ワシントン・ポスト報道紹介☆トルコの＜米下院の決議＞批判に学べ
所謂「従軍慰安婦」を巡るアメリカ下院の日本非難決議とも関連して、国際政治につき考えさせられる報道に接した。ワシントン・ポスト紙の署名記事。要は、米議会の決議には何の法的拘束力もないのに、トルコ政府は1915年に起きた異民族の大虐殺の責任を問う米下院の決議に対して、国内の空軍基地使用制限を含む激しい対抗措置を示しつつ抗議を行っている、と。
而して、この対抗措置は米国の政界に真剣な対応を迫っており、畢竟、米国の政治家は単なる「歴史の事実」ではなく「歴史的事実の言及が他国の現実政治に与える影響」を学ぶ必要がある。他方、トルコの社会が今後安定すれば、法的効力のない下院決議などにそう目くじら立てることもなくなるだろう、と。ワシントン・ポストは概略そう論じている。
なるほど。トルコ以外の国の歴史家が軒並み「事実」と認めるこのアルメニア人のホロコーストについてさえ、対抗措置は有効なのか。もちろん、NATOの枠組みに包含されている「土米関係」と、2国間の同盟関係に尽きる「日米関係」を同列に論じることはできないだろう。しかし、歴史的事実に基づかない所謂「従軍慰安婦」なるものを巡る日本非難決議に対して、日本には「河野談話」を撤回するのと「決議不採択」をお願いする道だけでなく、第三の道があるのか。そのことに気づかされた。
気づかされてしまえば、「なるほど」である。例えば、沖縄と神奈川の米軍基地の使用制限、思いやり予算の減額、その安全に責任が持てないという理由で、全国の基地からの米軍人／軍属とその家族の外出禁止等々の通告も下院決議に対する有効な対抗措置になりうるということだ。Look Turkey! 「トルコに学べ」だね。
もっとも、アメリカの下院のほとんどのメンバーは日本と特定アジアの敵対関係など知るよしもないだろう。また、下院決議などは法的な意味は皆無なのだから、普通ならその採択にそう目くじら立てる必要もないのかもしれない。それどころか、日本にとってこの所謂「従軍慰安婦」を巡る下院決議の採択は、「河野談話」を堂々と撤回する大義名分なのである。ならば、対抗措置は、それを行うとしても日米ともに後戻りできなくなる決議採択後にする方が賢いだろう・・・。
そんなゲーム理論的な広がりの中で対米戦略をしばし考えさせられる記事だった。いずれにせよ、"Maybe Congress has no business debating Turkish history, maybe it is doing so for the wrong reasons."（アメリカ議会にはトルコの歴史を議論する権限などありはしない。アメリカ議会がトルコの歴史を議論しているのは筋違いなのである）との記事著者の言葉は、河野談話の桎梏に歯軋りしている我が日本にとって大変心強いものに感じられた。
以下、記事の著作権に配慮して、全体の約半分の記事を紹介する。テクストは、 "The House's Ottoman Agenda"「下院が抱えるオスマン・トルコ関連問題」（By Jackson Diehl, Washington Post, March 5, 2007, 全文は下記URLを参照）。
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/04/AR2007030401047.html
Can a nonbinding congressional resolution really matter? Most are ignored by everyone except the special interests they are usually directed at. Even the House's recent resolution on Iraq was dismissed by both President Bush and Democratic antiwar leader John Murtha. Yet a vote expected next month on a nonbinding House resolution describing a "genocide" in the Ottoman Empire beginning in 1915 has the potential to explode U.S. relations with Turkey, sway the outcome of upcoming Turkish elections and spill over into several other strategic American interests, including Iraq and Iran.
So, yes: The Armenian Genocide Resolution sponsored by Rep. Adam Schiff does matter, logically or not. Turkish Foreign Minister Abdullah Gul spent several days in Washington last month lobbying against it, though the Turkish-American agenda is chockablock with seemingly more important issues. Friends of Turkey in Washington, from American Jewish organizations to foreign policy satraps, are working the Hill; so is the Bush team. On the other side is the well-organized and affluent Armenian American community, 1.4 million strong, and some powerful friends -- including the new House speaker, Nancy Pelosi.
