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空気読め
今年の流行語大賞の候補のトップに「KY」があがっている。これは最初は「空気読め」の略だったが、最近は「空気が読めない」と他人をあざける意味で使われるという。今週の『SAPIO』で曽野綾子氏と対談したときも、戦時中の「空気」の正体が話題になった。沖縄で集団自決が起こる前にも、サイパン島の「バンザイクリフ」で1万人もの民間人が投身自殺したが、これを「軍の強制」だという人はいない。沖縄でも、同じことが起こったと考えるのが自然だろう。軍が強制しなくても、人々にみずからの命を絶たせるほど強力な空気とは、何だったのだろうか。
これについては、山本七平の『「空気」の研究』という有名な本がある。連合艦隊の軍令部次長だった小沢治三郎が、戦艦大和の特攻出撃について「全般の空気よりして、当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と戦後30年もたってから語っているのだ。山本は、この空気とは何かを考えるのだが、「おそらく科学的解明も歯が立たない”何か”である」という結論ならざる結論しか出せない。
日本の超国家主義の特徴が「無原則な付和雷同」にあるという点は、丸山眞男なども指摘しているが、彼はその原因を天皇を頂点として「私事の倫理性と国家の合一」する家産制国家の前近代性に求めた。だとすれば、21世紀になっても空気が跋扈しているのは、なぜなのか。日本はまだ官僚の家父長主義による家産制国家なのだ――というのも一つの答かもしれないが、問題はそういうウェーバー的な図式では片づかない。
90年代の長期不況をもたらした原因も、空気である。グリーンスパンは、2000年に日本を訪れたとき、当時の宮沢蔵相にアメリカがRTCによる担保不動産の処分で金融システムを再建した経験を話し、日本も迅速に不良債権を処理すべきだと進言した。ところが宮沢は、「あなたの分析は鋭いが、それは日本のやり方ではない」と答えたという。グリーンスパンは、日本の不良債権処理を遅らせた最大の原因は、経済の回復よりも「体面」を重んじる日本の文化だとしている。
戦争や不況のような不確実性が大きい状況で付和雷同的な行動をとるのは、ゲーム理論で合理的に説明できる。こういう「複数均衡」の状態では、どの答が本当に正しいかわからないが、人々がバラバラに行動するのは最悪なので、正解はどれだけ多くの人々がそれを正しいと思っているかに依存する。空気は、人々の行動を一つの解に収斂させるコーディネーション装置の役割を果たしているのだ。
こういう行動は日本人に固有の特徴ではなく、不確実性のもとで「流動性への逃避」が起こるのは金融市場でも同じだが、グローバルな市場では、こうした「相対主義」に対してファンダメンタルズのような絶対的価値にもとづいて逆張りするプレイヤーが必ずいるので、ある程度で歯止めがかかる。ところが日本では、こういう人々をKYとして集団から排除してしまうので、暴走しはじめたら止まらない。
さらに悪いのは、メディアがKY的な群衆行動を増幅することだ。集団自決をめぐっても慰安婦をめぐっても、朝日新聞は事実の検証はそっちのけで、「沖縄の心」や「海外の目」などの空気で押し切ろうとするKY的な編集方針をとった。思えば、戦時中もっとも激烈に好戦的な空気をあおったのも朝日だった。戦後60年以上たっても、彼らは戦争から何も教訓を学んではいないのだ。そして既存メディアに反抗するネットイナゴも、自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。
これについては、山本七平の『「空気」の研究』という有名な本がある。連合艦隊の軍令部次長だった小沢治三郎が、戦艦大和の特攻出撃について「全般の空気よりして、当時も今日も特攻出撃は当然と思う」と戦後30年もたってから語っているのだ。山本は、この空気とは何かを考えるのだが、「おそらく科学的解明も歯が立たない”何か”である」という結論ならざる結論しか出せない。
日本の超国家主義の特徴が「無原則な付和雷同」にあるという点は、丸山眞男なども指摘しているが、彼はその原因を天皇を頂点として「私事の倫理性と国家の合一」する家産制国家の前近代性に求めた。だとすれば、21世紀になっても空気が跋扈しているのは、なぜなのか。日本はまだ官僚の家父長主義による家産制国家なのだ――というのも一つの答かもしれないが、問題はそういうウェーバー的な図式では片づかない。
90年代の長期不況をもたらした原因も、空気である。グリーンスパンは、2000年に日本を訪れたとき、当時の宮沢蔵相にアメリカがRTCによる担保不動産の処分で金融システムを再建した経験を話し、日本も迅速に不良債権を処理すべきだと進言した。ところが宮沢は、「あなたの分析は鋭いが、それは日本のやり方ではない」と答えたという。グリーンスパンは、日本の不良債権処理を遅らせた最大の原因は、経済の回復よりも「体面」を重んじる日本の文化だとしている。
