コードネーム:荒野のイタチ(前編)
あたし?あたしは名もない流れ者よ。あ、一応名前はあったんだけどね・・・思い出すのが面倒だからやめとくわ。
ここゴールドラッシュシティの町から町へ流れ歩き、仕事にありついたらその場所にしばらく居つくけど、もともと飽きっぽいからあんまり長続きしないのよ。それに、この美貌でしょ?男がいろいろチョッカイかけてくるんで、面倒くさくなる場合も多いわね。あたし、男ってあんまり好きじゃないのよ、だってむさ苦しいじゃない?それにしつこいし・・・どっちかというと、女どうしのほうがあっさりしてて楽しいわ。
このゴールドラッシュシティって、他のシティに比べると男が多いのよね、まいっちゃうわ。けど、大昔のアメリカって国の黎明期を描いたウェスタンってジャンルの映画が好きだったし、馬も銃も得意だったから、あたしは自分が生活する場所として、このゴールドラッシュシティを選んじゃったのよ。このシティは、そんな古代劇が好きな連中によって作られたところなの。
ま、ひときわ変わったシティね。世界がひとつの国になってから、シティと呼ばれる自治区がいっぱい出来たんだけど、他のシティは殆ど最先端の科学を利用して凌ぎを削っているわ。けれど、このシティはね、ウェスタンを愛する人たちによって当時のままに作られたの。エアカーもレイガンも使用禁止。乗り物は馬って決まってるし、護身用の銃もライフルとリボルバーだけ。みんなテンガロンハットをかぶって革のチョッキをつけたウェスタンスタイルよ。まあ、こういうのが好きな人には男のほうが多いんだろうね。
あたしは今、愛馬レッドペガサスに跨って荒野を横切ってる。このシティにはいくつもの町と牧場があるけど、みんな砂漠や荒野に隔てられていて、行き来するのは結構大変。でも流れ者なんだから仕方ないわね。
あ、あたしのスタイル見た?結構自信あるんだ。背は普通の男くらいあるし、ウェストもキリっとしてるしさ。まあ胸はそんなに大きくはないけど、ペチャパイじゃないから均整とれてるでしょ?この身体に明るい茶色をベースにした革のスラックスとチョッキよ。いかしてるでしょ?それに細面の顔が結構自慢。目鼻立ちは整ってるってよく言われるけど、きつい顔じゃなくてどちらかと言うとほんわかって感じかな?この前古代語辞典見てたら「癒し系」って言葉見つけたんだけど、まさにそれね。細面の癒し系ってグッとこない?
あ・・・あなた男?残念ね、あたし、やっぱ男に興味ないわ。可愛系の女の子が好きなのよ。ごめんね、男にグッとされても嬉しくないわ。
それからもひとつ自慢なのが、ストレートの金髪よ。テンガロンハットから流れるように腰の少し上まで伸びてるでしょ?とくに手入れしてるわけじゃないんだけど艶があるでしょ?この髪が風に吹かれてたなびいてる絵って、自分でもうっとりしちゃうわ。
ほんとにその気にならないでね、あたしが流れ者やってるのは、ほとんどが男とのトラブルが原因なんだから・・・。まあ、あたしの美貌が原因なんだから男を悪くいうわけじゃないんだけどさ、こっちが迷惑がってることくらい察して欲しいわよね、ほんっと鈍感なんだから、男って。
あたしが目指してる町の名前はニッカツタウンっていってね、ウェストシティの中でも一番裕福な町って言われてるわ。町はずれには赤い夕陽牧場っていう大きな牧場があって、ここの牧場主が税金をいっぱい払ってるから、町も大きくなったってわけ。町にある酒場や商店のほとんどが牧場主のアキラとルリコって夫婦の経営らしいわ。そうそう、このアキラって人も、以前はあたしと同じ流れ者だったそうよ。流れ先の町で無法者たちに狙われていた牧場の娘だった女に惚れられたらしいの。でも、カッコつけるのが好きな人で、悪党たちを退治した後、「流れ者にゃあ女はいらねえ」なんてキザなセリフ吐いて立ち去ったんだけど、好きなのに無理してたんだよね、自分の牧場を持って女を迎えにきたらしいわ。それが今の奥さんのルリコさんってわけ。
まあ、人のロマンスなんてどっちでもいいわ。どっちみちあたし、男に興味ないし。
とにかくニッカツタウンなら、どこか働き口はあるだろうってカンジで目指してるわけよ。ここんとこ一文なしの状態が続いててね。前に働いてたのは酒場の用心棒だったんだけどさ、なんだか、あたしがいると余計男どうしのトラブルが多いってんでクビになって、それからは野兎の肉くらいしか食べてないのよ。いざとなりゃ牧場主のアキラさんに泣きついたらどうにかなるわよね。そうだ、アキラさんじゃなく奥さんのルリコさんに泣きつくことにしよっと。アキラさんに面倒みてもらうと、きっと奥さんに誤解されて、またクビになっちゃうかもしれないからね。いつもそうなのよ、あたしには全然その気がないのに、男のほうが勝手に熱上げちゃって、奥さんや恋人に憎まれるの。ほんっと、美貌は辛いわよね。
ヒヒーン・・・とレッドペガサスが嘶いた。かしこい馬なのよ、走るときはまるで羽が生えてるように軽やかで速いの。鬣が萌えるように赤いんでこの名をつけたんだけど、勘も優れてる。この嘶きは、何か危険を察知したときのものだわ。
あたしは用心しながら周囲を見渡した。幌馬車の轍のあとが残る荒れた土の道の両側には切り立った崖がある。岩陰に隠れてあたしを狙う奴らがいたとしても発見するのは困難だわね。
もともとウェスタンの好きな連中が作ったシティだから、住人は結構荒っぽいの。強盗みたいな奴も大勢いて、無法がまかり通ってる。シティ政府の公務員が各町にシェリフとして常駐して治安維持にあたっているんだけど、悪党どもはなかなか減らないのね。それに住民自身が、そういう状況を楽しんでいる部分もあって、政府も少々苦慮しているらしいわ。
そんな状況だから、今、あたしが狙われていたとしても不思議じゃない。金はもっていないから狙っても無駄なんだけどね、金がないとわかったら暴漢は次にこのあたしの美貌に目をつけるでしょ?それが困るのよ、男に狙われてるって思っただけでも背筋が凍るわ。
「行くよレッドペガサス」
あたしは愛馬の耳にこう囁いた。ここは危険だ、一気に走り抜けるしかない。この崖を抜ければ町は近い。あたしは右手でホルスターの拳銃を握り締め、左手だけでレッドペガサスの手綱を操った。
レッドペガサスは前足を掲げるようにして、もう一度嘶くと、疾風のように駆け出した。
「ハイッヤー!」あたしは叫んだ。
愛馬に鞭をくれたわけじゃないの。レッドペガサスは鞭など使わなくとも、あたしの思うとおりに動く。あたしは愛馬の動きに呼応して叫びを放っただけ。
乾いた土が、細いが逞しい脚に蹴立てられて砂塵となって舞い上がる。その中を赤い弾丸のように疾走するレッドペガサス。あたしは背を屈め、拳銃を握り締めたまま周囲に気を配る。
ズギューン!
