。その代わり、東アジア人は、より長く生き、より大きな大脳を得る。・・」
 (以上、
http://www.slate.com/id/2178122/entry/0/
上掲による。)

 サレタンは、明日もこの話を続けると言っています。
 乞うご期待。

(続く)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
太田述正コラム#2186(2007.11.19)
<大蔵官僚群像(その3)>

→非公開
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太田述正コラム#2132(2007.10.18)
<報道の自由「後進国」の日本・再訪>(2007.11.19公開)

1 報道の自由「後進国」日本

 2005年11月7日付のコラム#936、「報道の自由「後進国」日本」を覚えておられますか。
 あれから2年経ちましたが、今年も国際的NGOの「国境なき記者団」が「2007年世界報道自由度ランキング」を発表しました。
 それによると、調査対象169カ国中、昨年51位だった日本が37位に上昇し、31位だった韓国は39位に下がりました。
 (以上、
http://www.chosunonline.com/article/20071018000012
(10月18日アクセス。以下同じ)による。)

 日本は、42位(2003年)→37位→51位→37位(コラム#936も参照した)、と一貫して低い順位に低迷しています。韓国とデッドヒートを演じていると見られているなんて恥ずかしい限りではありませんか。
 ただ、いくら何でも昨年の51位というのは低すぎます。
 確認するため「2006年世界報道自由度ランキング」の原典(
http://www.rsf.org/IMG/pdf/asia_report.pdf
)にあたったところ、日本についての記述だけが欠如していることを発見しました。
 とんでもない誤りが見つかって削除された可能性があります。
 ちなみに、米国は、17位(2002年)→22位→44位→53位→48位 とつるべ落としに転落してきており、これは私の言う、米国のファシスト国家化の進行の端的な現れであると言えるでしょう(
http://www.csmonitor.com/2006/1027/dailyUpdate.html
http://english.chosun.com/w21data/html/news/200710/200710180016.html
及びコラム#936による)。
 「2007年世界報道自由度ランキング」の原典(
http://www.rsf.org/IMG/pdf/rapport_en_bd-4.pdf
)にあたってみたところ、日本の報道が、政府が右翼に対して甘いことによって歪められていることと、日本には閉鎖的な記者クラブ制度があることが挙げられていました。
 これらは一貫して日本が批判されている点です(コラム#936参照)。

2 記者クラブの存在による病理

 記者クラブの存在による病理であると最近思えてならないのが、防衛記者クラブ会員社であるところの新聞社やTV局等の主要マスコミが、どこもほとんどと言ってよいほど防衛省不祥事を取り上げていないことです。
 これだけ長期間にわたって、直販誌やミニコミ紙やインターネット上で取り上げ続けられてきているというのに・・。
 その結果、おかしなことが起こっています。
 民主党が17日の参院予算委員会の理事会で、御手洗冨士夫日本経団連会長ら経済財政諮問会議の民間委員4人と、公明党を除名された福本潤一前参院議員の参考人招致のほか、防衛省の守屋武昌前事務次官の証人喚問を要求したのですが、守屋氏を証人喚問する理由が、氏が防衛局長時代に海上自衛隊のインド洋での給油活動での給油量の訂正や航海日誌の破棄などが相次いだことへの責任を問うためだけだというのです( 
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20071018k0000m010042000c.html
)。
 実施は全会一致が慣例なので、これらの招致、喚問が実現するかどうかは分かりません(毎日上掲)が、せっかく守屋氏を証人喚問するのであれば、少なくとも併せて防衛省不祥事についても問い質すべきでしょう。
 天下りとのからみで業者の選定等に不当に手心を加えた可能性があるというのですから、給油活動をめぐる不祥事に勝るとも劣らない深刻な問題であることは明白です。
 取り上げれば、守屋氏は本当のことを言わなければ偽証罪に問われるのであり、検察の防衛省不祥事捜査の後押しにもなります。
 民主党が取り上げようとしない最大にして唯一の理由は、主要マスコミが本件をいまだに報道していないことだと私は見ているのです。
 野党の個々の議員にせよ、政党にせよ、個人から信頼できるたれこみがあるか、主要マスコミが取り上げてくれるかしないと、手がかりがないので動きようがないのです。
 主要マスコミの幹部や記者の皆さん。
 報道の自由「後進国」の日本の抜本的変革に向けて、どうして行動を起こさないのですか。
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2007年11月18日

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太田述正コラム#2173(2007.11.11)
<爆笑問題との私の共演プラン>(2007.11.18公開)

 (本篇は、16日まで公開しません。)

