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書評

日本売春史―遊行女婦からソープランドまで [著]小谷野敦

[掲載]2007年11月04日
[評者]唐沢俊一(作家)

■現代の売春を見つめ「聖なる」説を論難

 読んで驚く本というものがまま、あるものだが、この本もその類(たぐ)いの一冊であった。まず、内容が想像とはかなり違う。書名こそ売春史だが、読んでみると、『日本売春論史』とでも言った方が近い。いや、それよりも『日本売春論争史』の方がピッタリするか。これを読むと、学界の定説というものがいかに時代やそのときの状況により変転していくものかがわかって一般読者は仰天するに違いない。

 さらに、著者の攻撃的な筆致にも一驚を禁じ得ない。売春史においては遊女の起源を天皇直属の職能人と見る故・網野善彦氏や、巫女(みこ)など宗教系のものを祖としているという佐伯順子氏の学説などがあり、どちらも遊女の起源を聖なるものとしているが、著者はそれらを文学的幻想として、激語で論難している。一方で、女性が自分の性を売る自由を認めようという在野の風俗研究家・松沢呉一氏の論も一刀両断である。論争史どころか、この本自体がそういう論戦の火ダネではないかと思える。不謹慎を素人の特権として言わせてもらえば、こういう高名な研究者たち同士のやりあいにはプロレス的な興奮を覚えてしまうのである。

 なにも、こんなひねくれた読み方を人にすすめるわけでは決してない。しかし、良くも悪くも著者の個性派学者としての特質はこういうところに表れていて、攻撃的になったあたりの文章はメリハリの利いた名調子であり、読んでいて痛快である。正確さだけがとりえの無味乾燥な文章を書く学者も少なくない中で、貴重な存在だ。また、著者は単に人の誤謬(ごびゅう)を指摘するばかりでなく、話題になった自書『江戸幻想批判』の、遊女の平均寿命の件に関しては素直に誤りを認めて撤回するという、学者としてのフェアさもきちんと見せている。

 そして、歴史学に興味のある若い人たちは、その論争の経緯から、歴史の事実というものは一つだけではなく、見方によりいく通りもの解釈が出来るということが学べるだろう。著者の主張を鵜呑(うの)みにせず、一定の距離さえ置いて読めば、学問の醍醐味(だいごみ)である“驚き”を存分に楽しめる。

    ◇

 こやの・あつし 62年生まれ。作家・評論家。『もてない男』『聖母のいない国』など。

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