疾駆する蹄の音の中を銃声が轟いた。馬の足元の土が抉られてる。射撃の腕はまあまあね、こんなスピードで走ってるのを狙うんだから。
やっぱり誰かが狙っていた。あたしは疾走しながら崖の上に人影を探す。そう、崖の上から岩陰に隠れて狙ってるとしか思えないから。
ドギューン!ドギューン!
更に別方向からも銃声が聞こえた。疾駆するレッドペガサスは、器用にそれをかいくぐってジグザグに駆けていく。さすがはあたしの愛馬!
そして、あたしは両側の崖に、それぞれひとつずつの人影を発見していた。岩陰からライフル銃で動く射的を狙っている。
敵の所在さえ認識すれば、このあたしの勝ちだ。銃の腕前なら誰にも引けは取らない。見てなさい・・・
あたしは凄まじいスピードで駆け抜ける馬の背中に身体を起こした。そして崖上の人影めがけてリボルバーの銃口を向ける。
バアン!バアン!
2発を続けて放った。切り立った高い崖の上で無様な悲鳴があがった。
見なさい、これがあたしの腕前なのよ。あんたがたはライフルで照準を合わせながらも、疾走するレッドペガサスの動きを捉えることが出来ないでしょ?でもこのあたしは、疾駆する馬上からでもあんたたちを仕留めることが出来るの。
「うわあああっ」
みっともない悲鳴をあげながら両側の崖を転がり落ちるふたりの男の影を見て、あたしはニヤリと笑った。
しかし、それが油断だったことに気づいたときは、もう遅かった。
ヒヒーン!
レッドペガサスの警告の嘶きと同時に、あたしは自分のすぐ側でシュルシュルと空気を切る音を聞いた。
そして突然、あたしの首に何かが纏わりついて締まった。
投げ縄・・・!しまった、まだ敵はいたんだ!
「ぐわあっ!」
締まった首を引っ張られ、あたしはレッドペガサスの背中から引っぺがされた。そして遠くに駆け去っていく愛馬を眺めながら宙を舞い、硬い土の上に叩きつけられる。
痛あい!
背中を打ち付けてうめくあたし。レッドペガサスは遠くに走り去った。そう、お利口さん、とにかく今は逃げてなさい。あんたまで巻き添え食わないように・・・
そのまま首が絞まり、あたしの身体がどんどん引きずられていく。あたしの背中が地面で擦れた。首を締め上げるロープに指を入れ、締まる首を守ろうとするが、その指を引きちぎる勢いでロープが食い込んでくる。
「う・・・ぐぐううう!」
く・・・苦しいわ。こ、このままじゃ絞め殺されちゃう。
あたしはうめきながら身体を動かしてうつ伏せになった。そしてあたしの首にかかったロープの先に目を向ける。
崖の中腹に、筋肉質に太ったいかにも怪力そうな男が投げ縄を操ってあたしを吊り上げようとしているのが見えた。
こいつか!このデブが・・・
あたしは唇を噛み締めながら右手で拳銃を握り締めた。そして不自由な姿勢ながら銃口を投げ縄のデブに向けて狙いを定める。見てなさい、おデブちゃん、あたしの射撃の腕は半端じゃないのよ・・・こんな姿勢からだって、あんたを仕留めることぐらい・・・。しかし・・・!
「そこまでだ!動くな!」
あたしは甲高い声を耳にすると同時に、こめかみに冷たいものがあてられるのを感じていた。
しまった。今日はなんて勘が鈍いんだろう。いちいち先を越されてる。
ライフルの銃口があたしの耳の上にピッタリとくっつけられていた。あ〜あ・・・
首を締める投げ縄が緩んだ。だが、あたしは身動きひとつできなかった。銃口が非情な冷たさであたしの顔を狙っているからだ。
しかたなく拳銃を放した。地面に転がった銃を、細い足が遠くに蹴り飛ばした。
あたしは、ライフルを突きつけている相手の顔にゆっくりと視線を移す。
「おかしな動きをしたら遠慮なくぶっ放すよ」相手はそう言った。
あーら、女じゃないの?
世界では今、女性の台頭が著しく、もう一世紀ほど前から女性の体力・知力が男性を上回りはじめ、ほとんどのシティでは政府や企業の中心を女性が占めているのだが、ここゴールドラッシュシティは、珍しく男性社会がまだ根付いている。あたしのように拳銃を振り回して馬で荒野を駆けるような女性は珍しいのだ。
「立ちな!」女があたしに命令した。
ライフルを向ける彼女の姿には油断というものが見受けられなかった。あたしはゆっくりと立ち上がる。
女は相当の美人だった。ま、あたしほどじゃないんだけど・・・
大柄であるが決して太ってはいない。均整のとれた身体を長い黒髪が彩っていた。
女は邪悪そうな笑いを唇に貼り付けていた。こいつ、根性が悪そうね。美人の意地悪って始末悪いんだよな。
投げ縄であたしを捉えた男が、ロープをたぐりながら崖の斜面を駆け下りてきた。
そして銃口を向けられて身動きできないあたしの首からロープを取り外した。
「縛っちまいな」女が男にそう命令した。
男はうなずいて、あたしの両手を後ろに捻りあげ、ロープで縛りはじめた。
「ちょっと、痛いわよ。優しくしなさいよ」容赦なく締め上げるロープにあたしは不平を言った。
しかし、女は表情も変えず、顎で指示しながら、デブ男にその作業を継続させた。
「このアマ・・・よくもやってくれたな」
足を引きずりながら、ふたりの男が近づいてきた。さっきあたしに撃たれて崖を転がり落ちたふたりだ。あたしは足を狙ってあげたのだから、こいつらは命があることに感謝しなくちゃいけないのよ。なのに、この口の利き方は何?