戦争や不況のような不確実性が大きい状況で付和雷同的な行動をとるのは、ゲーム理論で合理的に説明できる。こういう「複数均衡」の状態では、どの答が本当に正しいかわからないが、人々がバラバラに行動するのは最悪なので、正解はどれだけ多くの人々がそれを正しいと思っているかに依存する。空気は、人々の行動を一つの解に収斂させるコーディネーション装置の役割を果たしているのだ。
こういう行動は日本人に固有の特徴ではなく、不確実性のもとで「流動性への逃避」が起こるのは金融市場でも同じだが、グローバルな市場では、こうした「相対主義」に対してファンダメンタルズのような絶対的価値にもとづいて逆張りするプレイヤーが必ずいるので、ある程度で歯止めがかかる。ところが日本では、こういう人々をKYとして集団から排除してしまうので、暴走しはじめたら止まらない。
さらに悪いのは、メディアがKY的な群衆行動を増幅することだ。集団自決をめぐっても慰安婦をめぐっても、朝日新聞は事実の検証はそっちのけで、「沖縄の心」や「海外の目」などの空気で押し切ろうとするKY的な編集方針をとった。思えば、戦時中もっとも激烈に好戦的な空気をあおったのも朝日だった。戦後60年以上たっても、彼らは戦争から何も教訓を学んではいないのだ。そして既存メディアに反抗するネットイナゴも、自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。
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暗黙を尊ぶ精神は,基本的には「わかりきったことをハッキリ言うと相手に悪いのではないか」などといった配慮から来るものでそれ自体は悪ではないと思うのですが,現在のようになんでもオープンになってしまう世の中では「KY」のような悪影響が目立ってしまうのでしょう.
僕は常識がわからず空気が読めない人間なのでなんでもハッキリ言って貰えると助かるのですが,こういうことを周りに言っても遠慮されてしまいます(単に信頼されてないだけか).
何故か日本人は根拠もなくプライドが高い人が多く居ます。俺は(天下り)教授だ、俺は東大卒だ、俺は男だ女とは違う、私は医者だ、私は美しい・・・など特にかく、日本人は実質ではなくレッテルをプライドにします。
これがいつまでたっても日本をその程度にしていると思います。池田教授のように冷静に現状分析できれば、日本はもっと良くなると思うのですが、始めから気付きもせずに「KY」といって終わらせるのが、これまた馬鹿を醸し出しております。
何とかならないものでしょうか・・・
それから「空気」というものは、その場の人間あるいは集団にとってのエゴのようなものに感じますし、それを押し付けるのはやはり罪でしょう。
海外に比べて個性が抑圧されているように思えるのは、この「空気」という見えない圧力が原因でしょうか。プラスに働いているうちは良いですが、今はマイナスの方が強いので、無い方が健全です。
なにより、空気に依存しない、他人に左右されない思考・行動を心がけて生きたいですね。
『赤福』などの報道は本当にひどいものです。彼らの手にかかれば、そのうち日本より中国の食品の方が安全であるかのように信じこまされてしまう、そんな気がします。
かれらが元凶というか第一権力でしょうね。
学者が否定しているのに。
朝日は、戦前も戦後も強引だから。
読売が政治に介入したのを批判できる立場じゃないでしょ?
大日本帝国を潰したんですよ。
戦後の朝日も、相当な誤誘導を繰り返している。
科学関連記事と「ののちゃん」は良いんだけどなあ.
えー!!?そんなことないですよ。でも「空気読め」とかは嫌い。「以心伝心」という言葉も嫌い。
プライドに初めから根拠なんてないですよ。やたらと日本人論をぶつのも日本人が多いと聞いたことありますよ。レッテル張る人は外国にもいるのに「日本人は」と言うのはおかしいでしょ。他国の人が書いた日本人論ならわかりますが、自国の分析はあんまり意味がないと思いますわ。
このエントリーを読んでアザラシたまちゃんのいざこざを思い出しました。生息地からはずれた動物は病気の可能性があることを理由にして元の生息地に帰すために捕まえようとした人が非難されてた。たまちゃんは自然に来たんだからそのままでええやんかって。テレビを見ながら、アザラシが見たいならなんで動物園に行かんのやろうかと思ってました。動物園じゃダメだったんだろうなやっぱり。たまちゃんじゃないと。
傑作でした。沖縄教科書問題、「日本軍の強制を否定するやつらはKY」
この程度の国民なのだと思います。
何故か増長している人が多いですが。
一例として、中島は自分が講義している教室で、窓際の女子学生に
「君、暑くないかい?」
と聞いたところ、その学生は、周囲を見渡して、絶句したそうです。
単に自分が暑いかどうかを問われているのに、そこで答えると、自分が集団を代表することになるから、何も言えなくなってしまう。
集団内で意見が対立しているとき、言葉なら、議論、反論という形で、正しい結論を導くことも可能ですが、「空気」だと、単に多数派につくだけで、正義はどうでもよくなってしまう。
2ちゃんねるはまさに多数派が正義という世界ですね。
宮沢というのは東大出身以外の人間というかそれ以外の人たちをもっと活用するそういうことができない人でしたから。