法的な拘束力を欠く議会決議が本当に何か問題になるというのか。通常、ある決議が特定の利害関係に言及したものでもない限り、議会の決議などは万人から無視されるものだ。実際、イラク戦争に関する最近の下院決議でさえ、ブッシュ大統領と民主党の反戦派の重鎮ジョン・マーサ下院議員の双方から相手にされなかったではないか。それなのに、来月予定されている、オスマン・トルコ帝国で1915年に始まった「民族の集団虐殺」を扱う、拘束力のない決議への投票がアメリカの対トルコ関係を吹き飛ばしかねない状況を出現させつつある。その決議案採択の結果は、来るトルコ国内の選挙の結果を左右しかねず、而して、その影響はイラクとイランを含むアメリカの他の幾つもの戦略的利害に波及しかねない。
それゆえ、「拘束力のない議会の決議が何か問題なのか」に対する答えは「肯」であり、民族大量虐殺に関するアメリカの決議、アダム・シフ下院議員の提案にかかるこの決議案は、それが問題になること自体がおかしいかどうかの次元を超えて重要な問題なのだ。
トルコのアブドゥルラ・グル外相は、ちょっと考えただけでもこの問題より遥かに重要なテーマがトルコ−アメリカ間には目白押しなのにかかわらず、先月、ワシントンで数日をこの決議案を葬るためのロビー活動に投入した。ワシントンにおけるトルコの与力勢力、例えば、ユダヤ系アメリカ人の諸団体からトルコの外交政策の駐米エージェントまでが連邦議会での（ロビー活動に）邁進しており、ブッシュ大統領のチームもまた同様なのだ。対する側はと言えば、これまた良く組織され富裕なアルメニア系アメリカ人のコミュニティー。それは140万人の人口を抱える強固なコミュニティーであり、しかも、新しい下院議長のナンシー・ペロシ氏を含む強力な応援団がトルコの相手である。
Here is a debate that could occur only in Washington -- a bizarre mix of frivolity and moral seriousness, of constituent pandering, far-flung history and front-line foreign policy. And that's just on the American side; in Turkey there is the painful struggle of a deeply nationalist society to come to terms with its past, and in the process become more of the Western democracy it wants to be.
おそらくワシントンでしか起こりえないような議論がここに現出している。すなわち、浅薄さと道徳的真剣さの奇妙な混合、選挙目当てのぽん引き紛いの行為、および、遠き過去の歴史と現下の国際政治との奇妙な混合が出現しているのだ。しかも、それはアメリカ側の様相にすぎない。ナショナリズムに深く根ざしたトルコ社会の中では、その自らの過去と折り合いをつけようとする、而して、トルコがそれに至ることを願ってきた西欧的な民主主義により近づく道中を進む過程での苦闘が続けられている。
Start with the pandering: Schiff, a Democrat from Los Angeles, cheerfully concedes that there are 70,000 to 80,000 ethnic Armenians in his district, for whom the slaughter of Armenians by the Young Turk regime during World War I is "anything but ancient history." Local politics also explains why a resolution that has failed numerous times in the past 20 years is suddenly looking like a juggernaut: Pelosi, of San Francisco, also has many Armenian supporters. ・・・
選挙目当てのぽん引き紛いの行いから俎上に乗せよう。シフ議員は、ロサンゼルス選出の民主党議員であり、70,000から80,000のアルメニア系アメリカ人が彼の選挙区にいることを脳天気に認めている。而して、それらの人々にとっては、第一次世界大戦中に起きた、青年トルコ派体制下のアルメニア人虐殺は「大昔の出来事などではない」のである。選挙区事情は、過去20年間に何度も否決され続けてきたある決議の採択が、突然今度は不可抗力の様相を呈することの理由をも説明してくれる。すなわち、サンフランシスコ選出のペロシ下院議長もまたその選挙区に多くのアルメニア系有権者を抱えているのだ。（中略）
Imagine the 435 members of the House, many of whom still don't know the difference between Iraqi Shiites and Sunnis, solemnly weighing whether Schiff's version of events 92 years ago in northeastern Turkey deserves congressional endorsement. But the consequences of passage could be deadly serious: To begin with, Turkey's powerful military has been hinting that U.S. access to the Incirlik air base, which plays a key role in the wars in Iraq and Afghanistan, could be restricted. Gul warned that a nationalist tidal wave could sweep Turkey and force the government to downgrade its cooperation with the United States, which needs Turkey's help this year to stabilize Iraq and contain Iran. Candidates in upcoming presidential and parliamentary elections could compete in their anti-American reactions.