デブは、あたしの両手首を縛ると、別のロープをあたしの身体に巻きつけ、乳房の上下をそれぞれ二重に締めつけるように圧迫し、後ろで結んだ。そしてその結び目をさきほど縛った手首の結び目に通して、しっかりと固定した。
痛いわ。手首がまったく動かないじゃない。大きくはないけどかたちのいいオッパイだって悲鳴をあげてるじゃないの。
縛られるって肉体的に結構苦しいものだったのね。
それに、こんなにしっかりと縛られちゃあ、何をされても抵抗出来ないじゃないの。
屈辱感もまた、あたしをしっかりと苛んでいる。胸の奥からフツフツと怒りが込み上げてきた。
あたしを一体どうしようっていうんだろう、こいつらは?
「ふざけやがって!」
足を引きずっていた男のひとりが、いきなりあたしにビンタを喰らわせた。
頬から火花が散るような痛みが迸った。お気に入りのテンガロンハットが風に舞って地面に落ちる。
痛いわね!こん畜生・・・。手加減して足を狙ってあげたのに、こんなことなら、こいつの心臓をブチ抜いとくんだった。
あたしを縛ったデブ男が、あたし自慢の金髪を鷲掴みにして顔を引き上げる。痛・・・た・た・た・・・!
上向いたあたしの顎に、女の銃口が突きつけられた。
「腕利きだろうと思ってたけど、たいしたことなかったね。銃の腕前はなかなかだけど、油断して簡単に捕まってくれた」
「あんたたち誰よ!あたしをどうする気?」
強盗団の一味か?あたしには金はないよ!あたしにあるのは美貌だけ。でもその美貌をこのデブに蹂躙されるのは嫌だ。
「おまえの正体を白状しろ!」女は逆にあたしにそう聞く。
「はあ?」あたしは唖然とする。だって正体も何も、あたしはただの流れ者なんだから・・・
だから、あたしはそう言った。
「しらばっくれるな!政府の犬の癖に・・・」女は凄い形相であたしを睨んだ。
ちょっと待ってよ・・・政府の犬って・・・何、それ?
「シェリフが政府の特別捜査官を呼んだってことは、もうわかってるんだ。おまえ以外に町に近づく奴はいなかった。それにその拳銃の腕前・・・おまえが捜査官に違いない」
「ちょっとばかり間の抜けた捜査官だがな」デブがニヤニヤ笑いながら言った。「俺たちが待ち構えてるとわかってる町に、まともに突入してくる間抜けな捜査官は見たことがねえ」
「だから、あたしは違うって・・・」
「いつまでもおふざけじゃないよ!」
あたしは根性の悪い女に頬っぺたを張り飛ばされた。痛い!何すんのよぉ!
「こいつを町に連れてって、正体を暴いてやるわ」女はあたしを睨みつけながら、吐き捨てるように言った。
「このまま殺しちまったほうが早いんじゃねえすか?」足を引きずった男が言う。さっきあたしにビンタを喰らわせた奴だ。
どうやら女がこのチームのリーダーらしい。
「町の奴らに見せしめが必要だろ?」女は相変わらず意地悪そうな笑いを飛ばしつづけている。「この女に白状させた上で縛り首で公開処刑してやるんだ。そうすりゃもう、あたいたちに逆らうバカはいなくなるよ」
「ブラッディマリアが町を牛耳るってわけですね」デブがそう言いながらうなずいた。
そうか・・・この女、ブラッディマリアか。あたしは心の中でうなずいた。
話には聞いたことがあるわ。ゴールドラッシュシティ全域にデッドオアアライブ(生死を問わず)として指名手配されているお尋ね者だったわね。行く先々の町で強盗や殺戮など無法の限りを尽くし、その首には賞金1億ゴールドがかけられてたわ。1億といえば、生涯遊んで暮らせる金よ。
「あたいはニッカツタウンだけじゃ満足しないよ」血まみれのマリアと名づけられたその女が、唇の周りを舐めまわしながらそう言う。「このゴールドラッシュシティ全体を、あたいのものにしてやる。誰にだって邪魔させないよ、シティ政府なんて・・・」
マリアは、あたしの首をつまむようにしてしゃくった。悔しい・・・!縛られてさえいなければ・・・
「政府なんて恐れていないってことを、おまえの身体を使って町の連中に染み込ませてやる。覚悟しとけよ」
「あ・・・だから、あたしはただの流れ者で・・・」
「やかましい!」
痛あい!また頬っぺたへのビンタ・・・もう!顔が腫れあがるじゃないのよ!
「おい」とマリアはデブに命令した。「白状させるのは町へついてからでいいから、こいつに猿轡噛ませときな」
ちょ・・・ちょっと待って・・・そんなの嫌!
だが、ブラッディマリアの表情には容赦がなかった。その指示に従ったデブの手で、あたしの口は上下の歯の間に布切れをしっかりと噛まされてしまった。
こ・・・こんな屈辱・・・、こ・・・こんな・・・!
唇の両端に布切れが食い込んで、頬を圧迫する。い・・・痛い・・・これもかなり苦しい。
その上から、少し大きめのタオルのような布が被せられた。艶やかな金髪をまとめるようにして首の後ろで結ばれた。
「ふぐぁ・・・ふぐぁ・・・」
あたしはみっともない無様な声を絞り出した。悔しい・・・ほんっとに悔しいったら・・・!
