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地震被災ジャワ島、たこ焼きで復興 親日家の王女が出店

2007年11月17日

 インドネシア・ジャワ島のジョクジャカルタに、ジョクジャカルタ王室のグスティー・カンジェン・ラトゥ・プンバユン第1王女(35)が出店したたこ焼き店がある。親日家の王女が小麦粉料理の普及に努める「日本コナモン協会」(大阪市)に協力を求めた直後にジャワ島中部地震が発生。被災者の励ましになればと、開店を急いだ。ソースの香ばしいにおいが、復興に取り組む人々の心を癒やしている。

写真人気を集めるたこ焼き店「粉もん KONAMON」=2月、インドネシア・ジャワ島のジョクジャカルタで(日本コナモン協会提供)

 「イラッシャイマセ」「イッチョウ(一丁)、カシコマリマシタ」

 ジョクジャカルタ中心部の5階建てショッピングモールの最上階に行くと、片言の日本語が聞こえてくる。飲食店街の一角にあるたこ焼き店「粉もん KONAMON」。作務衣(さむえ)姿の若い店員7人が、客に声をかけながら鉄板の上のたこ焼きを手際よく転がす。

 6個入り1万2千ルピア(約170円)。屋台の食事より2千ルピアほど高いが、1日約300食を売り切る。現地ではタコを食べる習慣がないため、「エビ焼き」「チーズ焼き」もあるが、これらに負けないくらいたこ焼きも売れている。イスラム教徒が国民の約85%を占めることから、豚エキスが入っていないソースを使うが、それ以外は具材は日本と同じだ。

 ジョクジャカルタ王室は、第2次大戦後のインドネシア独立戦争に貢献したとして、共和国政府から特別に存続を認められた。王はジョクジャカルタ特別州の知事をつとめ、行政権を持つ。

 プンバユン王女は、王室の財団が生産する繭のPRのため、01年ごろから定期的に日本を訪問。来日を重ねるうちに和食が好きになり、中でも、気軽に一口でほおばれるたこ焼きに魅了され、昨年2月に出店を決定。日本の食文化研究家などが03年に設立したコナモン協会の存在を財団関係者を通じて知り、協力を要請した。

 その約3カ月後、ジャワ島中部地震が起き、約6千人の死者が出た。王女は熱々のたこ焼きをにぎやかな屋台風の店で売ることで「国民を元気づけたい」と考えて開店を急いだ。

 コナモン協会は調理器具やレシピ、店舗設計について財団を通じてアドバイス。スタッフを指導する財団関係者の親族を東京の人気たこ焼き店に引き合わせ、1カ月間にわたってたこ焼きのノウハウを学んでもらった。

 タコがインドネシア人に受け入れられるのか――。昨年8月のオープン時、心配した店側は万が一に備えて「バナナ焼き」や「チョコレート焼き」もそろえた。ところが、「珍しい」「意外とおいしい」と評判が広まり、たこ焼きを買い求める客の列ができるようになったという。

 店が軌道に乗った今年2月、王女は被災地でのたこ焼きの「炊き出し」を指示。地震で家を失い、現在もテント生活を続ける被災者にたくさんのたこ焼きが振る舞われた。王女は今春、日本の食文化を国民にもっと知ってもらおうと、ショッピングモールの飲食街に焼き鳥店もオープン。次はおでん屋の出店も検討している。

 2月にジョクジャカルタを訪れ、「KONAMON」のスタッフに作り方を伝授したコナモン協会の熊谷真菜会長は「たこ焼きが被災者の心を癒やす役割を果たしているとしたら、とてもうれしい」と話している。

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