街頭では稲尾さんの死去を報じる号外が張られた=13日午前9時14分、福岡市中央区天神

街頭では稲尾さんの死去を報じる号外が張られた=13日午前9時14分、福岡市中央区天神

 稲尾さんの突然の悲報に、西鉄ライオンズOBらも悲しみにくれた。4年先輩の中西太さん(74)は朝のニュースを見てびっくりしたという。「いつも寝ているような顔をしているが、マウンドに登ると肝っ玉が据わっていた」。一昨年に70歳で亡くなった仰木彬・元オリックス監督を含めた3人は同部屋。「仰木君も70で逝ってしまい、部屋長が残ってしまった。寂しい限りです」と声を詰まらせた。

 豊田泰光さん(72)は「彼がいなければ僕ら西鉄ライオンズの選手の人生もなかった。私の投手論の中には稲尾君しかいない」と故人をしのんだ。“切り込み隊長”高倉照幸さん(72)は10日ほど前に大分県別府市で開かれた少年野球大会に参加。体調不良で始球式を取りやめた稲尾さんを心配していたという。「仲間と『やっぱり鉄人だね』と話していたぐらい元気だったのに…。一緒に野球ができただけで幸せだった」と声を落とした。

 元西武監督の東尾修さん(57)は、先月のパ・リーグ、クライマックスシリーズの際、札幌ドームで会ったのが最後となった。「『最近、手がしびれてゴルフができないんだ』と話しておられたが、まさか…。私が西鉄に入団した年が稲尾さんの現役最後の年。あらゆる面で勉強になった」と沈痛な表情。基満男さん(61)は「西鉄入団2年目に、もっとまじめに野球と向き合えと怒られたのが一番の思い出。自分にとっては偉大な先生でした。感謝の気持ちしかありません」と振り返った。

 福岡ソフトバンクの王貞治監督(67)は1963年の日本シリーズで稲尾さんと対戦した。「日本のプロ野球は稲尾さん抜きには語れない。70歳は早すぎる。もっと野球界にアドバイスをいただきたかった。ホークスは九州のチームなので、稲尾さんの伝説はナインにとっても一番大きな存在だった。遺志を受け継ぎ、九州の野球を盛り上げていきたい」と語った。


=2007/11/13付 西日本新聞夕刊=