いつの間にかしばらく姿を消していたらしい足を引きずったふたりの男が、岩陰から馬を4頭引きずって戻ってきた。
「よし・・・町に帰るよ」マリアが勝ち誇ったような視線で、あたしの顔を舐めまわしながらそう言った。
ひとりの女と3人の男が、ひらりと馬に跨る。
あたしはどの馬に乗せられるのだろうか・・・?少なくともあのデブとだけは密着したくないんだけど・・・
そうはならなかった。少なくともデブ男と密着して馬に跨ることだけは逃れ得た。その代わり、あたしは、もっと屈辱的な方法で連行されたのだ。
何てことするのよ!あたしには自分の足で歩けって言うの?しかも後手に縛られたまま・・・
畜生!そんなことするなら、動いてやらないんだから!
あたしはその場に座り込んでやった。ちょっとした抵抗だ。
「いいのかい?」マリアは、そんなあたしの顔を覗き込むようにして笑った。「無駄なことはやめるんだね」
マリアは馬の背に鞭をくれた。馬は一際高く嘶いて走り出す。
あ・・・ちょっと・・・待って!あ・・・痛い!痛い!痛い!
あたしは荒れ道を物凄い勢いで引きずられて、悲鳴に消化しきれないうめき声を精一杯放っていた。口から出ない悲鳴の代わりに、地面に接した身体の部分が土と擦れ合って軋むような音をあげた。
や、やめてええええっ!
猿轡の下でそう叫んだのが、意地悪女に届いたのだろうか・・・彼女は馬を止めた。そしてやはり邪悪に笑いながら、
「立ちなよ・・・立って歩くんだ」ゆっくりとそう言う。
あたしはうなずいて立ち上がった。デブが馬を操ってあたしに近寄り、あたしの頭に手を伸ばした。
髪の毛を掴まれて乱暴されるのかと思ったが、そうではなかった。
さっき、地面に落としたあたし自慢のテンガロンハット・・・それをあたしの頭に返してくれたのだ。ふん・・・ご親切に・・・ありがと・・・プイ!
そしてあたしは、馬に跨った4人に引っ立てられ、太陽がぎらつく荒野を、よろけながら連行されていった。
あ・・・足が・・・ちょっと待って・・・そんなに早く歩けないわ・・・
「ぐずぐずするんじゃないよ!」
痛い!何すんのよ・・・鞭で背中叩くことないじゃないのぉ!
「さっさとしないと、さっきみたいに引きずるよ!」
じょ・・・冗談じゃないわ!歩くわよ・・・歩くから、もうちょっとゆっくりさせてよ・・・
い・・・痛い!また鞭で打つの?きゃあっ!
もう・・・この糞まみれのマリアめ!あたしが自由になったら、絶対に許してやらないんだから!
あたしはよろける身体に鞭打たれ、繋がれたロープで引っ立てられ続けた。
想像の世界で唇を噛み締めながら・・・だ。唇も歯も、猿轡のせいで動かない。
屈辱の思いが全身を駆け抜ける・・・。ぎらつく太陽が、あたしの肌に滲ませる汗には、あたしの怨念が充満してるに違いない。この糞マリア・・・必ず殺してやるんだから・・・
馬で駆け抜けるなら近かった筈のニッカツタウン・・・こうして連行される身には、やたら遠いものだった。
ニッカツタウンに入ったとき、あたしはへとへとだった。
糞マリアめ、随分とこのあたしを痛ぶってくれたわ。町に辿りつくまで、何回背中を鞭打たれたことか。ちょっとでも足がふらつくとお仕置きの鞭が容赦なく飛んできた。そして数回は馬を走らせて引きずられたわ。こんな悔しい思い、生まれてはじめてだった。
あたしを引っ立てながら、馬上のマリアはライフルを上に向けて銃声を放った。そして大声で叫ぶ。
「町の奴ら!よく見ろ!おまえたちが頼みの綱にしていた政府の捜査官を捕まえたよ!もうおまえらに希望は残っちゃいないんだ!このブラッディマリア様に従うしかないんだからね!」
そしてことさら見せしめるかのように、あたしを繋いだロープを使って乱暴にひったてる。悔しいけど、あたしには抵抗することすら出来なかった。
町はひっそりとしていた。町をかたちづくっているホテルや酒場や雑貨屋といった店の奥から、落胆と絶望と恐怖の視線が感じられる。町の住民たちの沈黙が、この町の状況を伝えていた。
そして、街角の至る所に、勝ち誇ったようにニヤニヤと笑いながら、酒瓶片手に煙草をふかせる男たちの影があった。こいつらがブラッディマリアの手下たちなのだろう。町はマリア一味に支配されているのだ。
保安官事務所の前で、マリアたちは馬を降りた。そして、あたしを引きずって事務所の中に入っていく。
「マリアさん、おかえんなさい」ひとりの男が、それを出迎えた。「首尾は上々でしたな」
「ふん、簡単なもんさ」マリアはそう言って、あたしの背中を突き飛ばした。
事務所の奥に留置所があった。鉄格子の中にひとつの影をあたしは見つけた。
あたしと同じように縛られた女だった。猿轡はなかったが、同じように厳重に縛られている。ウェーブのかかった金髪が美しい女。そしてその胸には星のかたちのバッジが輝いている。この町のシェリフも女だったのか・・・
「留置所の鍵を開けなよ」マリアが、見張りの男にそう言った。男がその命令に従う。
鉄格子の扉が開き、あたしは蹴飛ばされながらその中に放り込まれた。南京錠が再び閉められた。
「見張っておいでよ。あたしはちょっと出かけてくるからね」マリアは男たちにそう言った。
「どちらへ?」
「赤い夕陽牧場さ。牧場主のアキラに用がある」
「あの野郎、まだうんって言わねえんですかい?」
「なあに、政府の捜査官をあてにしてたんだろうさ。今度こそ、書類にサインさせてやる」
「アキラさんはそんな人じゃないわ!」あたしの隣で女が叫んだ。口を塞がれていないのが羨ましいわ。「彼は絶対に牧場を譲らないわよ!」
「譲らなきゃ、奪うまでさ。わざわざ正規の手続きをとってやってるのは、あたしの慈悲なんだ」マリアがせせら笑った。
「正規の売買契約があれば政府も手を出せない・・・それがあなたの考えでしょ?」
「そうさ。だけどね、それも我慢の限度ってもんがあるからね。あたしは政府なんて恐れてないんだ。いざとなりゃ、ぶち殺してでも牧場を手に入れるよ。あそこを押さえたら、この町に流通する金を押さえるのと同じだからね」
隣で女が黙った。マリアの表情に、それが嘘でないことが見て取れたからだろう。彼女はそのかわりに、あたしを見つめた。
「バカ!頼りない捜査官ね」人を見下げるような視線だった。あたしが・・・このあたしが、見下げられている・・・!