1 始めに

 16日の2000から日テレで放送されるバラエティの収録が明日(12日)夜にあります。
 どのような準備がなされるのか、その内幕をご披露しましょう。

2 11月7日夜に受け取ったメール

 太田述正 様

 先程は、突然の電話で失礼いたしました。
 また、御出演の承諾を頂きありがとうございます。
 改めて、番組の説明からさせていただきます。
 「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。」は、毎週金曜日夜8時から、日本テレビで放送しております、討論バラエティー番組です。
 今回、「不祥事を起こした省庁の職員は1年間タダ働きにします!(仮)」というマニフェストを、秘書役の山本モナが提案し、討論をしたいと考えております。
 出演予定者は、爆笑問題、山本モナ、平沢勝栄(自) 大村秀章(自)原口一博(民) 有田芳生 河辺啓二(元農水省) 金美齢 高部あい(タレント)他 国会議員、有識者、芸能人など20名程度の予定です。
 なお、ご出演にあたり、当番組は収録番組で、スタジオで発言された内、一部しか放送されない場合があること、番組の最後に出演者による「賛成」「反対」の採決があり、太田様の意に反する結論が出ることも有ることをご了承下さい。
 御出演の方々には、事前にマニフェストに関するご意見を、アンケートでお答え頂いております。
 添付いたしますので、ご記入の上メールかFAXでご返送下さい。
 また、当日日本テレビに入るために必要な申請書も一緒に送りますので、こちらもご記入していただき、アンケートと一緒に送ってください。
 お帰りは、タクシーをご用意いたしますので、入構の申請書の4の欄にお帰りの場所をお書き下さい。
 12日(月)収録当日は、22時ころから収録を開始いたしますので、21時15分頃までに、日本テレビまでお越し下さい。
 この時間は、1階の防災センターからしか入れませんので、その地図も送ります。
 (矢印は、駐車場の方面ですので、「搬入口」の方へお進み下さい)
 防災センターで、お名前と「太田総理」に御出演の旨申し出ていただき、入構証を受け取りましたら、11階の「タレントクローク」まで、お越し下さい。
 局内の経路は、申し訳ありませんが、警備でお尋ね下さい。
 最後に、出演料ですが、他の番組の実績を参考にさせていただきたいと思いますので
参考にお教え願えると幸いです。
 何か、ご不明の点がありましたら、いつでもご連絡下さい。
 当日も、警備の場所が分からないようでしたら、○○の携帯にご連絡下さい。
 よろしくお願いいたします。

日本テレビ「太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。
プロデューサー ○○

3 9日に私が局にFAX送付したアンケート回答

 山本モナ マニフェスト:「不祥事を起こした省庁職員は連帯責任で1年間タダ働きにします!」(11月12日収録)

★先日の守屋前事務次官のゴルフ接待騒動をはじめ、未だに止まぬ官僚の不祥事。
★このような問題が解決しないのは官僚の体質にも原因がある。
★まずは官僚自身が一部の不祥事も、官僚全体の問題として考えることから問題解決が見えるのでは?

質問1 このマニフェストに対して・・反対

 その理由
 一、捜査当局にその気があれば、全省庁で不祥事を発見、立件することが可能
 二、全省庁職員が一年間タダ働きになる
 三、検察・警察職員も同様
 四、だから、一、をやるわけがない
 五、実行することが不可能だから反対

質問2 相次ぐ官僚の不祥事についてどう思いますか?
    また、それはどうすれば解決すると思いますか?

 問題の根源は、自民党恒久政権の下での政官業の癒着体制にある。
 国民が最大の被害者だが、実は、政治家も官僚も業者もこの体制の被害者。
 この体制を崩壊させるには、明確な政権交代以外にない。

質問3 官僚だけでなく、政治家にも原因がある政官癒着について
    「こんな政官癒着があった!」ということを知っていましたら教えてください。

 仙台防衛施設局長時代に元防衛庁長官や元防衛政務次官クラスの政治家の口利きが自衛隊や在日米軍の建設・土木事業について行われていることを知った。
 官製談合が行われていた事を知った上で、これらの口利きが行われていた可能性が高い。
 これは癒着と言っても犯罪に近い、と今では思っている。

4 終わりに

 この番組はお笑いバラエティだと思っていたのですが、それにしては随分肩に力が入っていますよね。
 そもそも、アンケートの問が私のかねてからの問題提起に沿って作成されている、と思いませんか。
 問題は、どれだけ私のしゃべったことが放送されるかです。
 (このアンケート回答の中には書かなかったけれど、天下り問題にも触れるつもりです。)
 皆さんと一緒に放送日を待ちましょう。
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太田述正コラム#2184(2007.11.18)
<大蔵官僚群像(その2)>

→非公開

『まぐまぐ大賞2007』への推薦をおねがいします。豪華商品アリ。
(11/20まで)マガジンID: 0000101909 
http://www.mag2.com/events/mag2year/2007/
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太田述正コラム#1769(2007.5.15)
<セポイの反乱(その1)>(2007.11.18公開)

