あの日を境に、野球界の歴史を「落合以前」と「落合以後」に分けるとすれば、落合以前に山井を代えられる指揮官は1人もいなかった。
当日、実況を解説していた楽天の野村監督は、「監督が10人いたら、まず10人が代えない」と断言。終了直後のスポーツ番組で解説をしていた日本代表の星野監督も「私が監督なら代えない」と明言していた。
一方で、落合以後にこの決断を支持する人々が現れる。そのメンツが面白い。
東京都のトップである石原都知事は、落合監督の決断を絶賛した。落合監督のライバルである阪神タイガースの岡田監督も、「あの判断は当然。オレだったら球児(藤川球児、阪神の守護神)に代える」と言い、敵将の日本ハムのヒルトン監督も、日本を離れる際に「理解できる」と発言した。
つまり組織のトップ、それも激しいタイプのトップには、この判断が「理解できる」のである。このことは、この後の説明を理解する上で重要なことなので、ぜひ覚えておいてほしい。
トップの思考の世界というのは、通常は「トップにならない限り理解できない」ものであるが、今回のコラムでは僕の経営の世界での経験から、彼らの“思考の世界”を皆さんにガイドしてみたいと思う。
以前、僕が所属していたコンサルティングファームでは、大企業の社長だけを集めたフォーラムを運営していた。そのメンバーを選ぶ際に、ある著名企業の副社長をメンバーにするかどうかを会員に諮ったことがある。結論は見送り。ある有力な会員の発言を覚えているが、「社長と副社長の視座の間には言い知れない高みの差があり、距離がある。トップの抱える悩みを議論する場に彼はふさわしくない」ということだった。
経営トップのコンサルタントという仕事は、彼らのカウンセラー的な役回りを僕たちに要求する。それは結果として、企業トップにしか分からない思考を理解する、希少な機会を与えてくれる。とはいえ、その世界は奥深い。
誤解を恐れずにいえば、ベンチャー企業から這い上がった大企業の社長の視座は、まだ理解しやすい。うまく経営しきれていない大企業の社長の場合は、もっと理解しやすい。奥深いのは、その存在自体が多国籍であり、従業員規模が10万人を超え、国の経済に影響を与えるような大企業トップの思考である。これは、有能な経営コンサルタントでもなかなか到達し得ない世界だ。
僕自身、30歳代の中ごろにこんな経験をした。
フォーチュン誌が選ぶ「世界を代表するリーダー」の1人にもなった、さる大経営者の依頼でコンサルティングを行ったときの話だ。コンサルティングファームからはパートナーが2人、僕を含めたマネジャーが3人という5人の精鋭チームで彼の抱える問題解決に当たった。
ところがプロジェクトがスタートして2カ月、僕らの力不足が露呈してきた。彼の問題の視座と、我々の仮説の次元が合わないのである。
彼の語る問題点の深さを我々が理解しきれていない――この事実は、彼とのコミュニケーションを通じて感覚的に理解できるのだが、ではどうすれば彼の悩みを理解できるのか。彼の視座が高過ぎて、どうすればこのギャップをアジャストできるのか困ってしまった。
例えていえば、日本のプロ野球のレギュラーをそろえて野球教室を開いていたところ、メジャー最高の投手であるランディ・ジョンソンがやってきて、「技術」と「老い」と「ピンチでの心理的駆け引き」の相談を同時に始めたようなものだ。彼の悩みの次元があまりに高いため、受け答えのピントがまったく合わないような感覚だった。
結局、この“ずれ”を克服するために、異例の対応をお願いした。経営会議での彼と幹部との議論を録音し、それを繰り返し聞くことにしたのだ。計6時間分の議論を録音したテープを僕は繰り返し聴いた。
トップである彼とその仲間である経営幹部、つまりトップとはたとえられないほど大きな距離がある経営陣との議論を通じて、彼が何に対してフラストレーションを感じているのかを何度も繰り返し聴き続けたのだ。
30時間を超えたころ、これは後で計算してみた数字なのだが、それくらいの時間を費やしたときに“エウレカ”(ギリシャ語で「分かった」「見付けた」の意)が起きた。彼の悩みに初めてシンクロできたのだ。通常の経営者と何段も離れた視座で思考をしている彼と、そうでない仲間たちの間での議論のギャップが、ようやく見えるようになったのである。
この体験の後から、僕も本当の意味でトップの意識にシンクロする技術を身に付け始めた気がする。