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奈良・田原本町の放火殺人:調書を出版、講談社の矢吹局長に聞く

 ◇「公権力介入の責任痛感」

 奈良県田原本町の母子放火殺人事件で、中等少年院に送致された当時高校1年の長男(17)や医師である父親の供述調書を取り上げた「僕はパパを殺すことに決めた」(草薙厚子著)を出版した講談社の矢吹俊吉・学芸局長が毎日新聞のインタビューに応じた。出版により、協力者である長男の鑑定医が秘密漏示罪で起訴され、取材源の秘匿や少年法の観点からも論議を呼んだ。同社は今月下旬、出版の経緯や意義を検証する外部の第三者を含めた調査委員会の初会合を開く。【臺宏士】

 ◇「引用は真相を伝える」

 --講談社の本が出版されたことで、草薙さんが強制捜査を受けたり、草薙さんに長男らの供述調書を見せたと認めた崎浜盛三医師(49)が逮捕・起訴されました。

 ◆少年法が少年審判を非公開としていることなどから、刑事事件に発展することは全く予想していなかったわけではない。しかし、前例がないと言ってよく、可能性は極めて低いという認識だった。「週刊現代」(講談社)が95年にオウム真理教の松本智津夫(麻原彰晃)被告(当時)の供述調書を掲載したことがあり、提供した弁護士が強制捜査を受けたが、オウム事件と今回とは、あまりに性格が異なるため結びつかなかった。結果的には判断が甘く、出版・報道に対する公権力による介入を招いた責任は痛感している。

 --供述調書を多く引用した本の出版を決めた理由は何か。

 ◆継母や異母妹弟の3人の人命が奪われる重大事件だった。父親の度を越した勉強の強制や虐待、広汎性発達障害が事件の要因であるにもかかわらず、引き金が継母との確執だという誤った情報が社会に広まっていた。本人や父親、小学校時代の担任教諭や実母、父方の祖母らの調書は、長男が決してモンスターのような存在ではなく、同様の事件はどこの家庭でも起こりうることを示していた。成育歴の中に事件の原因があり、家庭内で起きた事件取材には限界がある。過剰引用だという指摘があるが、事件の真相は調書を引用することが最も伝えやすいという草薙さんの意見に編集部も賛同した。社会全体が生み出した悲劇であり、社会的意義があると考え出版を承認した。

 --出版までどういうチェックを経たのか。表現については少年法の観点から批判がある。

 ◆通常は、著者と編集担当者が打ち合わせ、さらに学芸図書出版部長が内容を精査する。今回は少年事件の調書にかかわるため私自身も読んだ。顧問弁護士にも意見を求めて、「刑事事件に至る可能性は排除できない」という指摘を受けた。個人が特定される情報も町名や高校名など初期報道の範囲にとどめる配慮をした。放火までの計画を記した「カレンダー」を装丁に使ったのも、その幼い字もまた真相の一部であると考えたからだ。これには社内でも異論があるが、「売らんかな」の気持ちでは決してない。

 --講談社も草薙さんも取材源は明らかにしていないが、医師が逮捕されるなど取材源の秘匿という観点からも問題点が指摘されている。

 ◆出版によって医師が逮捕・起訴されるなど反省すべき点はある。医師にはおわびしたいと思う。

 --裁判所からは少年らに「多大な苦痛を与えかねない」と抗議され、法務省からはプライバシー侵害だとして勧告を受けた。

 ◆少年ら書かれる側の痛みや、祖父ら取材に協力してもらった人の気持ちを傷つけたことは真摯(しんし)に受け止めなければならないと思う。表現については配慮不足だという批判があり、本のどの部分の記述が誰のプライバシーを侵害しているかや、取材源の秘匿と照らしてどういう点に問題があったのかについて調査委員会の判断を待ちたい。

 ◇「委員の人選、結果に影響も」--出版界初の第三者調査委、来年3月に「提言」を公表

 講談社が設置した調査委員会には、メディア研究の専門家やジャーナリスト、弁護士ら5、6人の外部識者が加わる。2週間に1回程度開催し、来年3月に講談社に対する「提言」を公表する予定だ。出版界にはメディア倫理上の問題が問われた場合、第三者が検証する常設機関はなく、今回限りとはいえ、初めての試みとなる。委員の人選もほぼ終え、委員に限っては調書の取得先の開示も検討している。委員会に社員が参加するかどうかや権限など詳細は詰め切れていない。

 講談社の対応に注目してきた識者はどんな議論を期待しているのか。

 鈴木秀美・大阪大法科大学院教授(憲法)は今年1月に発覚した関西テレビの捏造(ねつぞう)番組問題で、外部有識者による調査委員会委員を務めた。鈴木教授は「自己検証がなされて初めて、第三者から見て、メディアのあり方としてどのような問題を含んでいたかという検証が可能になる。まず少年法についての講談社の見解を示しておくことが必要だ。なぜ出版に踏み切ったのか、社内のどのレベルで、どのような検討がなされたか。現時点で、その際の判断をどう評価しているのかを聞きたい」と話す。

 メディアを対象にした名誉棄損訴訟などを手がける飯田正剛弁護士は「出版の意義はあったと思うが、取材源が特定されたり、少年事件であることなどからもう少し工夫した書き方はあったのではないか。現状の民事裁判では損害賠償として数百万円の支払いを命じられる可能性がある。ただし少年事件では更生を理由に家裁が関係者の供述調書のコピーを本人にさえ渡すことを禁じることがあり、非公開性は大きな問題だ」と指摘する。

 朝日新聞による「NHK番組改変報道」の検証委員会メンバーだった元共同通信編集主幹でジャーナリストの原寿雄さんは「奈良家裁や本人からの協力が困難視されるなど委員会は限界がある中での調査になりはしないか。少年の更生を重視すべきか、社会への公開性を高めるかのいずれの立場の委員が選任されるかで調査結果はかなり違ってくるのではないか」と述べる。

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 ■ことば

 ◇鑑定医供述調書漏示事件

 昨年6月に起きた母子放火殺人事件を取り上げた「僕はパパを殺すことに決めた」が今年5月に出版された。供述調書の引用に対し、奈良家裁が著者の草薙厚子さんや講談社に抗議文を送ったり、東京法務局が人権侵害だとして勧告するなど社会問題化。講談社は新聞・雑誌広告や重版を控えた(発行部数は3万2000部)。長男や父親から刑法の秘密漏示容疑で告訴を受けた奈良地検は9月、長男を精神鑑定した崎浜盛三医師が調書を漏らしたとして強制捜査に踏み切った。講談社は出荷を停止。崎浜医師は逮捕され、今月2日に起訴された。

毎日新聞 2007年11月19日 東京朝刊

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