「捜査官なら、もう少しうまく立ち回りなさいよ。まったく着いた早々捕まるなんて・・・」
あたしは(違う、違う・・・)と口の中で言いながら首を横に振った。だが、彼女には伝わらない。
「せっかく、あたしが政府に連絡したのに、あんたみたいなバカで無能な捜査官、見たことないわ。失敗を恥じて死になさい!」
畜生!なんてこと言うの?シェリフだからって許さないわよ。
「ま、そこで喧嘩してなさい」マリアがにやつきながらそう言った。「とにかく行ってくるわ」
「それには及ばねえよ」
入り口のほうで声がした。そしてひとりの背の高い男が入ってくる。
何?この男・・・ギターなんか抱えて、気取ってやんの。
「こちらから出向いてきたぜ」
「アキラさん!」女シェリフが甲高い声をあげた。「どうして?危ないわ!」
「お嬢さん・・・俺の心配をしてくれてありがとう」アキラは爽やかな笑顔をシェリフに見せた。
女シェリフの顔がポッと赤らんだ。あ・・・こいつ惚れてやがるんだわ。
「ほう・・・そこにいるのが、政府の捜査官かい?可愛いコじゃねえか」
アキラはあたしのほうを見てウィンクを飛ばした。あたしは背筋が寒くなった。なるほどイイ男だが、あたしにはちょっと・・・
「アキラさん」マリアが、睨みつけるようにアキラを見た。「サインしに来てくれたのかしら?」
「残念だが、筋の通らねえことは性に合わねえんでな。そいつを伝えに来ただけさ」
「それは宣戦布告と考えていいのかしら?」
「おいおい、俺は戦争しようなんて言ってねえぜ。ふっかけてきたのはあんたらじゃねえのか?」
「やかましいね!ノコノコとここまでやって来やがって・・・!おまえら、少し痛めつけてやんな!」
マリアの命令で、男たちがアキラに向かって殺到した。
「おっと・・・」
アキラは両足の位置を全く動かさないまま、殴りかかる男たちを器用に交わしていく。ふーん、キザなカッコだけじゃないんだ。
「この野郎!」
あたしに投げ縄を放ったデブがアキラに突進した。
ガツーン!ガアアン!
ああっ!それ結構高いギターなんじゃないの?そんなのでデブを殴って、壊したらどうすんのよ?愛用のギターなら、普通そんなことしないわ。
アキラはギターを棍棒みたいに振り回して、殴りかかる男たちにカウンターを決めていった。ほんとに壊れなきゃいいけど・・・
「どけ!」マリアがブチ切れたように怒鳴った。そしてライフルを構えてアキラに銃口を向ける。「殺してやる!」
ドギューン!銃声が響いた。
「きゃあっ!」女シェリフが目を閉じて悲鳴を放った。
しかし、あたしは見ていた。銃声はアキラのほうから響いたのだ。
アキラは目にもとまらぬ早さで腰のホルスターから拳銃を抜き、マリアの手からライフルを撃ち飛ばしたのだ。
「騒ぐんじゃねえ!」
アキラは、銃を抜こうとしていた男たちに聞こえるように大声で叫んだ。銃口はマリアを狙っている。
「渡り鳥のアキラをなめるんじゃねえぜ」そう言いながら、またあたしたちにウィンクを飛ばす。どこまでもキザなやつ・・・
「留置所のお嬢さんふたり・・・俺に預けて貰おうか」
「な・・・なんだって?」マリアが蒼白になった。「そんなこと、誰が・・・」
「いいのかい?俺の拳銃が火を噴くぜ」
「糞・・・!」マリアの上下の歯が噛みあうギリギリという音が、あたしの耳にまで届いた。
「仕方がない!おい・・・鍵を開けてやれ」悔しそうに、見張り役の男に命令する。
ゾッとするようなキザ野郎だけど、まあ助かるなら文句はないか・・・
あたしは、ホッと胸を撫で下ろした。
だが、この場面にはまだ展開が残っていた。
ズギューン!
再び銃声が響いた。今度弾き飛ばされたのはアキラの拳銃だった。
「だ・・・誰だ?」アキラが入り口のほうを振り返る。
入り口の柱に背中をもたれ、拳銃から出る硝煙をすぼめた口で吹き飛ばしながら、男がひとり立っていた。こいつもまた、アキラに負けないくらいキザなやつだ。
ぎらつく太陽が、男の横顔を影にしている。
「お・・・おめえ・・・」アキラはその横顔に覚えがあったようだ。「エースのジョーか?」
「久しぶりだな・・・渡り鳥のアキラ」エースのジョーと呼ばれた男がゆっくりと正面を向いた。「今度こそ、おめえと決着をつけなきゃな」
「決闘ならいつでも相手になるぜ」アキラは右手を押さえながらジョーを睨んだ。「だが、今は邪魔するな」
「そうはいかねえ」ジョーがアキラに拳銃を向けながら言った。「俺はおいしい仕事にありつくんだ。ここはマリアの姐さんに恩を売っとかなきゃな」
「畜生!」アキラの足が床を蹴った。床に落ちた自分の拳銃に手を伸ばす。
ドギューン!
