はじめに
ここでお話するのは文章を書く上でまもるべき形式です。文章を書く上においては一定の約束事というのがあります。これはどんな内容の文章を書くにしてもおさえておかなければならないことです。志望動機や自己PRだけでなく論述式の試験の答案を書く上でもこれは同じです。
「文章の形式よりも実際の中身(内容)が大切だ」といって形式をバカにしてはいけません。自分が書いた文章の評価をマイナスに下げないためには形式を整えておく必要があります。もちろん評価をプラスに上げるのは内容です。でもプラスに上げるかどうかについて考えてもらう前にまず読んでもらわなければなりません。形式が整っていない文章は読んでももらえない危険性が高いのです。ですからしっかりと文章を書く上でのおさえておくべき形式について学んでおいてください。
1.伝えたいことをはっきりさせる。
これがまず1番最初にやらなければならないことです。あなたはその文章で相手に何を伝えようとしているのでしょうか?それを明確にしなければなりません。
あなたの文章を読む人はあなたと同じ体験をしてきたでしょうか?あなたと同じような環境に育ってきた人でしょうか?あなたと同じだけの知識を持っているのでしょうか?あなたと同じような価値観を持った人でしょうか?おそらくそうではありませんよね。今からあなたが書く文章を読む人はあなたとは違う人生を生きてあなたとは違う体験をしてあなたとは違う境遇に育ってきてあなたとは違う知識を持っていてあなたとは違う価値観で生きている人なのです。
そんな人があなたの書いた文章を読むのです。あなたが伝えたいと思うことがあなた自身の頭の中でよほどはっきりしていなければ、そしてその頭の中ではっきりとしていることをしっかりとした文章で書かなければ、決して読む人には伝わらないでしょう。しかも多くの場合、読み手はワガママです。自分が読んでわからないと書いた人のせいにします。大学の履修要項を読んでみてください。わかりにくくて「もっとわかりやすく書けよ」といいたくなると思います。きっと多くの大学の入試要項や入学手続の説明書を読んでもそう思ったでしょう。あなたがそう思うのと同じようにあなたの書いた文章を読んだ人は理解できないと「書いたヤツが悪い」と思うのです。しかもあなたの文章を読む人はあなたよりも立場的に上にいます。「読んでる自分の思考が書いてる学生の思考についていけてないのだ」なんて思ってくれるはずがありません。
そのためにも自分のいいたいことを一言でいえるようにしておきましょう。よく文章を添削していて「君がいいたいのは『……』ということなの?」と尋ねると、「うーん。まぁだいたいそんな感じです」と答える学生がいます。「だいたいそんな感じ」ではおそらくは相手に伝わらないでしょう。実際の採用試験などであなたが書いた文章を読む人は我々教員が添削をするときのように「何を書いているのかしっかり理解しよう」という心構えを持って読んではくれません。「わかることが書いてあるならまぁ付き合ってみてやろうかな」というぐらいでしか思ってくれていないのです。そんな風にしか思っていない人が読んでもわかるように書く必要があるのです。
ですから文章を書くときには自己PRにしても志望動機にしてもその他の何にしても、しっかりと自分の伝えたいことをはっきりさせましょう。
2.文章で大切なのは「序論」と「結論」
文章を書く上で1番大切なのはどの部分でしょうか。それは「序論」と「結論」です。
文章は「序論」「本論」「結論」の3つの部分に分けられます。この順番で書くのが常道です。もちろん変形バージョンがないわけではありません。でもおそらくこれを読んでいるみなさんは変形バージョンを書かない方がよいと思います。私も駆け出し学者で物書きの端くれではありますが未だに変形バージョンの文章はうまく書けません。文章を書くことが仕事の私ですらそうなのですからみなさんでうまく書ける人がいたらその人は例外中の例外でしょう。その人はきっとこのページを読む必要はない人です。