アメリカ下院の435人の全議員個々のことを想像してみられよ。彼等の中にはいまだに、イラクのシーア派とスンニ派の区別がついていない者も多い。而して、その同じ彼等が、トルコの北東部で92年前に惹起した事件に関するシフ下院議員の解釈が、はたして議会によって裏書されるに値するかどうかを大真面目に熟慮検討しているのだ。しかるに、その決議案採択がもたらす結果は死活的に重大である。すなわち、第一には、その社会で強大な勢力を誇るトルコの軍隊は、米軍のインシルリク空軍基地の使用が制限されることになろうとほのめかしている。而して、インシルリク基地と言えばイラク戦争でもアフガニスタン戦争でも（米軍の行動にとって）枢要な役割を担った基地なのだ。
グル外相は、民族主義の大波がトルコを席巻しかねないこと、また、民族主義の高まりの中で、トルコ政府もアメリカとの協力関係を下方修正せざるをえなくなりかねないことを警告している。アメリカは、イラクの安定化とイランの封じ込めのためには、今年是非ともトルコの助けが必要な状況にあるのだけれども。而して、（そのような状況にアメリカがある今年）、来るべきトルコの大統領選挙と国会議員選挙で、候補者達は互いに反米行動の過激さを競い合う事態になりかねないのだ。
No wonder the Bush administration as well as even Democratic-leaning foreign policy experts, such as Clinton-era ambassador Mark Parris, are trying to stop the resolution. Yet theirs, too, is a contorted campaign. After all, historians outside of Turkey are pretty much unanimous in agreeing that atrocities against Armenians worthy of the term genocide did occur. Though Congress may look silly with its "findings," the continuing inability of the Turkish political class to come to terms with history, and temper its nationalism, may be the country's single most serious political problem. ・・・
クリントン政権時代のマーク・パリス大使のような民主党色の強い外交政策の専門家でさえそうするであろうし、ましてブッシュ政権がこの決議案の採決を押し止めようとしているのは不思議ではない。けれども、彼等の決議案封じ込めの動きは確かにねじまがったものであることも間違ではない。結局、トルコ以外の国の歴史家は、アルメニア人に対するその残虐さは民族大虐殺の名に相応しいし、そのような民族大虐殺が実際に行われたと認める点ではほとんど満場一致と評してもよいありさまなのだ。議会はその「認定した証拠」を前にして無邪気にさえ見えるけれども、歴史認識と折り合いをつけるという能力の欠如、而して、民族主義を抑制するという能力の欠如がトルコの政治家層に継続していることは、トルコの唯一最大の政治的問題かもしれない。（中略）
Maybe Congress has no business debating Turkish history, maybe it is doing so for the wrong reasons. Yet if Turkey is to become the stable, Western-oriented democracy that it aspires to be, its politicians will have to learn, at least, to react the way everyone else does to nonbinding House resolutions: that is, with a shrug.
蓋し、アメリカ議会にはトルコの歴史を議論する権限などありはしない。蓋し、アメリカ議会がトルコの歴史を議論しているのは筋違いなのである。他方、もしトルコ（の政治）が安定し、それが長らく希求してきた西欧志向の民主主義に移行したならば、少なくとも、トルコの政治家は万人がアメリカの議会の法的拘束力のない決議に対して行うやり方を学ばなければならなくなるだろう。すなわち、シュラッグをしながら（＝決議採択の不愉快さを微苦笑に包んで）決議を無視するやり方を。
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◆資料
（１）アメリカの下院議員の経歴
記事の中に出てくるアメリカ議会の下院議員のバックグラウンドに関しては下記URLでご確認ください。
・John Murtha（民主党・PA）
http://www.govtrack.us/congress/person.xpd?id=400286
・Adam Schiff（民主党・CA）
http://www.govtrack.us/congress/person.xpd?id=400361
・Nancy Pelosi（民主党・CA）
http://www.govtrack.us/congress/person.xpd?id=400314
（２）トルコに対する非難決議のテクスト
記事が扱っている"The Armenian Genocide Resolution "のテクストは下記参照。
・H. Res. 106:
http://www.govtrack.us/congress/bill.xpd?bill=hr110-106
また、これとは別の上院のトルコ非難決議のテキストは下記参照。
・S. Res. 65: A resolution condemning the murder of Turkish-Armenian journalist
http://www.govtrack.us/congress/bill.xpd?bill=sr110-65
（３）所謂「従軍慰安婦」に関する日本の対応を考えた拙稿
所謂「従軍慰安婦」なるものをこの世に生じさせた河野談話と、所謂「従軍慰安婦」を巡る下院決議に対して日本が取るべき戦略に関する私の基本的な考えについては下記拙稿をご参照いただければ嬉しいです。
・「従軍慰安婦」問題攻略マニュアル（前提）
・「従軍慰安婦」問題攻略マニュアル（方針）
・「従軍慰安婦」の明示的意味と暗示的意味
・＜慰安婦問題＞米下院の決議案採決こそ日本外交再建の好機
・＜麻生太郎外相＞河野談話の可及的速やかなる撤回を！
（2007年3月14日−3月15日：yahoo版にアップロード）
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