5月28日 長尾景虎役 Gackt(ガクト)
ストイックな生活
景虎が毘沙門堂で護摩を焚(た)き、真言を唱えるシーンを収録した。スタジオのセットとはいえ、やはり毘沙門天像を前にすると背筋がぴんと伸びる。そして景虎が“自分を律するため”に、毘沙門天像と向き合っていた気持ちがとてもよくわかる。僕も日々ストイックな生活を送っているからだ。
なぜ自分を律するのか。それは、僕が自分で自分の“だらしない部分、心の弱い部分”というものを理解しているからだ。それが出てしまうことを恐れる臆病で小心者の僕は、そんな弱さ、だらしなさを出さないために、自分にルールを課している。そのルールに則った毎日を送るというのが僕の生活スタイルだ。
たとえば食生活。僕のルールでは1日1食で炭水化物を極端に制限している。特に米はもう10年近く口にしていない。1日の睡眠時間も大体2時間から3時間。夜1時ごろ寝て朝は3時か4時起き。スタッフが僕の家に来るので一緒に3時間ぐらいトレーニングをしてから仕事に向かう。
体をこわすのではないかという人もいる。しかし僕はこの生活をずっと続けているし、これで体が悪くなったことは一度もない。むしろ体調がいいくらいだ。これは意志の力で続けているというより、本当に体も心も鍛えることの出来る生活だと思っている。律すれば律した分だけ、心も体も真っ直ぐに向かっていくことができる。
人間は歳を重ねていくごとに感覚が鈍くなりがちだ。僕は自分の感覚が鈍くなることにも恐怖を感じる。だからこそ、常に自分の感覚を鋭く研ぎ澄ませておくためにも、ストイックに自分を律していきたい。
5月20日 武田晴信役 市川亀治郎
慣れは禁物!常に変化を求めて
「風林火山」の収録が始まって、もう9か月近く経ちました。映像の仕事が初めてだった僕も、すっかりテレビドラマの撮影に慣れて、収録そのものは順調に進んでいます。ただ、舞台とあまりに違う環境で過ごす時間が長くなったことで、一つ困ったことが起きてしまいました。
それは少し前、歌舞伎のパリ公演でのこと。パリに着いてちょっとお稽古で動いただけで、ものすごく息が切れてしまったんです。『ああ、これはまずいな。相当、体力が落ちているな』ということを実感しました。テレビと舞台では体の動かし方がまるで違う。歌舞伎の場合、本番をこなさないと身に付かない体力というのがあり、これだけはどうにもならないですね。
慣れるということでいえば役も同じです。1年以上も同じキャラクターを演じていたらしんどいし、たぶん飽きてしまいます。もともと僕は飽きっぽいので、舞台で同じ役柄を何回もやっていると、演じながらどんどん変えていってしまうタイプですし。
そんな僕が、今回、「風林火山」で『助かったな』と思うのは、晴信が若いころから現在に至るまでの間にどんどん変化を遂げていることです。“ちょっとひ弱な文学青年時代”から、甲斐のお屋形様としての自信が出てきたころ、さらに現在収録中の晴信は『別人か!?』と思うような変わり方を見せています。
やっぱり芝居というのは、内面の深い部分を表現することも大事だけれど、それだけでなく目先を楽しませることも大事にしたいですね。実際に、歌舞伎では特に理屈を超えたエンターテインメントとして、目先を楽しませる工夫も凝らすように心がけていますしね。

そしてもう一つ、スタジオにも大きな変化が訪れました。信玄の最大のライバル・上杉謙信役のGackt(ガクト)さんの収録が始まったのです。その初日には『敵情視察』と称して、内野聖陽さんと一緒にスタジオの外にあるモニターテレビで収録の様子を拝見しました。でも2人で何を話したのかは“秘密”です。
Gacktさんは、一度、僕の舞台を見に来てくださったことがあるんですよ。すごく真摯な方で、もっといろいろおしゃべりしてみたいのですが、収録スケジュールが別々なのでほとんどお会いする機会がなくて残念です。
でも考えてみれば当時の信玄も自分と関わりのないところで話が進んでいき、川中島で初めて謙信と会っているんですよね。だから今のようなすれ違いの収録スケジュールはいい具合かも知れません。