しかし、一瞬早く、ジョーから放たれた銃弾が、アキラの拳銃を再び弾き飛ばした。
「おいおい、そんなに死に急いでくれるなよ。おめえとはちゃんとした場所でやりあいてえんだからよ」ジョーが顔を崩して笑った。
「今だ!アキラを捕まえろ!」
ようやく呆然とした状態から脱したマリアが、男たちに命令を下した。男たちも我に返ったように身体を立て直して、床にうずくまった姿勢のアキラに押し寄せる。
「おめえらも動くな!」ジョーが大声で叫んだ。「アキラは俺の獲物だ」
ジョーは、それからアキラに向かってゆっくりと言った。
「すまねえが、今日のところは一旦引いて貰う。おめえとは別の機会に勝負しようぜ」
「へへ・・・」アキラが小さい笑いを見せた。「いいだろう。楽しみにしとくぜ・・・じゃあな!」
アキラは突然、身を翻して飛んだ。窓ガラスを蹴破って事務所の外に転がり出た。
「追え!逃がすな!」マリアがそれを見て叫ぶ。男たちが怒涛のように事務所から走り出て追いかけた。
ちょっと・・・何よ、これ?
あんたらふたりで古臭い芝居みたいな演技してさ。あたしたちは、結局そのまんまじゃないのさ。
「アキラさん!お願い、逃げて!そして、きっと助けに来てくれるわよね。待ってるわ!」
この女シェリフも、相当バカだ。
「おまえ・・・何ものだ?」マリアはジョーを睨みながら聞いた。「なぜ、あいつを逃がした?」
「言ったろう、奴は俺の獲物だ。他の奴には殺らせねえ。だが、俺はあんたを助けたんだぜ。そいつは忘れてくれるなよ」
「おまえの目的は何だ?」
「俺を雇ってくれ。俺の腕前は見たろう?きっと役にたつぜ」
「アキラとおまえの関係は?」
「ちょいとした因縁があってな。俺は殺しを生業とした流れ者・・・正義面したあいつとはソリが合わなくてな、幾度かやりあったのさ」
「殺し屋か・・・?」マリアは少し考えていたが、「いいだろう。しばらくこの町で遊んでな。だけど、まだ雇わないよ。信用が置けるようになるまでは」
「結構・・・」ジョーは人差し指で帽子を突付いて押し上げた。「自由にさせて貰おう。きっと俺が必要なときがくるさ」
ジョーは、あたしたちに背を向けて入り口から出て行った。出掛けに、一度だけ振り向いて、あたしたちに声をかけた。
「じゃあな、カワイコちゃんたち。また会おう」
うー!嫌いだ、こういう奴は・・・
あたしは辟易していた。古臭い映画のダンディズムみたいな猿芝居を長々と見せられた上、結局は牢に放り込まれたままで状況の変化がない。あたしの見せ場もないじゃないの?
「マリアさん・・・逃げられました」
男たちが帰ってきた。マリアは仕方ない、と言うようにうなずく。
「逃げた先は、赤い夕陽牧場だ。焦る必要はないわ。それより・・・」
糞ったれマリアは、あたしのほうに目を向けた。
「この女に正体を吐かせてやる。町のみんなが見ている前でな」
あたしの身に、またも危険が迫っていた。
あたしは牢から引き出され、町のメインストリートに連れて行かれた。
そこで、口に食い込んでいた猿轡をやっとのことではずしてもらった。ああ!頬っぺたから顎にかけて滅茶苦茶痺れてる。
「町のみんな!よく見ておくんだよ!」
マリアが大声で叫んだ。町のあちこちの窓から、不安そうな視線が感じられる。町をのし歩くマリア一味の暴虐に恐れ、身を隠し心を閉ざした住民たちであろう。
「この女は、政府から派遣された捜査官だ。ブラッディマリアがこの町を支配することの邪魔をするために送り込まれてきた、シティ政府の犬だ。だが、こいつはまだ自分の正体を認めていない。これから、このブラッディマリア様が全部吐かしてやるから、よく見ておけ!」
そんなこと言ったって、違うものは認められないじゃないの!この石頭!
「さあ、早く白状したほうが身のためだよ」マリアが、あたしの顎を掴んで嬲りながら邪悪な笑みを浮かべる。
「アッカンベー!」あたしはちょいと抵抗してやった。どうせ、何を言っても信じて貰えないのだから・・・
「ふざけると後悔するよ」糞マリアが赤い舌を出して自分の唇を舐めた。
あたしはマリアの子分たちの手でストリートの真中に立たされた。子分たちは3人であたしを押さえている。その真正面から厭らしい笑いを浮かべたマリアが近づいてくる。畜生、何しようっての?この糞女!
バッチーン!
痛あい!凄い勢いのビンタじゃないの!この女、結構怪力・・・吹っ飛びかけたあたしを子分たちが押し留める。
子分たちがふたりであたしの腕(まだ縛られたままなのよ)をとって、ひとりが髪の毛を掴んで、マリアのほうを直視するように顔を固定している。
そのあたしの頬に再度火花が散った。それも連続して何回も・・・
「ああっ!あ・・・!きゃあっ!」さすがのあたしも悲鳴を我慢することが出来なかった。叩かれるたびに叫び声を搾り出す。
ちょっと・・・いつまで続ける気?もう何回目だろ?最初は数えてたけど忘れたわ。それくらい長く続いたのよ。
最初は元気よく出ていた悲鳴も、段々と弱々しくなっていくのが自分でもわかった。足がガクガクとぐらついてくる。
糞まみれマリアがようやく往復ビンタの攻撃をやめたとき、あたしは子分たちに支えられてやっとの思いで立っていた。
ハアハア・・・。胸の鼓動は激しいけど、呼吸を弾ませるほどの気力がない。あたしは弱々しく息を吐き出すだけだった。
きっと両頬は醜いくらいに晴れ上がっているのだろう。畜生・・・自慢の顔にこんなことしやがって・・・絶対に許さないんだから・・・。
唇の回りに舌を這わせると、鉄分を含んだ味がした。皮膚が裂けているのだろう。まったく・・・この糞女・・・覚えてろ!
「どうだい?喋る気になったかい?」そんなあたしを楽しそうに見つめながら糞女が笑っている。
「あたしは・・・違うわ・・・」掠れた声で、どうにかそれだけ言った。
「あら・・・しぶといのね」マリアがカラカラと笑った。「あんた、ひょっとして痛めつけられるのが好き?」
そんな馬鹿な!あたしはマゾじゃないわよ!
マリアの手が、あたしの頬を撫でた。糞女の顔が、あたしの目の前に近づく。
あのね・・・あたし女が好きだけど、あんたみたいな性悪は趣味じゃないわよ!
