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【都電の町を歩く】

大塚駅前(豊島区) “はざま”の街 昭和色濃く

2007年11月17日

晩秋の夜、家路を急ぐ人で混雑する大塚駅前停留場。上はJR山手線大塚駅=東京都豊島区で(写真・安江実)

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 都電荒川線が、唯一JR山手線と交差する停留場、それが大塚駅前だ。ここより荒川線は、山手線の内側を走ることになる。大塚はそれまでの下町の沿線風情に山の手の色が加わり、独自な雰囲気を漂わせている街だ。

 「巣鴨はお年寄りの街で池袋は若者の街。大塚は、はざまの街なんです」と言うのは、北大塚のショットバー「三番倉庫」(北大塚二の七)のマスター、吉村利治さん(58)。当地にあった酒屋の息子で、二十五年以上前から営業している大塚のバーの老舗である。はざまの街は昭和のにおいを色濃く残している。その代表が大塚三業地だ。

 三業地とは芸者置き屋、料理屋、待合がそろった場所。大塚三業地は一九二二(大正十一)年に始まり、翌年の関東大震災の復興景気で、都内でも屈指の花街となった。「黒板塀が続いて、いつも三味線の音色が聞こえていた」と吉村さんが語るように、かつては豊島区で最も繁華な街として栄えたところだ。

 そのころの面影は今も残る見番や、小料理屋の風情でわずかにしのばれるが、この街を語るに欠かせない人がいる。最後の戦後派詩人といわれた、故田村隆一さんだ。

 田村さんは、今は暗渠(あんきょ)となった谷端川の川沿いにあった料亭で生まれ、生涯酒を愛した詩人だ。その最後のエッセー集となった『自伝からはじまる70章』(思潮社詩の森文庫)には、田村さんが通い続けた「江戸一」(南大塚二の四五)が幾度も登場する。

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 大塚駅南口にある戦前から続く居酒屋。「ひたすら酒を敬愛する人たちばかり」が集う店で、年季が入った一枚板のカウンターがコの字形に渡され、その上には各自が楽しんだお銚子(ちょうし)がずらりと並ぶ。旬のつまみで好みの日本酒を二、三本。豊かで静かな時を過ごすと、五珠(だま)の算盤(そろばん)で勘定をしてくれる。そんな店である。ちなみに田村さんの著書には「大切なことはすべて酒場から学んだ」という副題がついている。

 そんな大塚にいま新しい風が吹いている。三番倉庫の吉村さんがバー仲間の「S・A・M」(南大塚一の五一)の土田さん、「BAR MOO」(北大塚二の二九)のMOOさんらと語らってできた、わが街のウイスキー「大塚」である。スコットランドから直輸入した樽(たる)から小分けし、オリジナルのボトルに詰めたシングルモルトだ。

 昨年七月のスタート時と今年も、旧巣鴨村の総鎮守である駅前の天祖神社(南大塚三の四九)で祈願祭を行った。ウイスキーのように時とともに熟成していく縁を願ってのことだ。そんな動きと連動するように、日本酒など大塚の地域ブランドを発信する「大塚ものがたり」や、祭りの日に提灯(ちょうちん)を飾る「大塚まちの灯(あか)り」など、さまざまな試みがこの街で始まっている。 (ライター・民井雅弘)

 

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