勤勉、脱税、付和雷同は百姓DNAの3大特徴ですよ。
>“なんか業界ぐるみで「KY=朝日珊瑚捏造」を抹消したいらしい ”
http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/51043541.html
「KY」が世間で流行っているらしい、とマスコミがマッチポンプする以前は、「KY」=「空気が読めない」なんて使ってる人は僕の周りでは聞いたこと無かったですけどね。ちなみ大学生ですけど。
本題は山本七平さんの「空気」絡みの話なので、瑣末なアレだからどうでもいいですけどね。
まず、山本氏は絶対悪vs絶対善という「対立概念での対象把握」を、わが社会における「空気」による支配の典型としていますが、これってブッシュ大統領の「テロリストにつくか、我々につくか」という発言のように、政治的に緊張した状況下で普遍的に見られることでしょう。
また、同書の主たる狙い(?)は、戦後の左派陣営を戦前の国家主義者たちと接合し(天皇教が民主主義教あるいは平和主義教に移行したとの構成)、後者の知的ヘゲモニーに打撃を与えることにあったようですが、「空気」支配の程度が全く違うので、この論法は無理があるように感じました。
今日の本文も、不良債権処理の遅れからネットイナゴまで、なんでも戦争末期とのアナロジーで国民性論として論じてしまうのは、大げさな気がします。
【アジア研究分遣隊】1947年創設。神奈川県・座間キャンプに駐屯している米陸軍第500軍事情報旅団に属する部隊。ここでは日本国内外から収集する400以上の定期刊行物など、印刷メディアとインターネットメディアを分析している。
米陸軍の文官12名のほかに、日本のいわゆる「思いやり予算(host nation support)」によって雇われている日本人従業員(翻訳・分析家)たちが77名も勤務している。米軍においては「公開情報分(OSINT)といえば、ASD」と言われるほど、定評がある機関。
URLは下記のとおり。
http://findarticles.com/p/articles/mi_m0IBS/is_4_31/ai_n16419804
情報収集のあと、分析し不都合があれば工作活動を展開するわけです。アメリカ人はお人よしなどとたわけたことをいう評論家がいるが、日本人の方がよっぽどお人好し、というより腑抜けです。
まさかKYとはいいませんよね。
でも集団心理って怖いですね。実は操作できるけど、一度動くと修正するのが難しそうですもの。
それが戦前から戦後まで続いているところに日本人のある意味での脳天気さが現れているようにも思う。
聖徳太子のころからの伝統、というかこれこそが日本のファンダメンタリズムなのかもしれませんね。
丸山が最も強く忌避した日本人の性質は、忠誠(ロイヤリティ)という観念に対する
非常に自己中心的な日本流の解釈だったと私は思う。
この解釈では観念的、普遍的、倫理的あるいは法律的な秩序も、またすぐれた宗教的な思想も持たないため、結局は正当化できない権威集団に対し、忠誠を尽くす事が要求される。
この歪められた忠誠の概念によって、あらゆる精神的な自律性、個人や国民全体の創造的な自主性(主体性)が抑圧されてしまった。
封建領主であれ、天皇であれ、国家組織の象徴としての相手に、無制限・無条件で忠誠を尽くすことそれ自体が、いわば究極の目的(美徳)となってしまうのだ。
彼は自身の経験から、この非合理的で、非普遍的な体質はいぜんとしてはびこっていると感じ、これをオーケストラの演奏にたとえて、たのあらゆる楽器の音を無効にしかねない「執拗低音」と呼んだ。
・・・先生の文章を読まして戴き、上記の一節が頭に浮かびましたので、ここに引用させて戴きました。
◎自分たちの「村」を批判する者にはKYを連呼する。日本人というのは、この程度の国民なのだろう。と言われる先生の言葉に、残念ながら、共感するものです。
七十七歳の、戦前戦中の狂った国民の付和雷同的、集団ヒステリーの恐ろしさを知る小生にとって、「執拗低音空気」の増幅には、必要以上に敏感にならざるを得ません。
又、そういう意味で、今現在、公明党上部組織の創価学会、狂える集団の動向には特に注意を払っているのです。
空気を読む、という態度は、結局のところ、「流れに逆らわない、議論を避ける、疑問を持たない、自分の頭で考えない、自論を持たない、結果に責任を持たない」ということですよね。
世を風刺する言葉との解釈だとしても、こんなネガティブな言葉が、流行語大賞のトップ候補になるなんていうのは、情けないことです。
大賞を取って(取る確率は高い)空気を読んで、波風を立てないことが是であるような間違ったメッセージを子供らに、送ってしまわないかと心配です。
KYなんて、いかにもガサツで下品な言葉ですから、我が家では、使用禁止にしました。
皆さんの周りにでも、脈絡なくKYを連発するようなおばかさんが居るでしょう? しっかり軽蔑して、自覚を促してあげた方が良いですね。
バカだけど罪が無い流行語と、バカな上に下品で有害な流行語を区別できないなんて、恥ずかしいですよねえ、いくらなんでも・・
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