ドカッ!
「うんぐうっ!」
あたしの下腹にマリアの膝が食い込んで、胃液を口に押し上げられたあたしがうめく。そしてまた暴力の渦が巻き起こった。
マリアは、あたしの顔を殴るのに、今度は拳を使った。倒れようとするあたしを子分たちが支える。その子分たちも、あたしに対する暴力に加わった。
ボカッ!ドカッ!ガツンッ!
あたしは、顔、腹、背中、尻・・・と、身体中の至るところを殴られ、蹴飛ばされた。
誰かに弾き飛ばされたかと思うともうひとりに受け止められ、うずくまったかと思うと髪の毛を掴まれて引きずりあげられた。ゆっくり倒れることすらさせてもらえない。
永遠に続くかと思われる殴打地獄の中で、あたしはボロクズのようになっているに違いない。ああ・・・美貌がだいなし・・・
あたしは段々と痛みを感じなくなってきていた。気が遠くなってきてるのね・・・きっと。
「しぶとい女だね!」
マリアが毒づいていた。毒づきたいのはこっちなのに・・・
「馬・・・用意しな」女ボスは、あたしを痛めつける手を休めて、子分たちに命令した。あたしはその声を聞きながら、地面に崩れ落ちた。
一瞬だが、気を失っていたのだろう・・・あたしは自分の手が半ば自由になっているのを知った。
だが、決して安心できる状態ではなかった。あたしは地面にうつ伏せになっていた。あたしの両手は前方向に突き出すように伸ばされており、両の手首がロープで束ねられ・・・これって・・・もしや・・・?
予感は当たった。あたしの両手を縛ったロープは前方に長く伸びており、その先に一頭の馬がいる。その馬に、あの糞マリアが跨っているじゃないの!
「さあ、喋るなら今のうちだよ!」馬上のマリアがあたしを振り向いて叫ぶ。
そんなこと言ったって・・・違うものは違うとしか言いようがないじゃないの・・・このわからずやの糞まみれ女!
あたしは慌てて立ち上がった。このまま引きずられては大変だ。何とかしなきゃ・・・
あたしは立ちくらみを押さえ込みながら前方に向かって駆け出した。こうなったら糞マリアの馬に飛びついてやる・・・
「ハイッ!」マリアが叫びながら鞭を振るった。馬は嘶くと同時に疾走を開始した。
あっ!ちょっと・・・早いわよ!もう少しで追いつくところだったのに・・・あっ!そんなに早く走ったらついてけない・・・きゃあっ!
両手を引っ張られて、あたしの足が地面から浮いた。後はなすがままであった。
「きゃあああああっ!」これはあたしの悲鳴だ。
この町に連行されてくる場面でも、あたしは幾度か馬で引きずられた。けど、今回はそれと比較にならないわ。馬の脚も早いし、それに長い。
マリアはメインストリートの端まであたしを引きずると、そこで止まった。あたしはボロボロになって立ち上がる。
ちょっと・・・まだやる気?
マリアは無言で馬を方向転換させると、再び鞭を振るって馬を疾駆させるのだった。
「きゃああああああっ!」一際甲高いあたしの悲鳴がまた響く。
乾いた土に激しく擦れる物凄い痛みが全身を苛む。どうにか上半身を軽く浮かせることによって胸への直撃を押さえてはいるが、それでも支えきれなくて時々地面に擦れてしまう。革のズボンが破れ、迸る土に血が混じるのがわかった。
あたしは胸を守りきれなくなることを恐れ、身体を捻って仰向けになった。今度は背中に激痛が走りぬける。
ストリートの反対の端にたどり着いて、マリアは再び馬を止めた。
どうせ、まだやるんでしょ?あたしはマリアを睨んだ。きっと恨めしそうな顔だったろう。
思ったとおり、マリアは薄笑いを浮かべながら馬の方向を変えた。そして鞭を振り上げる。畜生・・・サディスト女め!
「きゃああああっ!」毎度おなじみの悲鳴よね。
が・・・今度の悲鳴は途中で止まった。砂煙が舞い上がる町に響いた一発の銃声によって・・・
あたしはストリートの真中で、ロープの引力から解放されて転がった。
な・・・何?
あたしを引きずっていたロープを銃弾が断ち切ったのね・・・一体誰?
「だ・・・誰だ?」これはマリアの声・・・きっとあたし以上に驚いたのよね。
マリアの視線が向いたほうに、あたしも目をやった。それはあたしの右前方・・・
酒場のテラスに置かれた揺り椅子に寝そべるように腰掛けて、ウィスキーを瓶からラッパ呑みしている男の手に、硝煙が漂う拳銃が握られていた。
ついさっき見た顔だ。あのキザな殺し屋・・・
「エースのジョー・・・邪魔をする気か!」マリアが歯を剥きだした。
ジョーが揺り椅子から立ち上がり、ゆっくりとストリートに出てきた。銃口でテンガロンハットを持ち上げ、酒瓶に残ったウィスキーを一気に飲み干すと、瓶を道に投げ捨てた。
「邪魔はしねえ・・・女を痛ぶるのが性に合わねえだけさ」
「貴様・・・この女の仲間か?」
冗談じゃないわよ!こんなキザ男と仲間になんかなりたくないわ。
「言ったろう・・・俺は殺し屋さ、政府の犬とは仲良くなれねえ。ただ、女が苦しんでるのを見かねただけさ」
「カッコつけんじゃないよ。あたしたちは、この女の口を割る必要があるんだ。邪魔するな」
「そのねえちゃんが、政府の捜査官だって証拠がありゃいいんじゃねえのか?」
ジョーがニタリと笑ってあたしを見た。殺し屋の癖に何か子供っぽい表情をする。好きにはなれないけど・・・
「そんな証拠・・・どこにあるのよ!」
そうだ・・・あるわけない!あたしはこのときだけは糞まみれ女に同意した。もともと違うんだからあるわけない。
「俺は捜査官を何人も殺ってきた。あいつらは身分証明書代わりに、シティのマークをつけた手帳を持ってる。その女のポケット調べてみろ」
へえ・・・捜査官が身分証明書を持ってるなんて初耳だわ。でも、あたしは持ってないからね。
マリアの子分たちが、あたしの身体を引き起こして、まさぐった。ちょっと・・・やめてよ!スケベ!