さて冒頭にも書きましたようにこの「序論」「本論」「結論」の中で1番大切なのは「序論」と「結論」です。たくさんの文章を読む人が「どれを真剣に読むか」を決めるに当たってはまず「序論」と「結論」を読みます。この2カ所を読んでみて書いてあることがよくわからない文章はもう真剣には読んでもらえないでしょう。もしかすると読まないかもしれません。時間の無駄だと感じてしまうからです。ですから文章を書くときにはまず「序論」と「結論」だけを読んで何をいいたいと思っているのかがわかるように書きましょう。
これはどれほど強調してもきっと書いているうちに忘れてしまいます。文章を書き終わったらもう1度思い出してください。「序論」と「結論」だけ読んで何が書かれているかわかる文章を書くというのは非常に重要なことなのです。
3.一文は短く
一文は短くしましょう。目安として120文字を超えたら1度「。」で文を切るべきです。あまりに長い文は、仮にそれがどんなに文法的に間違いのない文であったとしても、読んでいて疲れます。読んでいて「何が主語だったのか」とか「さっきあった修飾語は何を修飾しているのか」とかがわからなくなるからです。しかも一文が長く書かれている場合の多くで文法的におかしな文が目立ちます。主語と述語が対応していないとか修飾語が何も修飾しないで終わっているとかです。こういうことにならないように一文は短く切りましょう。
一文を短く切ると文と文をつなぐ接続語が必要になります。それもしっかりと考えましょう。接続語を考えるということは自分が書いているそれぞれの文の内容のつながりを自分で理解するということです。「〜だし、……だが、○○で、××した」といったように「し」「が」「で」などで「。」をつけないままに文を長くすると、読んでいて何が書かれているのかさっぱりわからない一文になります。一文を短くすると短くした文と文をつなぐ適切な接続語を考えることになります。それが文章全体の流れをよくし、わかりやすい脈絡をついた文章を書くことにつながるのです。
4.文法をおさえる。
さっきも少しいいましたが「主語」と「述語」が対応していない文を書く人がたくさんいます。自分の書いた文章の一文一文で主語と述語を確認して線を引いてみましょう。主語と述語だけを読んでみておかしくないか確認してみてください。「私は〜公務員になろう」とかなっていたら確実に変です。「私は〜(公務員になろう)と思った」ならまだ大丈夫です。
それから修飾語と被修飾語もちゃんと対応させましょう。そして修飾語はなるべく被修飾語の近くに書くようにしましょう。一文の最初に修飾語が出てきてその修飾語が修飾している被修飾語が一文の1番後ろだったりすると、読んでいてわからないことがあります。次の一文を見てください。
比較的夏の間は夕方遅くまで明るいのでやはり私はゆっくり歩いていたが早く帰りたくなったので急いで走ることにした。
最初の「比較的」はどの言葉を修飾しているのでしょうか?「夕方遅くまで」「明るい」「ゆっくり」「早く」「急いで」のどれでしょうか?また「やはり」は「ゆっくり」「帰りたくなった」「走る」のどれを修飾しているのでしょうか?どれを修飾することもできなくはないですよね。こういう文は採用試験などのための文としては不適切です。気をつけましょう。
また文の終わりは「〜だ」「〜である」調と「〜です」「〜ます」調のどちらかに揃えましょう。両方が交じり合っている文章というのは美しくありません。読んでいてとてもちぐはぐな印象を与えてしまいます。
さらに文の終わりを体言止めにするのはやめておきましょう。そういう文章表現方法があるのはわかります。でもここで学ぶ文章作成は採用試験のためのものです。特殊な表現力が必要とされる職業(詩人とか)の採用試験でない限りは通常の主語と述語がちゃんとある文を書きましょう。
5.自分の思いを文字にしてみる。
自分の考えていることを文字にするというのはとても大変なことです。でも相手にわかってもらうためには文字にするしかありません。もちろん言葉にしなくても伝わる心というものがあることを否定するつもりはありません。そういう人間関係ってステキですよね。素晴らしくうまくいっている仲の良い恋人同士とかはきっとそうでしょう。
