外貨準備残高を保有する二つの理由
2006年10月、中国政府が保有する外貨準備残高(全準備残高−金保有高)が1兆ドルを超えた。5年前の01年10月に中国政府が保有していた外貨準備残高が2000億ドルであったのに対して、5年間で5倍に増加したことになる。また、日本政府が保有する外貨準備残高(06年10月、8700億ドル)と比較すると、06年1月にすでに中国政府が保有する外貨準備残高が日本政府のそれを逆転し、1000億ドル以上上回っている。新聞には、外貨準備残高で「中国が世界1位、日本が世界2位」と報じられている。図を見ると明らかであるが、日本政府が保有する外貨準備残高は、04年3月以降、大きな増加を見せていなかったのに対して、中国政府が保有する外貨準備残高は着実に増加している。このトレンドが今後も続けば、中国政府が保有する外貨準備残高は日本政府のそれを大きく上回っていくことであろう。これを見て、果たして「日本は中国に負けた!」と悔しがるべきなのだろうか。
政府が外貨準備残高を保有する理由には、主として二つある。その一つの理由は、民間部門の国際決済のバッファー(緩衝材)として外貨準備残高を保有していることである。民間企業が外国の企業と貿易取引などを行うに際して外貨で決済しなければならないときに、国全体で貿易収支赤字に陥って、国全体で外貨の受け取りより外貨の支払いが超過した場合に、外貨の支払いが不可能となることを恐れているのだ。理論的根拠はないが、輸入額の3カ月分の外貨準備残高を保有していることが適切であると言われている。
もう一つの理由は、為替相場の安定化あるいはある水準への誘導を目的として、政府が外国為替市場で外貨売り邦貨買い介入を行うために外貨準備残高を保有することである。とりわけ、政府が公定相場を市場相場よりも高めに(自国通貨を過大評価するように)設定すると、貿易収支が赤字となる傾向が表れる。市場相場を公定相場に維持しようとして、政府が外貨売り邦貨買い介入を頻繁に行う可能性があれば、政府は、そのような外国為替介入に備えて、外貨準備残高を保有しておく必要がある。また、通貨危機は、国際収支危機とも呼ばれ、国際収支赤字に対して外貨準備残高を利用した外国為替介入がもはや不可能となったときに発生する。通貨危機に備えて、十分な外貨準備残高の保有が推奨されている。これらの理由から、固定為替相場制度や管理フロート為替相場制度を採用している発展途上国は、多くの外貨準備残高を保有したいというインセンティブを持っている。
第二の理由の外国為替介入に関連して、積極的理由というよりもむしろ、政府が外国為替市場で外貨買い邦貨売り介入を行っているために、その結果として外貨準備が蓄積されることがある。政府が公定相場を市場相場よりも低めに(自国通貨を過小評価するように)設定すると、貿易収支が黒字となる。あるいは、外国からの直接投資や証券投資や銀行融資を資本流出に比較して大量に受け入れれば、資本収支が黒字となる。これらに起因して国際収支黒字が発生したとしても、公定相場を維持しようとして、あるいは、為替相場の安定化を図ろうとして、政府が外国為替市場で外貨買い邦貨売り介入を続ければ、外貨準備が蓄積する。これらが、ここ数年の中国政府が保有する外貨準備残高が急増している背景であり、04年以前の日本政府が保有する外貨準備残高が急増していた背景である。
日本政府保有の外貨準備残高について言えば、03年から04年にかけて日本政府保有の外貨準備残高が急増した。これは、財務省と日本銀行による外国為替市場における外貨買い邦貨売り介入が行われたことを反映している。04年3月以降、日本政府が保有する外貨準備残高は大きな増加を見せていない。それは、この頃から現在(06年11月8日)まで財務省と日本銀行は外国為替市場に介入をまったく行っていないことを反映している。一方、中国政府保有の外貨準備残高は一貫して増加している。この外貨準備残高の増加は、中国の通貨当局が人民元高を減速させるために、外国為替市場でドル買い人民元売り介入を行っていることにある。
日本政府保有の外貨準備残高も中国政府保有の外貨準備残高も自国通貨の増価を減速させることを目的として外国為替市場への介入の結果、増加してきた。外国為替介入の副産物、すなわち、意図せざる結果と言える。外貨準備残高の最適水準がどこにあるかは議論の余地があるが、少なくとも日本と中国について言えば、実際の外貨準備残高は最適な外貨準備残高を十分に超えて、過剰に外貨準備残高を保有していることは否定できない。このように意図せざる結果として蓄積した外貨準備残高の大きさを日本と中国で比較して、「勝った負けた」と一喜一憂するのはまったくのナンセンスである。