「おい、何か入ってるぜ」ひとりがあたしのズボンの後ろポケットに手を突っ込む。ちょっと・・・お尻触らないで!何もないわよ・・・
「あった!」
えっ?そんな・・・!だってあたしポケットには何も・・・
「見ろよ!確かにあったぜ・・・シティのコンドルマークが入ってる」
冗談じゃないわ!誰よ・・・誰がそんなものを、あたしのポケットに・・・!
「貸せ!」マリアがもぎとるようにして手帳を子分から受け取った。
「動かぬ証拠よ・・・観念したら?」その手帳を振り回しながら、マリアはあたしに迫った。そんなこと言ったって・・・
「ふーん・・・コードネーム・荒野のイタチか・・・本名はさすがに書いてないな」
何よ・・・そのセンスの悪いコードネームは!あたしは違うったら・・・
「さあ、これで、おまえが捜査官だということがはっきりしたね」はっきりしない、しない・・・違うんだからあ!
「これで遠慮なくおまえを縛り首にできる」遠慮してよ!
「町のみんなの前で、おまえの首を吊るしてやるよ・・・そうすりゃ、もう誰もあたしたちに逆らわない。おい!準備しろ!」
「ちょ・・・ちょっと待って・・・あたし本当に、ただの流れ者なんだから・・・捜査官なんかじゃ・・・」
「こんな証拠を突きつけられても、まだシラをきるってのかい?無駄だよ・・・もうおまえの運命は決まったんだから」
「あ・・いけねえ、忘れるとこだったぜ」突然、ジョーが割って入った。
「何よ!」マリアがジョーを振り向く。
「この町に来る前に聞いた噂だ。パンチョ一味が、この町を狙ってるとさ」
「何だって?」
マリアをはじめ、無法者たちがいっせいに口をあんぐりと開けた。もちろん、このあたしもだ。
「この大ボケ野郎!なぜ、それを早く言わない?」マリアが烈火のごとく怒る。
当然だ。パンチョ一味といえば、知らないものはいない、ゴールドラッシュシティ最大の群盗集団だ。その首にかけられた賞金は5億ゴールド・・・マリアの首の5倍の値打ちがある。その手下の数は百人とも二百人とも言われる極悪非道な盗賊なのよ。
「すまねえ・・・すっかり忘れてた。もうそろそろ、この町を襲ってくる頃じゃねえかな」
「本当だろうな?」
「嘘は言わねえ。襲う前に噂をたてるのは奴らの常套手段だ。噂が広まるのを楽しんでる。まず間違いなく、来るぜ」
風のように町に襲い掛かり、あらゆるものを奪った後・・・風のように去っていく。彼らが去った後には夥しい数の死骸と血に染まった土が残る・・・パンチョ一味は、不敵で凶悪な集団だ。彼らは狙いをつけた町にまず噂を広める。もうすぐその町が襲われると伝えるのだ。そして恐れ慄く住民の反応を楽しみ、住民が逃げ出す寸前に襲い掛かる。そう伝えられているが、果たしてそれが本当かどうかわからない。パンチョ一味に襲われて生き残ったものはいないのだ。
「どうします?マリアさん」子分のひとりが震えながら聞いた。「奴らの数は圧倒的だ。こっちは30人もいねえ。太刀打ちできませんぜ」
「・・・」マリアはしばらく黙っていた。
「さすがのブラッディマリア姐さんも、パンチョ一味相手じゃトンズラかますしかなさそうね」あたし。
「お黙り!」マリアが燃え上がるような目であたしを見た。あら・・・怒っちゃった?
しばらく考えていたが、マリアはやがて意を決したように宣言した。
「パンチョ一味を迎え撃つ。てめえら腹を決めろ!」
マリアの子分たちはドヤドヤと騒ぎ出した。シティ最大の群盗集団と一戦交えようと言うのだ。動揺しないほうが不思議だ。
「こっちには銃と弾丸とダイナマイトは腐るほどあるよ!罠を仕掛けて迎え撃つんだ。パンチョ一味をやっつければ、ブラッディマリアの名前は一層シティに知れ渡る。そうなりゃ、このあたしに楯突く奴はひとりだっていなくなる。あたしはシティを制圧するんだ!」
凄い・・・ひょっとして誇大妄想狂なんじゃないかしら?
「いい度胸だな、姐さん・・・ますます気に入ったぜ」ジョーがニヤニヤしながらそう言った。「俺の抜き打ちの腕を雇わねえか?役にたつぜ」
「いいわ。でも、まだ信用したわけじゃないからね!」
マリアの言葉にジョーがうなずく。
「縛り首は後だ!このイタチ女を、もう一度牢屋に放り込んどけ!パンチョをやっつける準備にかかるよ!」
イタチ女・・・イタチ・・・?このあたしを・・・イタチだって?うううううう・・・・許せない・・・!
悔しさに唸るあたしを引きずって、マリアの子分たちは保安官事務所の中に入った。そこであたしはもう一度後手に縛り直され、鉄格子の中に放り込まれた。隣には、女シェリフがいた。
「聞こえたわよ。イタチなんだって?」薄笑いを浮かべてシェリフがそう言った。
「違うわよ!」あたしはそう言うのが精一杯だった。誰があたしに濡れ衣を着せたのかは知らないけど、あの手帳が出てきた以上、誰もあたしが単なる流れ者に過ぎないことを信用してくれる人はいないわ。
「まったく・・・!頼りにならない捜査官だったわね。それでよくシティの採用試験に合格できたものね」
口の悪い女ね。可愛い顔してる癖に・・・
それにしても、あの糞女・・・ほんとにパンチョ一味を迎え撃って勝てるつもりなのだろうか?あたしは不安になった。
パンチョ一味が町を襲撃してきたら、縛られて牢に入れられているあたしたちは、いったいどうなるのか?
鉄格子の窓に赤い陽が差しはじめた。夕陽が落ちようとしている。パンチョ一味は夕暮れから夜にかけて町を襲うそうだ。早ければ、まもなく地獄の風が吹きまくることになるわ・・・