でもみなさんが採用試験を受けるときにみなさんを審査する人はみなさんのそんな恋人とは違います。相当はっきりした言葉にしてもなかなか伝わりません。最初に「伝えたいことをはっきりさせる」ときの注意点を頭において書きましょう。
それから省略はいけません。「これは当たり前のことだから書かなくてもわかるはず」と考えるのは禁物です。日本中の誰しもがそう思うことならまだしも自分の周りだけでなく日本中の人々が誰でも「当たり前」と思うことでなければ省略してはいけないのです。「当たり前のことをわからないヤツが悪い」なんて思わないでください。相手が「当たり前」と思ってないということはそれはあなたにとっては「当たり前」の思考回路でも相手にとってはそうではないということですし、日本中の誰もが「当たり前」と思うわけではないような思考回路なのです。もし省略してしまうと「こいつの思考は飛びまくっていてわからん」と思われるだけです。しっかり丁寧に相手にわかってもらおうと思いながら書きましょう。
後、誤字脱字をなくすということはいうまでもありません。気を付けてください。「間違ってるかも」と思う字については常に辞書を引くようにしましょう。
6.ゼミを活用する。
文章を書く練習としてよいのはゼミです。ゼミで報告が当たったときにはしっかりと文章にしたレジュメを配りましょう。同じような価値観を共有できる人としか話をしないでいると自分の考えていることを「言葉にする」ということがなかなかできなくなります。そしてそれを「文字化する」というのはさらに難しくなります。おしゃべりはごまかしがききますが紙に書くとごまかしがきかなくなります。口でしゃべっているときは何となくつながっているように思えたことが文字にしてみると実はまるでつながっていないというのはよくある話です。
みなさんのゼミの担当教員はみなさんとは年齢も違えば育った環境も知っている知識も違います。価値観も大きく違うかもしれません。その先生に自分の調べて考えたことをしっかりと文字にして伝えるのです。ちゃんとレジュメを出して質疑応答にしっかり取り組むことによってみなさんの思考はどんどん明確になっていくでしょうし、文章力もアップすることでしょう。
ゼミで報告が当たっていないときは報告している人のレジュメを見て話を聞きましょう。自分の文章と比べてどこがよくてどこが悪いのかを考えましょう。わからないことは報告者に質問をしてその答え方をよく聞いてみましょう。本当にその答え方で自分が理解できているのかどうか、その答えを聞いて自分はみんなに自分がした質問について紙に書いて質問と答えを配ることができるかどうか、しっかり考えてみましょう。
ゼミというのは決してその学問分野についての勉強だけしかできないというものではありません。自分の頭の中にある思いを言葉にして文字にして、あなたとまったく違う経験や知識や価値観を持った人とコミュニケーションをとる練習場なのです。みなさんの目からどう見えているかはわかりませんが、教員は物書きですから文章を読んだり書いたりすることについてはプロフェッショナルです。これ以上いい練習相手はいないはずなのです。
おわりに
自己PRや志望動機など、何を書くにしても「どう書いたらいいかわからない」というのはあるかもしれません。その際、重要なのは「自己分析」です。小さい頃から今まで自分がどんなことを考えてどんなことに心を動かされてどんな将来の夢を持ってきていてどんなことをやってきたのか。何年かごとに区切りながら表にしてまとめてみましょう。ほとんど忘れてしまっているでしょう。記憶の糸をたぐり寄せてください。そんな中からいろいろ考えているうちに書けるようになると思います。
自分の頭で文章を考えて書くというのは大変なことです。自分の頭の中にぼんやりとある何かが文字にできるようになるまでにはまさに「産みの苦しみ」を味わうことになります。多少の慣れはあっても誰しもそうなのです。そこから逃げないでください。「そのうちに書く練習をしよう」と思って逃げていると最後まで書けないままになってしまいますから。
中村孝一郎(法学部憲法講座専任講師)