 (実は、この続篇は、一点頭の中で整理がついていないところがあり、まだ執筆していません。なお、これまでのコラムの中にはインドを扱ったものも多いのですが、まだカテゴリー別の整理がなされていません。)

1 始めに

 セポイの反乱をとりあげた、英国人歴史家・紀行作家・ジャーナリストであるダリンプル(William Dalrymple。1965年〜)の' The Last Mughal: The Fall of a Dynasty, Delhi 1857’は、昨年来、評判です。
 さっそくその概要の紹介を兼ねてセポイの反乱の真相に迫ってみましょう。

 (以下、特に断っていない限り、
http://www.guardian.co.uk/commentisfree/story/0,,2076320,00.html  
(5月10日アクセス)*、
http://www.latimes.com/news/opinion/la-op-dalrymple13may13,0,6376935,print.story?coll=la-opinion-rightrail
(5月14日アクセス)*
http://www.newstatesman.com/200610160035
(5月15日アクセス。以下同じ)*、
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,1928333,00.html
http://www.hindustantimes.com/StoryPage/Print.aspx?Id=7ec3a2e5-2187-4e29-a9bb-45e55e04796e
http://www.nytimes.com/2007/04/22/books/review/Harshaw.t.html?ei=5070&en=ecbae86b782f8e5d&ex=1179374400&pagewanted=print
http://books.guardian.co.uk/reviews/history/0,,1944872,00.html
による。*はダリンプル自身が執筆しているもの。)

2 ダリンプルいわく

 (1)ムガール帝国最後の皇帝

 バハドル・シャー・ザファール(Bahadur Shah Zafar2。Zafarはペンネームでウルドゥー語で「勝利」の意味。1775〜1862年。皇帝:1838〜58年)がムガール帝国最後の皇帝となったのは、セポイの反乱(Indian Rebellion of 1857=First War of Indian Independence )のためだ。
 彼が生まれた頃は、英国はまだインド亜大陸沿岸部しか手中には収めていなかったが、彼が60歳台半ばで帝位を継いだ頃には、もはやムガール帝国の頽勢を食い止めることは不可能な状況になっていた。
 しかし、彼は、デリー(Delhi)で宮廷文化の華を咲かせた。
 彼は歴代のムガール皇帝の中で、最も才能があり、かつ寛容な好人物だった。
 宮廷付きの医師がキリスト教に改宗しても、彼は、廷臣達の反対を押し切ってそのままこの医師を宮廷に留めた。
 彼は、練達の書家にしてイスラム神秘主義(Sufism)について深い学識があり、素晴らしい造園家だった。また、5つの言語を話し、うち2つの言語を用いた神秘詩の秀でた作家でもあり、彼の下でインド史上最も偉大な文芸ルネッサンスが起こった。
 1857年の5月のある朝、300人のセポイ(sepoy(ベンガル語)。英東インド会社軍のインド人兵)がデリーに侵攻し、白人の男女、子供を手当たり次第に殺し始め、82歳になっていた彼にお墨付きを求めた。
 ザファールは英国人が嫌いだったが、反乱も性には合わなかった。当時の世界第一の軍事大国に、秩序がなく将校もいない貧民あがりのセポイ達が勝てるわけがないと思っていた。しかし、脅迫され、宮殿の一部も占拠されるに至って、仕方なく彼はセポイ達にお墨付きを与えたが、その一方で彼は52人の白人達を宮殿にかくまった。
 セポイの連中が彼の庭園を汚すと、彼はセポイ達との接見を拒否することで不快感を表明した。
 そして、セポイ達が上記52人を発見すると、ザファールは、涙を流し、女性や子供の命は救うように懇願した。しかし、結局全員が殺されるのをザファールは座視することになる。
 結局、139,000人いた東インド会社軍のセポイのうち、7,796人を除いて全員が反乱に加わり、やがてインド亜大陸の各地で民衆がこの反乱に呼応して立ち上がった。
 9月になると、今度は英軍がデリーを攻撃、占領し、住民中女性だけは助けられたが、男性は老人も子供も無差別に殺戮された。
 ムガール皇室の人々は、英軍に抵抗したわけではなかったが、ザファールの子孫のうち16人が裸にされた上で殺された。
 ザファールは裁判にかけられ、イスラム教徒達による陰謀の頭目となったとしてビルマ(ミャンマー)のラングーン(ヤンゴン)への流刑を宣告される。セポイの大部分はヒンズー教徒だったことからして、この判決がいかにインチキなものであるかが分かる。
 ラングーンでザファールが亡くなった時には、現地英国当局は、埋葬場所に墓標を立てることさえ禁じた。

 (2)セポイの反乱の背景と原因

 一体どうしてこの反乱が起こったのでしょうか。

(続く)
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