ちょっとだけ気分一新
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明日の昼、「おもいッきりイイ!!テレビ」に兄貴の嫁さんが出るらしい。 http://konofumiko.com/
帰国してるんだ。頑張れよ~~~~!
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今日の夜、僕の住む街で「神田山陽独演会」があったので、行ってきた。
「講談」を聴くのは生まれて初めての経験だった。
神田山陽サンは、NHK教育の「にほんごであそぼ」という子供番組に毎日出ているし、日曜にはSTVラジオのみのや師匠の「歌しかなかった」のすぐ後に11時30分からも番組をやっているので、姿にも声にもよく接していたから、今日、「生」で講談を聴ける(しかも近所で)のを楽しみにしていた。
まず会場に入ってビックリしたのは、我々観客は客席に座るのではなく、ホールのステージ上に巨大な「蚊帳」を釣って、その中にお客さんを入れて講談を聴くというもの。http://www.montbell.jp/generalpage/index.php?general_id=16
だから、ものすごく間近で見ること(聴くこと)ができた。
内容は、新作の講談を2本がメイン。最初にツカミで古典的な講談を分かりやすく実演?しながら説明、飽きさせることなく次から次へとお客さんを笑わせ和ませ、新作の講談に突入。途中、休憩と言いながらそのまま高座に残ってお客さんとコミュニケーションをはかったり、禁止である写真をみんなに撮らせたり。そして、1年間のイタリア生活の話で引きつけておいて、最後にもう一つの新作講談、という全1時間30くらいのあっという間の時間だった。
僕が神田山陽サンに会いたかったのは、「口」ひとつで聴衆を巻き込む、引きつける「迫力」というか「雰囲気」を体感したかったからだ。
実は、お坊さんの語る「説教」は堅苦しくて訳の分からん長いタイクツなもの、、、というイメージがあるかもしれない。お坊さんの「説教」を聞くのがイヤだから葬儀には行きたくない、、、という批判も聞いたことがある。でも、落語のルーツはお坊さんの「説教」にあるということだし、お坊さんの世界でも、「口」ひとつで、聴衆である檀家さんを引きつけたり、笑わせたり、泣かせたり、考えさせたり・・・・そういう人もいる。
僕も葬儀や法事など、人前でお話をする事が多いから、話したい内容(仏教の教え)をどう伝えるのかをいつも考える。どう学び、どう内容を吟味し、自分なりの言葉でどう「発する」のかという事、そして、それを「聴き手」はどう聴いていくのか? そういうことをもっともっと学びたいと思うのだ。
神田山陽サンは話の中で、
「講談を聴いて面白かったりココロが動いたりするのは、語る講談師がスゴイのではなく、聴き手の頭の中にその世界があるから。舞台は講談師のいる高座にあるのではなく、皆さんの頭の中にあるんだ。」
と言うようなことを言っていた。「テレビ」のように映像も字幕スーパーも効果音もない。あるのは、講談師の言葉。声。動き。迫力。 いつしか僕は引き込まれてしまった。いつのまにか僕の頭の中に、山陽サンの話している「世界」が現われていた。
すげぇなぁ!!
そして、楽しみながらも、必死に聴こうとしている自分を感じた。最近テレビなどで「受動的」になる事ばかりに慣れすぎているな、と思った。ただボケーッと聴いていても何も分からない。講談師の迫力や雰囲気などに引き込まれながら(講談師の技量によって導かれながら)、聴き手の方も参加しないと、面白くないし、笑えない。また、自分の感性を働かせて参加しているからこそ、面白さを腹の底から実感できる。
そう、「聴き手も参加」するということ。
今日の独演会で、この事を再確認した。
お寺でも、仏教の内容を少しでも分かりやすくする為に、「ビデオ」を使ったり「レジメ」を用いたりする「テクニック」はある。でも、そんな手取り足取り甘やかさなくても、ちょっと昔までは、話す方も聴く方ももっと賢かったのではないか? シンプルな世界の中でも、もっと泣き笑い、もっと学び、もっと対話が生まれていたのではないか??