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問題なのはコストが上回ること
むしろ問題は、外貨準備残高を蓄積することのベネフィットに比較して、外貨準備残高を蓄積することのコストが上回っていないかということである。すでに説明した理由から、政府が外貨を保有する目的として、もちろん、そのベネフィットを享受することがある。しかし、上述した外貨準備保有の目的にとっての最適な外貨準備残高を超えて、外貨準備を蓄積し始めると、そのベネフィットの追加的増加(経済学の用語で限界便益)よりも外貨準備を保有することに伴うコストの追加的増加(経済学の用語で限界費用)が上回ってしまう。すなわち、外貨準備残高の過度の保有は、コスト・ベネフィットの比較から、ベネフィット―コスト(正味のベネフィット)が小さくなり、さらにはマイナスとなってしまう可能性を持つことを意味する。
政府が外貨準備残高を過度に保有することのコストとは何であろうか? 政府が外貨準備残高を増やすためには、外国為替市場で外貨買い邦貨売り介入を行う必要がある。その際に、政府は邦貨を調達する必要があるので、その邦貨建て金利で邦貨建て資金を金融市場から借りてこなければならない。あるいは、中央銀行と政府が密接な関係を持っている(換言すれば、中央銀行が政府から独立していない)国では、無利子で中央銀行が政府に邦貨を提供するかもしれないが、その場合には、その中央銀行自体が、民間銀行に貸したり、国債を購入すれば得られたであろう利子収入の機会を失うという機会費用を要していることを意味する。外貨買い邦貨売りの外国為替市場介入で獲得した外貨で外貨建て資産運用をすれば、金利を稼ぐことができるが、その資産運用益は邦貨調達の資金調達費用、あるいは機会費用よりも低いかもしれない。その場合には、それが逆鞘となって外貨準備保有の費用となる。ただし、外貨建て資産運用益が邦貨調達の資金調達費用あるいは機会費用よりも高い場合もあり、その場合は利鞘を稼げることになる。
政府が外貨準備を保有することのもう一つのコストは、為替相場変動による為替差損である。そもそも政府が行っている外国為替介入は一種の投機である。政府が、邦貨高を止めるために邦貨を売って外貨を買うという外国為替介入を行っているとしよう。政府によるこの外国為替市場介入が成功して、実際に邦貨高外貨安が止まって、あわよくば邦貨安外貨高に反転すれば、政府が行った外国為替介入によって為替相場が、政府の意図した方向に変化することによって為替相場変動によるキャピタル・ゲインが得られる。これは投機の利得である。逆に、政府が行った外国為替市場介入が失敗して、意図した方向に誘導できなかった場合には、意図した方向と逆の方向に為替相場が変化することによって為替相場変動によるキャピタル・ロスを被ることになる。
例えば、中国政府は、人民元がドルに対して急激に増価することを抑制するためにドル買い人民元売り介入を行っている結果として、外貨準備残高を蓄積させている。しかし、昨年7月21日の人民元改革発表後、人民元はドルに対して年率で3%弱のスピードでゆっくりと増価している。すなわち、中国政府が保有している外貨準備(ドルの部分)はこの1年間で3%減価したことになる。現在、ドル建て金利がおよそ5.5%なので、まだ正味で損失とはなっていないが、今後、アメリカの金利が低下したり、あるいは、人民元の増価のスピードが速まると、金利を考慮に入れても、中国政府は正味で損失を発生させ、大量の外貨準備を目減りさせる可能性がある。
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急激なドル安で大損を被る可能性も
このような背景もあって、ドル一辺倒の外貨準備運用から外貨準備の通貨分散運用が検討されている。ただし、中国政府が外貨準備の通貨分散運用を実際に実行したい場合には、外国為替市場に少なからず影響を及ぼすことが予想される。すなわち、ドルからユーロや円への外貨準備のシフトによってドル安が進むかもしれず、中国政府の外貨準備の通貨分散運用それ自体がドル安を進め、外貨準備の一層の目減りを引き起こすかもしれない。外貨準備が徐々に目減りすることを何もせず見過ごすべきなのか、それを回避しようとして一気に外貨準備の通貨分散運用に走って、結果として外貨準備を目減りさせるべきなのか。いずれにせよ、万が一、急激なドル安が発生したら、世界1位2位の外貨準備残高を保有している日中の両政府は、為替差損を被ることになる。外貨準備残高で「勝った負けた」と競い合っている場合ではなくなるだろう。
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