情報も少なく、謙信のことも人づてに聞くことばかりだった。そんな時代の感覚を大事にしようと思っています。
5月13日 山本勘助役 内野聖陽
“和子さま”の意味に『ン!?』
僕の書く文章に“四字熟語”が登場することが多いせいか、よく読書家だと思われたりするんですが、それは大きな間違い(笑)。台本以外の活字はほとんど読みません。僕は脳みそを肥大させるより、自分の肉体を通して知りたいと思うタイプなんですよ。痛い思いをしないとわからない(笑)。皮膚感覚で生きていたい。だから俳優という道を選んだというところもあります。
だからといって“言葉”をおろそかにしているわけじゃないんです。言葉はその人の世界を広げてくれるものだし、ボキャブラリーが多いことは それだけ豊かな世界を持っていることの証とも言えますよね。やっぱり乱暴には扱いたくないですね。
それにしても、やっぱり使い慣れない言葉、どこか引っかかる言葉というのは出てくるものです。台本を読んでいて『あれ?』と引っかかる言葉は、その都度、辞書を引いています。逆に言うと、引っかかるアンテナを持ち続けることは大事だなと思ってます。
最近ひっかかったのは“和子さま”という言葉。“子ども”のことではなく“男の子”のことだというのを、恥ずかしながら最近知りました。勘助が由布姫に言うセリフで『和子さまがお生まれになれば』というのがあるんですが、あれは『子どもが生まれれば』ではなく、『男の子が生まれれば』という意味だったんですね。これは小さな例ですけど、言葉をおおざっぱに扱っていたら、その違いに気づかない。そうするとドラマをうまくふくらますことができなくなってしまう場合もあるんです。
四字熟語にしても、やっぱり『臥薪嘗胆(がしんしょうたん)※』とか、4つの漢字の中にすごい深いドラマが詰まっていて、そこが面白いなと思って、つい使いたくなるんですよね(笑)。
※復讐(ふくしゅう)を心に誓って辛苦すること。
5月6日 音響デザイン 今井裕チーフ・ディレクター
僕の息がかかった(!?)番組
“音響デザイン”というとなじみがない言葉かも知れませんね。選曲や効果音、ME※という抽象音まで、番組全体の音構成を考えるのが音響デザインの仕事です。音楽の選曲、編集、効果音やMEの音作りなど、ドラマに使われるすべての音を用意します。それらは録音した素材などをもとに、コンピューターで処理してデータに編集していきます。
しかし、中には生音(なまおと)でなければ表現できない音の世界があります。たとえば山本勘助が雪の山道を歩く足音。スタジオに作られた小高い山のセットは下が木の台になっているので、勘助が歩くと“ぼこぼこ”という音になってしまう。そんな時、僕らは実際に草履を履いて、粗塩や片栗粉などを敷いた上を歩いて足音をつけ直します。
必ずしも山道ばかりでなく、一歩足を踏み出した瞬間の“ミシッ”という音で、緊張や喜び、怒りなど勘助の心情を表さないといけないこともある。そうした表情を出すのも僕らの仕事です。由布姫の衣ずれの音、晴信が立ち上がる音など、僕ら効果マンがいろいろな役をほとんどやっていますね。
この仕事に携わって30年余り、僕のひそかな楽しみは、毎回必ずどこかに僕の息で作った音を入れること。ヒッチコックが自分の映画に必ず登場しているように、音でそれが出来ないかなと始めたのがきっかけでした。風の音は僕の息で作ったものが多いですね。たとえば雪で凍えているシーン。いかにも寒そうなリアルな風の音に、息を足していくと、そこに独特の空気感や奥深さが出てくるといった使い方です。ふつうの人には、わかりにくいでしょうが、人の息というのは温かみなど、さまざまな表現が出せます。ほかにも、病で伏せっている禰々のところに入る頼重の亡霊の息も表現しました。
つまり僕が携わったものはすべて『僕の息のかかった番組』ということになります(笑)。
※Music Effectの略。音楽と効果を混ぜ合わせたようなイメージで、心象音ともいう。