いやぁ、それにしても、今夜は「話芸」というものを間近で体感できて嬉しかった。 そして、やはりミーハーな私は、終了後、神田山陽サンにサインを戴いたのであった。。。。
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今年も私の所属バンドの「年末恒例コンサート」に向けての「練習」が始まっている。
そして、ホールコンサート10年目を迎える今年12月26日(水)をもって、バンドは解散する。
このバンドの前身である「音楽仲間」としては、僕が学生の頃から、たまに地元に帰って来てる時に仲間に入れてもらっていた。 みのや師匠に憧れて高校からギターを初めて、オリジナル曲も作っていたけど、いつも「一人」で歌ってたので、「バンド」という形態に最初は戸惑っていたっけ・・・・。
その後、大学院を修了し、地元に帰って「副住職」になった1997年の秋、バンマス「Oさん」がメンバーを6名集め、正式にバンド「メールハート」が誕生した。
「とりあえず、10年続けてみよう」
1998年から「12月26日」という日程に固定して、ホールコンサートを始めて今年がちょうど約束の10年目である。
アマチュアバンドながらも、「オリジナル曲」にこだわり、毎年メンバーの誰かのオリジナル曲をアレンジし、10年歌い続けてきた。メンバーの入れ替わりもあった。 ビアガーデンや、イベント会場、学校祭、など色んな場所でも歌ってきた。
メンバー全員が職業が違うので、なかなか練習日程が合わないのが悩みだけれど、イベント予定が入ったり、年末恒例コンサートが近づくと、ウチのお寺のホールに集まり、夜遅くまで練習を重ねた。 練習も楽しいけど、実は、練習に付随して行われるメンバーとの「飲み会」が楽しみで仕方なかった。
そして、「ステージ」という「本番」にたどり着くまでの「ヒトコマ・ヒトコマ」が喜びであり、トキメキです。
◎コンサートがある ◎練習日を決めて集まる ◎時々メンバーで「飲み会」をする ◎本番日が近づく ◎ポスターやチケットを知り合いに宣伝する ◎本番日を迎える ◎朝からホールで機材を搬入し仕込みをする ◎仕込みが終り、最終リハをする ◎本番直前。ライブ衣装に着替える ◎客席の入りを気にする ◎本番直前、ステージ裏でメンバーで円陣を組む ◎震えるココロでステージに向かう ◎本番を楽しむ ◎コンサートが終わり、お客さんを見送る ◎機材を撤収する ◎お世話になったスタッフ仲間の皆さんと「打ち上げ」をする・・・・
みんな「本業」が忙しいのに、いや、忙しいからこそ、そんな「ヒトコマ・ヒトコマ」が愛しいし、輝くのです。
ほんと、オッサンになっても「放課後のクラブ活動」があるみたいな感覚で、トキメキ続ける事ができたバンド活動。
今年の解散コンサートは、今まで10年の中で歌い継いできた「オリジナル曲」中心の構成になる予定。 ある意味「歌い慣れた曲」達と今後の練習の中でどう向き合っていくか??最後のコンサートなのに、逆に、一番難しいコンサートになるかもしれない・・・。
バンドマスターOさん(の奥さん??)が作成した今年のポスターには、
「last concert」
という文字が見えている。
28歳だった自分も38歳になっていた。
ラストかぁ・・・。
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●意見が異なる人。
●意見が異なるけど、互いの立場を認めあえる人。
●意見が一致する人。
●意見が一致してる(ように見えてる)けど手段が異なる人。
●賛同してくれる人。
●賛同してくれても真意を分かってくれてない(勘違いしてる)人。
●反対する人。
●真意を理解した上で反対してくれる人。
・・・・・・色んな人とすれ違う「人間交差点」。
果たして「この人」は敵?味方?この言葉の真意は??歯痒さが増していく。優しいと思ったらホントはなめられてたり、痛いと感じても逆に励ましてくれてる時も。
「日常生活」の中でも難しいけど、ネット上ではさらに分かりにくい。
だから、
いろんな人と知り合いたいけど、
今の俺は、
ひたすらその「交差点」を無口に歩いてくだけ。
あの人の背中を追いかけながら・・・・・・
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